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8.氷の貴公子を振り回す日々

恐怖のマルテル家飲み会をビール大ジョッキの一気飲みという力技で生き残ったジュリアンは、我が家の脳筋義父ガストンに「見かけによらず骨のある男」として一応の合格点を貰ったらしい。


それからというもの、彼は社交界の噂通りの『氷の貴公子』の仮面を私の前でだけ綺麗に剥がし、毎日のように熱心に私をデートに誘ってきた。


「オデット、今日は社交界の退屈な茶会ではなく、君が本当に喜びそうな場所を見つけました」


そう言って、銀髪の美男子が私をエスコートした街の片隅。そこは、下位の騎士や職人たちが集まる、活気と熱気に満ちた下町の隠れ居酒屋タバーンだった。


「ぷはぁッ! あなた、本当に私の好みが分かってきたじゃない!」


木のジョッキになみなみと注がれた冷えたビールを煽る私を見て、ジュリアンは愛おしそうに目を細める。社交界の令嬢が見たら卒倒しそうな私の豪快な飲みっぷりを、彼は120%全肯定してくれるのだ。実に教育が行き届いている。


そんな私たちのテーブルに、酒に酔った大柄な荒くれ者たちが「おいおい、綺麗な坊ちゃん嬢ちゃんがこんな所に……」と絡んできた。

私が拳を握りかけた、まさにその瞬間。


「……私のレディのディナーを邪魔するな。命が惜しければ失せろ」


ジュリアンがこれ以上ないほど高慢な、高位貴族としての恐ろしい威圧を放った。宮廷の権力闘争を勝ち抜いてきた男の冷たい視線に、荒くれ者たちは一瞬で青ざめて逃げ出していく。


「へえ、やるじゃない。騎士じゃなくても、結構凄みがあるのね」

「伊達に国王陛下の隣に座っているわけではありませんから。さあ、冷めないうちにその肉も食べてください」


この男、剣を振るわなくとも、私の前ではちゃんと「男」であろうとしてくれる。

そんなジュリアンの優秀さは、私のトラウマにまで発揮された。


ある日、彼の邸宅に招かれた際、デザートとして差し出された皿を見て、私は本気で跳び退いた。


「っ……リンゴ!? 嫌よ、私は一生リンゴなんて食べないって言ったでしょ!?」


大昔に自分で作った毒リンゴを誤食した恐怖が蘇り、鳥肌が立つ私に、ジュリアンは困ったように、けれど天上の聖母のような微笑みを浮かべた。


「生の真っ赤な果実が苦手だと、ガストン殿から聞きましてね。ですから、薄く切って、シナモンと砂糖でじっくり煮込んでパイ生地で包みました。これなら、毒も呪いも、私の愛の炎で焼き尽くしてありますよ」

「な、何よその恥ずかしいセリフ……」

差し出されたフォークから、おそるおそる焼き菓子の破片アップルパイを口にする。

……美味い。甘酸っぱくて、温かくて、昔の酷い思い出が、ジュリアンの優しい瞳に溶かされていくような味がした。


「……ま、まぁ、合格点ね。また作りなさいよ」

「ふふ、喜んで。一生かけて、君の苦手を美味しいものに変えてみせます」


こうして胃袋まで掴まれかけた私だが、魔女としてのプライドもある。

ある日、私は彼をマルテル家の訓練場へと引っ張り込み、一本の木剣を放り投げた。


「国王の最側近様の実力、見せて頂こうじゃない」

「おや、手厳しい。私は文官ですよ、オデット」


困ったように笑いながらも、ジュリアンは上着を脱ぎ、スッと木剣を構えた。


激しくぶつかり合う木剣。魔女の桁外れの体幹から繰り出される私の一撃は、常人なら腕の骨が折れるレベルだ。だが、ジュリアンは鋭い切れ長の瞳をぎらつかせ、宮廷貴族の嗜み(護身術)の範疇を遥かに超えた、洗練された最小限の動きで私の猛攻をいなしてくる。ガストンが「いい筋肉をしている」と褒めたのも納得の、無駄のない体幹だ。

とはいえ、相手は人間の文官。最後は、私が彼の剣を弾き飛ばし、そのまま地面に押し倒す形(いわゆる床ドン)で決着がついた。


「はぁ、はぁ……やっぱり強いな、私のレディは。完全に私の負けだ」


仰向けに倒れたジュリアンが、乱れた銀髪の隙間から私を見上げる。その頬が、興奮と別の熱でわずかに赤くなっていた。本当にこの男、強い女に振り回されるのが好きらしい。


「降参?美形の伯爵様。 私を守るには、まだ筋力が足りないんじゃない?」


冗談めかして笑う私に、ジュリアンは真剣な目を向け、私の手を強く握りしめた。


「確かに、武力では君に適わない。だけどオデット、もし君に万が一の危機が迫ったときは、私は迷わず君の盾になる。剣で敵を倒せなくとも、君を傷つけさせないためにこの身を投げ出す覚悟なら、私にはあります」

「……ば、バカね。私が不覚を取るわけないでしょ。変な心配しないで」


心臓が、人間体験を始めてから一番うるさく脈打っていた。


その日の夜、私たちは邸宅のバルコニーで、満天の星空を見上げていた。


「人間の命なんて、この星空に比べたら、ほんの一瞬の泡沫うたかたのようなものよね……」


ふと漏れ出た、千五百年生きた魔女の本音。ほんの数ヶ月の休暇のつもりだったのに、この男のせいで、胸の奥がひどく切くなる。

すると、ジュリアンはそっと私の肩を抱き寄せ、耳元で優しく囁いた。


「たとえ私たちの命が一瞬だとしても、私はそのすべてを君に捧げる。もし私が先に星の海へ還ることがあっても……魂の形を変えて、何百年先でも、必ず君を見つけ出します。だから、そんな寂しい目をしないで、オデット」

「……大袈裟よ。見つけられなかったら、ひっぱたくからね」


そう強がりながらも、私は彼の胸に顔を埋めた。


人間界は脆くて一瞬だ。だけど、この温もりだけは、本物だと信じたかった。

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