壊したもの
壊したもの
文子は、一之介から視線を外した。
ゆっくりと、桃を見る。
桃は俯いたままだった。
文子は静かに言った。
「今度は、あなたに聞きます。」
桃は小さく肩を震わせる。
「……はい。」
「あなたが壊したものは何?」
桃は黙った。
答えられない。
文子は続ける。
「自分の言葉で答えて。」
沈黙。
長い沈黙だった。
*
文子は机の上の資料を見た。
「あなた、私の顔も知らなかった。」
「笑美の顔も知らなかった。」
「それなのに。」
文子は桃を見つめる。
「よく、あれだけ酷いことがLINEに書けたよね。」
桃の目から涙がこぼれる。
文子は責め立てる口調ではなかった。
静かだった。
だからこそ、一言一言が重かった。
「『奥さんには残業って言えばいい。』」
「『私の方が分かってる。』」
「『早く別れて。』」
「笑美の名前まで出してた。」
桃は唇を噛む。
*
文子は問いかけた。
「その時、私たち家族のこと、一度でも考えた?」
桃は首を横に振ることもできなかった。
「……。」
「どう思ってた?」
涙が止まらない。
「答えて。」
桃は震える声で言った。
「……考えてませんでした。」
文子は目を閉じた。
「そう。」
「考えてなかった。」
*
文子は再び問いかける。
「あなたがやったことが、どういう結果につながった?」
「答えなさい。」
桃は何度も首を振る。
「……。」
夏菜子が静かに言う。
「黙ることもできます。」
「ですが、自分がしたことからは逃げられません。」
*
桃は両手で顔を覆った。
「……奥さんを傷つけました。」
文子は黙って聞く。
「……笑美ちゃんも。」
さらに涙が落ちる。
「……家庭を壊しました。」
その言葉を口にした瞬間、自分でもその重さを理解したようだった。
*
文子は静かにうなずいた。
「そう。」
「家庭を壊した。」
「笑美は四歳。」
「夜になると、お父さんの足音を怖がるようになった。」
「病院にも通うことになった。」
「私はメンタルクリニックへ通うようになった。」
「それが、あなたたち二人の行動が生んだ結果。」
部屋には誰も口を挟まなかった。
*
桃は泣きながら言った。
「……ごめんなさい。」
文子は少し首を横に振った。
「謝ることは必要。」
「でも、それだけでは終わらない。」
弁護士が静かに続ける。
「謝罪と法的責任は別の問題です。」
「今日確認しているのは、まず事実と、それぞれが負う責任です。」
*
文子は最後に桃へ言った。
「私は、あなたを憎み続けたいわけじゃない。」
「でも、笑美が受けた傷は、本当にあった。」
「私が受けた苦しみも、本当にあった。」
「だから、その責任から目をそらさないで。」
桃は顔を上げられないまま、小さくうなずいた。
「……はい。」
その返事は、ようやく自分の行動の重さを認め始めた、小さな一歩だった。




