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沈黙の琵琶湖2 ― 涙の向こうに咲く笑顔 ―  作者: リンダ


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忘れた約束

 

 忘れた約束

 文子は、離婚届を前に置いたまま、一之介を見つめた。


「一之介」


 一之介は顔を上げない。


「覚えてる?」


「……何をや」


「あんた、結婚の挨拶に来た時、私の両親や祖父母になんて言った?」


 一之介の指が止まった。


 文子は、静かに続けた。


「文子さんと共に、明るく幸せな家庭を築いていきます」


 部屋の空気が、さらに重くなる。


「そう言ったよね」


 一之介は何も答えない。


 *


「あの約束、どこにいったん?」


 文子の声は震えていた。


 けれど、弱さではなかった。


「たった数年で忘れ去られるほど、軽いものやったん?」


 桃が息をのむ。


 梨花は静かに文子を見守っていた。


 麻里子は唇を噛んでいる。


 一絵は、涙をこらえていた。


 *


 文子は、言葉を止めなかった。


「私の家族は、あんたの言葉を信じた」


「私も信じた」


「この人となら、笑って暮らしていけると思った」


「笑美が生まれた時も、家族になれたと思った」


 文子の目に涙が浮かぶ。


「でも、あんたは何をした?」


 *


 一之介は、ようやく小さく言った。


「文子……」


「答えて」


 文子は遮った。


「私に罵声を浴びせた」


「笑美を叩いた」


「家に帰ってこなかった」


「別の女と一年も関係を続けた」


「それで全部明らかにされて、離婚を通告されたら」


 文子は一之介を睨んだ。


「愛してる女は私だけ?」


 短い沈黙。


 そして、低く言った。


「よくそんな冗談が言えるね」


「全然笑えん」


 *


 一之介の顔が歪む。


 言い返したい。


 でも、言葉が出ない。


 約束を破ったのは自分だった。


 嘘を重ねたのも自分だった。


 暴言を吐いたのも、手を上げたのも、不倫を続けたのも、自分だった。


 文子は、もう一度だけ言った。


「愛してるって言葉はね」


 声が少しだけ柔らかくなる。


 それでも、厳しさは消えない。


「相手を守るために使う言葉や」


「裏切ったあと、自分が助かるために使う言葉やない」


 *


 桃はうつむいていた。


 その横で、一之介はペンに触れられないまま固まっている。


 文子は、最後に静かに告げた。


「一之介」


「私は、あんたの妻を終わります」


「でも、笑美の父親としての責任は、終わらせません」


 弁護士が離婚届の横に、必要な書類を並べる。


 部屋の中に、紙の音だけが響いた。


 *


 文子はもう泣き崩れなかった。


 泣きながら黙る女ではなかった。


 笑美を守るために、自分の人生を取り戻すために、そこに立っていた。


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