九十章 †穿たれし結界†
「凄いな。彼を一人で倒してしまうとは」
クツミカが驚いた顔でハルクスの元へ駆け寄る。
「ふぅ……流石にちょっと疲れたわ」
とハルクスは苦笑しながら言い、転がっている瓦礫に腰を掛けた。
拳からは血が滴り落ち、全身から汗が噴き出している。
「横目に見ていたけど、パワーでは終始圧倒していたね。キミの筋力は間違いなくシュウの末裔を凌駕している。誇るべきだ」
「あらありがと。結局あの筋肉にはダメージを与えられずじまいだったけどね」
「ンフフ……敢えて無防備な胴体を晒して攻撃を誘っただろう?余程の自信がなければできることじゃあない」
「そうするしか関節を極める隙が作れそうになかっただけよ」
二人が会話していると、そこへ全身を炎に包まれながら一体の大鬼型魔獣が吹っ飛んできた。
すでに息絶えているようで、踠きすらせず灰となって消滅していく。
「これで一先ず今回の攻撃は片付いた」
と、その魔獣を殴り飛ばしたであろうカガリが歩いてくる。
続いてメルトも上空から降りてきて、数回弾みながら着地した。
「今ハルにゃんが倒したのがリーダー格だったみたいだな」
「そうらしいわね……」
そう答えるハルクスは、いつものように微笑を浮かべつつもどこか苦しそうに見えた。
「どした?大丈夫か?」
心配そうに顔を覗き込むメルトに、ハルクスは手のひらを向けて制止する。
が、カガリがその手を払い除ける。
「見せろ」
言って、強引にハルクスのタンクトップを捲り上げると、その腹部には大きな打撲痕が残されていた。
「うわっ!痛そ!」
遅れて駆けつけたアダーが声を上げる。
「さっきの攻撃か……」
クツミカは顎に手を当てて思案顔で呟く。
「すぐ治す。じっとしてろ」
カガリは魔力による治癒を施そうと、患部に手を当てる──が。
「やめなさい」
今度はハルクスがその手を払い除けた。
「何言ってんだてめえ!こんな状態じゃ──」
「アナタは大きな戦力よ。私なんかを治すために魔力を浪費してる暇は無いでしょう。そうでなくともアナタの紅蓮拳は消耗が激しいんだから。攻撃が落ち着いたのなら今すぐ休息を取りなさい。みんなもよ」
ハルクスはいつになく真剣な表情で、カガリに、そして他の三人へと目線を送っていく。
「……分かった」
カガリはハルクスの気持ちを感じ取り、手を引く。
「まあそろそろ天域の結界も消える頃──」
と言いかけた途端。
突如雲の切れ間から、光が差し込んだ。
「……噂をすればだ。天使様が降りて来るみてえだぜ」
† † †
数十分前──天域。
"神兵隊"に所属するおよそ五千名の天使たちが、天域の中心部にある広場で隊列を組み、魔族との戦争の準備をしていた。
「者ども、聞け!」
その先頭に立ち、剣を掲げて声を上げるのは、"六柱神"が一人──武の神ビアだ。
ビアは神兵隊に武の極意を教示すべく、十五時間以上に渡って稽古をつけていた。
「天域の結界が解けるまで残り三十分程度だ!恐らく解けると同時に魔族が一斉に天域へと雪崩れ込んでくるだろう!オレの叩き込んだ武の極意を全て発揮し、一匹残らず撃ち落とせ!貴様たちならできる!この武の神が保証する!」
「オオオォーッ!!」
天使たちはビアの鼓舞に応えるように拳を突き上げて雄叫びを上げた。
「流石じゃな武の神よ。神兵たちの面構えも立ち姿も、見違えるようじゃ」
ビアの後ろから、杖をつきながら声を掛けたのは、知の神グノウだ。
「まったくだ。普段からしっかり鍛錬していればここまで見違えることもなかっただろう。平和ボケして天使の教育を怠っていたな、知の神」
「うむ……面目ない」
と毒を吐くビアに、グノウは素直に頷いた。
「神官ども、防衛には貴様たちの力が重要になる。準備はいいな」
「はい」
それぞれの神に仕える六人の神官たちもその後ろに並び、戦闘準備を進めていた。
グノウとビア以外の神たちはやはり未だ自身の神の塔から出てきてはいないようだが。
「ロゴスリー、ハルシクス、手筈通り下界への掃討部隊を任せるぞ。下界の民も粘ってはいるが、戦力は徐々に削られている。ハルシクス、貴様の力で少しでも死者を減らせ」
「承知しました、ビア神様」
神官のうち、端正な顔立ちで頭を丸めた褐色の女──正の神ディケの神官ロゴスリーと、大柄な金髪の男──休の神アナパウシスの神官ハルシクスが、跪いて応えた。
「ミゼロル、神域の防衛は貴様に任せるぞ」
続いてビアは神の杖である剣の柄頭を光らせ、大神官ミゼロルへと交信する。
「はい。迎撃の準備は万全です」
と返事が返ってきた──次の瞬間だった。
「がはっ……!!」
ビアに仕える赤髪の男性神官──グラディオネの腹に、風穴が開いた。
「グラディオネ!!」
ビアは叫ぶ。
その足元には小さな穴が出現していた。
そしてさらに天使たちの隊列の中にも、次々と何者かによる急襲が仕掛けられた。
瞬く間に数十人の天使が負傷ないし戦闘不能に陥る。
ビアはすぐに状況を把握し。
「すでにヤツらの攻撃が始まっている!!構えろ!!天力を研ぎ澄ませぇ!!」
混乱する広場全体に通る大声で指示を送りながら、自らも翼を広げて戦闘態勢をとった。
天使たちもその指示を聞いてすぐさま武器を手に取る。
「どうなっている知の神!結界はまだ……」
「ああ、まだ解けてはおらぬ……じゃが弱まっていた……ヤツら、その弱まった結界を魔力で無理矢理こじ開けたのじゃ……!」
「馬鹿な!そんなことが可能なのか!?」
「いや、本来魔力でどうこうできるようなものではない……じゃが魔族を率いるライザーという男……彼奴の魔力はそんな常識を覆すレベルに達しておるようじゃ……」
そう確認しているうちに、足元の穴は少しずつ崩落して大きくなっていく。
神たちは翼を羽ばたかせ穴から距離を取ると、神の杖や武器を構えて警戒する。
「雑魚に用は無い。やれ、ライザー」
瞬間、穴から十メートル近い巨大な腕が現れたかと思うと、その前方に勢いよく振り下ろされ、そこにいた数名の天使を巻き込んで叩き潰した。
うち一名は、休の神官ハルシクスだ。
そしてそのまま腕の力で穴から体を引き上げ、元魔獄王ライザーが姿を現す。
無論その肩には、現魔獄王であるB2が乗っている。
──これがライザー……!
──千里鏡で見てはおったが、やはりでかい……それに途轍もない魔力じゃ……!よもやここまでとは……!
グノウはその巨体を見上げて息を飲む。
周囲の神官や天使たちも目を見開いて動揺を隠せていない。
潰された仲間たちに気を向ける余裕すらないほどに、ライザーの巨大な威圧感が場を支配する。
ただ一人、武の神ビアだけは、すでにライザーの背後から攻撃を仕掛けていた。
その首筋へと振り抜かれる神の杖の剣に、ライザーは恐らく気付いてはいなかったが、当たる直前に全身から嵐のような魔力を解き放ち、周囲のものを吹き飛ばした。
ビアは天使たちとともに弾き飛ばされるもすぐに空中で体勢を立て直し。
「"万物を貫くもの"」
剣で大きく円を描いて自らの周りに十本の光の槍を作り出すと、まるでガトリングのようにライザーの後頭部へと射出する。
しかしその巨体からは考えられない速度でライザーは振り返り、手のひらでそれを全て受け止めた。
「"咬み千切る光輪"!」
唱えたのはグノウの神官ファイブル。
同時に夥しい数の光輪がライザーの両腕に纏わりつく。
光輪は一気に収縮し腕を切断しようと食い込んでいくが、ほんの僅かにライザーが腕に力を入れるだけで光輪はあっさりと砕け散った。
「何という力……!私の天技をこうも容易く……」
怯むファイブルの頭上にライザーの反撃の拳が振り下ろされたが、間一髪、翼で自身を包み込み高速回転することでその攻撃を受け流す。
が、ライザーは口を大きく開き次なる攻撃の魔力を充填していた。
一直線に青い閃光が迸る。
反応が間に合わず光線に呑まれたかに見えたファイブルだったが。
「大丈夫かファイブル」
「神様……」
神の杖を構えたグノウの傍に移動していた。
"召喚"のような瞬間移動を発動させたのだろう。
召喚とは異なる原理──恐らくは天力を用いた技であるため、レヘンの"瞬間移動"やインフェルノの"瞬間移動"のようにこれもまた別の呼称があるのかもしれない。
とは言え放たれた巨大な光線は数キロ先まで届き、神兵隊に所属していない天使たちの住む町をも巻き込んで、甚大な被害をもたらした。
「くっ!よくも我らの町を!」「この外道め!」
周囲を飛ぶ天使たちは武器を構えて次々突撃していくが。
「あーもう……鬱陶しいハエどもだな……さっさと片付けてください」
B2が不快げに言うと、ライザーは右腕を無造作に大きく振り抜き、その天使を一気に弾き飛ばす。
腕に接触した者はまるで蚊蜻蛉のように砕け散り、接触していない者も風圧で数百メートル吹き飛ばされた。
「で……出鱈目すぎる……勝てるわけがない……!」
幸いその攻撃範囲から逃れた天使の一人は、ついそんな言葉を口にする。
他の天使たちも同様に恐怖し、武器を持つ手を震えさせている。
だがそんな中でも、武の神ビアは敵を冷静に観察していた。
──あの肩に乗っているガキは何だ?魔族の王に命令するとは……それにライザーの目は明らかに正気じゃあない……。
B2の半身が入ったことによってライザーの瞳は真っ黒に染まっている。
その変化に気付くことができたのは、ビアもそうなる前のライザーを自塔の千里鏡で見ていたからだろう。
──魔人は常に自分本位な性質を持つ……そんな魔人どもがライザーに従うのはこの異常なまでの強さ故だろうが……それでも下剋上を諦めない者は少なからずいるはず……それがあのガキの正体だとすれば……洗脳か、あるいは何らかの力でライザーの体を乗っ取ったのか……?
──だとすれば……先にヤツを仕留める!
ビアは大きく羽ばたき、ライザーの肩のB2へと突撃した。
B2は近付く魔力を感知したのか、首を捻ってビアを視界に捉える。
「フフ、気付きましたか。でも無駄ですよ。そう簡単に近付けさせるわけが──」
突如視界からビアが消え。
「……は?」
気付けばB2の首はずり落ちていた。
ビアは神の杖によって先程のグノウと同じく、自らをB2の背後へと瞬間移動させ、同時にその首へと斬撃を浴びせたのだ。
「フン、貴様程度は脅威ではない。"神"を舐めるなよ」
言い放ち、B2の体を蹴り飛ばす。
斬り分けられた頭と体が別々にライザーの肩から落下していく──が。
「神……?神は一人じゃなかったのか」
空中でB2はカッと目を見開き、さらに体は独りでに動き出してその頭を掴むと、首の切断面を重ね合わせ──やがてその切断面は完全に接合された。
「まあ、この程度のヤツなら恐れるまでもありませんね。ライザーの前には他の羽虫と大差無い」
──なるほど……ヤツの魔力……魔獣か。魔獣は高密度の魔力の集合体……普通の生物と違い必ずしも頭が弱点とは限らん。魔力自体を繋ぎ合わせれば再生も容易いというわけか。
B2の正体を見破ったビアの頭上から、ライザーは拳を振り下ろす。
と。
「"絡み付く光糸"!!」
それを唱えたのは生き残った神官たちと数十人の天使たちだ。
まるで獲物を捕らえた蜘蛛のように、光の糸がライザーの腕に大量に巻き付いて固定し、ビアに届く前に動きを止めさせた。
その糸も恐らくライザーの力の前ではすぐに引きちぎられるだろう。
だがビアはその僅かな隙を見逃さず、剣を構えてライザーの顔面へ接近する。
「"全てを断ち切る聖剣"!!」
ビアの剣は光に包まれて長く伸び、ライザーの眼球へと突き出される。
「させるか!」
とB2はすぐさま地面を蹴ってビアへと殴り掛かるが、その前にファイブルが立ち塞がり剣で受け止めた。
遮るものは何もなく、ビアの剣が直撃するかに思われた──が。
「なっ……!」
ライザーは素早く首を振り、その頭部に携えた巨大なツノで剣を受けていた。
そして次の瞬間にはもうライザーを止める糸は切れ。
「ぐっ……!」
ビアはライザーの手に掴まれ。
「……あああああああっ……!」
そのまま握り潰された。
指の隙間から大量の血が飛び散る。
肩から下が滅茶苦茶に粉砕されたその残骸をライザーは無造作に投げ捨て、それを見たB2は口角を大きく吊り上げる。
「あははははっ!神も所詮はこの程度ですか!さあ、その調子で全部殺せ!ライザー!」




