12.三十年後の約束
魔女界に戻ってから、こちらの時間で数週間が過ぎた。
人間界の感覚で言えば、あれから数年が経ったことになるだろう。
私の自室の机の上には、人間界から持ち帰ったいくつかの「遺品」が並んでいる。血の汚れを魔法できれいに落とした白い騎士服、お気に入りのマイ・ジョッキ、そして…ジュリアンがプロポーズの時にくれた、サファイアの指輪。
「オデット、あんた今回の休暇から戻ってから、なんだか様子がおかしいわよ?」
ふらりと部屋にやってきた高位の魔女仲間が、私の手元を見てニヤニヤと笑う。
「何がよ」
「だって、あんなに美的な感性が高かったあんたが、ドロッとした黄金色の苦い液体を好んで飲むようになるし。それにさっき、食堂のデザートに出たアップルパイを見て、うっかり食べようとしてたでしょ」
「……うるさいわね。ちょっとした気まぐれよ」
私はフンと鼻を鳴らし、手元の水晶玉を起動した。
魔女界の退屈な時間は、人間界の時間を恐ろしい速さで進めていく。私が地上を去ってから、人間界ではすでに三十年以上の歳月が流れていた。
水晶玉の中では、かつて私を面白がり、集団傷害罪から救ってくれた、あの悪ノリ好きのジークフリート国王が、病の床で死の淵に瀕していた。
「……ふん。お別れくらいは、直接言ってあげなきゃね」
私は漆黒の魔女の衣を纏い、密かに人間界の王宮、国王の寝所へと転移した。
深夜の寝室。老衰と病により、かつての豪快さを失い、小さく息を吐くだけとなった老王ジークフリートが横たわっていた。周囲の看病の者たちに認識阻害の魔術をかけ、私はベッドの脇に姿を現した。
「相変わらず、死に際まで人騒がせな王様ね」
私の声に、ジークフリート王がゆっくりと、薄く目を開けた。かすむ瞳が私を捉えた瞬間、王の口元がわずかに綻んだ。
「……おお、オデット、か。三十年前と、少しも変わらぬ美しさだな。やはり、お前は……」
「ええ、私は人間じゃないわ。魔女界からほんの数ヶ月休暇に来ていた、気まぐれな魔女よ」
私が告白すると、王は驚くこともなく、微かに笑った。マルガレーテ王妃だけでなく、彼もまた薄々感づいていたのだろう。王は力なく微笑みながら、掠れた声で私に問いかけた。
「万能なる魔女よ……ならば、お前のその力があれば、あの時ジュリアンを生き返らせることも……今の私を、病から救い、寿命を延ばすことも容易かったのではないか?」
その問いに、私は静かに首を振った。そして、あの日ジュリアンを前にして、どうしても魔法を使えなかった理由を打ち明けた。
「魔法は万能よ。だけどね、人間の運命を無理に書き換えれば、世界の法則…輪廻の輪が狂うの。その代償は、魔法を使った私ではなく、使われた本人の魂に返る。もしジュリアンを生き返らせていたら、彼の魂は永遠の呪縛と死以上の苦痛を味わうことになっていたわ」
王の細い手を、私はそっと握りしめる。
「だから……私は本当に大切な人には、絶対に魔法を使わない。ジュリアンにも。そして、私を愛してくれたあなたにも」
私の言葉を聞いたジークフリート王は、深く、満足そうに息を吐き出した。
「ははは……いや、返す言葉もないな。そうだな、お前は非情な魔女などではない。誰よりも優しく、不器用な……我が国最高の騎士だ」
王の瞳から、死への恐怖が完全に消えていた。彼は私の手を微かに握り返し、どこまでも穏やかな声を紡いだ。
「ならば、私はこのまま、傷一つない綺麗な魂のまま眠るとしよう。……なに、魂の輪廻というものがあるのなら、その輪の中で……またお前と出会うこともあるかもしれん。その時は、美味いビールでも、奢ってくれ……」
「ええ、約束するわ。大樽ごと奢ってあげる」
私が微笑むと、王は満足したようにゆっくりと目を閉じた。
そのまま眠るように、ジークフリート王は静かに息を引き取った。
私は王の胸に手を当て、その高潔な魂が、美しく星の海へと還っていくのを見届けた。




