七十三章 †深き魔獄†
† † †
「先程、地上・クロム王国に侵攻していたパペティアの部隊が全滅した模様です」
魔獄にて、一人の魔人が双魔統の前で報告する。
祭壇の周囲には数十人もの魔人が目を瞑って佇んでいた。
地上の戦況をほぼ全て一人で把握し指示を出していたポンダーが死んだことで、代わりとなる魔人を双魔統が選抜したのだ。
いかに感知能力に優れた精鋭と言えど、ポンダーほどの超広範囲を精細に感知できる者はそうはいない。故に、人員を増やすことでそれを補っているようだ。
「パペティアを破ったのは、烈焔のカガリ率いる集団です。恐らく以前B2様が倒した時より実力を上げているものと思われます。とは言え、連中もパペティアとの戦いで相当に疲弊しています。狙うなら、今かと」
ライザーの頭上に座って報告を聞いたB2は眉を顰め。
「チッ……まあいいでしょう。なら増援を千人送り込め」
あまりにも大雑把な命令を下した。
それだけ警戒しているとも取れるが。
「せ、千人ですか……?」
「何だよ」
思わず訊き返した魔人に、口答えは許さないとばかりにB2は睨め付ける。
しかしこれまで多くても二桁程度だった魔人部隊が、いきなり一つ飛ばして四桁ともなれば、その反応も当然である。
「良いのか?千人……ポンダーならまず選ばない択だろう。こちらの兵力にはまだ余裕があるとは言え……」
ライザーの横に立つダークファイアも流石に口を出す。
しかしB2はライザーのツノに頬杖をつきながら反論する。
「バーカ、雑兵なんてどうだっていいんだよ。こっちにはライザーがいるんだ。神の死さえ確定すれば、あとはコイツ一人でどうとでもなる。それよりあのしぶといネズミを殺す方がよっぽど重要だろ」
ダークファイアは顎に手を当て。
「……まあ、あのパペティアを殺すほどの相手だ……それくらいやっても過剰とはならんか……」
と自分を納得させる。
「んじゃそういうことで、よろしくー」
「はっ!」
B2の投げやりな命令に、魔人は胸に手を当てて返事をしてから祭壇を降りた。
「さて、リント。お前に仕事をあげます」
B2は藪から棒に言う。
「ほう?私に?」
まるで付き人のごとくダークファイアの数歩後ろに立っていた"四鎋戦犯"のウサギ獣人、リント・ペインタスは、待ち侘びていたかのように一歩前へ出た。
「地上のネズミは兵士たちに任せるとして、お前には魔獄でうろちょろしてるネズミの方を潰してきてほしいんですよね」
「……はて、一体誰のことだ?」
「マウトが連れてきた地上のガキです」
B2が言っているのは、マウトの屋敷に連れてこられた十勇アルケスの末裔、レヘンのことだろう。
「ヤツは強いぞ。何者かは知らんが、マヒアと似た妙な術を使う。コイツ一人では荷が重いかもしれん」
実際に地上でレヘンと戦ったダークファイアが言うが。
「知りませんよ」
とB2は聞き入れない。
「構わない。私もそろそろ動きたいと思っていた。それにこの魔獄という世界をもっと見てみたいのだ。まるでこの世の終わりかのような景色……ここにいるだけでインスピレーションが湧いてくる。フフ……」
軍人である前に芸術家であるリントは、心を躍らせていた。
オリハルコンの封印から解放された直後には、大量の魔人たちに囲まれていたこともあり、あまり意識を向けられていなかったようだが、地上とはまるで異なる魔獄の景色は、地上の住人にとっては鮮烈かつ衝撃的に映る。
「貴様が良いなら良いが……気を付けろよ。いくらシナンの末裔とは言え、殺されてもおかしくない」
「君がそこまで言うとはな。肝に銘じておこう。して、そのネズミの居場所は?」
するとダークファイアは周囲で感知を続ける魔人の一人に尋ねる。
「ヤツは今どこにいる?」
「は。現在は第二階層のマウト邸から十キロほど南下し、第四階層の入り口に差し掛かっています」
黒髪褐色肌の魔人の女は丁寧に答えた。
鋭く切り揃えたボブヘアーの左側頭部には、短めの捻れたツノが突き出ている。身に纏う白いチュニックドレスから伸びる手脚はとても華奢で背も低く、明らかに戦闘タイプには見えない。恐らく高い感知能力のみでこの場に選ばれたのだろう。
「あははは!何してんだか!あんなとこ落ちても何もありませんよ!」
B2は仰け反って大きく笑うが、ダークファイアはそれを無視し。
「そうか。ならば貴様が案内役としてリントを先導しろ。戦闘はリントに任せて良い。貴様では足手纏いになるだけだろう」
「了解しました」
魔人は跪いて引き受けると、リントの方を見て立ち上がり。
「ついて来て」
「ああ」
二人は走り出した。
「"落ちる"……と言っていたな」
リントはB2のその言葉が引っ掛かり、前を走る魔人に問い掛けた。
「ええ。魔獄には五つの階層がある。下へ行けば行くほど狭く、危険になると言われてる。ここは第一階層、スウォーム。最も広大で、最も多くの魔族が住む」
褐色魔人は抑揚の少ない静かな口調で説明する。
かなりの速度で走りつつもほとんど息を切らしていないのは、恐らく魔力推進によって体力を維持しているためだろう。
「ほう……ここでも地上に比べれば充分な魔境だが……さらに下が四つもあると言うのか?面白い……」
「マリカ・マウトが住むのは第二階層、バーバリックレア。荒れた大地に、出鱈目な天候……本来住むには向かない。未開の地も多く、たびたび遠征調査が行われてる。さらにその下には第三階層エニグマ、第四階層ライトレス、第五階層ボトムと続くけど……今はどうでもいい。標的が第四階層に落ちる前に仕留めるのがあなたの仕事」
「うん?第二階層の下は第三階層じゃないのか?」
「魔獄各所に点在する穴は、すぐ下の階層に繋がってるとは限らない。第一階層から最下層に直通する穴だってある」
その穴とは恐らくあの祭壇の場所のことだろう。
"浄化"発動まで第五階層に身を隠していたライザーらは、その後エレベーターのように一直線に上昇し、第一階層に到着していた。
「なるほど。変わったシステムだな」
「ええ、そのせいで昔は知らない場所に迷い込んで帰れなくなる人も多かったようだけれど、今はこの第一階層にある穴は全て調査が終わってる。今向かってるのは拠点から一番近い第二階層への入り口。そろそろ見えてくるはずよ」
と、前方を確認すると、乱雑に柵で囲まれた直径二メートルほどの穴が姿を現した。
「これが下へ続く穴か」
柵から身を乗り出して穴を覗き込むリント。
その底は暗闇に覆われて何も見えない。
「行くわよ」
魔人の女は躊躇なくその中へ飛び降り、リントも僅かに躊躇しつつそれに続いた。
「……長いな」
落下しながらリントは呟く。
「下に出るまで一分ほど掛かる」
「フフ……本当に奇妙な世界だ。時に、君のことは何と呼べばいい?」
「私?」
「ああ、まだ名を聞いていなかっただろう」
「私には名前は無いわ」
「無い?」
「ええ。魔獄には名前を付ける文化がない。生きていく中で、関わる相手から呼び名を付けられ、それが自然と定着していく」
「……不便だろう」
「そうでもない。魔人はあまり他人に興味を持たないから」
「しかし今は戦争中だ。誰がどこで戦うなどと指示や報告をする時、名前が無くては困るんじゃないか?」
「そんなのは部隊のリーダー格以上だけよ。私みたいな下っ端がどこで何したって、わざわざ報告する価値もない」
「卑屈だな……」
「……私は、あまり人と関わって来なかったから」
どこか寂しそうな声で女は言うが、その表情は暗闇に隠されて見ることはできない。
次の瞬間、二人の視界が光に包まれ、思わず目を瞑る。
と言ってもこの場所がそれほど明るいわけではなく、穴の中の長い暗闇を抜けたことで一時的に眩しく感じただけだ。
落下しながら、やがて目が慣れてくると。
「ここが第二階層……バーバリックレアか……!」
眼下に広がる景色を見渡し、リントは言う。
いくつもの火山、黒い森、割れた大地、赤く濁った泥沼、空から落ちる滝、そしてそこに闊歩する、大小様々な魔獣たち──次々に飛び込んでくる景色に、リントの目が輝く。
数秒後、二人はそのまま森の中へと落ちた。
魔人の女は魔力推進をクッション代わりに、リントは両腕をグライダーのように変化させて、それぞれ無事に着地する。
女は少しだけ目を瞑って魔力を探り。
「こっちよ」
と再び走り出した。
リントも女を追いながら。
「便利じゃないか、その感知能力。それが優秀だからあの感知班に抜擢されたのだろう?そこまで自分を卑下するほど君が無能だとは、私には到底思えないがね」
純粋な励ましか、必要以上に卑屈な態度が気に食わなかったのかは不明だが、声を掛ける。
「…………」
女は無視して走り続けた。
† † †
クロム王国・ヴァンプシティ。
パペティアを倒したメルトたちの元に、着信音が響いた。
「あ?何だよこんな時に」
カガリはポケットの中の端末の画面を見ることすらなく通話を繋ぐ──と言うより、自動的に繋がれる。
「情報管理委員会です。実働部隊、及び魔導士協会所属の皆さんに一斉通信しています」
端末から流れたのは女性オペレーターの声。
通話が自動で繋がれたのは恐らく、この端末が世界連盟から与えられたものであるためだ。
「マジポリア学園、ノーム学園長が仲間に引き入れた魔人からの情報を共有します」
自らの父親を殺してノウズたちと契約を結んだ、双子の魔人──ライティとレフティのことだろう。
「魔族側の戦力は魔人およそ十万、魔獣およそ三百万。そして攻撃開始から現在までに報告のあった魔人の数がおよそ六千……まだ一割にも満たない数です。銀河機関オルデナの応援もあり、魔人の部隊長格の撃破報告もいくつか上がってきていますが、油断せず警戒を──」
「…………チッ……言うのが遅えよ」
カガリは苦笑して呟く。
その周囲には、つい先程B2が送り込んだ千人の魔人たちが、すでにずらりと並んで立ち塞がっていた。
「まったくだ……速攻で片付けるとしよう」
クツミカは両脚を折り曲げて、力を溜めながら言い。
直後、数十メートル先まで一瞬のうちに直進する。
その通り道に立っていた魔人たちの体は、クツミカの強靭な爪によって引き裂かれていた。
この一撃で十人ほどは戦闘不能に陥っただろう。
「なるほど……あんま余裕はねえってことだな」
カガリはやはり苦笑を浮かべつつ、炎の出ない両拳を構える。
「千人くらいかしら……?うふふ……やるしかないわね」
とハルクスはいつもの笑顔で、同じく拳を構える。
メルトはぽよんと弾んで浮かび上がり。
「よぉし!やるか!」
と空中で勢いよく起牙丸を抜き放った。
「へっへ~ん!数だけならぼくだって負けないよっ!」
アダーは言いながら、夢想の絵筆をクルクルと回して自分の複製を作り出していく。
それから僅か数秒で、百人ほどのアダーが周囲を埋め尽くした。
「いえ~い!偽アダーちゃん参上っ!」「いやいや、ぼくのコピーなんて作ったって魔人相手に何ができんのさ~」「ひょえ~、何この数!」「無理無理無理だってば~!」「みんな解散~!」
と、アダーたちは一斉に散開する。
「な、なんだコイツ!」「幻影か!?」
魔人たちは困惑しつつ、偽アダーに気を取られ。
「ぐああっ!!」
その隙を突いてメルトたちが一斉に攻撃を仕掛けた。
肉弾戦を得意とするカガリ、ハルクス、クツミカの三人が次々と魔人を薙ぎ倒し、メルトは上空からの急降下攻撃で首を斬り落とす。
アダーは逃げ隠れつつ、生み出したコピーを爆弾に変えて、近付く敵を道連れにする。
幸いこの千人の中に幹部やジールクラスの魔人はいないようだが、もし仮に五人が全快だったとしても、これほどの数の魔人を相手に善戦するのは難しいだろう。
それを可能にしているのは、竜憑共鳴の力だ。
「チッ、強えな!」
「当たり前だ。パペティアを殺ったヤツらだぞ。数で勝ってようが、気を抜いたら食われかねねえ。防壁を常に全開にしろ!全力をもってブチ殺せ!」
リーダー格と思しき巨大な三本ヅノの魔人が、他の魔人たちに命令する。
「くく……敵も本気だな……」
カガリは息を切らしながらも無理矢理に口角を上げて言う。
そこを狙った巨漢の魔人が、背後から金棒を振りかぶって襲い掛かった。
「あぶな~い!」
と、それを横から稲妻を纏ったレーザービームが貫き、吹き飛ばす。
撃ち放ったのは"スーパーアダーちゃんキャノン"を構えたアダーだ。
ついでにその延長上に立っていた数人の魔人も巻き込まれて飛んでいく。
「ふうっ、大丈夫?カガリちゃん」
「おう、助かった……つうかお前それ……」
カガリが目をやると、砲台もアダー自身の体も消えかかっていた。
「うん、限界っぽいね~。ぼくの本体はどっか隠れてるから、あとよろしく~」
アダーはそう言い残して消える。どうやらキャノンを放ったこのアダーもコピーだったようだ。
同時に、駆け回っていたコピーたちも一斉に消えていく。
──夢想の絵筆の燃料切れか。あのビーム、相当燃費悪いみてえだな。しかしアダーのヤツ……隠れたって魔人は魔力で感知できるんだぞ。位置は……あそこか。
とカガリはアダーの場所を魔力から特定し、小さな物置の陰をちらりと見ると。
──まあ、安心しろよアダー。誰も近付けさせやしねえからよ。
気を付けつつ、再び戦いに集中した。
が。
「……これは……!」
青く光っていた五人の瞳が、元に戻る。
「時間か……」
クツミカが溢す。
竜憑共鳴の限界。
途轍もない上昇値と引き換えに、その発動には大きな制限がある。
「あ……?なんだか知らねえが、今だ!殺せ!!」
魔人たちはその隙を逃さず、一気に攻撃を畳み掛けてくる。
「ぐ……!クソッ……!」
最も疲弊していたであろうカガリが真っ先に膝をつく。
「カガリ!」
とそれを助けようとメルトが急降下するが。
「あれ……?スピード出ねえ……」
いよいよ魔力が尽き、推進を発動できなくなっていた。
体力も限界が近く、こうなればもはやただの風船だ。
「カガリちゃんっ!」
と振り下ろされた魔人の拳からカガリを庇ったハルクスだったが、さらに数人の魔人が一斉に襲い掛かる。
必死に体を丸めて耐えるも、後頭部に膝蹴りが直撃し、失神。
残ったのはクツミカ一人。
竜憑依を解除されたとは言え、竜人のフィジカルは魔人にも劣らない。
なんとかカガリたちを守って戦い続けるが──当然ながらこの数が相手では勝ち目などなかった。
「ここまでよう頑張ってくれたでホンマ。後は俺らに任しときぃ」
現れたのは、団長ヨハン・デッドリー率いる、夜の騎士団だった。




