鏡
翌朝。
空は曇っていた。
ミリアは廊下を歩く。
静かな朝だった。
隣にはタケトシ。
少し後ろにノア。
誰も喋らない。
面会室は建物の端にあった。
保護対象者用の部屋。
職員が扉の前で待っている。
「中です」
小さな声。
疲れているようだった。
「昨夜から何も食べていません」
「会話も?」
ノアが聞く。
職員は頷いた。
「ほとんど」
少し迷う。
「近づこうとすると暴れます」
沈黙。
ミリアは扉を見る。
何となく分かった。
まだ会ってもいないのに。
少しだけ。
分かってしまった。
職員が扉を開く。
部屋は狭かった。
窓が一つ。
机が一つ。
椅子が二つ。
そして。
部屋の隅。
少女がいた。
膝を抱えている。
壁に背中を押し付けるように。
誰にも触れられない場所を探すみたいに。
十三歳くらい。
痩せている。
髪は乱れている。
服も汚れていた。
だが。
一番目を引いたのは。
目だった。
怯えている。
警戒している。
信じていない。
誰一人。
何一つ。
その目を見た瞬間。
ノアが息を呑む。
タケトシも黙った。
ミリアだけが動かない。
少女がこちらを見る。
目が合う。
一瞬だった。
次の瞬間。
少女はさらに壁際へ下がった。
小さな獣みたいに。
逃げ場を探す。
ミリアは見ていた。
昔の自分を。
少し前までの自分を。
部屋の空気が重い。
職員が困ったように言う。
「ずっとこんな感じで……」
少女が睨む。
職員は口を閉じた。
少女は誰も信用していない。
誰の言葉も聞いていない。
ミリアはゆっくり部屋へ入る。
タケトシが止めない。
ノアも何も言わない。
少女の肩が震える。
逃げる。
戦う。
そんな緊張が見えた。
ミリアは数歩進む。
そして。
止まる。
それ以上近づかない。
少女はじっと見ている。
ミリアを。
まるで敵を見るように。
長い沈黙。
誰も喋らない。
やがて。
少女が小さく言った。
「……来ないで」
掠れた声だった。
ミリアは頷く。
「うん」
短い返事。
少女が少しだけ目を瞬く。
予想していなかったみたいに。
再び沈黙。
職員が困る。
ノアも困る。
だが。
ミリアは困っていなかった。
知っているから。
こういう時。
何を言われても届かないことを。
何をされても信じられないことを。
昔の自分もそうだった。
だから。
無理に近づかない。
無理に話しかけない。
ただ。
そこにいる。
少女は不思議そうにミリアを見る。
警戒は消えない。
でも。
少しだけ変わる。
敵を見る目ではなくなる。
ほんの少しだけ。
ミリアは静かに言った。
「……お腹、空いてる?」
少女が固まる。
予想外だったみたいに。
部屋の全員が固まる。
ノアまで固まっている。
ミリアだけが普通だった。
少女は答えない。
だが。
視線が机の上へ動く。
置かれたままの食事。
一度だけ。
本当に一度だけ。
見た。
ミリアは小さく頷く。
「そっか」
それだけだった。
説得もしない。
励ましもしない。
慰めもしない。
少女は戸惑う。
どうしていいか分からないみたいに。
それは。
昔のミリアも同じだった。
窓の外では。
曇り空が広がっている。
静かな部屋だった。
誰も動かない。
誰も喋らない。
それでも。
少女の視線だけは。
もうミリアから離れていなかった。




