6:担当べいっち
「祐輔は僕が憎いかい?」
なにか女川が質問してきているような気がする。でも内容が頭に入ってこない。
――美月が、美月が俺の視界に入ってきたから。
「あ、ははッ」
思わず殴る力を緩めてしまったし、さっきまで見ていた憎い女川の顔も、今は眼中にない。
俺は美月に誤解をさせてしまった。本当に謝りたい。ごめん、本当にごめん。
昨日は目も合わせてくれなかったし、避けられてるし、LINEしても既読つかないし。でも別れの言葉を言われないってことはまだ好きでいてくれてるってことだよね? そうだろ、そうに違いない。
元はといえばあの女が悪いんだ。一個下の佐倉サクラ陽愛ヒナとかいう女。アイツから喋りかけてきたのが悪いんだ。
いきなり呼び出して何かと思えば造花を出してきて。花言葉がなんとかって言ってきて――。
――俺は全身に鳥肌が立って動けなくなった。
俺は花を見るのが嫌いだ。
なぜならば、毎週水曜日。確か去年の今頃から、俺宛に花が届くようになったから。
俺が頼んでいるわけでもなく、差出人も不明。
しかも送られてくる花は全て造花。丁寧に花の名前までつけて送ってくる。不本意だが、おかげさまで花に詳しくなったよ。
最初は誰かがサプライズで送ってくれたと思っていたが、毎週毎週届くことに気味が悪くなって捨てるようになった。
そういえば一昨日も届いていたな。最近は中身も見ずに捨てていたけど、いつもより大きい箱だから開けたんだ。
確か、「ニチニチソウ」という花だった。
花弁が五枚に分かれていて、中心だけ色が違うその花は、絵に描いたような花だった。まぁいつも通り捨ててしまったから、もうないんだけどね。
毎週懲りずに造花を送り付ける。こんな迷惑行為をしてくる奴が誰なのか、気になっていた。
造花を送り付けるなんて何がしたいのか分からない。花好きになってほしくて送っているなら、逆効果だと言ってやりたい。
そんなことがおきている俺に対して、アイツは造花を見せてきた。
「やめろ⋯⋯。俺は花が」
もう一度言う。アイツは造花を持ち歩き、俺に見せてきた。造花を持ち歩いて、しかも俺に見せてくるなんておかしい。こんな偶然があってたまるか。
つまり差出人は佐倉アイツだ。
適当に返事をして、頭の中でそう考えていたら、いつの間にか抱きつかれていた。
あのときは声に出して「はぁ?」といってやりたかった。本当に意味が分からない。何がしたいんだってね。でも俺は抑えた。それが女の子に優しくする紳士ってもんだろ。
無理やり引き離すのはやめるから、抱きつくのはやめてくれとお願いした。でも佐倉はいうことを聞かない。それどころか俺の腕を佐倉の背中に回して、ハグをしてほしいという。
俺には美月という彼女がいて、美月を愛しているのだからそんなことできない。学校の敷地内なんだから人も通るし、この状況が変に噂されて本人に届いたらどうするんだよと注意する。
そしたらアイツが「離れません」って。⋯⋯なにがしたいんだよ。
このままだと本格的にヤバいと思った俺は、佐倉の腕を掴んで引き離そうとしたが――。
『ゆ、祐輔⋯⋯?』
美月の声が聞こえた。
声の方向を向くと、美月は唖然としていて立っていた。美月は状況を自己解釈し、次第に怒り出す。
バッグを振り回し、「サイテー!」って。そう言っていた。
⋯⋯言わせてしまった。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
俺は彼氏失格だ。本当ならば、すぐに佐倉を突き放して止めに行かきゃいけない。
俺だってすぐに美月を追いかけようとした。が、佐倉アイツが俺の腕を掴んで離さない。離せと言っても離してくれなくて、本題がまだあるといい始めた。
佐倉がいうには、女川が元カレで、裸体を撮られてしまったからその写真を消して欲しい、とのこと。俺は女川と仲良くないし、なんで俺に聞いてきたのか最初は分からなかった。でも――。
『祐輔先輩の苗字って――』
⋯⋯俺が。俺がずっと隠してきた秘密を。
アイツは知ってた。
それで「色々」理解した。女川のことも、佐倉が望むことも。
でも花のことや、佐倉が俺に抱きついてきたことは分からないままだった。
「――君は――――」
また女川が何かいった気がする。が、そんなの聞かない。気にしない。
俺は咄嗟に美月の元へ走る。美月は何が何だか分からず、持っていたバスケットボールを落とした。
トンッ、トンッ、トッ、トトトトトトトト――。
「祐輔――?」
徐々に早く弾むバスケットボールを無視して、俺は美月を抱きしめた。一昨日ぶりに嗅ぐ美月の匂い⋯⋯嬉しいよ。
昨日は近くによるだけで避けられたけど、今日は避けないんだね。しかも喋りかけてくれてる。抱きついても嫌がってない。俺を受け止めてくれた。
話し合えば分かる。絶対に。誤解も解けるはずなんだ。
そう、そうだよ。なぁ、そうだろ? 俺は悪くない。全部女川悪いんだ――。
「僕を殴っておいて僕の問いかけには何も答えないし、独り言に独り笑い。彼女を見つけたらすぐに抱きしめる。ふっ、ふははっ、はっ、⋯⋯⋯⋯はぁ」
美月。な、なんでそんな顔。しかも俺じゃなくて女川のほうを向いてる。
今の顔も可愛いけど、ね。その顔より、もっと笑った顔のほうが可愛いよ? ついでに俺のほうを向いてくれたら最高だね。
今の顔はまるで、借金取りに追われてる人みたいだ。
「なんで祐輔が殴ってるの? 女川がなんで殴られてるの? ッていうか離してよ! 浮気してる奴なんかに抱きしめられたくない!」
「ぇ――」
突き放された。結構強い力で。
流石バスケ部だ。ドリブルの力が強いから突き放す力も強い⋯⋯関係ないか。
俺はぬかるんだ地面に尻もちをつき、泥で学ランと手が汚れる。これじゃあ美月に触れられない。
こうなったら浮気は誤解だって。いや、こうならなくたって誤解されてることは言わなきゃ。
「み、美月! 浮気は誤解してるんだ!」
俺は立ちながらみっともない姿でそう言う。
すると美月は「なッ!」と、驚いた表情で――。
「浮気五回もしてるの!? しかもそんな正々堂々と⋯⋯。サイテーサイテーサイテー! サイッテーなクズじゃない!」
「いや違う、誤解だってこと! 間違いだったっていう意味!」
「間違い? 祐輔が知らない女とイチャイチャしてるのが悪いんでしょ!?」
「イチャイチャなんてしてない! 俺はアイツに抱きつかれただけで俺は何も――」
「じゃあ突き放せばよかったじゃない! さっきのアタシみたいに、ドンって!」
「そ、それは⋯⋯」
あぁ、随分と怒らせてしまった。美月は感情的になって俺の言葉が伝わってない。
俺は自分の隠していることを美月にも隠し通さなきゃいけない。だから言い返せないだけで、美月のことが好きだってことならいくらでも言える。恥ずかしいから言わないけど。
夫婦喧嘩のように声を大きくして喋ってしまった。
黙ってしまった俺が悪いのか。突き放せなかった俺が悪いのか?
⋯⋯⋯⋯いや、俺が悪いんじゃない。
「アイツが、アイツがッ」
全部女川が悪いんだ。女川が佐倉アイツと付き合わなければ、裸体を撮られることもなかったし、喋りかけられることもなかった。
女川が居なければ、余計なことをしなければ――。
あぁ、思い出した。美月と喧嘩したときに送られてきた、「黄色いスイセンの花言葉」。あのときはその花言葉で仲直りしたっけ。
今は俺がその気持ちだよ、っていっても仲直りはできないか。
「あのさぁ、僕を忘れて喋らないでくれる⋯⋯? 二人にとっての僕って、結構重要な人物だと思うんだけど」
女川が俺たちに近寄り、喋りかけてくる。
自分でそんなこと言うのか。
俺にとっては確かに重要な人物で厄介な人物だけど、美月にとっても重要な人物?
「なんならこのスマホを見せ――」
「なッ、何言ってるのか全然分かんない! アタシ、片付けしてる途中だから。じゃあね」
なんでそんな反応するんだ。なんで今顔を赤らめたんだ? しかもまた女川アイツに向かって⋯⋯!
「女川ァ!」
お前だけは許さない、絶対に、絶対にだ。
――女川の家に乗り込んだ日。
あの日、勝は銃で腹部を撃たれ、意識が戻らない。この状態で生きるか死ぬかは勝の回復次第だと言われた。
もし、勝が死んだら?
――勿論女川を殴るだけじゃ物足りないだろう。
勝があれほど持つなと言った武器を容易く手に取り、今までやった悪事を全て吐き出させるために女川を拷問するかもしれない。
⋯⋯俺から美月まで取っていったら、これだけで済むと思うなよ?
美月が目に入ってきてつい忘れてしまったが、俺は勝がああなってしまったのが許せなくて女川を呼び出したんだ。
そうだ、そうだった。女川が勝をあんな状態にッ!
再び殴りかかった俺に対して、女川は受身を取ることもなく口元を緩め――。
「おいで」
と、なにか口パクでいった気がした。
★ ☆ ★ ☆
⋯⋯女川。
正直あの人にはいいイメージがない。
勿論付き合う前は好きだったし、告白して付き合ってからも好きだった。
だった、けど。
私はスマートフォンのLINEを起動し、女川とのチャットを開く。
女川から送られた新規メッセージに目をやると、「どうやら――は酷く僕を嫌っているらしい。陽愛はうまくやれよ」と、書いてあった。
あの人は裏がありすぎなのよ。付き合うまであの人がヤクザの息子だったなんて知らなかったし、麻薬を扱ってるなんて知らなかった。「薬を飲んだら奴隷のようになってしまう」っていうのは嘘だと思うけど。
挙句の果てには睡眠薬を飲まされ、裸の写真を撮られ。
好きになっちゃいけない人を好きになってたって気付いた。
そう気付いたときにはもう好きじゃなくなってた。ただただ怖かった。
女川と別れてからも付きまとわれ、帰りもつけてくるようになったし。どれだけ犯罪を犯せば気が済むのか分からない。
私は逃げるようにバスケットボール部に入った。
女川と帰る時間をずらすためだけにはいったわけじゃなくて、元々友達から入ろうと誘われてたから。中学のときもやってたし、丁度よかった。
強いチームじゃないし、練習量も中学のときより少ないし。ガチガチでやってたのも楽しかったけど、ゆるくやるのも楽しかった。
そんなとき、ある先輩に惚れた。
その人は須藤美月っていう一つ上の先輩。
私は女川のメッセージに対し、「私は部活で喋りかけられるけど、女川は接点がなくて大変だね」と、返事を送った。
部活に入ったときは特別気になってなかったし、ほかの先輩と変わらない印象だった。バスケのプレーが特別うまいわけじゃないし、ポジションも違う。
でも気が付いたら惚れた。多分、次第に惚れたんだと思う。
初めて女の人を好きになって、自分は女の人も好きになるんだって知った。私は性別問わず、好きになる人には好きになるんだって。
でも、叶わない恋だった。
『須藤先輩って、付き合ってるんだってー!』
『知ってる知ってる! 毎日一緒に帰ってるよね!』
『嘘!? それは知らなかった』
『私帰る方角一緒だから見かけるんだー!』
部活の片付けをしながら、友達がそう喋っているのが聞こえて。
――あぁ、私はツイてない。ことごとく運が悪い。
私は消えるようにその場を離れ、気が付いたら手洗い場にいた。
首にかけたままだったタオルを水で濡らして顔を拭くフリをする。
泣き顔なんて見られたくなかった。
――なんで好きになっちゃいけない人を好きになるんだろう。
初恋は中学一年生のとき。相手はクラスの人気者で、その人は他校の子と付き合ってた。
次の恋は中学三年生のとき。相手は社会の先生だった。先生は既婚者で、もう恋なんてって思ってたのに、高校に入学したら女川に恋をしてた。
女川を好きになったときは「やっと普通の人を好きになれた」って思ってたのに全然普通じゃないし。というか、ヤクザの息子がこんなに近くにいるなんて思わないじゃない。
女川から返事のメッセージがきた。「大変でもいいんだよ。僕と喋るようになったし、僕に触れてくれるしね」と。
今日の朝。私は須藤先輩をずっと見てたから分かるよ。女川がいう「触れてくれる」っていうのは「殴られた」ってこと。本当に女川はイカれてる。
手洗い場で泣いていたら後ろから肩を叩かれ、振り向くと――。
『ぇ、』
そこには女川がいた。
あのときの女川はちょっとかっこよく見えたよ。ほんとにちょっと、小さじ四分の一くらい。
でもそのあと――。
『なぁ、あの美月って人が好きなんだろ』
女川は私の耳元でそう言い、口角をあげた。
やっぱり女川は人の弱みを握るのがうまい。人間観察がうまいのか鎌をかけているのか知らないけれど、誰にも喋ってないこの恋愛を当てられて気が動転しそうだった。
これ以上弱みを握られるのはごめんだったから、適当に受け流そうと思ったとき。
再び女川が私の耳元で、こう言った。
『僕は――を――してるんだ。――が――と――することが僕の望み』
それを聞いたとき、一瞬意味が分からなかった。
でも次第に意味が分かって、付き合っていたときの違和感が繋がる。
『陽愛にも協力してほしいんだ。協力してくれて、ちゃんと動いてくれればあの写真を消すと約束しよう。君にも利益があることだし、乗らないわけにはいかないだろう?』
それから私、佐倉陽愛は、女川の協力者になった。
私は女川にメッセージを返す。早いフリック入力で、「女川は度が過ぎてる。女川の恋愛は恋愛じゃなくて一方的な狂愛だよ」と。
私たちは「リナリア」のようだ。
この気持ちを伝えたいのに勇気が足りない。
リナリアの花言葉は――。
★ ☆ ★ ☆
リィーン、リィーンと、鈴虫の鳴く声が聞こえる。
もうそんな季節になるのかと思いながら、来週送る花を考えていた。
今週の花、ニチニチソウは気に入ってくれたかな。まぁ、気に入るもなにも、捨てられてると思うけど。
来週は今週よりもっといい日になる。そうするんだ。
そして、毎週花を送る習慣も来週でおしまい。
ラストを彩る相応しい花を探さなきゃ。
「⋯⋯でさ、もうあいつってばデートに誘ってくれないの! もう付き合って一ヶ月なのにー!」
「自分から誘ってみればいいんじゃない? 待ってるだけじゃ進まないよー」
同じクラスの女子が店の前を通る。同じクラスだけど名前は覚えてないな。顔は覚えてるけど。
こいつ付き合ってる人いるんだ。一ヶ月前って考えると、⋯⋯運動会で告白したってところかな。その時期に騒いでた男子はー⋯⋯、あぁ、分かった分かった。
告白はどっちからか分からないけど、誘ってくれない発言からして男子のあいつからかな。
「えぇ、でも誘うなんて恥ずかしいよ⋯⋯」
「相手もそういう気持ちなんじゃない?」
友達と恋バナ、か。
そんなのができる人なんて、僕にはいない。必要ない。
女子が店の前を通り過ぎ、しばらく経った。
「⋯⋯」
やっぱり客が来ない。スマホをいじるのは勤務中なのでやめるべきだろうが、客が来なさすぎるので調べることにする。
最後に送る花。そうだな、僕の気持ちをありったけ詰め込みたい。
最後くらい造花じゃなくてちゃんとした花にしたいな。⋯⋯そうだ、あの花にしよう。
スマホでその花を調べ、花言葉を見る。
僕の記憶は当たってたようだ。この花に決めた。
せっかく花屋でアルバイトをしてるんだし、このお店で買おうかな。
僕は重たい腰をあげ、探そうとしたが痛みに襲われる。
「っは、はぁ」
⋯⋯痛いなぁ。
一昨日撃たれた左二の腕に、祐輔に殴られた両頬。腹も蹴られたし、脛も蹴られた。少し動いたりするだけであちこちに痛みが襲ってくる。
でもその痛みも嬉しい。そう思ってしまう。
今日は一段と顔が近かったし、体も近かった。名前を呼んでくれたし、喋ったし。馬乗りになって僕の顔を見てくれた。目が合った。先生が止めに来るまで僕と二人きりだった。
それが嬉しい、なんて。
「ははっ⋯⋯」
僕は一番痛い左腕を庇いながら目当ての花を探す。が、その花はなかった。
ガーデニングで育てるような花だから、なくて当たり前かな。
あの花だけじゃ最後を飾るには寂しいから、ここで花を買って、自分で花束にしよう。本命の花はホームセンターに行って買おうかな。
あぁ、でも売ってないかもしれない。この時期の花じゃないし。あの花を偶然家で育ててる、なんてことがあればいいのに。
「女川、もう時間終わりだぞ。お疲れ」
勤務時間が終わったらしい。今日もお客さん来なかったな。
「じゃあ先上がります。お疲れ様でした」
適当に挨拶をして家に帰る。はぁ、家まで帰るの結構キツイな。
僕は痛みを堪えて裏口の扉を開く。
「鈴原の指示で、迎えに来ました!」
道路に出ると、若い衆の一人が迎えに来ていた。鈴原の指示か、⋯⋯気が利くじゃん。
僕は鈴原に指示されて来たという「明道」に礼を言って車に乗った。
「ありがと。でも鈴原の指示でっていうのは言わなくていいと思うよ。いわなきゃ自分の手柄になって得したのに」
「いや、俺もそう思ったんスけど、鈴原が『鈴原の指示で来ましたって言え』っていうんで仕方なく⋯⋯」
「鈴原アイツ⋯⋯」
自分は動きたくないけど提案したのは自分ですってことか。ちゃっかりしてずる賢い。
明道の運転はいつも荒っぽくて怖い。が、今日は安全運転だった。僕を気遣ってくれてるのかは知らない。いつも安全運転だと嬉しいんだけど⋯⋯。
「⋯⋯ゃん。⋯⋯ちゃん。⋯⋯坊ちゃん!」
「⋯⋯あ、着いたのか」
うっかり寝ていたらしい。
明道にお礼を言ってから家に入り、自分の部屋に入る。
「はぁ。なんで寺沼がいるんだよ」
女川家の専属医師「寺沼昂大」が部屋にいた。
これが厄介な藪医者だ。
勝手に部屋に入って物色し、医療は適当。なんでコイツをクビにしないのか理由が知りたい。
「だって坊ちゃんの包帯を変えるのは俺の仕事だしー? 部屋で待ってたほうが確実かなーって」
確かに医療箱が机に置いてある。ちゃんと意味があって部屋で待ってたんだな。医療箱の隣に食べかけのスナック菓子が置いてあるのはなぜか問い詰めたいが。
「じゃあ早速包帯変えてくれ。あと保冷剤がほしい」
「保冷剤? 銃で撃たれた傷口に保冷剤当てたいの? ⋯⋯ってどうしたのそれー! 喧嘩?」
「喧嘩⋯⋯、じゃないと思う。まぁ色々あるんだよ。聞かないでくれ」
「女のコに殴られたとか?」
「聞かないでくれって言ったばかりなんだが⋯⋯」
やっとこっちを向いて喋ったな。寺沼の態度は人をイラつかせることが多い。特に極道を行く人にこの態度をとれば殴られてもおかしくない。寺沼は女川家に居るのが長いし、組長から好かれてるから殴られないんだけど。
寺沼は誰に対してもこんな感じで、人の懐に入ろうとする。僕が苦手なタイプだ。
「まぁいいや、包帯巻くからここに座って?」
「ここって、僕の部屋なんだけど⋯⋯。まぁいいや」
反論するのも面倒になってきた。素直に従っておこう。
僕は学ランを脱いで上半身裸になる。
「腹筋凄いねぇ、あ、ここかな蹴られたってとこ」
「⋯⋯あんまりジロジロ見ないでくれ、って触るなよ」
ぺたぺた触ってくるし凝視してくる。こういうところも苦手だ。寺沼は「はいはい」といって包帯の準備をする。
僕は寺沼の右側に座り、寺沼は包帯を解いていく。
「腕の調子はどー? やっぱまだ痛い?」
「痛いも何も三日で痛みがなくなるはずがないだろ」
「だよねー! そういうと思った! あ、その通知音はLINEかな」
正解だ。
俺は脱いだ学ランを手繰り寄せ、スマホを取り出す。
相手は美月だ。「早く写真を消して欲しい」と送られてきている。そのメッセージの上には「祐輔と何があったの?」とも書いてあった。
「へぇ女のコじゃん。やっぱりその子に殴られたんでしょ」
「だから違うって。⋯⋯僕に殴られたいの?」
「腹筋すごい坊ちゃんに殴られたくはないかなぁー。殴られるより襲われたい」
語尾にハートをつけて寺沼はいう。
やっぱり寺沼とは一緒にいたくないな。寺沼のペースに乗せられて調子が狂う。
僕は美月に対して、「祐輔と何があったって美月には関係ないよ」と返事を送信した。
はぁ。美月とのLINEは本当に面倒くさい。美月とLINEをするなら陽愛としていたほうがマシ。⋯⋯あ、そうだ。今日のことを陽愛に伝えておこう。陽愛は美月の相談を聞いているらしいし。
メッセージを送信すると、すぐに既読がついて返信がきた。
「っ――!」
「あ、ごめんごめん。ちょーっと痛くしますよっていうの忘れてた」
「はぁ」
いきなり左腕に激痛がはしってスマホを落とす。落としたスマホがポコンと鳴って、陽愛からの返事を知らせた。
その返事を見て、陽愛に返事を送る。
「はいできた。お風呂入るから外したいとか、なんかあれば俺のところに来てね」
「分かってる。保冷剤もってきてくれるか?」
「ちょいと待っててねー、取りに行ってくる」
そういって寺沼は部屋から出ていった。なぜかルンルンで出ていったのが気になるが⋯⋯。
寺沼が残していった食べかけのスナック菓子を少しつまんで、祐輔に殴られた頬を撫でる。
この痣は祐輔がつけたんだ。治っていくことが、痛みが引いていくことが惜しく感じる。
でもこの顔じゃ色々心配されるからね。ウチの奴らにも示しがつかないし。
――コンコン。
誰だ? ノックをするってことは寺沼じゃなさそうだな。
「鈴原です。入ってもよろしいですか?」
「いいよ」
今度は鈴原か。
僕がいいと言うと鈴原はドアを開け、僕の元へ歩いてくる。
鈴原の手には拳銃。僕らの世界でいうチャカが握られていて――。
「バーン。なんちゃって」
「⋯⋯驚かすなよ」
左腕を撃たれて負傷してるっていうのに、チャカを向けてくるなよ。心臓に悪い。
「これ、坊ちゃんも持っといてください。いつ戦いが始まるか分かりませんから。あとこの部屋にある武器、全部出してください。面倒くさいですがメンテナンスします」
もう充分もってるんだけどな。どんだけ用心深いんだよ。あと一言余計だ。
「メンテナンスくらい自分でやれるけど。まぁいいや、ベッドと壁の隙間に木刀が一刀。四段チェストの下から二番目にチャカが一丁。通学バッグにドスが一本」
「へぇ、通学バッグにドス入れてるんですね」
「学校に通うときも何があるかわからないし。かといってチャカをもっては歩けないし。それならドスがいいかなってだけ」
一般人から見たら相当危なくて非現実的な話をしていると思うだろうが、これが僕の日常だ。
家では特別扱いを受け、周りにはいかつい男ばかり。僕は一人っ子だから、常に大人に囲まれて生きてきた。
だが一歩外に行けば周囲の目は変わる。
ヤクザの息子だと怖がられるのは日常茶飯事。オマケに罵声を浴びせられる。
昔は今よりこの家が嫌いじゃなかったけどね。若衆が遊んでくれたし、入手困難なゲームもすぐ手に入ったから。
今は嫌いだ。大嫌い。僕には将来の夢も、なりたい自分もない。
将来の夢があったとしても、僕がそこに就職できる可能性は限りなく低いのが現実だ。
アルバイトの花屋だって女川家が関わってる場所だし。あの場所で麻薬の取引が行われることだってある。つまり女川家が関わっていないと僕はアルバイトすら自由にできない。
親がヤクザなだけ、そこに産まれてきてしまっただけ。
それなのに、この先の人生が縛られてる。この苦痛が一般人に分かるはずがない。
⋯⋯思わず感情的になってしまった。
強く握りしめたスマホが鳴り、目をやると陽愛から返信がきていた。「女川は度が過ぎてる。女川の恋愛は恋愛じゃなくて一方的な狂愛だよ」、と。
「狂愛、か」
僕はこんな環境で育ったからか、人を好きになったのは初めてなんだ。僕にはこの感情が恋愛なのか、行き過ぎた狂愛なのか分からない。
「⋯⋯なぁ鈴原。好きな人に殴られて喜ぶのは狂愛っていうのか?」
スーツを着こなし、武器のメンテナンスをしている鈴原に質問すると、「そうですね⋯⋯」と考えてからこう答えた。
「一般的に考えれば狂愛というのかもしれませんね。ですが、狂愛も一つの愛のカタチですし、気にしなくてもいいと思いますよ」
「⋯⋯いつ僕の話だと言った?」
「ふっ、これは失礼」
鈴原は優秀だけど、僕の前で気だるそうにしたり、妙に勘が鋭いのがムカつく。
別に気だるそうにしててもいいけど、寺沼と同じでなぜ殴られないのか疑問に思う。僕は暴力を振るうのが好きじゃないから殴らないけど。
陽愛からのメッセージになんて返事をしようか考えていると、鈴原が「でも」と言って。
「一昨日担いでいた『関上』が好きなんでしょう? 撃ったときに坊ちゃんが庇ったと佐々木アイツから聞きました」
⋯⋯。
「まぁ、佐々木から聞かなくても分かりましたけどね。関上の容態を喋ったときに、坊ちゃんの顔が緩んだのが証拠です」
⋯⋯本当にムカつく。ニヤニヤしながら喋ってくるな。そんなに表情にでてたか? 気のせいだろ。
「鈴原も寺沼も、人の恋沙汰を知るのがそんなに楽しいか? 僕は楽しくないね」
「否定、しないんですね」
⋯⋯否定はできない。否定するのは何か違うと思うから。
鈴原はチャカをカチャカチャ鳴らし、最後のメンテナンスをしている。メンテナンスをしている鈴原がいつもより楽しそうなのは、武器を触ってるからだと思いたい。
寺沼がルンルンしてたのも、鈴原が楽しそうなのも。
全部僕の反応を見て楽しんでるとか。そうじゃないと思いたい。
「まぁ、このことは内緒にしておきますから。噂が広まってたら別の人が広めたと思ってくださいね。僕以外の人が知ってるかどうかは知りませんけど」
鈴原はメンテナンスし終わった武器を元あった場所に戻していく。戻す場所をちゃんと覚えていて、武器のメンテナンスも手慣れていた。一昨日この部屋で戦ったときも無傷で勝っていたし、面倒くさいですがなどと余計なことを言わなければ優秀そのもの。
そんな鈴原が、なぜ僕のそばにいるのか分からない。
僕についても学ぶことなんてないし、やるとしても雑用をこなすことしかできない。それなら若頭について学んだほうが昇進だってしやすいだろうに。
「⋯⋯鈴原。この家は実力主義じゃないし、鈴原がどれだけ頑張ったって組長にはなれない。それが分かってても昇進するのが重要か? せいぜい若頭補佐までだぞ」
鈴原は武器を戻し終わり、新しいチャカを僕に渡す。
その顔はいつもの気だるそうな顔じゃなく、宿望をとげようとする顔になっていて。
「分かってますよ、坊ちゃん。この世界ではついてくと決めた人についていくのが基本ですし。⋯⋯でもね、なれるところまでなってみたいってのが男でしょう。僕がこうして坊ちゃんのそばにいるのは、坊ちゃんが若頭になったときに補佐として隣にいるため。ずっと一緒に過ごした人のほうがいいって言ってもらうためです。そうすれば僕は若頭補佐になれて、坊ちゃんも安心。いい考えでしょう?」
と、長く語ってくれた。僕は鈴原がこんなに生き生きと喋る奴だとは思ってなかったから正直驚いている。というか、初めてこんな表情を見た。
「まぁ、僕は坊ちゃん。女川神成についていくと決めてますし。当たり前の行動ですよ。なんて、こんなこというのは僕らしくないですね。ずっといわないようにしてたんですけど」
⋯⋯この家はまともな奴がいないと思っていたし、鈴原も好きじゃなかった。
けど、その思考が少し変わった気がする。
今までは親のオマケとして扱われているだけだと思っていた。でも鈴原は違う。僕についてきてたんだ。女川としてじゃなく、神成として。
鈴原は僕を慕ってくれてる。実力もないのに忠誠を示してくれる。
それだけ僕は期待されているんだ。
僕は一人っ子だから。組長になる運命だから――。
僕はスマホを置いて、鈴原から渡されたチャカを受け取る。
受け取った新しいチャカが、なぜか軽く感じた。
「坊ちゃんが組長になって、組長やりたくないっていうなら変わりますけどね。坊ちゃんが組長になって、実力主義にしてくれてもいいんですよ?」
「はっ、冗談じゃない。実力主義になったら鈴原は組長になろうとするんだろ。一番近くにいるんだし、僕を殺すのだって容易い」
実力主義にすると皆が上を目指すようになる。意識が高くなるのはいいことだけど、若衆の中で派閥ができたりするのはいただけない。派閥がしっかりし、勝てると思えば内乱が起こる。
組長や若頭が殺されるのも大変だ。それなら今のままでいい。
僕は命が惜しいからね。
「そんな物騒なことしませんよ。実力主義になったら坊ちゃんの座を狙う輩を跳ね返すだけです。もし組長になった坊ちゃんが先に死んだら、僕はその子どもについてきます。それだけの覚悟があるってこと。覚えておいでくださいね」
やっぱり鈴原はイカれてる。こんな僕についてくなんて。
――やっぱりこの道で生きていかなきゃいけないんだな。
鈴原から受け取ったチャカを握りしめ、どこに隠そうかと考えていると、ノックもせずに寺沼が入ってきた。
「保冷剤持ってきたよーって、なんで鈴原がいるの?」
「坊ちゃんの武器メンテナンスをしていた」
「へぇ、カラダの?」
⋯⋯なんでそうなる。
僕と鈴原は顔を見合わせ――。
「坊ちゃん。寺沼コイツ解雇しましょう」
「そうだな、僕が若頭になったら解雇しよう」
「えぇー、なんか仲良くなってるー! だって坊ちゃんが上半身裸のままだからさー。鈴原が坊ちゃんに欲情――」
「そういえば服着てなかったな」
「部屋着これですよね。着せるので左腕あげてください」
「聞いてないしー! しかも鈴原雰囲気変わった? 何があったのー!? 俺にも教えてよー」
「寺沼は保冷剤置いて戻っていいぞ」
「坊ちゃんもこうおっしゃってるんだから戻れ。この藪医者が」
「鈴原辛辣!」
鈴原の言葉が効いたのか、寺沼は保冷剤を置いて去っていった。
そして鈴原に部屋着を着せてもらい、程なくして鈴原も部屋から去っていった。
チャカを机に置いてスマホを取り、陽愛に返事をうつ。
『狂愛かどうかは僕には分からない。けど、僕なりの恋愛がこれなんだ。だから狂愛だろうがなんだろうが、僕にはこの気持ちを止めることはできない。諦めがつくまではね』、と。
返事を送信し、スマホを閉じて保冷剤を頬にあてる。
保冷剤が冷たくて、頬はジンジン痛くて。あぁ生きてるんだなって、ふとそう感じた。
⋯⋯は、ははっ。本当にどうしたんだろう。今日は嬉しいことがいっぱいあって、鈴原の意外な一面を見れて。
――楽しかった、なんて。久しぶりだ。
「⋯⋯泣くのもいつぶりかな。最後にいつ泣いたかなんて覚えてないくらい泣いてないなんて、っ」
全身の痛みが、いつもの倍以上に感じた。
今まで麻酔がきいていたのに、プツリと麻酔がきれたよう。
胸が締め付けられて、鼻の奥がジンと熱い。
保冷剤を鼻に当ててもその熱さが消えることはなく、ただボロボロと涙が溢れるだけ。
僕はベッドに横たわり、疲れて眠るまで泣き続けていた――。




