夏の始まり その二十五
津太郎が家の中に入ると、真夏の日差しで熱くなっていた身体が冷房の涼しげな風のおかげで急激に冷めていくのがよく分かる。
(俺は俺で何か出来る事は無いんだろうか)
一輝の母親探しについて考えながら靴を脱いでそのままスマートフォンを取りに二階へ上がろうとしたその時、美咲が声を掛けてくる。
「久しぶりに友達と遊んで楽しかった?」
「その言い方だとまるで俺が休日に友達と遊ばなくて寂しい奴に聞こえるんだけど……」
「実際その通りじゃない」
友人とはオンラインゲームで遊んでると言いたかったが、家に集まって遊んでないのは事実なのでここは認めるしかなかった。
「息子の前で普通そんな事言うかな。 まぁ実際そうなんだけどさ……あっ、それと一輝と遊ぶのは楽しかったよ。 時間もあっという間に過ぎてたし」
基本的に重苦しい内容の話をしていただけで本当は一切遊んでいないのだが、美咲の前ではこう言うしかないだろう。 そういう意味でも昼食を持ってきた時しか部屋に入って来なかったのは運が良かった。
「それなら良かったわ。 あんな早い時間に帰るから最初は喧嘩でもしたのかと思ってたから」
「いやいや一輝と喧嘩なんてそれはないって」
津太郎は手を振りながら否定する。 仮にそうなったとしても自分に勝ち目は無いと真っ先に悟った。
「要件はそれだけ? もう終わったなら二階に上がるけど」
「えぇ、もういいわ」
美咲の言葉を聞いて津太郎が階段を登る為に足を上げようとした瞬間だった。
「──あっ!」
リビングに戻ろうとした美咲が急に大声を出したせいで、津太郎は肩がビクッと反応するぐらい驚いてしまう。
「ビックリしたぁ……いきなり大声出さないでよ心臓に悪い」
何事かと思い、階段を上がるのを止めて美咲の方へと向く。
「ごめんごめん。 実は朝に話そうとしてた事をついさっき思い出してね。 危うくまた言い忘れる所だったわ」
「あぁ、なるほど。 でもさっきはバタバタしてたから仕方ないよ。 それで話って?」
急な一輝の訪問に気を取られてすっかり忘れていたのだろう。 津太郎も特に責める気持ちは無かった。
「八月の中旬にお父さんと山登りに行く予定だったでしょ?」
「うん」
「その予定は中止になったわ」
「は?」
唐突に告げられた中止宣言に腑抜けた声が出てしまう。
「えっ、いや……なんで?」
「理由はね、キャンプに行く事に決まったからよ」
「……は?」
津太郎は二度目の腑抜けた声を出す。
「──何よ、嬉しくないの? キャンプよキャンプ?」
美咲の中で津太郎の反応が薄かったのは予想外だったのか少し残念そうに見える。
「そうじゃなくてさ、嬉しい嬉しくない以前にどういう経緯でそうなったのか理由が聞きたいんだけど」
事情を一切飲み込めておらず混乱中なのに、キャンプと告げられて喜べと言われても無理なものは無理だろう。
「まぁ最初から話すと、昨日の夜に彩ちゃんから電話が掛かってきたのよ。 旦那さんの孝也さんが長期出張からもうすぐ帰って来るのが嬉しいって」
「あ、もうそんな時期なんだ。 確か今年の春頃からだったよね、出張に行ってたの」
「えぇ、そうよ。 予定より少し早くなって今月の末ぐらいにはもう家に戻ってくるらしいわ」
「へぇ──ん? じゃあ久しぶりに家族三人揃うからキャンプに行こうって事になったけど、せっかくだから俺らも誘われたとか?」
「まぁ大体そんな感じよ。 ただ、長期休暇でキャンプに行く事自体は前から話し合いで決まってて、私達も最初から呼ぶ予定だったみたい。 誘う役目は栄子ちゃんから津太郎にって感じで任せてたみたいなんだけど、結局言えなかったから昨日の夜に孝也さんの件と一緒の後に伝えられたの」
ここまでの美咲の説明で大体の内容は把握した。 だが一つだけ分からなかった事があった。
「わざわざ栄子から伝えなくても彩おばさんが俺か母さんに言えば良かったんじゃ……」
「そんなの私に言われてもどうしてかなんて分からないわよ。 もう過ぎた事なんだから気にするだけ無駄よ無駄」
「まぁ……そうか」
美咲のゴリ押しともいえる発言に津太郎は半ば強引に納得させられる。
(まぁ……彩ちゃんが栄子ちゃんに誘う練習も兼ねて──でしょうねぇ)
美咲は確信では無いが、そうであろうという真っ先に答えへ辿り着く。 だからといって目の前にいる本人に言う事は無かったが。
「──あ、それじゃ今日の朝に何か言おうとしてたのってキャンプの事だったのか。 別に遠慮せず言ってくれればよかったのに」
津太郎は、ふと教室で栄子が躊躇していた姿を思い出す。
彩が昨日の夜には既に美咲へ伝えていたのを今日になっても栄子に教えなかったのは、自分から何かを伝える大切さを教える為に敢えて言わなかったのかもしれない。
「あんたにだからこそ言いにくかったんでしょ……」
美咲は横を向いて自分にしか聞こえない程度の小声で言う。
「……? まぁキャンプに行く流れも大体分かったし、そろそろ部屋に戻るよ。 エアコン点けっぱなしにしてるの勿体無いからね」
どうして急に顔を背けたのかは分からないが、そろそろ一息つきたいと思った津太郎は話を終わらせて部屋に向かおうとする。
「あー、ちょっと待って。 最後に一つだけ言っておく事があるわ」
美咲にいきなり言われて階段を上がろうとした津太郎の足が再び止められてしまう。
「どっ、どうしたの?」
「今度のキャンプは一泊二日だから、ちゃんと準備しといてよね」
「…………は?」
てっきり日帰りかと思っていた津太郎は、その一泊二日という言葉を聞いて三度目の腑抜けた声を出す。
◇ ◇ ◇
「まさか一泊二日とは思わなかった……でも今更俺だけ行かないとか言う訳にはいかないよな」
この間に一輝が家に来たらどうしようという不安を抱きつつ部屋に戻った津太郎はエアコンが尋常じゃないぐらい効いている事に気付く。
「さっむっ! か、換気ついでにちょっとエアコン止めるか……」
白の長袖を着ていても身体が震える程の寒さになっていた部屋は身体にも悪いと思い、ドアの真横の壁に付けてあるエアコンのリモコンを取るとスイッチを切って、空気の入れ替えにカーテンと窓も開ける。
「よしっ」
すると日差しが部屋に入り込み、視界が良くなった所で先程まで一輝が使っていた机の上にあるパソコンが目に入る。
「日記として使っていたブログ……やっぱ見るのは色々とまずいよな」
別に見ないよう言われた訳ではないのだが、何となく駄目なような気がして止めておいた。
「後で履歴を消しておくとして──ん?」
津太郎の座っていた場所のすぐ近くに置いているスマートフォンを取ると小織からの着信履歴があった。
「数分前って事は、さっき部屋を出た後に電話が掛かってきたのか……」
タイミングが悪かったなと思いつつ立ったまま電話を掛け直す──すると僅か五秒足らずで繋がった。
「あー、もしもし月下? さっきは電話に出れなくて悪かった。 ちょっと色々あってさ」
「そう。 まぁすぐ掛け直してきてくれたから良かったわ」
「うわ~、何かすっごいクール気取ってる~! さっき繋がらなかった時ちょっとガッカリしてたのに~!」
急に小織のスマートフォンから光花のはしゃいでいる声が聞こえてくる。 津太郎の耳まではっきり届くという事は、それなりの音量で話しているのだろう。
「べっ、別にガッカリなんてしてないわよっ!」
「アハハハハ! 小織ったら照れちゃってかーわーいーいー!」
小織がこうやって振り回されてる姿は声だけしか判断出来ないものの、新鮮のように思える。 ただ、このままでは話が進まないので割り込む事にした。
「なぁ月下、何か用があって電話してきたんじゃないのか?」
「──えぇ、そうよ……とはいっても栄子を家まで無事に送った事を伝えたかっただけなんだけど」
思いっきり息を吐いた後、冷静さを取り戻した小織は要件を津太郎に言う。
「……! そうか、それは良かった。 本当にありがとな、二人共」
学校で三人と別れてから栄子が大丈夫なのか気になっていた津太郎は、小織からの言葉を聞けて心から安心した。
「アタシから言ったんだからちゃんと責任持って約束は果たすに決まってるじゃない。 当然のことをしただけよ」
「またまたクールぶってるけど顔が赤いよ~? ほんとは嬉しいんじゃないの~?」
「これは外にいるから暑いだけっ!」
クラスメートと普段通りに話したり、会話している様子を聞いているだけなのに、津太郎は無意識の内に鼻で軽くフフッと笑ってしまう。
「なっ、何かアタシ変なこと言った?」
急に笑われた事を気にしたのか小織は動揺する。
「あ、いや、そうじゃないんだが──月下の声を聞いてたら凄い落ち着くというか何か安心してさ、つい……」
津太郎としては少し前まで重苦しい出来事が発生したり普段しないような会話をしたのもあってか、小織の声を聞くといつもの日常が戻ってきたという意味で言ったのだろう。
「うわ〜、教見君って意外と大胆なんだね〜」
だが、何も知らない二人にとって津太郎の言葉は口説き文句のようにしか聞こえなかった。
「そっ、そういうことはアタシじゃなくて栄子に言ってよ……もうっ……」
「いや~んっ! モジモジしちゃってる小織かわいすぎる~!」
「ちょっと! 暑いんだから抱きしめてこないで──」
この直後、まだ小織が話している最中にも関わらず電話が切れてしまった。 恐らく光花が小織の傍に寄り添った時に間違って電源ボタンを押してしまったのだろう。
もう一度掛け直そうとも思ったが、こんな暑い時にいつまでも外で立ち止まらせる訳にもいかないと考えて止めておいた。
「でも二人には本当に助かったな……」
栄子を家まで送ってくれた事、そして自分の話し相手になってくれたおかげでリラックス出来た事に関して津太郎は心から感謝していた。




