壊れた夜と、温かい朝
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学園を舞台にした恋愛・心理ドラマです。
楽しんでいただければ嬉しいです。
第一章 ―― 壊れた夜と、温かい朝
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その夜、ヒヨリが客間で眠りについた後、カネオ家の大屋敷は再び静寂に包まれた。
廊下の柱時計は、午後十時三十分を指している。
俺はまだ起きていた。別に眠れないわけじゃない――俺はこれまで、眠れないという経験をしたことがない。ただ、ほんの少しだけ、喉が渇いた。それだけの理由で、俺はベッドから降り、台所へと向かうことにした。
廊下には、人感センサーの薄明かりが点る。
この屋敷は、確かに広い。三人で住むには――いや、ヒヨリを含めれば四人か――あまりに広すぎる。大理石の床に、自分の足音だけがこつ……こつ…… と、規則正しく反響する。もう慣れていた。この家は、決して賑やかにはならない。ただ、足音と、たまに母が料理をしながら鼻歌を歌う声だけが、かすかに響くだけだった。
リビングを通り過ぎ、二階へ続く階段の横を通り過ぎ、台所へと続く廊下を曲がった、その時だった。
――いた。
セリア。
俺の妹だ。まだ六歳。短い黒髪が少し寝癖で跳ねている。眠そうな目は、まだ半分しか開いていない。彼女は廊下の真ん中に立ち、手に小さなウサギのぬいぐるみを抱え、ぼんやりとこちらを見つめていた。
俺は立ち止まった。
セリアは目をこすった。それから、ようやく俺の存在に気づいたように、眠たげな声を上げた。
「……お兄ちゃん……?」
俺は答えない。ただそこに立っている。
セリアが近づいてくる。小さな足音が、大理石の床にぺた……ぺた…… と響く。彼女の手にあるウサギのぬいぐるみ――それはいつも、彼女が眠るときに傍らに置いているものだ。まるで、彼女を決して離れない友達のように。
「お兄ちゃん、なんで起きてるの?」
「……水を飲みに。」
「ふーん……」
彼女は小さく頷き、また目をこすった。
「わたしも……起きちゃった。喉、かわいたの。」
俺は、一瞬彼女を見た。特に異常はない。セリアはよく夜中に起きて水を飲む。まだ小さいから、仕方ない。
「……台所、行くぞ。」
セリアが頷き、後ろをついてくる。
二人で並んで、静かな廊下を歩く。セリアの足音は小さく、かすかで、ほとんど聞こえない。俺は、無意識に歩調を緩めていた。彼女に合わせるためだ。いや、後ろでぱたぱたと急ぐ音を聞きたくなかったからかもしれない。
「……お兄ちゃん、さっき、夢見たんだ。」
セリアが突然言った。
俺は答えない。
「お兄ちゃんが出てくる夢。」
俺はまだ黙っている。
「お兄ちゃんが、大きくなって……それでね、わたし、お兄ちゃんの肩に乗って……空を飛んだの……!」
セリアがくすっと笑った。声はまだ眠そうだけど、その中に確かな喜びが混じっていた。
「……変な夢だな。」
「でも、楽しかった!」セリアが言い返す。「また見たいな、あの夢。」
俺は答えなかった。ただ歩き続ける。
台所に着く。照明をつける――流し台の上の小さな灯りだ。目に優しい、淡い光。棚からグラスを二つ取り、ウォーターサーバーで水を注ぎ、セリアに差し出す。
「……飲め。」
セリアは両手でグラスを受け取り、慎重に口をつける。子どもがこぼさないように飲むときの、あの慎重さで。
俺も自分のグラスに水を注ぐ。冷たい水が喉を通る。確かに冷たい。だが、俺はその冷たさを、本当に感じているわけではなかった。ただ、体が水を欲しているということを、機械的に認識しているだけだ。
「……お兄ちゃん。」
セリアがまた呼ぶ。
「……なんだ。」
「さっきね、泣き声が聞こえた気がしたの……。」
俺は手を止めた。セリアを見る。
「……どこからだ?」
「……わかんない。起きたら、なんとなく……誰かが泣いてる音が、した気がして……」
セリアは、まだ眠そうな大きな瞳で俺を見つめる。そこに恐怖はない。ただ、純粋な好奇心だけがある。
「……客が来てる。小さな女の子だ。泊まってる。」
「え?」セリアが首をかしげる。「お客さん? この家に?」
「……ああ。」
「どこに?」
「客間。廊下の突き当たり。」
セリアはしばらく考え込んだ。それから、目を輝かせた。
「……わたし、会える?」
「……明日な。今はもう寝てる。」
「……ふーん。」
セリアは少し不満そうだった。しかし、素直にうなずいた。
「……わかった。明日の朝ね。」
彼女は水を飲み干し、慎重にグラスを台の上に置いた。いつも丁寧に振る舞おうとしている。まだ完璧ではないけれど、その努力は伝わってくる。
俺はセリアのグラスを取って、流しで洗った。水が流れるじゃあ…… という音が、静かな台所に響く。グラスを水切りかごに置き、小さなタオルで手を拭く。
セリアはまだ、ウサギのぬいぐるみを抱えて立っていた。
「……お兄ちゃん。」
「……なんだ。」
「あのね、お客さんのこと、話してほしいな。」
俺は彼女を見た。
「……明日な。今は寝ろ。」
セリアは唇を尖らせたが、反論はしなかった。ただ頷いて、自分の部屋へ戻ろうと踵を返す。
しかし、台所の入り口で、立ち止まった。
「……お兄ちゃん。」
「……なんだ。」
「……わたし、嬉しい。」
俺は彼女を見つめた。意味がわからなかった。
「……何がだ?」
セリアが笑った。彼女の年の子どもだけが持つ、無邪気な笑顔だった。何の負い目もない、純粋な笑顔。
「だって、お兄ちゃんが、ここにいるから。」そう言った。「お兄ちゃんがここにいるって、わたし、いつも嬉しいんだよ。」
俺は答えられなかった。何と答えればいいのか、わからなかった。
セリアは台所を出て行き、廊下の向こうへ消えた。小さな足音が遠ざかり、ぱたん…… と優しくドアが閉まる音が響いた。
俺はまだ、台所に立っていた。小さな明かりの下で、一人だけが取り残されていた。
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俺は自室へ戻った。
廊下の灯りが、通り過ぎるたびに自動で消えていく。大屋敷は再び静寂を取り戻していた。ただ、自分の足音だけが、こつ……こつ…… と大理石の床にこだまする。
俺は客間の前で立ち止まった。
中からは、何の音もしない。ただ、規則正しい寝息だけが聞こえる。ヒヨリはもう眠っている。泣き声も、嗚咽もない。
俺は、その扉の前に、しばらく立っていた。何をするでもなく。ただ、立っていた。
そして、自分の部屋へと歩き出した。
ベッドの縁に腰掛け、窓の外を見る。外では、雨はすっかり上がっていた。三日月が、雲の切れ間からかすかに顔を覗かせている。
セリアのことを考えた。彼女の言葉。彼女の笑顔。
ヒヨリのことを考えた。滑り台の下での泣き声。彼女の目の奥の恐怖。それから、母が髪を撫でたときに、ようやく静かになった彼女の表情。
母のことを考えた。京子・カネオ。いつも微笑んでいる女性。何も問わずに、誰でも受け入れる女性。理由もわからずに、いつも俺を抱きしめてくれる女性。
俺は、感情について何も理解していなかった。
しかし、今夜は、初めて何かが変わった気がした。
理解したからではない。ただ、見たからだ。
セリアが笑いかけてくれたのを見た。
ヒヨリがようやく落ち着いたのを見た。
母が、二人の頭を同じ優しさで撫でているのを見た。
そして、なぜか、そのすべてが……温かかった。
俺はベッドに横たわり、暗い天井を見つめた。太陽が昇るまで、まだ数時間ある。けれど、初めて、朝が来るのを待ち遠しいと思った。
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朝。
外から聞こえるかすかな物音で、俺は目を覚ました。
騒がしい音ではない。ただ、足音、戸の開く音、そして母の優しい呼び声。
「キョウイチロウ……朝ごはんができてるわよ……」
カーテンの隙間から朝日が差し込んでいる。部屋の隅々にまで、柔らかな光が広がっていた。
俺は起き上がり、服を着替えて食堂へ向かった。
食堂では、母がセリアと一緒に座っていた。セリアはもう制服に着替え、髪は両側で小さなツインテールに結われている。彼女はイチゴジャムを塗ったパンを食べながら、小さな足を椅子の下でぷらぷら…… と揺らしていた。
「おはよう、キョウイチロウ。」母が明るい笑顔で迎える。
「おはよう、お兄ちゃん!」セリアも元気な声を上げる。
俺は頷いて、自分の席に座る。テーブルの上には、ご飯、味噌汁、焼き魚。典型的な和食の朝ごはん。母は毎朝これを作ってくれる。彼女が疲れているとき以外は――けれど、彼女は滅多に疲れた顔を見せない。
「ねえ、お客さん、もう起きてる?」母が尋ねる。
俺は顔を上げた。ヒヨリのことだ。
「……まだ、みたいだ。」
「そう。じゃあ、後で起こしに行くわね。きっとお腹も空いてるでしょうし。」
母は微笑み、セリアに食事を食べさせ続ける――もう十分自分で食べられるのに、時々こうして甘えさせてあげるのが母のやり方だった。
俺は黙って食べた。話さない。ただ噛み、飲み込む。
しかし、母の視線を感じた。
「……何かあるのか?」俺は顔を上げずに言った。
「いいえ、別に。」母はくすっと笑った。「ただ……なんだか、今日はちょっと違って見えるなと思ってね。」
「……違う?」
「ええ……いつもより、ちょっとだけ……落ち着いてるっていうか。いや、いつも落ち着いてはいるけど……もっと、柔らかい感じ?」
俺にはよくわからなかった。けれど、それ以上は尋ねなかった。
朝食が終わり、母は客間へヒヨリを起こしに行った。
俺はまだ食卓に座ったまま、待っていた。
すると、セリアが椅子から飛び降りて、俺のそばに駆け寄ってきた。彼女は俺の袖を引っ張る。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん! お客さん、かわいい?」
俺は彼女を見た。
「……かわいい?」繰り返す。「わからない。そんなこと考えたこともない。」
セリアは唇を尖らせた。
「お兄ちゃんは変だよ。普通、人を見たら、かわいいとかかっこいいとか、思うもんなのに。」
俺は答えなかった。
しばらくして、母が戻ってきた。ヒヨリを連れて。
ヒヨリはまだ、昨夜貸した服を着ていた――俺の古い服だ。白い髪はもう少し整えられていたが、まだ少し寝癖が残っている。目は少し赤かったが、もう腫れてはいない。昨夜よりは落ち着いて見えた。
しかし、俺は彼女の手を見た。その小さな手が、服の端をぎゅっと握りしめている。指の関節が白くなっている。少し震えている。
俺はそれを見ていた。けれど、何も言わなかった。
「おはよう。」母が優しく声をかける。「ヒヨリちゃん、こちらが家族よ。こちらがセリア、キョウイチロウの妹さんよ。」
ヒヨリはうつむいた。
「お、おはようございます……」
セリアは、ヒヨリを目を輝かせて見つめた。そして、駆け寄っていく。
「わあ! 白い髪! すごくきれい!」
ヒヨリは驚いた。顔が少し赤くなる。手はまだ震えているが、笑顔を作ろうとしている。
「わ、わたし……」
「わたしはセリア! セリア・カネオ! おねえちゃん、お名前は?」
「ひ……ヒヨリ……ミケリア・ヒヨリ……です……」
「ヒヨリちゃん!」セリアが元気に繰り返す。「じゃあ、ヒヨリちゃんでいい?」
ヒヨリは、一瞬沈黙した。それから、ゆっくりと頷いた。
「……うん……いいよ……」
セリアは満面の笑みを浮かべた。彼女はヒヨリの手を取った。
「行こう、ヒヨリちゃん! わたしのお気に入りの場所、教えてあげる!」
ヒヨリは圧倒されたようだった。しかし、拒絶しなかった。彼女はセリアに手を引かれて、リビングへと向かっていった。
母はその様子を見て、小さく笑った。
「……仲良くなれそうね。」
俺は答えなかった。ただ、見つめていた。
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リビングでは、セリアが熱心に自分のお気に入りの場所を全て紹介していた。一番柔らかいソファ、回転するロッキングチェア、そして棚に並んだぬいぐるみたち。
「こっちはモチ! こっちはモモ! そしてこっちが――」
「……話しすぎだ。」
俺が冷たく言うと、セリアは振り返ってふくれっ面をした。
「お兄ちゃん、ひどい! 新しいお友達に紹介してるんだよ!」
すると、ヒヨリが小さく笑った。声はかすかで、ほとんど聞こえないほどだった。しかし、俺は聞いた。
「……いいよ……セリアちゃん、面白いね……」
セリアはその言葉に、ぱっと顔を輝かせた。彼女はヒヨリのそばで小さく跳ねている。
「でしょ! お兄ちゃんは変だけど、でも優しいんだよ!」
「……優しい?」俺が繰り返す。
「うん、優しい!」セリアが、目を輝かせて俺を見る。「お兄ちゃんはいつも守ってくれる。言わないけど、わかってるんだからね!」
俺は答えなかった。
ヒヨリが、俺を見つめた。何かが彼女の目に浮かんでいる。読み取れない何か。彼女の手はまだ、膝の上で少し震えている。けれど、彼女の表情は、落ち着こうとしている。
「キョウイチロウさんは……確かに、優しいです……」
俺は、わずかに眉をひそめた。
「……さん」か。
普通、同年代の子どもは「くん」か、名前だけで呼ぶ。しかし彼女は「さん」を選んだ。距離を置くように。あるいは……距離を置かざるを得ないと感じているのかもしれない。昨夜会ったばかりだから。まだ怖いから。まだ、俺が彼女にとって他人だから。
俺は何も言わなかった。ただ、見つめていた。
「……どうして、そう思うんだ?」俺はようやく尋ねた。
ヒヨリはうつむいた。彼女の手が、服の端をぎゅっと握る。震えている。
「……だって……助けてくれたから……昨夜……」
俺は答えなかった。
何と答えたらいいか、わからなかった。
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時計は午前八時三十分を指していた。
母は、ヒヨリの身の回りのことを全て整えてくれた。昨夜、雨で濡れた服は、もう洗濯して乾いていた。ヒヨリは今、自分の制服を着ている。膝の傷はまだ包帯が巻かれている。
「キョウイチロウ。」母が言った。「ヒヨリちゃんを家まで送っていきましょう。」
俺は頷いた。
ソウヘイの運転する車の中で、ヒヨリは俺の隣に座った。彼女は何も話さず、ただ窓の外を見つめている。白い髪が、エアコンの風に揺れてふわ……ふわ…… と動いている。彼女の手は、制服の裾を握りしめたまま。震えている。
俺はそれを見ていた。しかし、何も言わなかった。
セリアは同行しなかった――彼女はもう登校していた。だから、車の中には、俺とヒヨリとソウヘイだけだった。
「……キョウイチロウさん。」
ヒヨリが口を開いた。
俺は振り返った。
「……あの……何て言えばいいのか、わからないです……あなたがしてくれたこと、全部……」
「……いい。」
ヒヨリは首を振った。
「……いやです。あなたは助けてくれた。家に連れて帰ってくれた。お母さんも、すごく優しくて……」
「……いいって言ってる。」
ヒヨリは黙った。彼女の震える手が、さらに強く服の裾を握りしめる。
車は、桜通りに佇む小さな家の前で止まった。古い家で、壁の塗装は剥がれ始めている。しかし、庭はきちんと手入れされていて、鉢植えの花々が並んでいた。玄関先には、空っぽの木製の椅子が置かれている――おばあちゃんが座っていた場所かもしれない。
「……送ってくれて、ありがとうございます。」
ヒヨリが小さな声で言った。
彼女はドアを開けて、車を降りた。家の前で、彼女はしばらく立ち尽くし、鍵のかかったドアを見つめている。
俺も車を降りた。
「……入れそうか?」
「鍵は……」ヒヨリはポケットを探る。「持ってます……」
彼女は制服のポケットから小さな鍵を取り出した。手が震えている。鍵穴に差し込もうとして、なかなかうまくいかない。俺はそれを見ていた。しかし、何も言わなかった。
「……キョウイチロウさん。」
俺は振り返った。
「……わたし……いつ、また会えるか、わからないです……」
彼女はうつむいた。白い髪が、彼女の目を隠す。
「でも……よかったら……また、お礼がしたいです……いつか……」
俺は彼女を見つめた。
「……いい。」と俺は言った。「……でもな。」
俺は言葉を止めた。何を言えばいいのか、わからなかった。
しかし、何か言わなければならない気がした。
「……また、家に来たいなら、来てもいい。」
ヒヨリは驚いた。目を見開いた。
「……ほ、本当ですか……?」
俺は頷いた。
「……母も喜ぶ。」
ヒヨリが微笑んだ。小さな、けれど心からの笑顔だった。彼女の手はまだ震えている。けれど、今回は隠そうとはしなかった。
「……ありがとうございます……キョウイチロウさん……」
俺は答えなかった。
俺は車に戻った。
車が走り出してから、バックミラーを見ると、ヒヨリはまだ玄関先に立っていて、小さく手を振っていた。その手は……少しだけ震えていた。
俺はそれを見ていた。けれど、何も言わなかった。
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帰りの車の中で、ソウヘイが口を開いた。
「若様、香代子様が、若様は今日は少しお元気そうだとおっしゃっていました。」
俺はソウヘイを見た。
「……元気そう?」
「はい。少しだけ……お顔に色が差したように、と。」
俺には意味がわからなかった。しかし、尋ねはしなかった。
「……若様は、あの娘さんがお気に召しましたか?」
俺はソウヘイを見た。
「……気に入った?」
ソウヘイは、微かに口元を緩めた。ほとんど笑顔には見えない。
「……失礼しました。不躾な質問でした。」
車は走り続けた。
俺は窓の外を見た。空は澄み切っている。雲一つない。太陽がまぶしく輝き、街の道を明るく照らしていた。
そして、初めて、今日はいつもより少しだけ軽い気がした。
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カネオ家に戻ると、母が玄関先で待っていた。俺が車を降りるのを見て、母は微笑んだ。
「おかえり、キョウイチロウ。」
俺は頷いた。
「……ヒヨリちゃんをまた家に招いたんだって?」
俺は母を見た。
「……知ってたのか?」
「もちろんよ。ソウヘイが教えてくれたの。」母は微笑んだ。「良かったわ。ヒヨリちゃんは素敵な子ね。あなたも良くしてあげて。」
「……」
「……迷ってるの?」母が尋ねた。
俺は沈黙した。
「……わからない。」俺は言った。「助けたのは、泣いてたからだ。でも、その後……なぜまた来ていいと言ったのか、自分でもわからない。」
母が近づいてきた。彼女は優しく俺を見つめた。
「キョウイチロウ、あなたは全部を理解しなくていいの。時には、良いことは理由もなく起こるものよ。」
俺は母を見つめた。
「……わからない……」
「いいのよ。」母は言った。「いつかわかるかもしれないし、わからないかもしれない。でも、それが問題なわけじゃない。大切なのは、あなたが正しいと思うことをしたってこと。」
俺は黙った。何も言えなかった。
しかし、心の奥で、何かが温かくなっていた。
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夜。
すべての者が眠りについた後、俺は再び客間の前に立った。
ヒヨリはもういない。しかし、その部屋にはまだ、彼女の気配が残っていた。枕から漂うシャンプーの香り。彼女の小さな体の形を留めたままの、掛け布団のくぼみ。
俺はその部屋を見つめた。
――ヒヨリ。
なぜ、あの少女のことを考えているのか、わからなかった。
しかし、初めて、理由を知りたいとは思わなかった。
そのままにしておきたかった。
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夜空には、三日月が明るく輝いている。
そして、広く静かな屋敷の中で、キョウイチロウ・カネオはベッドの縁に腰掛け、窓の外を見つめていた。
そして、初めて――。
彼は微笑んだ。
小さな微笑み。
ほとんど気づかれない。
しかし、確かにそこにあった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
次回もよろしくお願いいたします。




