5:にーすけ
――天罰というものがあるのであれば、それはきっとこの状況なのだろう。
そう思い、目を瞑った瞬間に、激痛が走る。
走馬灯らしきものは見えない。思えば、振り返りたいような人生は何も無かった。
嗚呼、悲しいかな。人生に華などなかった。
燦々と煩い太陽も今は静まり、真っ暗な空にぽっかり穴が空いているかのような丸い月が浮かぶ。
虫が鳴く季節でないのか、異様なまでの静けさが辺りに漂う。
夜の匂いが自然になじむ。
「さて……そろそろ行くか」
男が呟いた。
闇に溶け込むような服装に、日本の法律に反しそうな武器を体に仕込む男。
「あぁ、問題ない。今なら忍び込める」
複数の男達が連絡機を使用する。
「まったく……あんなガキ共まで使うとか……大黒の親父は何を考えてるんだ……」
小声でぼやく男に、ゆらりと人影が近付いた。
「あれに意味はないさ、強いて言うなら弾よけだ」
「あぁ……、あんたか…………佐々木の叔父貴」
佐々木、と呼ばれた男はにっこりと笑みを浮かべる。
「リューこそ、またそんな物騒なもの持ち出して」
「……女川の連中には弟の借りがあるんだ」
リューと呼ばれた男、竜西は復讐に萌える瞳を揺らす。
「ははは……、あの子達がいる以上下手に動けば直ぐバレちゃうよ?」
「構わねぇ……全員叩き潰せば良いだけだ」
「はっ、バーカ。だったらこんな深夜にわざわざ忍ばねぇよ」
佐々木は輝くような笑顔で毒を吐いた。
「俺達の役目はあのガキ共に気付かれないようについていって、女川のガキをさらう事だ」
「……分かってるよ…………」
佐々木が言った言葉に竜西は静かに頷く。
大黒の若い者は女川家の正門にて騒ぎを起こす。頃合いを見計らってその者達は退散するが、本来の目的は女川家の頭が持つ子供。
その子供をさらう事が大黒のもくろみであり、あの子供達が女川家の情報を横流しした時点で、大黒はこの作戦を思いついていた。
「ほら、表のモンがどんちゃん騒ぎしてるぞ。そろそろだ」
「……あのガキ共は?」
二人はそろそろ女川家に乗り込もうとしていたが、先ほどから監視していたあの二人の子供がいなくなっていた。
「あの子達が行く場所なんて一つしか無いでしょ?」
もたもたしてないで、早く。と佐々木は竜西を急かしながら歩いた。
警備が元々手薄で、表の騒ぎによって警備がなくなった場所から女川家へと侵入する。
「あの性格の悪いクソガキのところだよ」
親友の彼女が寝取られた、と言う事で何か力になりたいと思っていた。
しかし女川に関する悪い噂はどうやら本当らしく、ヤクザの者達との関わりが強いらしい。
それにもうこなってしまっては祐輔は止まらない。
長年付き合ってきたからわかるが、祐輔は女川をぶん殴るまでは絶対に止まらない。
それをなだめるのも親友としての務めなのだろうが、しかしこの状況。
頭が良くない俺でも分かるが、この大黒家のヤクザ達、何かがおかしい。
普通に女川達に恨みがあってここで暴れる、とか、そういう程度の話ではないように感じる。
しかし親友にその声は届かない。
暑くなった祐輔に水をかけても無駄なのである。
だったら俺がやることは一つだろう。
「ほら、何ぼさっとしてるの、さっさと行くよ」
「え、あ、おう……」
何か呆けていた祐輔に声をかける。
俺のやるべき事は、コイツに付き合ってやって、いざとなったときに力を貸してあげることだろう。
「……なぁ、やっぱり…………」
祐輔は何かを考えているような籠もった声を出した。
何を言いたいのかはわかる。大黒の人達から様々な武器を貸し出してもらえたのだが、俺がその武器のことごとくを突き返したからだろう。
「俺達は女川を一発ぶん殴ってやるだけだ、あんな物騒なもの使わない方が良いって」
不法侵入の時点でかなりどうかとは思うが、一線を越えることだけは避けなければならないだろう。
「あぁ……」
「坊ちゃん、大黒の若い連中が表で騒ぎを起こしてます」
暗に逃げろ、と告げる女川家の一員、鈴原。
「あぁ……、そう」
適当に返事をしてしまう。
女川家と大黒家が争う? まったく……僕には関係ないし興味も無い。
ただ親がヤクザってだけで偏見と軽蔑の目に晒されてきた。
僕は家族が嫌いだ。
「ここは危ないかもしれません……お逃げください」
「逃げる? 何処に? ここは僕の家だ」
僕の家によそ者が入り込もうとしてきた。それだけだ。何故逃げる必要があるのだろう。
「あのですねぇ……坊ちゃん」
この男に坊ちゃんと呼ばれるのも腹立たしい。
誰も僕を、僕の名を、顔を見ていない。
みんな女川組長の息子、としてしか見ていないのだ。
「君達に任せるよ。僕はここで本でも読んでるよ」
もう、どうでもいいのだ。
戯れも興が冷めた。
「はぁ……ったく…………わかりました……」
僕がこう言えば首を横に振ることは出来ないのだろう。
苛ついた表情を隠すことすら無く鈴原は部屋を出て行った。
閉められた扉の向こう側から、こそこそと話し声が聞こえる。
まったく、防音性が薄いことにも文句を付けたいものだが、僕の部屋の前で色々喋られても困りものだ。
「――しかし、なんでこの時期にあいつらは攻めてきたんだ……」
若衆等の言葉がふいに耳に飛んできた。
――確かにそうだ。
今まで女川家と大黒家は何回か争っていたが、大黒家がここまで大きな騒ぎを起こすのは今回が初めてだ。
何故急にこんな行動に出たのか……
考えられる可能性はいくつか存在するが……、最もあり得るのはどこからか女川家の情報が流出した、と言う事だろう。
警備配置か建物図面か……。
入手経路も気になるところだが、しかし問題は警備の配置と建物の構造がバレているという事だろう。
その情報をもし大黒達が入手しているのなら、間違いなくこの家の監視カメラや電子機器を止めるべく動くだろう。
僕ならそうするからだ。
ブレーカーを落とすつもりだろうか……
若衆に言伝してそこに警備を固めるべきか。
僕は女川と大黒の因縁なんてしったこっちゃ無いが、自室の電気が使えなくなるのは少し迷惑だ。
「まぁ……関係ないか」
確か緊急時のためのライトがこの部屋にも置いてあるはずだ。
それを使ってやり過ごそう。
「あぁ、うるさい夜だ」
静かだった夜に明と喧噪が浮き上がる。
「まったく……こんな仕事は性に合わねぇ……」
小柄の男、幸春は呟いた。
大黒家の若い者達等と女川邸にて騒ぎを起こし注意を向けさせる仕事なのだが。
「鉄砲玉のやつらにやらせればいいだろ……この仕事……」
幸春の呟きに一人の男が反応する。
「実際に騒ぐのはあのバカ共だ。俺らは後ろで見守ってれば良いんだよ」
「あぁ……宮さんか」
宮は幸春に気楽に挨拶し、煙草を取り出した。
「悪いな、禁煙中だ」
「そうか、嫁さんかい?」
バツの悪そうに言った幸春に、宮は申し訳なさそうに煙草をしまった。
「いいや、娘が出来たんでな」
「ほう、それはめでたい」
旧知の仲のように語る二人。
「宮さんには悪いが、親父に言われたからこの仕事をするだけで俺にはあんたみたいな女川への恨みはないんだ」
宮は少し驚いたような表情を浮かべ、すぐ苦笑いを浮かべた。
「はは、だから今は家族の方が大切だってか?」
「申し訳無いです……」
図星だ、と素直に認め頭を下げる幸春に、宮は優しい声で言った。
「バカ、家族は大切にしてやるもんだ」
「…………、ありがとうございます」
「別に感謝されるような事は言ってないさ」
幸春はそう言われるも、再び感謝の言葉を口にした。
「さて、そろそろ時間だ」
こっそりと裏口から女川邸へと侵入した。
機能しない照明の下をゆっくりと歩く。
事前にコピーした女川邸の建物図面を見ながら、恐らく女川がいるであろう部屋を探す。
「いやぁ、明日の新聞に載りそうな気がするね、これは」
建物の中からでも伝わる、外で揺動している人達の騒ぎ声。
俺がそう呟くと、隣を早足で歩く祐輔がふてくされたような顔のまま言った。
「どうせ大黒のやつらが人を遠ざけてるでしょ」
「あぁ、なるほど」
そりゃ、何も考えずこんな大規模な騒ぎを起こすほど大黒家もバカではないと言うことだろう。
俺は特に何も思いつかなかったんだけどな……
「この部屋も違う……」
祐輔は片っ端から部屋の扉を開け、女川の不在を確認し次に行く。
俺もその後ろをついていってるが、あまりにも人の気配がなさ過ぎる。
普通急に停電でもしたら慌てて騒いだり、電力を戻そうと誰かが動くものではないのだろうか。
何かが変だ、と違和感を感じながらも親友のため仕方ないかと付き合う。
「にしても、この家広すぎるだろ……」
祐輔が苛立った様子で言った。
この家に侵入し、既にいくつもの部屋を開けてきた。
しかし女川どころか、人一人すら見かけていない。
おかしい。何かがおかしい。と、不安だけが脳をよぎる。
「……? 何ぼけっとしてんだ?」
祐輔が俺を見つめて言った。
あぁ、親友がやる気なのだ。俺が勝手に降りてはいけない。
「さっさと女川のやつを見つけようぜ」
「あぁ、わかってる」
この夜を切欠に何かが変わってしまうような不安が。
周囲の静けさがこの後の嵐を告げているような予感が。
足を重くし口を開かせる気力を奪っていく。
「祐輔がここまでする理由はなんだろ……」
「――え?」
うっかり口に出してしまった疑問。
祐輔が何かに取り憑かれたように盲目になることはよくあることだが、今回は普段よりも何故か違う気がするのだ。
「何言ってんだ、お前……」
祐輔は困惑の目を向ける。
確かに俺自身、俺らしくない発言だとは思う。
何故言葉にしてしまったのか、よくわからない。しかし――
「い、いやぁ、ほら。彼女が心配だよねって……」
咄嗟に嘘をついてしまう。
いつもの祐輔なら、この程度の嘘は一発で見抜くだろう。
でも――
「あ、あぁ、そういうことか。……確かに心配だけど、俺があいつをぶっ飛ばすから問題ない」
祐輔はあの子(美月)しか見ていない。
夜の帳が降り、美しい程の月が燦々と輝く。
その光景を窓から見上げた。
「どうしたら良いんだろう」
独り言が漏れてしまった。
あの男、確か、女川とか言う花屋の人にあんな姿に…………
思い出すだけで寒気が襲う。
記憶がまるで抜け落ちたように、あの時のことを思い出すことが出来ない。
しかし、あの男の気味の悪い薄ら笑いと、男のスマホに映し出された私のあられもない裸体が――
「ひっ……」
鮮明な恐怖が体を襲う。
あの写真を、あの男が持っているだけで私は……
あの男に対して一切の抵抗が許されない――
「どうすれば……良いんだろう……」
ふと、頭をよぎったのは私を捨てた元彼であった。
なんであんなやつの顔が今思いつくのだろうか……、と。
苛立ちと恐怖と困惑と、様々な感情に襲われその場に座り込んでしまう。
ドロドロとした思考にまみれながらスマホを取り出し、とある人物の電話番号を見つめる。
こんな時、私の話を聞いてくれる人なんていない。
普通の友達に、こんなこと話せるわけが無い。
彩香、美奈子、優奈、光、三谷、光沙、茜、桜子、ともか、聡美、陽愛、真衣。
少なからず、友達と呼べる人達はいる。だけど、この事を誰かに話すことはできないのだ。
「なんで…………」
感情とともに溢れた言葉、スマホに映る電話番号に登録された名前。
この感情をぶつけたい時に咄嗟に電話をかけようとした相手の名。
――女川の名前を見つめ、涙をこぼす。
「身も心も、全部あいつのモノみたい……」
自虐的に呟いた言葉が、案外現実味を帯びている事に気づき、更に感情が荒れる。
ありえない、あれはただ、彼氏に振られて心が参ってる時につけ込まれただけで……
別に、心までもあの男に抱かれた訳じゃ無い。と。
強い意志を持ち、涙を拭った。
あぁ、祐輔……
私を捨てた元彼と、私を脅す最低な人。
二人に対してこんな複雑な感情を抱くなんて……
私は絶対に屈さない。
――そう思いたい。
「ガキ共は何やってんだ……」
竜西が呟いた。
「さぁ? きっと女川の息子の居場所が分かってないんじゃないか?」
俺は適当に返答する。
あの子供達が何をどう企んでいるのかは知らないが、目的は間違いなくあの女川の息子だろう。
だったら俺達の目的と同じだ。
俺達はあの子供達の周囲に大黒の者が近付いたら誰にも気付かれないように始末する。
そうすればあの子供達は女川の息子に出会い、おそらくやつも油断するだろう。
そこで俺達がやつを捕らえる。あの子供達は口封じのために後々殺す事になるけども……、まぁ、自分たちから首を突っ込んで来たんだ。
極道の世界をカタギがまともに歩けると思うなよ?
「……佐々木さん、なんか顔怖いですよ?」
竜西がこちらをまじまじと見つめながら言った。
「ん? そうか?」
「あのガキ共、どうせ後々殺すんだろう?」
竜西が尋ねてきた。こいつはその話を聞いていないはずなのだが、察しがついていた、と言うことだろうか。
案外こいつも侮れないのかも知れない。
「あぁ、そうだな。ここまで関わっておいて野放しにしていちゃマズイ」
俺達の目的を達成したら即座に始末する。
まさか、「建物図面を渡してあげたから」なんて甘い理由で助かると思ってるんじゃ無いだろうか?
「まぁ、俺に任された仕事だし、リューは気にしなくて良い」
リューは昔から情が過ぎる。
どうせ今だって無関係の子供を殺すのは、と頭を抱えてる事だろう。
「――おい、ガキ達が部屋の中に入ったぞ」
竜西は真剣な表情を浮かべて呟いた。
さっきまで部屋の扉を開けて中を確認して次の部屋へ、と移動してた子供達が部屋の中に入ったと言う事は――
「さて、そろそろ仕事かな……」
その部屋が異質なのは、扉を開けた瞬間に理解した。
ここに来るまでの凡ての部屋は明がついておらず、真っ暗だった。
しかしこの部屋の扉を開けた途端、目に飛び込んできたほのかな明。
その光に照らされ浮き上がったシルエット。
――即ち。
「女川……」
祐輔が苛立ったような表情を浮かべ、部屋に突入した。
「……? あぁ、なんで君達がここにいるんだい……?」
女川は読んでいた本を閉じ、俺達をまじまじと見つめる。
「なんで俺がここにいるか分からないか?」
「残念だけども分からないね」
女川は少し考えるようにだまり、「あぁ、」と声を発した。
「美月ちゃんの事かな?」
にっこりと、薄らと嗤う女川に相反し祐輔の表情は段々と黒く染まっていく。
「悪いけど、今は少し取り込んでるんだ、明日学校で話そうか」
女川がそう言うと、我慢の限界だ、と言いたげに祐輔は距離を詰めた。
「あぁ、そうか。こっちも悪いけど、お前をぶん殴ってもう美月に関わりません、って言わせるまで帰るつもりは無いんだ」
祐輔はそう言って、女川の正面に立った。
女川が何を考えているのか、わからないし分かる必要もない、と言いたげな表情でにらみ付ける祐輔に、一瞬声をかけようかと迷ってしまう。
「……、そんなに僕が憎いかい?」
女川が祐輔に問いかける。
「あぁ、憎い」
祐輔が女川に答える。
短い問答。それを終えた女川はにっこりと微笑んで――
「好きにしな」
瞬間。
祐輔の拳が女川の頬を貫く。
鈍い音とともに体勢を崩し後ろに倒れる女川。
まだ足りない、と祐輔は女川の胸ぐらをつかみ――
「お、おい……やり過ぎだ!」
もう見て入られない、と祐輔に声をかける。
きっと無駄だろう、分かってる。でも、ここで声をかけず、見て見ぬふりをすることは出来なかった。
「祐輔っ――――」
二人に近付き、祐輔を引き剥がそうとした。
その時。
腹部に激痛が走った。
否、激痛と認識することも出来ない程の何か、だった。
熱い、と言った表現の方が的確だろう感覚が襲い、自分の腹部を見る。
――赤い?
これは――…………血?
そう認識した瞬間、言葉に表すことが出来ない程の痛みに襲われた。
痛い、痛い。
熱い、熱い。
脳が言葉にならない叫びを上げている。
――俺は、死ぬのか……?
激痛に飲まれながら、薄れ行く意識の中で思った。
あれ――寒い。
さっきまでの熱さはどこに行ったのか。
ただどうしようも無く、寒く、そして。
――怖い。
遠くで祐輔の声が聞こえる。
あぁ、俺は良い友達でいられたかな。
走馬灯だろうか、今までの人生が頭に浮かぶ。
後悔もある。悲しみも怒りも、色々な出来事を思い出す。
でも――
つい最近の、下らない出来事が脳に浮かぶ。
あぁ、ありがとう。祐輔。
俺の親友、俺の――
数分前、僕は読書をしていた。
くだらい小説だ。
面白さの欠片も無い、下らない小説だ。
その小説のキャラクターはこう言った。
現実は小説より奇なり。と。
あぁ、そのセリフだけは肯定しよう。
まさか読書中に祐輔が現れたのだから。
扉を無遠慮に開け、現れた少年。
あぁ、一瞬なんの幻かと自分の目を疑った。
「女川……」
自分の名を呼ばれ、これは現実なんだと認識した。
うれしかった。
あぁ、祐輔が僕を見ている、と。感激し思わず涙をこぼしそうになった。
そして同時に、僕の悪癖が顔を出した。
「なんで君達がここにいるんだい?」
そう尋ねると、祐輔は苛立ったような表情を僕に向けてきた。
「分からないか?」
「分からないね」
あぁ、分からない。
何故祐輔が僕の家に? と、思考を巡らせると自ずと答えは見えてきた。
彼女の事か――
そう理解した途端、急に僕の中で何かが冷めた。
感動的な映画のラストシーンで隣の客がジュースをこぼした時のような興ざめ感に襲われる。
しばらく虚ろに会話を続けてしまう。
どうやら祐輔は僕の事を憎んでいるらしい。
どうやら祐輔は僕の事を殴りたいらしい。
あぁ、ならもう。いいよ。
それが祐輔の願いなんだろう。
「好きにしな」
突如襲う痛み。
祐輔の拳の感覚。
悲しみとともにわずかな喜びを感じざるを得なかった。
もういっそ、このまま祐輔に殺されてしまいたい、とそう思うほどの倦怠感に襲われる。
後ろで誰かが何かを叫んでる。
祐輔の友達かな?
あぁ、嫌なものを見た。
「祐輔っ――――」
彼はそう叫んだ途端、言葉をつまらせた。
それと同時に、何か、嫌な予感が走った。
空気感がピリッと変化し、祐輔の拳も止まった。
いつの間にか近付いていた祐輔の友人がその場に倒れ込み、僕の部屋に赤いシミを作る。
――あぁ、祐輔が離れてく。
祐輔は友人の名を呼んでいる。
僕の事を見ていない。
何が起きたのか、理解したくないと脳が告げ、憂鬱な感情のまま床に寝そべってしまう。
「はぁ、そのガキに傷付けんなよ……」
――。
聞いた事のある声。
憂鬱に支配されていた僕の体が、まるで脊髄反射のように起き上がった。
そこで目にしたのは、二人の男。
そして――拳銃。
「久しぶりだな、女川のクソガキ」
「佐々木さん…………」
明確な敵意と殺意を込めた拳銃を下ろし、その男、佐々木は悪魔のような微笑みを浮かべる。
「まったく、これだか子供は好きじゃない……」
佐々木は祐輔を見下ろし、再び拳銃に手を触れる。
何が起きたのかわからず、困惑した表情のまま友の名を叫び続ける祐輔に、その男は冷酷に銃をリロードし――
「佐々木さん……なんでここに?」
尋ねる。
なんでもいい。
せめて、せめて多少の時間を稼げれば。
「はは、君がそんな事を尋ねるはずがない、わかりやすい時間稼ぎだな」
佐々木は嗤った。
「俺は常々思うんだ、獲物を前に長々と喋るやつが多いってな」
あぁ、まったく同意するよ――
「時間稼ぎにまんまとひっかかって仲間を呼ばれて、ってそんなのはアホのすることだ、獲物を前にしたら即座に撃つ」
ゆっくりと銃口を祐輔に向ける。
祐輔は放心状態なのか、友の側から動こうとしない。
「こんな風にな――」
佐々木はにやりと、気味の悪い笑みを浮かべ、銃の引き金を引く。
「祐輔っ…………」
咄嗟に体が動いた。
祐輔を乱暴につかむ。
後ろに引いては行けない。
銃口に対していくら後ろに引こうとこの至近距離ならあたるのは必須だろう。
なら――
咄嗟に体が動いた。
祐輔を乱暴につかみ、横に倒した。
佐々木の構えた銃から小さな音が鳴る。
そして――
「……何っ?」
佐々木は驚愕の声を漏らした。
引き金が引かれ、射出された弾丸が祐輔ではなく僕を捉えたからだ。
「はは――……以外と、狙い悪いですね…………」
痛い。
幸いにして、あたった場所は腕だ。
痛みを我慢すればなんの問題もない。
相手に余裕を見せろ。
この程度の傷はなんてことないと自分を騙せ。
「っち……悪あがきだな」
佐々木は苛立った声をあげる。当然だろう。さっき僕に傷を付けられては困る、と言っていた以上、少なくとも狙いは僕の殺害では無く誘拐だろう。
これ以上銃を使えば同じように僕が身を挺してでも祐輔を守る。
それはこいつらにとってはマイナスなはず。
「性格が悪いって……よく、言われますね……」
銃弾が当たった左腕が痛む。
息が乱れる。
痛い。
「リュー……」
佐々木は後ろに控えていた男に声をかける。
恐らく僕と祐輔を引き剥がして祐輔を殺す腹づもりだろう。
――もう遅い。
口元が緩む、不意に口角があがる。
ここまで安堵したのは人生で初では無いだろうか。
「……? 何笑ってる?」
佐々木が怪訝な表情を浮かべ尋ねてきた。
「あぁ、さっきの話の続き……あんたもアホの一人だったって事さ」
大黒のやつらが攻めてくるのは分かっていた。
だからいつでも若衆等に連絡できるようにしておくのが当然だろう。
「――坊ちゃん!!」
若衆の一人が部屋に現れた。
息も切れ切れで、急いで飛んできたのだろう。
「――…………!」
若衆の一人、鈴原は部屋の中を一瞥し、状況を凡て察した様子。
「……なんだ、一人か?」
佐々木は驚愕の表情から一転、なんとも気が抜けたように笑い言った。
「坊ちゃん、早く逃げてください」
鈴原が強い口調になり、そう言った。
放心中の祐輔を片手で支え、急いで部屋を後にした。
腕に痛みが走るが、今はそんなもの気にしてはいられない。
「――任せる」
鈴原にそう告げ走り出す。
「さて、お前等……」
鈴原は佐々木と竜西の二人をにらみ付け言い放つ。
「覚悟は良いか……?」
「――っ!!」
二人は咄嗟に身構える。
たった一人で何が出来るのか、たった一人の援軍で言い顔してるあのクソガキは頭も悪かったのか、と、そんな事を考えていた佐々木は先ほどの自分こそを馬鹿にする。
「これが……一人の人間か?」
たった一人の気迫に、銃を持っている佐々木ですら瞬時に警戒せざるを得なかった。
「あんまりこーゆー仕事は好きじゃ無いんだが……まぁ、出世のためと思うかぁ……」
しかし唐突に気怠げな声をあげる鈴原。
二人は警戒を怠らない。
「さて、やろうか」
鈴原がそう言うと同時。
真っ先に動いたのは竜西だった。
鈴原に接近し、拳を振る。
急所を狙った竜西の拳は、鈴原にあたることは無かった。
「はぁ……めんどくさ」
鈴原は竜西の攻撃をことごとく避ける。
ただの一撃もあたることはない。
「リュー!!」
佐々木が背後から竜西に声をかける。
その一言で竜西は佐々木の意図を察する。
軽快なステップで鈴原から距離を取り――
鈴原の視界の端に、突然銃口が現れる。
竜西から佐々木へのスイッチ。
今のステップは鈴原の視線を動かし、部屋の中を密かに移動する佐々木から意識を外させるため。
そして更に佐々木の射線からズレる様な位置に移動するため。
「あぁ、なんだ。以外と――」
鈴原の言葉を聞くこと無く、佐々木は銃の引き金を引いた。
――――。
撃ち出された弾丸は、薄ら白い煙を上げ壁に穴を開ける。
「――なっ……」
佐々木は絶句する。
本来であれば血を吹き出してその場に倒れ込むはずの鈴原。
しかし何故か彼は無傷で立っている。
「なん、だと……」
銃弾を視認しかわした? そんな事が出来るのは人間では無い。
あり得ない、と思考の濁流にのまれ、佐々木はその場に立ち止まってしまう。
「はぁ……、やっぱり楽しくないな……」
そう呟いた鈴原は立ったまま動かない佐々木の元へ近寄り――
「……終わった?」
女川が部屋に顔を出す。
祐輔を担いでいるが、顔色から中々しんどい様子がうかがえる。
「坊ちゃん……逃げてくださいって…………はぁ、まぁ良いですけど……」
女川が部屋の中を見回すと、佐々木と竜西の二人がまとめて横たわっていた。
「腕をけがしてる僕が人一人担いでどこか遠くまで逃げられると思ってたの?」
女川は少し苛立った様子で呟いた。
この部屋の中で無傷なのは祐輔と鈴原のみ。
「んで、坊ちゃん……このガキは?」
鈴原が部屋に倒れていた勝を指さし尋ねた。
「……あぁ、祐輔の友達だ。さっさと病院つれてってあげて」
女川は疲れた様子でそう言った。
流石に疲れが回ったのだろうか、と鈴原は女川を見つめる。
「わかりました。坊ちゃんもお休みになってください。後処理は俺達の仕事ですから」
「あぁ、分かったよ」
翌日。
女川が目を覚ますと、もう日は頭上に昇っている時間であった。
雑な治療が施された自らの腕を確認し、鈴木にあの後におこった事の子細を語らせる。
曰く、その後作戦が失敗した、とわかった大黒家は素直に引き返したとの事だ。
祐輔と勝は病院に運ばれた。
女川は祐輔の様子を執拗に問う。
祐輔には特筆するけがはなかった。
強いて言うならストレスからくる精神不安定状態になっている、とのことだ。
「それで? この腕はいつ治る?」
「うちが抱える医者曰く全治数ヶ月って言ってましたが……」
女川はそれを聞いてため息を吐いた。
治るのに数ヶ月かかるから、ではない。
女川家が抱える医者がとんでもない藪医者だからである。
「まぁ、わかったよ……」
しかし今日は学校休むかぁ……とため息を繰り返す女川。
ふと、スマホのバイブレーションの音に気づき、ベッドの側に置かれたスマホを手に取る。
「……!」
LINE、と言うメッセージアプリからの通知。
美月、という名前が表示されたその画面を見つめ、女川は口角を上げた。
しかし返信する事も、既読を付けることも無くスマホを元の場所に戻す。
あぁ、もうすこし戯れに興じるのもありかも知れない。
女川はそう口を歪ませ笑う。
――鈴木の報告には続きがある。
佐々木と竜西は現在女川が身柄を確保していて、数時間に一回拷問にかけられている。
今回の一件により、大黒と女川の関係は完全に別れ、今にでも抗争が起こりえるほど緊迫した状況になっている。
「いや、僕は女川と大黒の争いとか興味ないから……そーゆー報告は要らないよ」
女川はそう言って鈴原を部屋から追い出す。
ここは女川の自室。
昨日、ここに祐輔が来たのだ。と、女川は表情を緩ます。
――あぁ、この程度で満足してはいられない。
更に翌日。
久しぶりだとも思える学校に足を運んだ。実際はたった一日休んだだけなのだが。
しかしそれでもかなり久しぶりに感じる。
腕は治っていないから行動は制限されるが問題ない。
本来なら今頃病院のベッドの上なのだろうが……。
「おはよう、女川君……」
「……ん? あぁ、おはよう」
後ろから声をかけられた。最近よく顔を合わせる長髪女子。
確か名前は…………三日月、だったか?
「ど、どうしたの……その傷…………」
彼女は僕の腕を見つめながら言った。
あぁ、そうか、適当な理由を考えていれば良かった。
「えっと……」
なんて返答しようか迷う。
正直この人物はかなり苦手だ。
「うっかり階段で転んじゃって」
ふと頭にこの前の美月が浮かぶ。
あの時みたいに階段から落ちたということにしておこう。
「そ、そっか……あのお家凄い大きいもんね…………」
僕が彼女を苦手な理由がこれだ。話がかみ合わない。
このような発言を彼女がした後は基本僕が無視をして終わるのだが、合う度にこのような会話を繰り返すのは甚だ不本意だ。
「あ、そ、そろそろ時間になっちゃう……またね…………」
彼女はそう言って足早に去って行った。
始業時間まではかなり時間があるはずだが……。
日直か何かなのだろうか。
まぁ、別に知らなくて良いことだ。
――しばらく歩くと学校にたどり着く。
少し憂鬱な気分になりながらも昇降口から校舎に入る。
「おはよう」
「あ、おはよー」
数人の顔見知りが挨拶をしてくるが、正直今は放っておいて欲しい。
自分の席に座り、ぐったりと机にへばりつく。
「はぁ…………」
大きなため息を吐く。
やはり今日も休むべきだっただろうか。
「おーい、女川ー」
「……?」
まったく知らない男子から声をかけられる。
下らない用件だったら無視しようか、と一瞬考えてしまうほどには面倒くさい。
あぁ、実に憂鬱だ。
「――祐輔が呼んでるぞ」
その一言で、思考が切り替わる音が自覚できた。
要件はある程度の予想はつく。
あぁ、恐らくそう言う事だろうが……
しかし祐輔に呼び出される日がくるとは思ってもみなかった。
若干の喜びを隠しきれず、思わず頬がほころぶ。
「うん、わかった。今行くよ」
言伝を伝えてくれた名も知らぬ男子にそう言い、自分の机から立ち上がった。
あぁ――こんな僕は異常なのだろうか。
「それで? 用は何?」
祐輔に呼び出され、人気の無い場所に移動してから会話を始めた。
もはや要件は理解している。しかし祐輔と言葉を重ねておきたいという一抹の願望に逆らえずにそう尋ねた。
「お前…………」
祐輔は憎悪にまみれた目で僕をにらみ付ける。
あぁ、そんな表情も出来たのか。
「お前が、――…………勝をやったのか……?」
勝、という人物の名が出された。
……誰だ?
必死に脳の隅々まで見回し、心当たりがないかと確認する。
「あぁ……、あの時撃たれた子か」
殆ど興味が無く忘れていた。
鈴原は死んでいないと言っていたし、特に気にすることでもなかった。
「おま、え…………」
あぁ、綺麗な表情だ。
そんな事を思ってしまう。
胸ぐらを捕まれる。
拳を振り上げる祐輔が見える。
あぁ、この後殴られる僕が見える。
甘んじて受け入れよう。それが祐輔の気持ちなら。
「――!」
頬に痛みを感じる。
あの時より力がこもっていない。
怪我人だから手心を加えてくれたのか? ……まさかな。
――あぁ、そういうことか。
背後に人の気配を感じて、理解した。
美月。
彼女がこの光景を見ているんだろう。
そして祐輔はそれに気付いた。
あぁ、なんて事だ。とある事を思いついてしまった。
「祐輔は僕が憎いかい?」
あの時と同じ問いを重ねる。
返答は無い。
あぁ、そうだ。こう言ってやれば良いだけだ。
それだけで――
「――君は――――」
僕と同じなのに。




