夏の始まり そのニ十六
話は少し遡り──津太郎と別れて家を出た一輝は住宅街を歩いていた。
道幅は向かい合った車が多少余裕を持って通れるぐらいの広さで中央に車線は無い。 そんなお世辞にも広いとは言い切れない道の右白線の外側を歩いていると、一輝から見てまだ遠目ではあるが左側の向かいに夏服を着た男子学生二人が確認出来る。
(あの人達も津太郎君と同じ学校の人なのかな)
気にはなるものの、何の用も無いのに話しかけるのは怪し過ぎると思い、そのまま通り過ぎようと決める。
そして歩き続けてお互いの距離が近付くにつれ、向こうから声が聞こえてきた。
「護もさぁ、いい加減に元気出しなよ~。 清水さんについては相手が悪すぎるって」
眼鏡を掛けた背の低い男子が明らかに元気無さそうな長髪の男子を慰めている。 見た目的に普通なら逆のような気もするが、そこは気にしてはいけないのだろう。
「俺だって勇気を振り絞ってお祭りに誘おうとしたのによぉ……! 既に先約がいるとか聞いてねぇってばぁっ……! 現実は残酷すぎやしねぇか武ぃ……!」
護と呼ばれている男子はまるで泣き上戸の面倒くさい酔っ払いが絡んできたかのような話し方をしている。
「だからといってコンビニでいつまでも魂が抜けた状態とか見てて痛々しすぎたよ……店員さんも『はよ帰れや』みたいな視線を送ってたし」
武と思われる男子は長々と付き合わされて少々うんざりしているように見えた。
「ちくしょぉぉぉおっ! なんであいつばっかりぃぃぃいっ! 今日はもう徹夜でゲームしてやるっ! 辻も呼んで朝までオンゲーすんぞオンゲー!」
「えぇ……僕はいいや。 徹夜は身体に悪いだけだからさ」
「俺をひとりにしないでくれぇぇぇぇっ!」
一輝はこの二人のやり取りを歩きながら横目でチラチラ眺めながら話を聞いていると、あっという間にすれ違っていった。
「こっちの世界にもやっぱり色々な人がいるんだなぁ……」
向こうからすれば一輝を学校を騒がせた張本人と、一輝としてはあの二人が津太郎とはクラスメートであり友人である事に、お互いが気付かないまま遠ざかっていく。
それから五分後、一輝はすっかり見慣れた公園へと三時間から四時間ぶりに戻って来た。
この夏の暑さのせいなのか、それとも自殺した男性が原因なのか、普通なら親子一組や二組ぐらいなら遊んでいてもおかしくはない時間帯なのだが相変わらず誰もいない。 聞こえてくるのは森の中にいる蝉の鳴き声だけだった。
「誰もいないのは確かにありがたいけど……見てる分にはやっぱり寂しいな」
誰も使っていないだけでなく、手入れもされておらず汚れが目立つ遊具を見ながら一輝は思う。 しかし自分にはどうする事も出来ず今はただ奥にある茂みの中へと進むしかなかった。
そして草むらを搔き分け、四方から一輝の姿が見えない程の木々で囲まれた場所まで行くと転移魔法を使ってこの場から立ち去った。
◇ ◇ ◇
一輝達が拠点としている山の平地に突如として白の円陣が浮かび上がる。 するとその瞬間に一輝が円に囲われる状態で姿を現した。
「帰ったか、イッキよ」
少し離れた所から凛々しい声が聞こえたので顔を上げて反応すると、崖の目の前にはクリム・クレンゾンが一輝の方へ向いて立っていた。 少し前まで鍛錬をしていたのか上下共に麻で作られた動きやすそうな黒の服を着ていて、首には白のタオルが掛かっている。
平地は全体的に生命力の漲る緑の葉が太陽の日差しを殆ど遮ってしまう程に埋め尽くした木々で囲まれているので日陰にいれば涼しいというのに、どうしてクリムが日差しの当たる周りに何も無い崖にいるのか一輝には分からない。
「ただいま、クリム。 そんな所で何してるの?」
一輝はクリムに近付きながら言う。
「ん? あぁ、麓を眺めていたのだ。 今日は特に野営──ではなく、キャンプ……に来ている者達が多くなっているのが少し気になってな」
クリムがキャンプ場の方を指差すと、広い駐車場は満車といっていいほどに様々な車種で埋め尽くされており、整備された草むらにはあらゆる場所にテントが張られている。
「う~ん、多分だけど夏休みに入ったからじゃないかな」
「ほう、こちらの世界でも夏休みが存在するのか。 だが我の目で見る限り子供らしき姿は全然見掛けないが……」
「あれ、ほんとだ……」
クリムの隣まで来た一輝が崖からキャンプ場を覗く。 一輝のいる地点から麓まで三百メートル程の距離で、人は豆粒程度ぐらいにしか見えないが確かに子供の姿は全く見えず成人の集団しかいないように思えた。
恐らくではあるが、今日はまだ平日ということもあり家族サービスとして来ている親子は殆どいないと思われる。 現時点でこのキャンプ場に来ているのは、暇を持て余した大学生や平日休みを利用した大人の可能性が高い。
だが大学生や平日休みの成人に関する知識なんて無い一輝には、どうしてこの時間帯にここへ来ているのか謎だった。
「え~っと、ごめん。 あそこにいる人達に関しては僕も分からないや。 でもこれからは家族でキャンプをする人達もここに来るんじゃないかな」
その時、津太郎のパソコンで見たブログの内容を思い出す。
(僕も……そうだったから)
危うくクリムの前で落ち込みそうになったが、何とか踏ん張って平常心を保つ。
「我としてもああいう輩を見るより子供達が楽しんでいる姿を早く見たいものだ──にしても、あの至る所にテントが張られてある光景を見るのは懐かしいな。 最初に見た時は兵士達の野営地かと勘違いしてしまったものだが、流石にもう間違えはしないぞ」
「あはは……そういえばそんな事があったね」
梅雨が始まる少し前、今の内にキャンプをしておこうという考えに至った人が沢山いたのか、その休日はキャンプ場の平地がテントで隙間なくぎっしり詰められている時があった。
その時の光景をこの崖の上から見たクリムが「イッキよ! あれは一体なんだ!」と少し興奮気味に一輝達へ報告したら、その勘違いを指摘されて恥ずかしがる出来事が実は過去に存在していた。
「さてと、家の中へ戻るとするか」
クリムはそう言うと崖に背を向ける。
「えっ、もう見なくていいの?」
「あぁ。 汗も掻いたから早く風呂に入りたいしな」
一輝がクリムの顔を見ると額から首にまで汗が垂れ流れていた。 タオルも拭いた汗で湿っているように見える。
「凄い汗だけど……まさか僕がここを出て行く前からずっと──山に?」
「当たり前ではないか。 イッキが離れた所に行って苦労をしているかもしれないというのに、我だけじっとしているわけにもいかないだろう」
「でも流石にコルトが昼食とか飲み物を持ってきた……よね?」
いくらなんでも無茶はしていないと信じたい。
「それは分からん。 我もここに戻って来たのは先程だからな」
だが一輝の希望はいとも簡単に打ち砕かれた。
「えぇっ! という事は何も飲んでないの!?」
この炎天下の中、四時間以上も水分補給をしていない事に一輝は驚愕してしまう。
「何をそこまで驚く必要がある。 向こうでも旅をしていた時はこれぐらい当たり前だったではないか」
「いやいやっ、ちゃんと休憩もしてたし喉が渇いたと思った時は歩きながらでも水を飲んでたからっ!」
「ふむ……では騎士としての訓練をしている時の記憶だったかもしれないな」
一切何も飲んでいないのに平気そうにしているのは、その訓練のおかげなのかもしれない。
「──って、話してる場合じゃないよっ! 早く家に行って水を飲もう水っ!」
それでも心配な一輝はクリムの後ろに回って背中を押し始めた。
「……! さっ、触るでないっ! 服にも汗が染みついているのだぞ!」
クリム自身が汗だらけになる事は何とも思っていないが、その汗の付いた衣服を他人に触られるのは相当嫌なのだろう。 いつもの落ち着いた雰囲気が完全に消えていて、動揺を隠しきれていない。
「もう長い付き合いなのに今更そんなの気にしないって!」
「イッキが気にしなくとも我が気にするんだっ! いっ、いいから手を離してくれっ!」
心からの頼みに一輝が手を離すと、耳まで真っ赤にしたクリムは走っていく。
「はっ、恥ずかしい……!」
本当なら顔を手で覆いたかったが、一輝の前ではそんな事も出来ず家の中へ入っていくクリムであった。
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