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四十五章 †見えざる神秘†

 † † †



 ヘワーナ国。

 大陸の南に位置する、通称"世界一平和な国"。

 かつてはヘワーナ王国として国王による独裁戦争国家だったが、二百年前の王政崩壊以後、一度たりとも戦争や紛争は起きていない。治安も良く、犯罪発生率は世界最低と記録される。

 そんなヘワーナ国の平和伝説は未だ健在であった。

 世界中のほとんどの国が魔族による侵略を受けている中で、このヘワーナには一度も魔族が現れていないのだ。


 ヘワーナ南部・首都ヘワギス。

 二大洋であるライトウ洋に面し、美しい景色が見られる観光地として人気のこの町も、やはり恐ろしいほどに平和が続いている。

 そんなヘワギスの一角に、"フラワーショップヤマダ"なる花屋を営む金髪ポニーテールの女性がいた。

 ヘワーナの時刻は現在午前八時半──開店準備中、店先の花を整えていると、派手な恰好の青年が自転車で通りかかった。

「こんにちは、アラン。今日もパトロール?」

 と、女性はその派手な青年に優しく声を掛ける。

 "A"の文字を模したマークを前面に貼り付けたヘルメットに、ネオンイエローのスーツ、そして純白のマントを羽織っている──まさしく特撮ドラマに登場するヒーローのような恰好だ。

 アランと呼ばれたその青年は、ブレーキを掛けて自転車を降りると、誇らしげな笑みを浮かべて答える。

「その通り!しかし、この国は平和過ぎるな。毎日ちょっとした人助けをするくらいで、ヒーローらしく戦うことなんてない」

「ふふ、平和なのは良いことでしょ?」

 店先に飾る花を整えながら、花屋の女性は笑う。

「勿論そうだが……これではヒーロー活動を始めた甲斐が無いよ」

 アランは肩をすくめ、小さく溜め息を溢した。

「でも慕われてるじゃない。一丁目のローズおばさんも二丁目のデイ爺ちゃんも、アランのお陰でいつも助かってるって話してたわよ?」

「やれやれ……俺は何でも屋じゃないんだがな……」

 言いながらアランは徐々に俯くと、ヘルメットを脱ぎ、ツンツンと逆立った茶髪を露わにした。

 そしてそのヘルメットに付いたAマークを眺め。

「……そう、あれは十年前のことだ……」

 と語り始める。

「その話もう何十回も聞いたけど……?」

 女性は苦笑するが、アランは構わず。

「まだ八歳だった俺は、テレビで偶然見た海外の特撮番組、"サンダー仮面"に夢中になった……」

「ああダメだ。もう自分の世界に入っちゃってる」

「憧れた……強烈に……!サンダーストームアタック……!サンダーウルトラボム……!サンダーエクストリームレーザー……!!彼の強さ、言葉、行動、佇まい、その全てがまさしく俺のイメージする正義そのもの!!それから死ぬ気でトレーニングを続け、五年前……俺はついにヒーロー活動を開始した!」

 力強く身振り手振りを交えながら力説するアランを、呆れたような笑みで見守る女性。

「しかし、待っていたのは悪役との戦いの日々ではなく……掃除や、荷物運び、迷子の案内……町の住民の生活を助ける、いわゆるただの──」

「ボランティアだったんだよね」

 と、女性が話のオチを奪ったことで、アランはふと我に帰った。

「……あ……すまない。また俺のヒーロー活動の"あらすじ"を語ってしまった……」

 そう言って申し訳なさそうにヘルメットを被り直す。

「それにしても、ミシュリーは今日も店の手伝いか。ご苦労様だ」

「うん、うちももう九十年続く老舗だしね。大学卒業したら、私がお母さんの跡を継ぐのよ」

 花屋の女性──ミシュリーは少し寂しげな表情で言う。

「その若さで店主になるのか。大変だなあ君も」

「いや、まあ花屋のお仕事も嫌いじゃないんだけどね。昔から花は大好きだし、お客さんたちと話すのも楽しいし」

「フッ、そうか。なら天職なのかもしれないな。頑張ってくれよ。それじゃあ俺はそろそろパトロールに戻るよ」

 アランは自転車に乗り直し、ペダルに足を掛けた。

「ご苦労様。アランもヒーロー頑張ってね」

「ああ!ありがとう!ミシュリーも困ったことがあればいつでも呼んでくれ!」

 ミシュリーの応援に、アランはニカッと笑いながら親指を立てて応えると、颯爽と走り去っていった。

 その後ろ姿を見送ったミシュリーは店の奥に下がり、レジ裏の椅子に腰掛けて一息つく。

 そしてふと、レジ横で流しているテレビの画面に意識を傾けた。

「──……以上、ギリタエル共和国の被害状況でした。続いてフォロビス王国の状況です。首都フォロビエでは現在も魔族との交戦が続いており──」

 延々と流れ続ける悲惨なニュースに、ミシュリーは思わずリモコンを取り、テレビの電源を落とした。

「……平和過ぎる……か」

 椅子の上で膝を抱えて縮こまりながら呟く。

「まるでここだけが世界に取り残されたみたいね……平和なんてきっと、崩れる時は一瞬よ……」


「その通りだぜ!」


 快活な男の声。

「はっ!?」

 独りごちたつもりだったセリフにまさかの返事が返ってきたことで、ミシュリーはびくんと勢いよく立ち上がった。

 が、店内を見回しても返事の主は見当たらない。

「だ、誰っ!?」

「オレだ!」

「いや、だから誰!?」

「オイ!こっちだって!どこ見てんだよ!」

「分かんないってば!ゆ、幽霊なの!?」

 しばらくミシュリーと声の主は不毛な言い合いを続けていると。

「あら、ミシュリー。うるさいと思ったらあなた、花の妖精と戯れてるの?」

 レジの傍に繋がる生活スペースから、暖簾をかき分けて五十代ほどの痩せこけた淑女が顔を覗かせた。

「ちょっとお母さん!寝てなきゃダメじゃない!」

 ミシュリーはすぐに駆け寄り、その病弱な母の細い体を支える。

「ふふ、心配しすぎよ。あなたが大学行ってる間は今も私が店番やってるんだからね?」

 母は笑みを浮かべるが、その体を支えるミシュリーには、もろに母の体の震えが伝わってくる。無理をしているのは明らかだ。

「ミーザン……随分痩せちまったな。その体じゃオレのことももう見えちゃいないだろう」

 どこか寂しそうな声で、見えない男は言う。

「ていうか、花の妖精って……?お母さん、この声のこと何か知ってるの?」

 ミシュリーの問いに、母はきょとんとした顔で答える。

「何よ、忘れちゃったの?昔よく聞かせてあげたでしょう、花に宿る妖精の話。あなた大好きだったじゃない」

「!」

 母の言葉で、ミシュリーは幼き頃の記憶が蘇る。

 ──ママ〜、お花の妖精さんどこにいるの?

 ──ふふ、今はねえ、ミシュリーの肩に座ってるわよ。

 ──えっ!?ほんと!?

 花の妖精がこんなことをしていた、花の妖精とこんなことを話した、と、母はよくミシュリーに聞かせていた。

「あ……あんなの、子供のために考えた作り話じゃ……!」

「ふふふ、違うわよ。花の妖精は本当にいるの。私はもう随分前に見えなくなってしまったけど……もし今あなたに妖精の声が届いているのなら……それはきっとあなたの花への愛情が、彼にも伝わったのね」

 嬉しそうに柔らかな笑みを浮かべる母を見て、ミシュリーは悟る。

 きっと妖精は本当にいるのだと。

 そう信じた瞬間、目の前の空中に少しずつ、小さな何かが見えてきた。

 ぼんやりとピントが合っていないような状態から、徐々にはっきりと、それはミシュリーの目に捉えられる。

「……妖精……さん……?」

 驚きながらも感動に震える声で、ミシュリーは問い掛ける。

 背中に携えた二枚の葉を羽ばたかせて宙に浮く、手のひらサイズの青年。蔓や葉を服のように全身に巻き付け、色とりどりの花弁を頭に生やした姿は、奇妙だが美しくもある。

「おう、ミシュリー。ようやくオレの姿が見えたか」

 妖精は優しい声で応えた。

「本当に……?」

「見えてんだろ?」

「……うん」

 ミシュリーは瞳を潤ませながら、両手のひらを妖精の足元に差し出す。

 妖精はやれやれと肩をすくめて羽ばたくのをやめると、その手に体重を預けて胡座を組んだ。

 ──会えたのね、ミシュリー。

 ミシュリーの様子を見て全てを察した母は、満足げな表情でゆっくりと奥の部屋へ戻っていった。

「妖精さん……ふふ、確かにお母さんに聞いてた通りだ。変な恰好……それにすごい偉そうな喋り方」

 自分の手に乗った妖精に向かって、ミシュリーは子供のような笑顔で話し掛ける。

「ああ?そりゃ仕方ねえだろ。オレはこの店の花から生まれたんだ。お前らが大事に大事に扱うもんだから、こんな尊大な性格が出来上がっちまった」

「ちょっと、私たちのせいだって言うの?ふふ……それじゃあその頭の綺麗なお花も私たちのお陰かしら」

「そうだ!オレのこの花、枯らしたら承知しねえぞ!」

 胸を張って偉そうに妖精は言うが、その小さな体のお陰か、ただただ微笑ましかった。

「ふふっ、それは怖いわ。それじゃあ、頑張らなきゃね」

「当たり前だ!……だが無理すんじゃねえぞ。別に、お前のために言ってんじゃねえからな!お前までミーザンみたいに倒れたら、誰が花の面倒見んだ!」

「そうね、ふふ……」

 妖精の姿を見るたび、言葉を聞くたび、かつて母から聞いた話が次々と頭に浮かんできて、つい童心に返り口元が緩む。

 と。


「まあそんなこたあどうでもいい!話してる暇はねえぞ!」


「ええ!?」

 妖精はそんなミシュリーの感動をスッパリと斬って捨てた。

「言っただろ、その通りだって!」

「な、何が……?」

「だから、平和が崩れるのは一瞬だって話だ!お前が言ったんだろ、ミシュリー!」

 そう言われて、ミシュリーは数分前の自分の言葉を思い出す。

「い、いや、言ったけども……だからってそんなに焦らなくても──」

「何呑気なこと言ってんだ!焦らなきゃダメなんだよ!」

「え?」

 すると妖精はミシュリーの手から飛び立ち、ぽかんとするミシュリーの耳を掴んだ。

「来い!」

 そのまま引っ張ってどこかへ連行する。

「いたたたたっ!痛いよっ!何なのよ一体!?」

 ミシュリーの言葉にも耳を貸さず妖精は強く羽ばたいて、花屋を飛び出すと、そのまま店の外壁に沿って進んでいく。

「ちょっと!聞いてるの!?」

「もう時間が無えんだよ!こっちだ!」

「こ、こっちって、裏には物置きしかないわよ!?」

 それでも妖精は構わず進み、店の裏の何の変哲もない古びた物置きの前まで来ると、ようやく掴んでいた耳を手放し。


「ここにあるはずだ……ミネルヴァの言ってた"聖剣"が……!」


「聖剣……?」

 ミシュリーは困惑する。

 そんな御伽話に出てくるような代物が、こんなただの花屋にあるはずがない。

「いいから開けろ!」

 と妖精は物置きの扉を開けようと小さな体で必死に押すも、レールが錆びついてガタガタと揺れるだけで動かない。

 ミシュリーは訳も分からないまま、渋々開けるのを手伝った。

 ギギギ……と固い扉が開いた瞬間、長い間放置していたせいか大量の埃が舞い上がり、咳き込む二人。

「ゲホッゲホッ、こん中のどっかにあるはずだ!探すぞ!」

 妖精は果敢に埃の中へと突っ込んでいく。

 ミシュリーも仕方なく埃を手で払いながら、妖精を追って物置きに足を踏み入れた。

 置いてあるのは恐らく父母や祖父母の代が使っていたであろう古いものばかり。比較的埃を被っていないものは、自分が子供の頃に学校で使っていたような道具だった。教科書や絵の具セット、ダンボールの中からはアルバムなども見つかった。

 しかし、どこまで行っても見つかるのはありきたりなものだけで、聖剣など出てくるとは思えない──ただ、妖精が口にした名前が引っ掛かっていた。

「ねえ、ミネルヴァさんって……私のひいお祖母さんのこと?」

 積まれた箱をどかしながら、ミシュリーは尋ねる。

「そうだ」

「あなた、そんなに昔からいたのね……ひいお祖母さん、八十年以上も前に亡くなってるのに……」

 すると妖精は懐かしむように目を細め、静かに語り始める。

「ああ。お前の曽祖母……フラワーショップヤマダの初代店主ミネルヴァは、とても病弱だった。せっかくこの店を開業したのに、三年でぽっくり逝っちまった。アイツが死ぬ数日前、二人で話した時に教えてもらったんだ。もう随分と薄まっちゃいるが……お前たちヤマダ家は、十勇セレーネの血を継いでいる」

「セレーネって……あの?いやいやいや……だって私人間よ?」

 十勇セレーネはエルフ族の剣士──人間族であるミシュリーには縁遠い存在のはずだ。

 しかし妖精はすぐにその答えを返した。

「言ったろ、血が薄まってんだ。この家はセレーネを除けば代々人間同士で家系を紡いできた。だからエルフ族の血なんてもうほとんど残ってないと言っていいだろう」

 妖精の話を聞きながら、祖父のものと思しき骨董品の入った箱をどかしたミシュリーは、その下に床下収納庫の蓋を発見する。

 ゆっくりと取手に手を掛け、引き上げると。


「今や見る影もない、ヤマダ家に継がれたセレーネの血──その唯一の証拠が、この"聖剣"だ」


 そこには、金色の装飾が施された碧い鞘に収められた、一本の剣がそのまま置かれていた。

 本当に普遍的なただの物置きの中に、不釣り合いなほどの高貴さを纏った剣。

 ミシュリーはその剣から目が離せなかった。

「こ……これが聖剣……本当に……」

「間違いねえ!さあ、剣を抜け!戦いが始まる前に、少しでも剣に慣れておくんだ!」

 妖精は剣の柄の上を飛びながら、やはり強引に促す。

「ちょ、ちょっと待って!何もまだ始まると決まったわけじゃ──」


「始まるんだよ、絶対に」


 狼狽えるミシュリーの言葉を、妖精は強い語気で遮った。

「オレには感じるんだ……ずっと感じてる。こことは違う場所……だがとても近いところに、邪悪な気が集まってる。そしてソイツは日に日に増えていってるんだよ」

 妖精の表情や声色から、それが冗談などではないとミシュリーは察する。

「オレはこの邪気を感じてからずっと、叫び続けてた。ようやく波長が合ってお前に声が届いたが、もはや残された時間は僅かだ……急げ、ミシュリー!」

「で、でも……私、剣なんて握ったこともないし……!運動神経もあんまり……体育の成績も中の下くらいだったしさ……!」

 ミシュリーは苦笑いを浮かべて頬を掻きながら言い訳をする。

 冗談ではないと頭では理解していても、実感がないのだろう──生まれてこの方不変だったこの国の平和が崩れ去ろうとしていることも、一般人として生きてきた自分が十勇の末裔だったということも。

「大丈夫だ!セレーネの血がなんとかしてくれる!」

「はあ!?そんな滅茶苦茶な!」

 妖精のあまりに乱暴な言い分に勢いよくツッコむが。

「これもミネルヴァの言ってたことだ!!」

 と妖精もさらに強気に反論する。

 びくん、とミシュリーは怯み息を漏らした。

「……ミネルヴァはな、元々この国の人間じゃなかったんだ。旧ヴァリアールで"五国大戦"を生き抜いた。勿論兵士じゃあなかったが……敵兵に襲われた時、家に伝わってたその聖剣を咄嗟に手に取った。するとまるで先祖が乗り移ったかのように、体が勝手に動いたそうだ。きっとその聖剣には、セレーネの力を最大限に引き出す効果があるんだよ」

 ──……お母さんから聞いたことはあった。ひいお祖母さんは五国大戦を経験した世代……。

 ──その戦争が終わって平和になっても、ひいお祖母さんはすでに何もかもを失ってた。それから逃げるようにこの地を訪れて、ひいお祖父さんと出逢い、二人でこの店を開いたんだ。

「お前は戦士じゃない……怖いだろう。自分の力を信じられないだろう。それでも、お前は平和を守りたいだろう?」

「!」

 ミシュリーの心臓がドクンと跳ねる。

 全てを見透かされたように感じたのだろう。

「お前からは見えてなくても、オレからはずっとお前が見えてたんだぜ。お前が誰よりも平和を愛してるヤツだってことくらい、知ってる。確かに平和なんて一瞬で崩れるかもしれない……だが、立ち向かえば守れる命もある!さあ、剣を取れよミシュリー!戦え!お前が平和を守るんだ!」

 ミシュリーは、ごくりと乾いた喉を鳴らし、ゆっくりと聖剣に手を伸ばした。


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