八十五章 †闇に融けし皇帝†
「何者でもない。千年も昔、戦に敗れて暗闇に堕とされた……ただの魔人だ」
男の答えはリントの満足するものではなかったようで、さらに質問を重ねる。
「何故我々を襲った?」
「自分の住処に入った侵入者を攻撃するのはおかしいことか?」
「……なら、何故攻撃をやめた?」
「これ以上続けても無駄だろう。何者かは知らぬが、魔獣では貴様は殺せぬ。魔獣どもは私の孤独を紛らわせてくれる……数を減らしたくはないのだ」
「ほう、だがそれで私が反撃をやめるとは限るまい。我々も好き好んでこんな場所へ来たわけではないのだ」
「……いきなり攻撃を仕掛けてすまなかった。許してくれ。罪滅ぼしと言っては何だが、安全な私の住処へ案内しよう。ついてくるが良い」
そう言うと男はどこかへ歩いていく。
──ふむ……罠の可能性もあるが……悪意らしきものは感じないな。いずれにせよ、まともな場所で彼女を休ませてやらねば、私には上への戻り方も分からない。
──乗ってみるか。
と、リントは倒れた女魔人を抱え上げると、男の気配を追った。
「君にも名は無いのか?」
リントは前を歩く男へと尋ねる。
女魔人のように名前が無いと不便だと思ったのだろう。
男は少しの間沈黙し、答えた。
「……かつては"皇帝"と呼ばれていた。今や見る影もないが……私は魔獄の頂点にいた」
「……エンペラー……」
すると、それを聞いて反応したのは女魔人だった。
リントに運ばれる揺れによって、朧げではあるが意識を取り戻したのだ。
「……聞いたことがある……魔獄が始まって以来ずっと頂点に君臨してた、十勇ルインの血を引くライザーの一族が、大昔に一度だけ王の座から引き摺り下ろされたことがあるって……その相手が確か、エンペラー……」
「その通りだ。まあ、数十年という短い間だったがな……奴らはすぐに力をつけ、私を蹴落として再び王座に返り咲いた。私は全ての仲間を失い、一人この第四階層へと逃げ延びたが……今ではこのザマだ」
と、男は指先に小さな火を灯し、その姿を露わにした。
ボロボロの黒いローブに身を包み、伸び切った白髪と白髭が顔を覆った老人。背骨は曲がり、ローブから覗く腕も棒のように痩せ細っている。額の真ん中に生えた長いツノも枯れ枝のように萎んで垂れ下がり、その姿はチョウチンアンコウを思わせる。
「過去の経験と技術で魔獣を操れこそすれ、もはや自力では戦うこともできぬ、ただの老いぼれ……今の私が敢えて名乗るとするならば……"空っぽ"と言ったところか」
「ここから出ようとは思わなかったのか?」
「出たところで、見つかれば殺されるだけだ。それに堕ちたばかりの頃は、右も左も分からなかった。魔獄の構造も今の十分の一程度しか解明されていなかったからだ。魔法で時折第一階層の会話を覗き見たり、貴様たちのように堕ちてきた者からの話を聞いて情報を得たが……第四階層からの脱出方法を知った頃にはすでに、私はここに妙な愛着が湧いてしまっていた」
と語り終えたところで、男──エンプティは立ち止まる。
「ここだ」
指先の火を前へと伸ばすと。
火が何かに引火して一気に燃え広がり、大きな灯りとなって、そこにある木造の小さな屋敷を闇の中に浮かび上がらせた。
リントは居間へと招かれ、女はベッドに寝かされる。
女はすぐに眠りに落ちた。
「悪いがこれしかない」
とエンプティが卓に出したのは一杯の水。
「ここにも水はあるんだな」
「ああ、上の階層から落ちてくる水だ。私たち魔人も所詮は生物……水がなければ生きられぬ」
そう言ってエンプティは自分の分の水を一口で飲み干す。
そして卓に両肘をついて手を組み、取り調べでも始めるかのように向かいのリントを見据えた。
「さあ、粗方こちらの情報は出した。貴様の話も聞かせてもらおうか」
リントは自身のこと、そしてここへ至るまでの経緯を打ち明ける。
「──……そういうわけで、我々もある意味では君と同じだ、エンプティ。何の手柄も無しに上へ帰ればきっとB2に殺されるだろう」
全てを聞いたエンプティは呆然としていた。
リントは首を傾げる。
「どうした?途中から偉く反応が鈍くなったが」
「……すまぬ……頭が追いついておらぬのだ……ライザーが双魔統に下剋上を許したと……?ルインの一族の中でも群を抜いて最強と謳われたあの男がか……?」
「ああ、事実だ。相当な昔から計画していたらしい。今魔族を支配しているのは、B2だ」
「…………!」
エンプティはあまりの衝撃に固まり、そのまま段々と俯いていく。
そして。
「……くっ……くくくっ……!ぶわっはっはっはっはっはっはっは!!」
「!?」
これまで威厳のある落ち着いた声で喋っていたエンプティは、突然腹を抱えて快活な笑い声を上げた。
寝込んでいた女魔人までその声に飛び起きる。
驚いた二人の顔を見て、エンプティは。
「いやぁ、すまぬ!人と喋るなどあまりに久しかったものでな。つい楽しくなってしまった」
先程までが嘘のように、明るい雰囲気を纏って話し出した。
が、逆にリントは警戒を強める。
「どういうことだ……?」
僅かに前傾してつま先を立て、いつでも戦闘に入れることをアピールする。
が、エンプティは笑顔のまま落ち着けとばかりに両手を上げて言う。
「どうもこうもない、言った通りだ。私は元々こういう性格なのだ。これまでは貴様たちを警戒していたが……話を聞いて確信した。貴様たちは信用に値する、とな」
「……この人、殺人鬼よ?」
と女は怪訝な顔で訊くが。
「なぁに、私を傷付けないのなら何者であろうが関係ない。くくっ、好きなだけ泊まっていくが良い。それより、もっと話を聞かせてくれ」
エンプティは楽しげに言いながら、ばんばんと卓を叩いた。
二人は困惑しつつもその言葉に甘え、エンプティ邸で休息を取るのだった。
† † †
ヘワーナ国・首都ヘワギス。
その上空に、アランを乗せた星船が到着していた。
「……着いたよ」
とイラルギが口を開くが。
「何……?」
アランは怪訝な顔で操縦室の壁面に映し出された周囲の光景を睨んだ。
「信じられないだろうけど、ここがヘワギスだ……間違いないよ……」
「……そんな馬鹿な……!」
二人は自分の目を疑うが、イラルギの前方の壁面に表示されたマップは確かにヘワギスの地点を示している。
ヘワギスの町は数キロメートルという巨大なクレーターに呑み込まれ、かつての街並みが完全に消失していたのだ。
「……何が……何があったと言うんだ……!!」
「どうだろう……周辺で生きてた監視カメラの記録をいくつか覗いてみたけど、四時間くらい前に凄い光が町を包み込んで、次の瞬間には町が消えてる……魔族の仕業か、あるいは暴走したルルナちゃんの仕業か……」
「ル……ルルナが……こんなことをするはずがないだろう……!」
とアランは動転し息を荒げつつ、イラルギを睨め付ける。
イラルギは困ったように顔に手を当て。
「ごめんよ、可能性の話だ。まあ故郷がこんなことになってたんじゃあ動転は仕方ないし、無断で君を連れ出した僕らにも責任はある」
と冷静にアランを落ち着かせる。
「……いや、すまない……そもそもルルナの暴走を止めるためにここまで戻らせたのは俺だ……しかし……何か不自然だ……」
「不自然?」
「この"魔力連結"は一度切れても、範囲内に入れば自動的に再連結されるはず……なのにヘワギスに着いてもまだ連結されていない……」
アランは右腕の紋章を見せながら言う。
「つまり……ルルナちゃんはここにはいない……?」
「……かもしれない……」
アランは無力さを痛感するように拳を握り締めて俯く。
星船はクレーターとなったヘワギスの上空を飛び回りながら手掛かりを探しているが、町の残骸一つ見つからない。
「……うーん……確かに不自然だね……」
イラルギは顎を撫でながら言う。
「残骸らしきものすら見つからないなんて不自然だ。何かの衝撃で町が吹き飛ばされたのなら、クレーターの縁には残骸の山が出来上がってるはずだよね」
「どういうことだ?」
「この町はまるで切り取られたかのように"消えた"ってことさ。そう、例えば……異空間に姿を消したルルナちゃんみたいにね」
「!!……まさか、この町ごと……!?い、いくらルルナが物凄い魔力を持っているとしても、そんなことが可能なのか……!?」
「さあね……魔力は僕らの専門分野じゃないし……ただ、もしそうだとしたら、町の人たちもまだ無事かもしれない」
「確かに……!」
瞬間、アランの瞳に光が宿る。
──もしもこの町の何千何万という命をルルナが奪ったのだとしたら、いくら狂魔症の影響と言えど、もはや今まで通り一緒に暮らすことなど許されないだろう……信じたくはないが、そんな考えも過ってはいた……。
──だが、そうではないのだとしたら……。
──町の皆も、父さんも母さんも、ルルナも……皆、無事なのだとしたら……!
† † †
およそ五時間前──ヘワギスに魔族が再度出現した。
八十人の魔人と、およそ二千体の魔獣。
世界連盟の実働部隊五名とヘワーナ防衛軍四百三十三名が応戦し、一時間ほどの戦闘の末に、全滅。
アランの実家であるバトビエ孤児院で、ルルナとアランの両親は息を潜めながら、外で起こる戦いの音に耳を澄ましていた。
しかしやがて人類側の武器──銃やロケット弾などの音だけが、聞こえなくなった。
そして代わりに住民たちの悲鳴が響き始める。
「……い……いかなきゃ……」
とルルナは立ち上がり、玄関へ向かう。
「ルルナ!どこへ行くんだ!」
「出ちゃダメよ!」
両親はその腕を掴んで引き留めるが。
「アランがいないの……ヘワギスをまもるのはヒーローのやくめ……だけどいま、ヒーローはいない……だったら……ルルナがアランのかわりにまもらなきゃ……!」
ルルナはその手を振り切って、魔族の闊歩する外へと飛び出した。
「あ?見ねえ顔だな。俺らの部隊にこんなヤツいたか?」
目の前に現れたルルナを見て、魔人の一人は隣の魔人に尋ねる。
「さあ、知らね」
と投げやりに返すもう一人の魔人の手には、恐らく防衛軍のものと思われる引きちぎられた腕が握られていた。
「…………!」
ルルナの全身から汗が噴き出す。
心臓の鼓動が早まり、体が小さく震え始める。
「……なんかコイツ……魔力が……どんどんデカくなってねえか……!?」
感情の昂りによって引き起こされる狂魔症──魔人たちへの怒り、憎しみ、恐怖、悲しみ、そう言った負の感情を膨らませ、ルルナは自らの意思で魔力を解放することに成功していた。
魔力の増大に伴って、周囲の瓦礫やゴミや砂埃が浮き上がり、ルルナの周囲を旋風のように舞う。
「何なんだてめえ!やんのかコラ!!」
魔人たちの表情からは段々と余裕が消え、険しい表情でルルナを警戒した。
「ルルナが……まもる……!」
刹那、二人の魔人は吹き飛ばされる。
ルルナが一瞬のうちに両手で二人の顔面を掴んで投げ飛ばしたのだが、魔人たちは自分の身に何が起きたのか全く分かっていない。
ただただ顔面を襲う痛みに顔を歪め、そしてそのまま体勢を立て直す暇もなく近辺に停められていた自動車に激突した。
「……クソッ……何だ……!?あの女がやったのか……!?」
起き上がってルルナを見るが、すでにそこにはいない。
魔人の一人の前に接近し、その腹へと拳を叩き込んでいた。
「ごはっ……!」
魔人は吐血して倒れる。
「てめっ……」
とそれを見た隣の魔人は攻撃を仕掛けるが、ルルナは振り向きざまに回し蹴りを放ち、頭部を吹き飛ばした。
──アランにならったパンチとキック……つうようしてる!
──これならいける!
「おーおー、とんでもねえ魔力だなあオイ」
「!」
そこへ、数十人もの魔人がゾロゾロと集まってきた。
「町中に魔力が響いてやがるぜ」
「クククッ、狙ってくれって意味でいいんだよなぁ!?」
一斉にルルナを襲う魔人たち。
「はあっ!」
とルルナは掛け声に合わせて拳を繰り出し、魔人を次々吹き飛ばしていく。
「ハハッ、強え強え。だが……舐めすぎだろ」
ガン、とルルナの後頭部を強い衝撃が襲った。
背後に近付いていた大柄の女魔人が、棍棒のようなものを叩きつけたのだ。
「何で魔人が人間の味方してんのか知らないけどね、邪魔すんならブッ潰すだけさ!」
その攻撃を皮切りに、形勢は魔人たちに傾く。
多勢に無勢だった。
それでもルルナは少しの間抵抗していたが、すぐに体力が尽き始める。
いくら魔力量が多いとは言え、その操作精度では魔人に遥かに劣る上に、そもそもの戦闘経験が少なすぎるのだ。
──どうしよう……!
──まもらなきゃ……ルルナがまもらなきゃダメなのに!
──アランがまもるこのまちを……ルルナのだいすきなこのまちを……ルルナが……!
蹲って頭を抱えながら、必死に魔力を全身に纏わせて魔人たちの攻撃を受け続ける。
「チッ、もう終わりか。トドメ誰が刺す?」
「誰でもいいだろこんなカス」
「ハハッ、カスってお前、一対一ならぜってえ勝てねえだろ!」
魔人たちはもはや楽勝ムードになってそんな会話をし始める。
そこへ。
「ルルナ!大丈夫か!」
「ルルナ!今助けるからね!」
モップと箒を手にしたアランの両親たちが駆け寄ってきた。
「あ?何だありゃ」
「ギャハハハハ!あれで俺らと戦うつもりかよ!」
「クククッ、死ねよ、雑魚ども」
魔人たちの意識は両親へと向く。
──ダメ……ダメ、ダメ、ダメ!!おとうさん、おかあさん!!きちゃダメ!!
──なんとかしなきゃ……どうしたら……にがさなきゃ……!
──にがす……そうだ……アレをするんだ……!
──ルルナがずっとかくれてたあのばしょに、みんなでにげればいいんだ……!!
──おとうさんもおかあさんも、このまちも……みんなみんな、あのばしょへつれていくんだ!!
「うああああああああああああああああっ!!」
ルルナの叫びとともに途轍もない光が放たれ、その光は町全体を包み込むほどに巨大化した。
やがて光が消えると、そこにあったはずのヘワギスの町は、完全に世界から消失した。




