八十九章 †砕けぬ体†
† † †
同刻、クリンゴ共和国──マジポリア学園。
同刻とは言ってもクロム王国のほぼ真裏に近いこちらでは、午前と午後が逆転する。
この早朝のマジポリアの町にも、戦闘音は轟いていた。
幾度となく魔族が送り込まれ続け、対応する魔導士たちの多くが気力や体力、魔力を極限状態にまですり減らしている。
「先生、どうしたんですか急に呼び出して。まだ南の方に魔人が残ってるんですけど」
と宿直室を訪れたのは、ウルマロだった。
殺し屋ズゥル・アドリーに敗北したウルマロは、生徒であるキルトたちに発見された後、魔法薬での治療によって無事意識を取り戻した。
その後は夜通し町に現れる魔族の対処に当たっていたわけだが、何やらここへ呼び戻されたようだ。
「おーウルマロ。首の具合はどうだ?」
と呼び出した主であるムレファは、ベッドに横たわったまま頬杖をついて尋ねる。
「問題ありません。ていうか何寛 いでるんですか先生、みんな戦ってる時に」
「休むのも大事だよ。ちゃんと戦況は魔力で読んでるから問題ない。これくらいの敵ならわざわざ私が出なくてもいいでしょ」
「……まあそうですが……それで、何の用です?」
「お前の"第十使い魔"を出せ」
「!?」
特に変わらないリラックスした表情のままムレファが告げた言葉に、ウルマロは目を見開いた。
「この戦いではアイツの力が必要になる」
「ほ、本気ですか!?"ディザスターブラスター"はまだ全然制御できませんよ!?」
狼狽するウルマロ。
しかしムレファは至って冷静に。
「大丈夫。"素体"にするだけだ」
「素体って……先生まさか……!」
「うん。"霊魂召喚"を行う」
† † †
学園内・魔法修練場。
直径百メートルほどのこのひらけた場所で、二人は離れて向かい合う。
「……どうなっても知りませんよ」
ウルマロは苦い顔をしつつ、片手に杖を構えて、もう片手には分厚い本の一ページを開く。
「心配するな。全責任は学園長が取る」
「ムレファ先生じゃないんですか……」
「ああ、学園長に許可は貰ったからな。もし何かあったら、許可を出した学園長が悪いよな?」
「知りませんよ!」
「いいから早くやれよウルマロ……手ぇ震えてきた」
「成功させる自信ないんじゃないですか!何でこんなこと言い出したんですか!」
溜め息を落としながら目線を逸らすムレファに、ウルマロの容赦ないツッコミが炸裂する。
そんなムレファも、同じく片手に杖、片手に本を持っていた。
──先生が杖や魔導書を持ち出すなんてよっぽどだ。この人基本的に無動作・無詠唱で何でもできちゃうからな……杖を使うにしても"指杖"くらいしか見たことない……。
指を杖に見立てて魔法を使うことを指杖と呼ぶ。
最も魔法の対象を指定しやすく、魔力を操りやすくするのが魔法の杖であり、慣れた者は杖を使わずに指杖で、さらに慣れた者は無動作へと進んでいく。
対象を杖で指し示せば当然敵に狙いを読まれやすくなるため、熟練の魔導士の多くがこの無動作魔法を習得しているのだ。
ただし学園長ノウズ・ノームのように、手軽さよりも安定性を求め、敢えて杖を携帯し続ける者も少なくない。
むしろ幹部クラスの魔人や十勇の末裔との戦いですら無動作を貫けるのはムレファくらいのものである。
「本当に良いんですか?」
ウルマロが再三尋ねると、ムレファはこくりと頷いた。
「……分かりましたよ。絶対ミスらないでくださいね……」
と観念したようにウルマロは魔導書のページに目を落とす。
そこには複雑な魔法陣が五つ、十字の形に組み合わさったものが描かれている。
やがてページ上の魔法陣から少しずつ光が放たれ、ウルマロの足元に魔導書と同じ魔法陣が大きく展開された。
「"召喚"──」
「"無垢なる力よ 至純なる野性よ 號ぶ獣と病める天鼠の器に 骸の頭蓋で蓋をせよ 赤砦 黒翼 黒鎧 白兜 見えざる心臓 暴虐の魁偉 原初の胎動に委ね 厄災を滅す剣と成れ"」
詠唱が進むたび、足元の魔法陣の放つ光は徐々に強くなっていく。
そして。
「第十の契約者──"ディザスターブラスター"!!」
その名を呼ぶとともに、陣の上に、骸骨の顔を持った怪物が姿を現した。
赤い鬣に覆われた頭部に、黒い肌の筋肉質な体、鋭い爪を持った巨大な腕。獣脚類のような太い二本脚で立ち、背にはコウモリのような翼が生えている。大きさはおよそ二メートルほどで、今までウルマロが呼び出した使い魔──"ダークアーム"や"ハンマージャイアント"に比べると小さいが、それでも常人ではまず太刀打ちできないであろう体格だ。
と、ここまでならただの中型魔獣と大差は無いのだが──その骸骨の眼孔の奥に不気味に光る目玉と、頭部周辺から生えた八本の紫色の長い触手が、形容しがたい異質さを醸し出していた。
「出たな化け物」
ムレファは微笑を浮かべながら、その怪物──ディザスターブラスターに向けて杖を構える。
次の瞬間、ディザスターブラスターが踏み出した。
途轍もない速度で接近したディザスターブラスターはムレファのあらかじめ張っていた"甲空"などまるで無かったかのように粉砕して素通りし。
一撃。
ムレファは殴り飛ばされ、全身から血肉を撒き散らしていく。
が、それは囮だった。
ディザスターブラスターの真上の空中に、本物のムレファが杖を構えて浮かんでいた。
「"制圧重力波"」
ムレファの詠唱と同時に、杖の先から波紋状の光が放たれる。
光に包まれたディザスターブラスターは押し潰されるように倒れ込んだ。
──やった!
とウルマロは召喚に多くの魔力を消費したためかふらつきながらも、ムレファの魔法がディザスターブラスターを捕えたのを見て安堵する。
それでもディザスターブラスターは完全に平伏しはせず、両腕で体を支えながらその光から脱出しようと踠き、ゆっくりと波紋の縁へ近付くが。
「"拡大"」
とムレファが詠唱を重ね掛けした途端、光の重力波は範囲を二倍ほどに広げた。
杖を向けディザスターブラスターの動きを止めたまま、ムレファは魔導書の一ページを噛み、引きちぎる。
そのページには一つの複雑な魔法陣と、その中心に大きな鱗のような何かが貼り付けられている。
ちぎったページを口から離すと、まるで吸い込まれるようにディザスターブラスターの頭部へと舞い落ちていき、そのままぺたりと頭部に張り付いた。
それを確認してから、ムレファは詠唱を始める。
「"冥府に揺蕩いし偉大なるものの魂よ 許せ 苦痛 怨嗟 穢れ 混沌 入り乱れし世への招来を 暫し骸を借り 全なる力を以て この世に僅かばかりの安寧を"」
「──"霊魂召喚"──"ルグナ"」
瞬間、張り付いたページが青く強い光を放って消え。
同時にディザスターブラスターの動きが完全に止まった。
「……成功です、先生」
ウルマロが言う。
ムレファは制圧重力波を解除すると、ディザスターブラスターのすぐ近くにふわりと着地し。
「ふぅ……どうだ?蘇った気分は」
その骸骨頭の怪物へと尋ねる。
ディザスターブラスターはゆっくりと起き上がると、キョロキョロと辺りを見回し。
「……ダ・コド……ハ・ココ……」
掠れた声でそう言った。
いくつもの低音と高音が入り混じったような、ノイズ掛かった声だ。
「……そうか、お前の時代はまだ"竜人語"が使われてたんだったな、ルグナ」
「ズハ・ダンシ・ハ・シタワ……ダ・ノモニナ・ハ・チタマエオ……?ウコッカ・ノソ……カ・シウドマ……?」
ディザスターブラスターに宿ったであろうルグナと呼ばれる霊魂はムレファたちをじっと見つめ、謎の言語で何かを話し始める。
しかし二人は全く言葉が分からず顔を見合わせた。
「えっと……何だっけ、翻訳の魔法」
ムレファが首を傾げ顎を掻きながら訊くと、ウルマロは肩をすくめて杖を振る。
「"言語置換"」
ウルマロの杖から放たれた淡く青い光がルグナの頭部を柔らかく包み込むと。
「……魔法……やはり魔導士か」
とルグナの言葉は二人と同じ言語に変化した。
「ああ。私はムレファ・ベルジェーン。こっちは弟子のウルマロだ」
紹介されたウルマロは控えめにお辞儀をするが、ムレファは普段通りの振る舞いを崩さない。
「この体は……一体何だ?何故私は生きている……?」
自身の巨腕に違和感を覚えているのか、その手を見つめて尋ねるルグナ。
「一時的に霊魂を呼び出して、ウルマロの使い魔に憑依させた。今はお前が生きてた時代から大体三百年後だ」
「霊魂を呼び出す……そんなことが可能なのか?」
「うん。とは言え、霊魂召喚には呼び出す霊魂に近しい素体が必要になる。素体っていうのはつまり、死体のことだ。人を蘇らせるなら人の、他の動物なら近しい種の動物の、死体が必要になる。だからとっくの昔に禁止指定された魔法だよ」
「人……の体には見えないが……」
骸骨頭のせいでルグナの表情は見えないが、僅かな仕草からも困惑は明らかだ。
「お前のその体……ディザスターブラスターは、人の骸と同じ性質を持ってる。だからそいつを素体代わりにした」
「…………そんな禁忌を犯してまで、何故私を蘇らせた?」
「世界に危機が訪れたんだ。力を借りたい。"聖なる竜王"と呼ばれたお前の力を」
† † †
クロム王国・首都ヴァンプシティ。
町中が慌ただしい戦場となっている中で、一際激しい打撃音が響く。
ハルクスがハーデストを殴り飛ばした音だ。
建物の壁面に叩きつけられ、砕けた瓦礫に埋もれたハーデストは、数秒かけてゆっくりと立ち上がった。
そして落胆したように大きな溜め息を吐く。
「零点だ……いい加減無駄だと悟れよ人間。確かにてめえの筋力は人間の中じゃ群を抜いてる。ただの人間にしておくには勿体ねえと思えるほどだ。もしかすると単純な膂力なら俺以上かもしれねえ……だがそれでも、俺の鋼の肉体には傷一つ付けられねえ」
その言葉通り、ハーデストは全くの無傷だった。
「そして……てめえは脆い」
「くっ……」
ハルクスの拳からは血が滲み出していた。
「絶対的な差だ。凡人がいくらトレーニングを積んだところで、この硬さには到達できねえ。俺の硬度はあのバレットをも上回る!」
「あのって言われても私、バレットってヤツに会ったことないんだから分かんないわよ」
「ヴァハハ!まだそんな減らず口を叩く余裕があったか!……まあそりゃそうか。まだてめえに好きなだけ殴らせてやっただけだからな。愚者には力の差を理解らせてから殺すのが俺のやり方だ。だがそろそろ分かってきた頃だろう。天地がひっくり返っても、てめえじゃ俺には勝てねえってな。さあ、今度はこっちの──」
「ペラペラペラペラ、うっさいわねぇ。その上腕二頭筋は飾りなのかしら?来るなら来なさいよ」
静かに言って、ハルクスは指で挑発する。
逃げも隠れもしないとでも言いたげに、仁王立ちのまま腰に手を当てて胸を張る。
「ヴァハハハハハハッ!いいだろう!そんなに死にたきゃ望み通り殺してやるよ!」
ハーデストは腕を振り被ると、魔力推進により高速接近。
ハルクスの剥き出しの腹筋へと拳を打ち込む。
「こんなもの?」
「はっ……!?」
ハルクスはそこから一歩たりとも動かず立っていた。
そして腹筋で受け止めたハーデストの右腕を、両手でしっかりと掴まえる。
「確かにアナタは硬いけど、それだけよ。生まれ持ったドレッドノートの特性に胡座をかいているだけ。アナタの筋肉……美しくないわ」
ハーデストはすぐに腕を引こうとするが。
──くっ!?抜けねえっ……!何つう握力……!
「逃がさないわよ♪」
次の瞬間ハルクスは肘の関節を上から押さえつけ、捻った。
骨の割れる音が鳴り。
「ぐあああっ!!」
ハーデストの右腕はあらぬ方向へと折れ曲がる。
「その体の弱点は関節……ドレッドノート家ならみんな分かってることよ。もっとも私のいた家の人たちは、そんな隙は見せないように徹底してたけどね。……そして──」
痛みに顔を歪めるハーデストに対して、すかさず次なる拳を構えるハルクス。
中指の第二関節のみ突出して握ったその拳を、鳩尾へと叩き込む。
「がふっ……!?」
「鳩尾は筋肉じゃ守れない。腹筋で技を受けるならそれくらいの常識は身に付けておくべきよ」
ハーデストは思わず腹を抑え、がくりと膝から崩れ落ちかけるが。
その膝がつく前に、ハルクスの上段回し蹴りが顎へと炸裂した。
「筋肉では守れない部位その二」
まるで授業でもするかのごとく、ハルクスは淡白に言う。
脳を揺らされ意識が飛んだハーデストは今度こそ地に伏した。
が、すぐに鋭い眼光を光らせながら意識を取り戻し、眼前に立つハルクスを睨め付ける。
「て……てめえ……」
ハルクスはそれを怪訝な顔で見下ろし。
「あら、まだ喋れるのね。完全に顎を砕いた感触があったけど……それも魔力ってヤツの応用かしら?」
「クク……ヴァハハハハ……!零点だと何度言やあ分かる……だからてめえら人間は……この戦いに負けるんだ……!」
「……?」
今までと違い、明らかにダメージは通っている。
口の端からは血が溢れ、体は痙攣し、目の焦点も合っていない。
地に伏したまま起き上がる様子も無い。
だがハーデストのその言葉は、ただのハッタリには聞こえなかった。
「魔力が膨れ上がってる……!自爆だハルにゃん!!離れろ!!」
空中から叫んだのはメルトだった。
今この町で魔力を感じ取れるのはメルトとカガリだけだ。
世界連盟との情報共有により、魔人が自爆という最終手段を持っていることは分かっていた。
だが、ハルクスは逃げない。
「ええ、そんなことだろうと思ったわ」
「!?」
予想通りだと言わんばかりにハーデストの左足首を掴むと、ハンマー投げのようにぐるんぐるんとスイングし、そのまま何も無い数十メートル上空へと打ち上げた。
「くそが……くそがっ……!くそがあああああっ!!この俺が……!零点の……ゴミなんぞに──」
直後、巨大な爆発が、薄暗い夕闇に包まれるヴァンプシティを真っ昼間のように明るく照らす。
無様な最期を見送ったハルクスは大きな溜め息を吐き。
「なんて出鱈目な採点なのかしら。自分を負かした相手に最期まで零点を付けるだなんて……」
肩をすくめて、空へと吐き捨てる。
「まったく……頭まで硬いのね」




