#前職、天使
物事にはイメージが付き纏う。
例えば、天界
光り輝く純白の世界、神が築いた楽園。
例えば、神。
全知全能で、超越的な力を持つ世界の創造主。
例えば…天使。
「罪人ソーニョ、神は今回汝が起こした一連の出来事をお赦しにならなかった。」
光り輝く大聖堂、その優美さは幾千幾億年経とうと霞むことはない。下界の大聖堂と比べるまでもない…比較対象とするのも烏滸がましい代物。差し込む陽光がステンドグラス越しに、僕に注がれる。
「ですが、神は寛容です。」
優美と冷淡は紙一重、それを今身をもって理解した。暖かな光で包まれるはずの大聖堂に天蓋が覆う。救いを求めるべき民はおらず、存在するのは純白の翼を背負いし者…天使。
どこか浮世離れした容姿は、著名な芸術家でも完璧に表現は出来ないだろう。
画家なら、描きあげられない苦しみに筆を折るだろう。
彫刻家なら、平凡な石の屑に彫刻刀をを突き立てるだろう。
詩人なら、吟ずる言葉を探し求め永遠の旅に出るだろう。
蠱惑的な魅力に、万人が破滅の道を歩むことになる。
それも当然の帰結…なぜなら、それらは神の創造した芸術品であったから。
「汝が悔い改め、改心するならば、神は再びあなたを愛してくださいます。」
己を見下げる七つの視線、語りかける声音と矛盾する氷の瞳。
その瞳の奥には慈しみも、感情も、光もない。
あるのはただ、底なし穴のような深淵のみ。
「罪人ソーニョ。」
その瞳に映る自身も、その瞳に深淵を閉じ込めているんだろう。なぜなら自身も目の前の存在と同じ…神に想像された芸術品であったから。
作り物の器に作り物の心で、無辜の民を救う。
作り物に感情は宿らない、あるのはただ信仰心のみ。神秘のヴェールを剥いでも、そこにあるのは神が創り出した傀儡。
人間が求める理想の天使像は影も形もない。
「最後に聞きます。汝は再び神へと誓えますか?」
しかし…物事には、『例外』が存在する。
綺麗な白鳥の兄弟と共に育てられた、みにくいアヒルの子。心優しき夫婦のもとに生まれた、硬貨程度の大きさの子供。12時を過ぎても存在が消えなかった、ガラスの靴。満ちる事のない作り物の器を心へと変えた…愚かな天使。
「…求めなさい、汝が心から欲するものを。」
天使は求めた、人間の欲する『シアワセ』の意義を。
「捜しなさい、さすれば訪れるでしょう。」
天使は捜した、自身の心に巣食う“なにか“を。
「開きなさい、そうすれば汝は満たされる。」
天使は問うた、『なぜ、神は天使に心を授けなかったのか。』と。
「その全てを歓迎し、求める者、探す者、開く者に全てを授けましょう。」
天使はただ…父である神の言葉に従った。
皆が盲信する…『神』の御言葉を。
「…僕は、父なる神の言葉に従ったまでです。」
しかしそれは、神に対する『不敬』であった。
なぜ、神は天使に心を授けなかったのか。
言い換えてしまえば、『なぜ、完璧な天使に欠陥があるのか。』
天使は、神の創り出した芸術品そのもの。
顔・身体、細部に至るまで美しく、流れる血すら神聖である。そんな神の創り出した芸術品に…欠陥など、存在するはずがない。
それが、天界の出した結論だった。
「残念です。」
「なぜ…神は、僕を断罪なさるのですか?」
神は、愛でもって愛し子たる人間を救ってきた。罪深き者、信心深い者、飢える者、富める者…全ての者に、平等に。
そこに天使は含まれない、神の救済の対象はあくまで『愛し子』のみ。神に近き存在ではなく、神に最も遠き存在が、神の庇護下であった。
「これは教導です、罪人ソーニョ。」
「神は無知な天使へ教えを授けてくださります。」
「寛容な御心に、深い慈愛の御心に感謝を。」
天界では、『断罪』なんて存在しない…存在しては、いけない。断罪が行われれば、そこに善と悪の存在を許してしまう。神が統べる天界に、悪なる存在が生まれてしまう。悪とは現行の世界への不満の現れに加え、世界を統べる神への不穏因子の誕生を意味する。断罪を行うのは、野蛮なる魔族か愚かなる知恵しか持たぬ愛し子のみ。力こそ世界を統べる象徴の魔界では日々争いが起こり、細分化された世界に住まう愛し子は疑心暗鬼で玉座を荒らす。神が統べる天界では、間違いを神は寛容な御心でお赦しくださり、『教導』を施してくださる。魔界や愛し子の世界のようにならないのは、天使に授けられたココロが器であったから。
「罪人ソーニョ、最後に言い残したことは?」
僕は…間違いを犯してしまった。
天界を成り立たせているのは、神への盲信と、掘り込まれた思考。その環境に慣れきった思考はその異常性を受け入れてしまっていた。たった一人の天使の変化という小さな反発が、静かなる同調圧力を乱した。不穏分子は、平和な世界には必要ない。
望まざる存在を待つのは、追放のみ。
純白な世界には一点の汚れもあってはならない。
「…愛しい君よ。君の魂が満たされているのと同じように、君がすべての道に恵まれ、また健やかに歩めるよう、わたしは祈っている。」
たった一人の友人は、僕に言った。
ーあなたみたいな天使は嫌でも記憶に残るので、忘れる方が難しいと思いますが。
きっと…いつかは、忘れてしまう。
永劫の時を生きるからこそ、些細なことは刹那の間に消えてしまう。いつしか記憶は象徴となり、原型を保てなくなる。その崩壊は、神ですら抗えないかもしれない…神に、想いがあるならば。
声を、顔を、仕草を、名前を。
最後に、存在を。
僕という存在は姿を成せなくなる。
愛し子が死者に墓場という居場所を与えるのは、死者の存在を繋ぎ止めるため。忘れたくない、存在を残していたいという…生者が残す、死者の存在証明。そこで愛し子は語らう、生前に日の目を見なかった死者への複雑奇怪なココロを。
『______』
死の刹那、愛し子は…人間は、願いを未来へと託す。それは純粋無垢な人間だけが扱える、祈りの言葉。
現世の無念は、来世に。
残された最愛に、幸ある未来を。
変えられぬ運命は、来世では絶対的な運命に。
どうか、どうか…神様…。
胸の前で組まれた手は傷を知らない。
苦しい治世も、胸痛む悲愴も、心温まる幸せも。身体に傷一つないのは、浮世の存在の証。常に世を観察し、盤上から世界に介入する。そんな存在に、純粋無垢な人間と同じココロなど存在するはずがない。願いを神に託すほどの強い感情を有するはずが、ない。
それでも僕は祈る、僕自身のために。
「作り物の心でも、シアワセを知りたい…。」




