親たちの謝罪
第○話
親たちの謝罪
最初の話し合いは、重い沈黙の中で終わった。
一之介は離婚届への署名を拒み続けたが、弁護士は淡々と告げた。
「では、調停および必要な法的手続きに進みます」
文子は、もう泣かなかった。
笑美を守る。
その一点だけが、文子の背中を支えていた。
*
その後。
一之介と桃の関係は、職場にも知られることになった。
勤務中の不適切な関係。
家庭を持つ従業員と、それを知った上で関係を続けた同僚。
さらに一之介には、家庭内での暴言や暴力に関する問題も浮上していた。
会社側は調査を行い、二人に対して厳しい処分を下した。
懲戒免職。
一之介も桃も、仕事を失った。
*
そして数日後。
再び、大津駅近くのレンタルルームに関係者が集まった。
桃の両親。
父、堀川学。
母、敦美。
一之介の両親。
父、太田泰介。
母、愛弓。
そして文子の両親。
父、板山恭介。
母、春奈。
同席するのは、文子、梨花、麻里子、一絵、弁護士、探偵事務所の担当者。
そして安全確保のため、ラガーマンの立会人と光永夏菜子もいた。
*
最初に資料が説明された。
一之介による暴言。
笑美への暴力。
文子のメンタルクリニックの診断書。
笑美の診断書。
一之介と桃の一年にわたる関係。
妻子がいることを知っていた桃のLINE。
すべてが、淡々と提示された。
*
堀川学は、資料を読み終えると、顔を真っ赤にした。
「桃」
桃は俯いた。
「お前、自分が何をしたか分かってるのか」
「……」
「妻子ある男と関係を持っただけやない。相手の奥さんと子どもを、LINEで踏みにじったんやぞ」
桃は泣き出しそうな顔をした。
「ごめんなさい……」
その瞬間、学は立ち上がり、桃の頬を張った。
乾いた音が部屋に響いた。
「謝る相手を間違えるな!」
敦美が涙を流しながら桃を見た。
「桃……あなたをこんな子に育てた覚えはない」
*
続いて、太田泰介が一之介の前に立った。
一之介は目を逸らした。
「一之介」
「……」
「文子さんと笑美ちゃんが受けた痛みを、少しでも考えたことがあるのか」
一之介は答えない。
泰介は震える声で言った。
「お前は父親やろうが」
そして、一之介の頬を張った。
一之介の体がふらつく。
さらに母の愛弓も、涙を流しながら言った。
「文子さんを、笑美ちゃんを、何だと思っていたの」
もう一度、張り手が飛んだ。
一之介は椅子に倒れ込むように座った。
*
ラガーマンの立会人が一歩前に出る。
「お気持ちは分かります。ただ、これ以上は止めましょう」
光永夏菜子も静かに続けた。
「ここは制裁の場ではなく、責任を確認する場です」
部屋の空気が、ぎりぎりのところで止まった。
*
桃の父・学と母・敦美は、文子に向かって深く頭を下げた。
「本当に申し訳ありませんでした」
学の声は震えていた。
「娘が、あなたと笑美ちゃんの人生を傷つけました」
敦美も涙ながらに頭を下げる。
「親として、どうお詫びすればいいのか分かりません」
*
一之介の両親、泰介と愛弓も頭を下げた。
「文子さん」
泰介は絞り出すように言った。
「あなたを守るはずだった息子が、あなたと笑美ちゃんを傷つけました」
愛弓は涙で声を震わせた。
「笑美ちゃんに、怖い思いをさせてしまって……本当に申し訳ありません」
*
だが、文子の両親は収まらなかった。
板山恭介は、一之介を睨みつけた。
「ふざけるな」
一之介は顔を上げる。
「うちの娘を何やと思ってた」
恭介は一之介の胸ぐらを掴みかけた。
すぐに立会人が間に入る。
「お父さん、そこまでです」
しかし、恭介の怒りは止まらない。
「結婚の挨拶に来た時、お前は何と言った!」
一之介は何も言えない。
「文子と明るい家庭を築くと言ったやろ!」
恭介の声が震えた。
「その娘を罵って、孫を叩いて、他の女と遊んで、何が夫や! 何が父親や!」
*
春奈も桃を見た。
「あなたもです」
桃はびくっとする。
「文子の顔も、笑美の顔も知らずに、よくあんな言葉を送れましたね」
春奈の目には涙があった。
「あなたたち二人が軽く扱ったものは、私たちにとって大切な娘と孫なんです」
*
文子は、両親の背中を見ていた。
父が怒っている。
母が泣いている。
自分のために。
笑美のために。
その姿を見て、文子の目から涙がこぼれた。
「お父さん……お母さん……」
春奈は文子を抱きしめた。
「よう耐えたね」
文子はその腕の中で、初めて子どものように泣いた。
*
恭介は、一之介と桃に向かって言った。
「謝罪は受け取る」
部屋が静まる。
「だが、許すとは言っていない」
一之介も桃も顔を上げられない。
「これから先、責任はきっちり果たしてもらう」
*
弁護士が静かに書類を整えた。
「今後は、離婚、親権、養育費、慰謝料、接近禁止に関する手続きを進めます」
桃の両親も、一之介の両親も、重くうなずいた。
誰も笑わなかった。
誰も軽く扱わなかった。
この場に残ったのは、取り返しのつかないことをした二人と、その結果に向き合わざるを得なくなった家族たちだった。
*
文子は涙を拭いた。
そして、静かに言った。
「私は、笑美と生きていきます」
一之介が顔を上げる。
文子は見返した。
「あなたとではなく」
その声は、もう揺れていなかった。




