EX.乾杯(sideヒースクリフ/前編)
二話同時更新。こちらは前編。久しぶりにフィリアとヒースクリフのお話です。
フィリアはあまり酒に強くない。
俺がそのことを知ったのは、まだ結婚する前……とある伯爵家で開かれた夜会に二人で出席した時だった。
ジュモー伯爵家はワインが名産で、夜会でも自慢のワインがこれでもかと出された。
俺は割と酒に強いので勧められたグラスは全て受けたが、フィリアは上品に少しずつ味見をするだけにとどめていた……はずだった。
帰り際も伯爵夫妻に如才なく丁寧な退出の挨拶を述べ、馬車に乗り込むまではしゃんとして見えたんだが……
緊張が解けた途端に酔いが回ったのかな?
馬車が走り出していくらもしないうちに、くてん、と隣に座った俺の方へ寄りかかってしまったんだ。
「フィリア? 大丈夫か?」
慌てて聞くと、我が婚約者殿はほんのり赤い顔をして謝った。
「ごめんにゃさいクリフ……わたしワインがたいへんおいしくて、のみすぎてしまったみたいですわ……」
…………。
今、「にゃ」って言わなかったか?
フィリアなら何でも可愛いが……
「吐き気や目眩は?」
「んーん、ないですわ……でもちょっと、ふわふわするかも……」
確かに、いつもは馬車の中でも美しく背筋を伸ばして座っているフィリアが骨を抜かれたようになっているな。
「じゃあ俺に掴まって」
フィリアの背中へ腕を回して、しっかり支えることにした。
普段は恥ずかしがるフィリアだけど、今日はこくんと頷いて素直に体重を預けてくれる。
うん、役得。
「んふふ……みらいのだんなさま、やさしー……クリフ〜……だいしゅき〜……」
頬をすりすりする甘えた仕草がついてきた。
これは……他人には見せられないな。
「フィリアは酔うとこんな風になるのか……」
不思議と不快ではなかった。
俺、女性にベタベタされるのは嫌いだったはずなんだが……
フィリアと婚約する前、俺にはたくさんの縁談があった。
みんな俺に気に入られようと必死だった。
夜会で酒に酔ったふりをして、しなだれかかってくる令嬢も多かった。
とろんと甘えた口調。
気だるげな雰囲気。
さりげない風を装って身体をくっつけようとしたり。
……全く魅力を感じなかったな。
本当に飲みすぎたなら、ただの愚か者だと内心で馬鹿にしてさえいた。
そうまでして王弟の妃になりたいのか。王太后の悋気に振り回される面倒な立場でしかないというのに、世間では素晴らしいものに見えるらしい……と。
あれから一年も経っていないのに、ずいぶん遠いことのように思える。
別人みたいになったと色んな人に言われるけど、自分でも同意する。
我ながら驚いてるくらいだ。
フィリアは俺が優しいと言ってくれるが、たぶん、ちょっと違う。
俺はフィリアと出会ったからこそ、まともになれたんだ。
「君のおかげだよ、フィリア。愛してる」
酔っ払っているフィリアを見ても嫌悪どころか、幸福な気持ちが湧いてくる。
そっと引き寄せ、額にキスをした。
「……んん……なんでそうなりますの、ワインがもっとまわりますわ……クリフのばかぁ」
人間、「馬鹿」と言われて気分が良くなることもあるんだな。
新しい発見だ。
「うん、すまない。顔が赤いね。もっと寄りかかっていいよ」
「おもくありませんか……?」
「全然。羽のように軽いよ」
「……にんげんはほねときんにくと、ないぞうがあって、はねよりおもいはずですわー?」
「くっ。そうだね、でも大丈夫。むしろ嬉しいよ」
可愛いなあ……
しみじみしていたら、フィリアが言った。
「フィリアは『前』よりほそいですけど、よーろっぱのひとみたいでせがたかくて、ほねしっかりしてそうですし……むねおっきいですし……きっと、ごじゅっきろくらいはありますわ……」
胸って……いやいやいや。ちょっと待て。
それより、ごじゅっきろって何だ?
よーろっぱ?
体重を表すそんな言葉、あったかな。
ふと思いついて聞いてみた。
「フィリア。それは君の、夢の人生の話?」
「ですわ〜。わたし、たべるのがすきなわりにちびで……『やせのおおぐい』っていわれてました」
「ははは! きっと、その頃の君も魅力的な女だったんだろうな」
「ええ〜ちっともモテなかったですわ……でもいーの、いまのわたしクリフいるもん。やさしーいけめん、さいこう〜……」
また知らない単語が出てきた。
いけめんって何だろう?
褒め言葉だよな?
その後もぽろぽろとこぼれる不思議な発言を聞いているうちに、フィリアはすうすう寝入ってしまった。
「フィリア。青花宮へ着いたよ。フィリア?」
「………………」
馬車が止まったので声をかけたが……
起きられそうにないな。
抱き上げて馬車を降りた。
迎えに出ていたバーティスとエマリは驚いたようだが、フィリアは眠ってしまっただけだと告げれば、すぐに柔らかく微笑んだ。
「お疲れが出たのやもしれませんな」
「左様ですねえ、珍しゅうございますけれども」
「ジュモー伯爵家のワインが回ってしまったようだ」
「なるほど。ジュモーのワインは口当たりが良く飲みやすいものの、酒精は濃いものが多くありますからな」
「酔い覚ましのお水とお薬をご用意致しますね。……それにしても、いつもはきちんとされていらっしゃるフィリア様が。ふふ、ずいぶん殿下をご信頼なさっておいでのご様子ですね、エマリは嬉しゅうございますよ」
「信頼か……」
そうだな。
フィリアがこうして、少し用心が足りないところも見せてくれるのは、俺を信頼してくれているから……だな。
「このまま部屋まで連れていくよ」
「ええ、ええ。ぜひそうなさってくださいませ」
にこやかなエマリと共に、フィリアを私室まで運ぶことにした。
他の使用人も皆、微笑ましいものを見る目になっている。
今まで青花宮には女性の使用人が極端に少なかったんだが(俺に言い寄ろうとする者ばかりだった)、フィリアを迎えるに当たってエディス義姉上に信頼できる侍女を厳選してもらった。
王妃推薦だけあって、どの侍女も身元が確かで仕事ができ、人柄も良い。
今も大袈裟に騒いだり声を立てたりはしないが、形ばかりじゃない温かみのある表情を向けてくれる。
フィリアの人徳もあるんだろうな。
高貴な身分の女性として育てられたのに、偉そうなところが一つもない。使用人にも細やかに気を配るから、皆に慕われている。
階段を上がり、二階の廊下を進んでいく。
新たな女主人を迎え、模様替えをしたことで青花宮全体の雰囲気はだいぶ変わった。
……元々、この青花宮は俺の母、先王の側妃リーザに与えられた離宮だった。
しかし母上は非常に控えめな性格で、目立つことが好きではなかった。
父上に見初められて断り切れず、近年では異例の側妃となったものの……
正直言って、繊細な気性の母上には重荷でもあっただろう。
常に目を伏せ、声を潜めて過ごすような息苦しさが青花宮には漂っていた。
小さな少年にとって、居心地が良かったとは言えない。
俺が成人してしばらくの間、宮から足が遠ざかっていたのはそういう事情もあったのだ。
それが今や、嘘のように明るい。
フィリアも華やかすぎるのは苦手だが、瑞々しい生命力にあふれていて母上のような陰がない。
内装は派手ではないものの、ところどころに品の良い絵や柔らかい色合いの花が飾られるようになった。
フィリアの性格を映したように、今ではすっかり快適な住まいになっている。
俺は眠っている恋人を抱えて勝手知ったる我が家を歩き、彼女の私室へ到着した。
中に控えていたヨランダとアリスにドアを開けてもらって入室し、ベッドの上へそっとフィリアを下ろした、のだが……
「んん……クリフ……?」
フィリアが薄く目を開けた。
とは言え、とろんとしていて今にも寝入ってしまいそうだ。
「起こしてしまったかな、すまない」
「ううん……らいじょーぶですわ……」
フィリアは寝ぼけ眼で俺を見て、ふにゃりと微笑んだ。
子供みたいに無邪気で無防備で……
あ、マズい。
眩しすぎて直視できない。
と思った瞬間、フィリアは手を伸ばして俺の首筋に抱きつく。
「クリフ、だーいすき…………」
ちゅっ、と頬へのキスまでついてきて俺は固まった。
……大胆だな?! 酔ってるんだろうけども!!
「フィリア……何てことをするんだ……!!」
理性が切れずに済んだのは奇跡だと思う。
おまけに! 当の本人は、一瞬で再び安らかな眠りの世界へ旅立っているし!
「あらあら、まあまあ。お熱いったら」
にっこにこのエマリ。
「はわわわわわ……! フィリア様……!」
真っ赤になっているアリス。
「殿下……お泊まりになっていかれますか……?」
冷静に見えて目が泳いでいるヨランダ。
「ヨランダ、その提案は非常に魅力的だがやめてくれ。まだ婚約したばかりだ」
ベルーザの貴族界は割合に大らかで、しかも今は直系王族の少なさが大問題になっている。
何しろ兄上と俺しかいない。
近しい血を持つ公爵家が二つあるけれど、イリシス公爵家は王太后の一件で急激に勢力を落としてしまった。もう一つのボダールソン公爵家は大人しい気質の者ばかりで、実際に王位を担うのは難しいだろう。
だから、まあ、結婚前にフィリアとそういう関係になって子を授かったとしても、表立って非難はされないはずだが……
陰で何を言われるか分かったものじゃない。難癖をつけたがる者はどこにでもいる。
それにフィリアは貞淑で知られるアストニア出身だ。できれば彼女の感覚に合わせたい。
……あと、自分を抑える自信がない。これも大きな理由であったりする。
たしなめると、ヨランダは咳払いと共にすぐ謝罪した。
「出過ぎたことを申しました、お許しください」
「ああ。咎める気はないが、その…………つい頷いてしまいそうだから。やめてくれないか」
「……左様ですね。重ねがさね申し訳なく」
「ふふ、殿下、ヨランダを責めないでやってくださいまし。お二人とも大変仲が睦まじくあらせられますけれど、おそばで拝見していますと少々もどかしいのでございますよ」
「う……」
小さい頃から世話になっていたエマリにまで言われてしまい、反論できない。
俺は溜息をつき、首筋に絡まっている華奢な腕をそっと外した。
フィリアは、今度は起きなかった。
罪のない顔で寝ている。
小悪魔って、こういう女性を言うのかな。
俺の方が年上なのに、完全に振り回されている……
「次から酒には本当に注意しよう……」
俺は固く決意し、名残惜しいが自分の部屋へ戻ることにした。
そして翌朝。
「あのう、クリフ。私、昨日は帰りの馬車に乗り込んでからの記憶が全くなくて……何か、やらかしていませんでしたか?」
それはそれは恥ずかしそうにする「いつものフィリア」に、どう答えたものか悩む羽目になったのである。
✳︎✳︎✳︎
酔っ払ったフィリアはとても可愛い。
食べてしまいたいくらい可愛い。
が、色んな意味で危険すぎる。
普段は秘密にしていることも警戒心なく喋ってしまうし、大胆になってくっついてくるし。
幸か不幸か、すぐに酔っ払って眠くなるものの翌朝には酒気が抜ける。
つまり二日酔いにはなりにくい体質のようだ。
問題は、その間の記憶が綺麗さっぱり消えてしまう点だった。
今回は俺や青花宮の信頼できる者しかいなかったから良いが、悪意のある相手だったらマズい。
特に男。
放置できないので結局、俺はエマリからその辺の注意点を伝えてもらった。
「私、自分で思っていたよりもお酒に弱かったのですね。これからは重々気をつけますわ」
真面目なフィリアはすぐに反省し、それからは酒をほとんど口にしなくなった。
宮廷ではその頃、フィリアが考案したカクテルというものが流行し始めていた。
酒と果汁などを合わせる新しい飲み方だ。
これまでは「混ぜ物」をするのは庶民が飲む安酒であって、貴族が嗜むものではないとされていた。
ところがフィリアは美味かつ、見た目もしゃれたカクテルを次々と編み出したんだ。
酒精が強くない、或いは全く使わないものもあり、女性を中心に大人気。フィリア自身も酒の席ではそういう軽い飲み物のグラスを手に談笑するようになった。
さすがフィリアだ。
酒に弱いのを逆手に取って、新たな飲み方を定着させるとは。
俺もこれで(酒については)ひと安心……
と思ったんだが。
ある日、バーティスが意外なことを言ってきたんだ。
「――フィリア様はどうも、酒のたぐいがお嫌いと言う訳ではないようですな」
「……そうなのか?」
「はい。むしろお好きなので、ついつい量が過ぎてしまいがちになると。相当気を引き締めて酒席に臨んでいらっしゃる模様だと侍女達が申しております」
「嬉しそうにカクテルの話ばかりするから気付かなかった……悪いことをしたな」
そう言えば発端となったジュモー伯爵家の夜会でも、「美味しくて飲みすぎた」とこぼしていたっけ。
単なる言い訳じゃなくて本音だったんだな、あれは。
「好きなのに少ししか飲めないとは気の毒だな……」
するとバーティスがしかつめらしく言った。
「殿下がお付き合いして差し上げては?」
「俺?」
「翌日早くに予定がない日でしたら、お二人で晩酌をなさっても問題ございませんでしょう。フィリア様と仲も深まるかと存じます」
なるほど。
フィリアは真面目すぎるほど真面目だから、自分からはもう酒を口にしようとしない。
好きだけれどもすぐに酔ってしまうから、王弟の婚約者として醜態を晒さないよう自制している訳だ。
だが弱いと言っても翌日には回復する体質で。
場所が青花宮(我が家)、同席するのが婚約者の俺と信頼できる使用人だけならば、酔い潰れても問題ないな。
たまには飲みたい、くらい全然言ってくれていいんだが、フィリアは甘えるのが苦手で自分が我慢して当然だと思ってる。
もっと早く察するべきだった、と俺は反省し、まずはジュモー伯爵家からワインを取り寄せるようバーティスに頼んだ。
さて、我が婚約者殿は喜んでくれるだろうか。




