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11.魔女、覚醒

「……ぁ」

私の口から漏れたのは、言葉にすらならない獣のような呻きだった。

ゆっくりと立ち上がる。純白のドレスは、最愛の男の血で無惨に赤く染まっていた。

周囲では、テオや騎士たちが必死に暗殺者と戦っているが、そんなものはどうでもいい。


「よくも、よくも私のジュリアンを……」


私の碧眼が、どす黒い魔力で濁っていく。

「基本魔法禁止」? そんな生温かいルールは、今この瞬間にゴミ箱へ投げ捨てた。

全身の毛穴から、人間界の法則を歪めるほどの圧倒的な質量を持った魔力が噴出する。聖堂の空気がミシミシと鳴り響き、凄まじいプレッシャーに暗殺者だけでなく、味方の騎士たちまでもがその場にへたり込んだ。

私は一歩踏み出す。攻撃魔法の絶大な反動を軽々と受け止める、魔女としての真の肉体が、真の力が呼び覚まされる。無機質に、悍ましい詠唱を紡いでいく。


「Regnum tenebrarum, confringere et ad nihilum redigere...(常闇の王国よ、砕き、無へと帰せ)」


「な、何だこの化け物は……!? ぐあああああっ!」


逃げようとした暗殺者たちの足元から、漆黒の魔力の刃が噴出し、彼らの肉体を容赦なく両断した。


悲鳴、絶叫、肉の弾ける音。


魔法は万能だ。私は感情のままに魔力を指先から放ち、大聖堂に乱入した数十人の暗殺者たちを、肉片すら残さず、一瞬にしてこの世から消滅させた。

静まり返る聖堂。床に残されたのは、暗殺者たちの灰と、ジュリアンの亡骸だけ。


「ジュリアン……!」


私は再び彼の元へと駆け寄り、その胸に手を当てた。


「Anima vulnerata, a fossa redi.Vitam accipe, sed perpetuo dolore scissa!(傷つきし魂よ、墓穴より戻れ。命を受け取るがいい、されど永遠の痛みに引き裂かれながら!)」


魔女の究極秘術。死者を蘇らせる魔法の術式を、脳内で高速で編み上げていく。私の魔法なら、彼の魂をこの肉体へと引き戻すことなど容易い。

だが、術式が完成する直前、私の脳裏に世界の絶対禁忌(ルール)が冷酷に突き刺さった。


(……だめ。これをやったら、ジュリアンは…!)


脳裏をよぎった最悪の結末に、私の指先が恐怖で凍りついた。


「……あ、ああ……」


私は、掲げた手を止めるしかなかった。

千五百年、世界の頂点に君臨してきた最強の魔女。その私が、これほどの魔力を持ちながら、目の前で冷たくなっていく愛しい男一人、救うことすら許されない。

どれだけ強くても、どれだけ魔力があっても、私は彼を救えない。救ってはいけない。


「オデット……お前、一体……」


怪我を負ったテオが、恐怖に震えながら私を見つめている。

ガストンも、クロエも、ジークフリート国王も、誰もが私を「大切な身内」ではなく、「未知の化け物」を見る目で凝視していた。


脳裏に去来する、これまでの十六年間。

脳筋の義父にしごかれた日々。テオと殴り合って笑った夕暮れ。令嬢たちに囲まれて飲んだビールの味。クロエが淹れてくれたお茶。そして、ジュリアンと過ごした、甘く愛おしい夜。

それら全てが、一瞬にして冷めていくのを感じた。

人間は脆い。人間は弱い。そして、人間はあまりにも理不尽だ。


「……もういいわ。人間なんて、つまらない」


私は自嘲気味に呟くと、血に染まったベールを剥ぎ取り、ウエディングドレスをその場に脱ぎ捨てた。


その下から現れたのは、人間の衣服ではなく、漆黒の魔力を編み込んだ、妖艶で冷徹な魔女の衣。金髪が引き締まり、碧眼からは一切の人間らしい感情が消え失せていた。


「オデット、待ってくれ! 行かないでくれ!」


ガストンが涙を流して手を伸ばしてくる。

しかし、私は二度と振り返らなかった。

虚空に漆黒の亀裂を生み出し、そこへと身体を沈めていく。

唖然とする一同を置き去りに、私は人間界から完全にその姿を消した。



……魔女界の、冷たく静謐な自室へと戻ってきた。


ベッドに深く腰掛け、私は自分の白い両手を見つめる。


人間界で過ごした十六年。


魔女の感覚に直せば、ほんの二ヶ月ほどの、少し後味の悪い休暇に過ぎない。明日になれば、また退屈で永遠の日々が始まるだけだ。


「……本当に、つまらない休暇だったわ」


そう呟いた私の目から、一滴の涙が床へとこぼれ落ちた。


それが、魔女オデットが流した、生涯最後の人間の涙だった。

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