10.血染めの聖堂
翌朝。生まれて初めて身に纏う純白のウエディングドレスは、驚くほど軽くて、そしてほんのりと温かかった。
鏡の中にいる私は、いつも通りのキリッとした私ではなく、どこからどう見ても「恋する一人の人間の女」だった。胸の奥がじんわりと熱くなり、指先がかすかに震える。これが、人間たちの言う『幸福』というやつなのだろう。
「オデット様、本当にお美しいです……!」
控室で私のベールを整えながら、クロエが本気で涙を流している。
「ありがと、クロエ。あんたが泣いてどうすんのよ。ほら、テオも義父様をちゃんと見張っててくれた?」
「安心しろ。マルテルのおっさんは『娘が美しすぎる』って式場の裏で号泣しながら気絶してる。仕留めるなら今だぞ」
あきれ顔のテオの冗談に、私はいつものように笑った。
大聖堂の重厚な扉が開く。
パイプオルガンの厳かな音色が響き渡る中、光の差し込むヴァージンロードの先で、ジュリアンが待っていた。私を見つめる彼の優しい瞳。その瞳に飛び込めるなら、魔女としての永遠の命なんて、今ここで捨てて人間に成り果ててもいいとさえ思った。
だが、運命というやつは、どこまでも残酷で、唐突だ。
私たちが祭壇の前で誓いの言葉を交わそうとした、まさにその瞬間。
ガシャァァァァァンッ!!!
大聖堂の美しいステンドグラスが派手に砕け散り、黒装束を纏った一団が天井から一斉に舞い降りた。手には毒々しく光る凶刃。
「国王ジークフリートの命を貰い受ける!」
狙いは、最前列に列席していた王だった。あまりの急襲に、周囲の近衛騎士たちの反応が一歩遅れる。
暗殺者の刃が、無防備な国王の首筋へと肉薄した。
「陛下ーーっ!」
叫んだのは、誰よりも王の近くにいたジュリアンだった。
彼は躊躇なく、自らの身体を肉の盾として国王の前へと投げ出した。
ドスッ、と重鈍な音が、静まり返った聖堂に響く。
「……え?」
私の視界が、ゆっくりとスローモーションに切り替わる。
ジュリアンの白い婚礼服の胸元が、一瞬でどす黒い鮮血に染まっていく。暗殺者の刃は、彼の心臓を深く、正確に貫いていた。
「ジュリアン……?」
糸が切れた人形のように崩れ落ちるジュリアンを、私はドレスを血に染めながら抱きとめた。
温かかった彼の身体が、手のひらの中から急速に冷たくなっていく。
「オ、デット……すま、ない……きみを、ひとりに……」
彼の美しい切れ長の瞳から、光が消える。
繋いでいた手の力が、完全に失われた。
「ジュリアン? 嘘でしょ? ねぇ、目を開けてよ。ねぇ、ジュリアン……っ!」
いくら叫んでも、胸に耳を当てても、あの愛おしい鼓動は二度と返ってこなかった。
人間は、あまりにも脆い。どれほど美しく、どれほど気高くとも、胸をひと突きされれば簡単に壊れてしまう。
その瞬間、私の頭の中で、人間として生きていた十六年間のリミッターが、音を立ててパツンと弾け飛んだ。




