名前を知らない子供
その子供は、最後まで名前を言わなかった。
狭い路地の奥。
崩れかけた建物の陰。
男の子は壁に背を預けたまま、ミリアたちを見ている。
逃げる準備をした目。
でも、完全には逃げない。
ミリアはその距離を見る。
少しだけ近い。
少しだけ遠い。
昔の自分みたいだった。
「他にもいるのか」
タケトシが静かに聞く。
子供は少し迷ってから頷く。
「……いる」
小さい声。
「どこ」
ミリアが聞く。
短く。
子供は路地の奥を見る。
迷うように。
疑うように。
それから。
「ついてきて」
ゆっくり歩き出す。
足音は小さい。
何度も後ろを見る。
本当に連れていっていいのか、まだ決めきれていない。
ミリアは黙って後ろを歩く。
追い立てない。
急がせない。
その空気に、子供が少しだけ肩の力を抜く。
路地を抜ける。
さらに細い通路。
湿った空気。
古い鉄扉。
その奥だった。
小さな部屋。
狭い。
薄暗い。
子供が三人いた。
一番小さい子は、毛布を抱えたまま眠っている。
起きている二人は、ミリアたちを見た瞬間に身体を強張らせた。
怯えている。
当然だった。
「大丈夫」
最初の男の子が言う。
「たぶん」
最後だけ、小さくなる。
タケトシが苦笑する。
「信用ねえな」
ミリアは部屋を見る。
食べ物は少ない。
水も汚れている。
ちゃんと眠れていない空気がした。
その空気が、少しだけ島を思い出させる。
ミリアは視線を落とす。
眠っている小さな子供。
細い腕。
浮いた骨。
あまりにも軽そうだった。
「……何人いなくなった」
ミリアが聞く。
今度は別の子が答える。
「四人」
震える声。
「夜に、急に」
タケトシの表情が変わる。
増えている。
依頼より多い。
「見たのか?」
子供たちは首を振る。
「でも」
一人が小さく言う。
「黒い服の人が来てた」
ミリアとタケトシの視線が重なる。
灰鐘。
ほぼ確定だった。
その時。
眠っていた小さな子が目を覚ました。
ぼんやりと顔を上げる。
まだ幼い。
五歳くらい。
その子はミリアを見る。
しばらく見て。
それから、小さく手を伸ばした。
無意識みたいに。
ミリアは動かない。
ただ、その小さな手を見る。
細い。
弱い。
少し力を入れれば、壊れそうな手。
島では。
そんなものを、いくらでも見た。
消えていくものも。
奪われるものも。
見続けた。
なのに。
今は違った。
ミリアはゆっくり手を伸ばす。
恐る恐るみたいに。
触れる。
小さな手は、温かかった。
その瞬間。
胸の奥が少しだけ痛くなる。
知らない感覚だった。
小さな子供が、安心したように目を細める。
ミリアは言葉を失う。
どうしていいか分からない。
ただ。
離したくないと思った。
タケトシは何も言わない。
静かに、その光景を見ている。
部屋の外では、風が鳴っていた。
冷たい。
暗い。
だけど。
ミリアの手の中だけは、少し温かかった。




