夏の始まり その二十七
それから一輝もクリムの後を追うように家の中に入ると、青髪の美しいロングヘアーとメイド服が特徴のコルトが食堂のある右側から笑顔で出迎えてくる。
「お帰りなさいませ、イッキ様。 どうぞこれを」
頭を軽く下げ、目を瞑りながら言う。 そしてその後に抱えるようにして持っていた白い高級そうなタオルを一輝に手渡した。
「ただいま、それとタオルありがとう──これ冷たくて気持ちいいな……」
一輝が受け取ったフェイスタオルからは少しだけの湿り気と肌に触れても嫌悪感が無い程の丁度いい冷たさが合わさっていて、火照った身体には正にピッタリの品物であった。
「外はとても暑いですから、帰って来た時にいつでも身体を冷やせるようイッキ様が用意して下さった冷蔵コンテナの中にタオルを入れておきました」
冷蔵コンテナとは簡単にいえば冷蔵庫と同じようなものだ。 高さは二メートル程で横幅は八十センチメートルと大型冷蔵庫に匹敵する大きさで中には料理に使う食材や水が入っている為、食堂の隅に置いている。 魔力を使って稼働させているが、消費量は微々たるものなので暴走の心配は無いだろう。
「外は暑かったから凄い助かるよ──あ、そういえば言うの遅れたけど……帰ってくるの思ったより遅くなってごめん。 出来ればもっと早く帰れたら良かったんだけど、ちょっと色々あって……」
「いえ、メイドたるもの主人の帰りを待つのも仕事の一環ですのでお気になさらず。 ただ……イノだけは『お兄さまがまだ帰ってないまだ帰ってこない』──と、ここをウロウロしておりました」
何故かイノの言葉の時だけ幼げな声を出していたが、一輝はとりあえず何事も無かったかのようにしてやり過ごす。
「それは申し訳ないことしたかな……今はどうしてるの?」
「今はカナリアが廊下でずっと待っていたイノを見かけて『おねえちゃんといっしょにアトリエであそぼっ!』──と、言って手を繋いで一緒にアトリエの方へと向かいました」
「それを聞いて安心したけど……」
次はカナリアの言葉の時だけ幼く可愛らしい話し声になったコルトに、今度は反応せずにはいられなかった。
「あの、もしかしてさっきからしてるのって……イノとカナリアの声真似?」
「……はい」
コルトは目を瞑って冷静な態度を取っているが、頬は赤く染まっていた。 そしてそれ以降は何も発さなかった。 どうして声真似をしたのかは不明だが、聞かないでおいた方がよさそうだ。
「──そ、そういえばクリムは!? 僕より先にここへ戻った筈……なんだけど」
お互いこの後何も話さないまま沈黙が続き、気まずくなった一輝は話題を変える。
水分補給をしているんじゃないかと思い、食堂にあるテーブル辺りを覗くがクリムの姿は無かった。 この会話が聞こえているなら返事ぐらいならありそうなものだが、返ってこないという事は近くにはいないのだろう。
「ク、クリムでしたら尋常ではない速度で部屋に戻ったと思いきや、慌てて着替えの服を手に抱えたままお風呂場の方へと向かいました」
何とか我に返ったコルトは何とか落ち着いて対処する。
「あ、そうなんだ。 さっき背中を触った時も凄い汗だったからやっぱりお風呂に入ってサッパリしたかったんだね。 でも本当は先にお水を飲んで欲し──」
「せっ、背中っ!?」
コルトは右手で開いた口を隠すようにしながら大声を出す。 あまりにも驚いたのか一輝がまだ話しているのに遮ってしまった。
「うん。 クリムが水を全然飲んでないって言うから脱水症状で倒れる前に早く水を飲ませないといけないと思って急いで背中を押したんだよ」
「あ──触るって、そういう意味でしたか……申し訳ございません、取り乱してしまいまして」
誤解が解けて一安心したコルトは右手で胸の辺りを支えるように抑えた後、軽く溜め息を吐く。
「もうなになに~? 急に大声出されたからビックリして起きちゃったよ~。 せっかく気持ちよく寝てたのにさ~」
二階の方からまだ姿は見えないが、リノウの眠そうに出す声と階段を降りてくる足音が聞こえてくる。
「別に何でもありません。 それよりも朝食も昼食も食べずにこんな時間まで寝ているとはどういう事ですか?」
コルトが階段の方に身体を向け、何事もなかったかのようにリノウへ返事をする。
ちなみにこの家には時計が無い為、今は何時なのか完全に把握する事は出来ない。 なので今が大体どの時間帯なのかを知る為には自分で外に出て日の高さを確認するか、コルトの用意する朝食や昼食で判断するしか手段は無い。
「やること無いしずっと寝ててもいいじゃ~ん。 それにイッキ君まだ帰って来てないんでしょー」
階段の折り返しの部分まで降りてきたリノウの姿が一輝とコルトの目に映る。
だがその見た目は普段のツインテールではなく寝ぐせが至る所に出来たボサボサ髪。 寝間着のタンクトップのような白い服は酷く乱れていて肩の部分がズレ落ちていたり、お腹の部分がめくりあがってしまっているのが原因で、おへそがはっきりと見えていた。
「──なっ、ななななんでイッキ君がいるの~~!!」
目の辺りを手で擦っていたリノウは一輝と目を合わせた直後、一瞬で目が覚めると同時にコルト顔負けの大声を出してしまう。
そして乱れた服装や寝ぐせまみれの髪を一輝に見られたくないのか、慌てて二階へ繋がる階段の方へと姿を隠した。
「もう最悪最悪最悪~~!! こんな格好見られたくなかった~!」
リノウは隠れた後に服装を直しながら愚痴を言う。 自業自得ではあるが、それでも年頃の女の子にとって、はしたない恰好を見せてしまうのはショックも大きいだろう。
「貴方がいけないのですよ、リノウ。 イッキ様がいつ戻ってきても大丈夫なように予め準備を済ませていれば、このような事態にならず済んだのですから。 これに懲りたら明日からはきちんと早起きをするように心掛けて下さいね」
コルトは階段にいるリノウへ届くよう少しだけ大きな声で話し掛ける。 そしてだらしない生活を見直す為なのか、ここぞとばかりに畳み掛ける。
「すっごい乙女心が傷付いてるボクにそこまで言う……?」
ただでさえへこんでいるのに追い打ちまで掛けられたリノウはすっかり意気消沈してしまった。
「ご、ごめんね! 僕がここでずっとコルトと話してたからリノウを起こしちゃったわけだし……」
目が合った瞬間から急いでタオルで顔を隠していた一輝は、そのままの姿でリノウに謝る。
「イッキ様、リノウならもう隠れたのでお顔から離しても大丈夫ですよ?」
「えっ?──あ、ほんとだ」
コルトの冷静な指示に従い、一輝はタオルごと手を離した。
「それと先程の起こした件についてですが、甘やかしてはいけません。 ここ最近、リノウはすっかり起きるのが遅くなってしまって朝食を全員で取る事も無くなっているではありませんか」
「イッキ君が毎朝起こしに来てくれたらボクもちゃんと起きるんだけどな~」
リノウは甘え気味に言ってくる。
「別に構いませんが、貴方の寝相の悪さや見せたくない乱れた服装を毎日見られる事になりますよ?」
「やっぱりダメー!! 絶対ダメー!!」
コルトに指摘された途端、即座に大声で否定してくる。
「ていうか何でボクがこんなにあーだこーだ言われなきゃいけないんだ! もういいもんっ! ここまで言われたらまた寝てやるっ!」
すっかり機嫌を損ねてしまったリノウは部屋に戻ろうと階段を上り始める。 不機嫌なせいかその足音は非常に重く感じる。
「ちょっと待ってリノウ!」
流石にこれはまずいと思った一輝もタオルを持ったまま急いでリノウの元へと駆け寄る。
「みっ、見ないでえええええっ! こんな酷い寝ぐせをイッキ君に見られたくないよぉぉぉおっ!」
階段を上がり切ったリノウがその場でしゃがみ込み、少しでも髪の毛を隠そうと両手で頭を塞ぐ。
そんなリノウに対して一輝は何も言わず、まだ使っていないタオルを髪の毛を覆うように頭へ被せた。
「ひぃっ!──あれ? つめたい……?」
一体何が起こったのか分からないリノウにとって突然の冷たいタオルが皮膚に触れて驚くのも無理はないだろう。
「えっと……このタオルで髪の毛を拭けば寝くせも直るんじゃないかと思ったんだけど──どうかな?」
「も、もう……! いきなりだからびっくりしちゃったよ! でも──ありがとう……」
照れくささからタオルで顔を隠しながら感謝の気持ちを伝える。
(でも、せっかくの冷たいタオルが顔の熱さですぐに温くなっちゃいそうだよぉ……)
一輝からは顔が見えないせいで分からないが、リノウの顔は耳まで真っ赤になっていて喜びの感情を抑える為に目を思いっきり瞑っている。
「そのタオルはイッキ様にと思って用意したのですが……仕方ありませんね。 これはこれでイッキ様らしいとも言えますが」
一輝の後に階段を上がっていたコルトが踊り場で立ち止まり、二人の様子を見ながら小声で呟く。
「ではリノウ、私の部屋でその寝ぐせを直しましょうか」
その後、二階の廊下まで上がって一輝の隣に並んでから言う。
「もうさっきみたいなこと言わない?」
「えぇ、もう言いませんよ。 それに先程は私も少し言い過ぎたと反省しています。 もしかしたら自分でも気付かない内に怠けているリノウを見て不満が溜まっていたのかもしれません」
「それは……こっちもごめんなさい……これからは出来るだけ気を付けます」
リノウは立ち上がるとタオルを被ったまま顔だけ出した状態でコルトに頭を下げる。 どうやら本音を聞かされて反省したように思える。
「ふふっ、これからはお互い気を付けましょうね。 ではタオルが渇く前に行きましょうか。 それではイッキ様、失礼します」
「うんっ! イッキ君も本当にありがとね!」
コルトが頭を下げ、上機嫌になったリノウが手を振ると二人は階段から一番近い部屋へと入っていく。
「やっぱり仲が良いのが一番だよね。 よかったよかった」
二人が部屋に入っていくのを見届けた一輝は安心して自分の部屋へと戻っていった。




