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EX.乾杯(sideヒースクリフ/後編)

二話同時更新。こちらは後編です。

 ちょっと大胆で可愛いフィリアを見たい、という下心があったことは否定しない。

 しないが、フィリアと一緒に酒を飲むのは想定以上にアレだった。

 主に俺の忍耐力が試されるという意味で。


「……なんだかもう、始まる前から恥ずかしいですわ……」


 場所はフィリアが寛げるようにと、彼女の私室だ。

 フィリアは別室で着替えてから入ってきた。

 柔らかい素材でできた室内着をまとっている。

 ワンピースではなく上下に分かれ、上はゆったりしたシャツ、下はパンツスタイル。ただしトラウザーズとは違い、布をたっぷり取っていて一見スカートのようだが足捌きが楽という服である。

 これもフィリアが考案してお針子に作らせた。優雅さと動きやすさを両立していると、女性の間で流行しているらしい。

 フィリアの影響力は凄い。本人は「あなたの婚約者になったからですわ」と言っているけど、いくら貴族でも魅力のないものに飛びついたりはしない。

 その点、この服は活動的な若い令嬢から保守的な年輩の夫人まで幅広く愛用され、近頃は裕福な平民にも広がっていると聞く。

 良いものだという証拠だ。

 もちろんフィリアにも似合ってる。


「恥ずかしがる必要なんてないさ……うん、いいな、こういうフィリアも」


 肌の露出は少ないが、黒髪を下ろした姿を見るだけで心臓に悪い。

 が、そこはこらえてソファに座り、手招きする。


「ほら、ここ」


「はい……」


 フィリアは恥じらいつつも隣に腰かけてくれた。

 給仕がワインをグラスに注ぐ。

 今回はジュモー産の白。

 やや甘口でフルーティーな香りが特徴だそうだ。


「乾杯」


 軽くグラスを合わせて、頂くことにする。

 フィリアはこくんと一口含むと、たちまち表情を輝かせた。


「美味しい……! 喉越しが爽やかですわ!」


「うん、香りが良くて美味しいね。もう一杯いる?」


「少しずつ頂きますわ。もったいないですもの……!」


 フィリアはいつでも楽しそうに飲んだり食べたりする。

 美味しい。幸せ。嬉しい。

 そういう感情が真っ直ぐに伝わってきて、こっちも温かい気持ちになる。



 ……面白いのは、決して美味とは言えないものを食べた時も態度が変わらないところだ。


 例えばリトランド王国の郷土料理で、本国でもかなり人を選ぶという瓶詰め……中身は魚の肝のオイル漬けだ……を試した時も。


『まああ、未知の味わいですわね! 尖った風味と匂いがします! ねっとりした舌触りも独特……うーん、これはすっごい。強敵っ……ここ一番の強敵ですわ…………あ! 刺激臭! 急に刺激臭が来ましたわ! しかも強烈っ、鼻の奥にビシビシ突き刺さります!』


 めちゃくちゃ不味そうなのに、めちゃくちゃ楽しそうだった。

 あの瓶詰めもフィリアに食してもらって幸せだったんじゃないかな?


『そんなに凄いのかい? どれどれ……』


 思わず俺も一口、味見してしまったくらいだ。

 期待に違わず、とてもマズ……唯一無二の味だった。


『ちょっ、クリフまで食べなくても?! むむむ、無理しないで! ぺってしてくださいませ。ほら! ぺっ!』


 慌てて吐き出させようとするフィリアが何とも可愛らしかった。

 不味さより笑い出しそうになるのを耐えて、気合で飲み込んだ。

 楽しかったな。



 が、今回はそういう挑戦ではなく美味な酒とつまみを楽しむもの。

 ナッツやハム、チーズ、切った果物などをつまみつつワインが進む。


「こんな幸せでいいのかしら……」


 ちびちびと味わって飲んでいるものの、フィリアはほろ酔いになってきたようだ。


「本当に美味しそうに飲むね。ちょっと意外だな、可愛いけれど」


 ベルーザでもアストニアでも、貴族は成人しないと酒を口にしない。

 俺もそうだったが、最初のうちは美味いと思えなかったものだ。

 フィリアは元から、いける口だったのかな?

 するとフィリアは恥ずかしそうに笑った。


「……夢の中では私、お酒が好きで。今より強かったですし」


「なるほど、それで飲み過ぎてしまうのか」


 夢の自分に引っ張られて、つい量が増えてしまう。

 酔うと判断力が落ちるから、余計に飲みたい気持ちを抑えられなくなって……

 悪循環に陥ってしまう、と。


「そうなんです……最近は気をつけているのですけれど。ですから、こういう機会を作ってくださってありがとう、クリフ。私、おかげで美味しいお酒があっても我慢しやすくなりましたわ。お取り寄せして後でクリフと呑む方が素敵ですもの」


「大したことじゃない、いつでも付き合うよ。二人ならワインも開けやすい」


「クリフはお酒も強いから頼りになりますわね。……ふふ、少し酔ってきちゃったかも……」


 くるんとグラスを回してみせるフィリア。

 慣れた手つきだ。

 ちょっとしたことなんだが、とても大人びて見えた。


 ……十七歳の時、俺は今のフィリアよりも子供っぽかったと思う。

 アルヴィオ辺りは「いやお前は子供らしくない、ひねくれたヤツだった」とか言うだろうけどな。

 単にアルヴィオや周りの連中が真っ直ぐで暑苦しい、まっとうな子供だっただけじゃないか? かなりやんちゃだったぞ。


 とにかくフィリアは不思議だ。

 酒に慣れていないはずなのに、グラスを持つのは様(さま)になってる。


 すると彼女は意外なことを言い出した。


「ねえ、クリフ。少し、個人的な話をしてもいいかしら? 今なら、酔っ払いの独り言で済むでしょう?」


「ん? もちろん良いよ。フィリアのことなら何でも知りたいからね、俺は」


「嬉しいですわ。実はその……私が見た『夢』のことなのですが……正確には夢とも言いにくくて。……クリフは、生まれ変わりって信じますか?」


「生まれ変わり?」


「亡くなった人の魂が神のみもとに行くのではなく、別人の身体に入ってもう一度生きる、という考え方ですわね」


「初めて聞くけど、理解はできる。そうか、フィリアはそういう生まれ変わりなんだね?」


「……信じてくださるの?」


 フィリアは少し不安そうだった。

 俺は笑ってフィリアの肩を抱き寄せる。


「君こそ俺を信じて話してくれたんだろう? 疑う訳がない。むしろ色々と腑に落ちたよ」


 別人の記憶や知識が後から付け足されたんじゃない。

 心の奥底に眠っていた……フィリアの一部だったんだな。

 確かに神官が説く教えとは違うけれど、フィリアはこういう嘘をつく人じゃない。


 背中をとんとん叩いてあげるとフィリアの肩から、ふっと力が抜けた。

 そして、ぽつぽつと話してくれた。


「前世……前の人生をそう呼んでいるんですけど、本当に普通だったんですよ。変わったものを食べるのが好きというくらいで。それもお金持ちではありませんでしたから、ささやかなものでしたわ。幻の巨大魚を釣りに外国まで遠征する!ですとか、もっと凄い人達が他にいくらでもいました」


「うん」


「それでも、私なりにそこそこ楽しくやっていましたが……三十歳になる少し手前で事故に遭いまして。意識が消えてしまったので、そのまま儚くなってしまったんでしょうね。気付いたら、もうアストニアの侯爵令嬢になっていたんです」


 前世のことは思い出せないまま大きくなり、しかしアストニアの第二王子ロニアスに婚約を破棄され、闇の森に捨てられたところで記憶を取り戻した、という。


「三十歳弱か……兄上と良い勝負だな」


 大人っぽい理由が分かった。

 フィリアの中身は俺より年上だからだ。


「そうかしら? 前世さんは明るい元気な女(ひと)で、逆に年相応の落ち着きなんてありませんでしたが」


「はは! でも大人の味覚は好きなんだろ? 酒もそうだし、苦いものや辛いものだって子供は食べないよ。魚の肝とか」


「それはそうですけど……!」


 フィリアは恥ずかしくなったのか、グラスを持ち上げて一気に飲み干してしまった。

 いい飲みっぷりだ。

 前世でもこうだったのかな?

 ちょっとどころじゃなく、かなり酒豪だったのでは?


 ……あれ?

 でも今は…………?!


「フィリア、水を飲んだ方が」


「だぁいじょーぶですわ!」


「うん、大丈夫じゃないね。いったん水にしよう。あとはそうだな、このハムとても美味しいから食べてみないか?」


「んん……クリフがそう言うんでしたら……」


 可愛い婚約者が出来上がってしまった。

 が、どうにか水の入ったグラスに取り替え、つまみの中から目についた皿を勧めると案外素直に受け取る。


「そんなえがおを向けられたら『はい』しかいえませんっ……イケメンむざいどころか大いに罪ですわ……!」


 小声でぼやいているつもりみたいだが、ばっちり聞こえてる。


「この前も口にしてたけど、いけめんって何? それも前世の言葉?」


「かっこいい男性といういみですが……え? そんなにいってました?」


「うん。何回か」


「わ、わすれてください! よくないですわ、人を見た目ではんだんするなんて! いくらクリフが私のこのみそのものズバリのおかおだからって! ああもう私のばか!」


 顔か。

 フィリア好みの顔に生まれてよかったなと思う。

 つい、にやけてしまう。

 部下がいたらまた揶揄われるだろうけど、フィリアと二人きりだから構わない。


「前世にだって、いけめんはたくさん居たんじゃないの? 専用の呼び方があったくらいなんだから」


「いましたけどクリフほどじゃ……それと芝居役者みたいなひとは、いくらかっこよくても鑑賞用でしてよ……がめん……いいえとおくから眺めるもので、こんなに距離がちかくありません!」


「なるほど。身近には居なかったんだ」


「ええ、かぞくも、ともだちも、こいびとも。みんな一般人でしたもの」


「…………恋人?」


 今、聞き捨てならない単語を聞いた気がするな。


「あっ」


 フィリアも遅れて失言に気付いたようだ。

 酔いも覚めた様子で水のグラスを置く。


「その、怒りますか?」


「いや怒らないよ。怒らないけど……」


 これで怒るのは心が狭すぎる。

 俺と出会うよりも……フィリアが「フィリア」になるよりも前のことなんだから。

 三十歳手前の女性だったんだ、交際相手どころか夫や子供が居たって全くおかしくない。

 分かってはいるが、気分は複雑だった。


「怒らないけど……どんな相手だったとかは聞いていい? 結婚、してたのか?」


「いいえ。向こうでは結婚が遅い人や、しない人も珍しくなかったんです。私もそうでしたわ」


 ニホンでは七歳から二十二歳まで学び舎で勉学をおさめ、それから世間へ出て何年か経験を積んでから結婚する場合が多かったという。

 早く結婚し子をもうける人もいるが、生涯未婚の者も少なくなかったそうだ。


「ですけど……前にも言った通り、私は食べ物以外の記憶は曖昧なんです。隠そうというつもりはないですよ? 家族は実家の両親と犬。友人もいました。交際していた人がいたのも分かります。でも名前や容姿は全然思い出せなくて」


 フィリアは眉を寄せ、朧気な記憶を探りながら話す。

 前世では男女が入り混じって、同じ学び舎や仕事場で過ごすのが普通だった。

 フィリアも同性異性を問わず友人がいた。

 そのうち二人の男性とそれぞれ良い雰囲気になり「お付き合い」に発展したが、結局別れてしまい結婚には至らなかった……らしい。


「一人目の彼とは高校生……子供同士のままごとみたいな恋愛でしたし。二人目とは割と長く付き合って結婚も意識していましたが、相手が乗り気ではありませんでした。意見が合わなくなって、さよならしたように思います」


 フィリアはそう言って照れくさそうに微笑んだ。


「ですからクリフが初めてです。結婚しようって言ってくれた人」


「そうなんだ。ニホンの男は見る目がなかったのかな?」


 こんなに可愛いのにな。

 価値観も異なる世界だったとは言え、信じがたい。

 まあ、ある意味これで良かったとも思う。

 フィリアの夫になれる男は俺だけなんだから。


「クリフ、買い被りですって。前世の私は普通の女で、あちらも普通の男性だったんです。どっちが悪いとかじゃなくて性格の不一致ですわ」


 フィリアは相手のことを悪く言わなかった。

 優しいな、ほんと。

 だが面白くない。


「分かってるよ。でも、妬けるな……」


 腕の中へフィリアを閉じ込め、耳元で囁くと彼女は顔を真っ赤にした。

 ……酔っている時より赤いんじゃないだろうか?


「ち、近いです。おかお近いっ……クリフ!」


「前世の男とはしなかったの、こういうこと」


「ああああれはノーカンですわ!」


「のーかん?」


「回数に含めないことです!」


「ふうん……しなかった訳じゃないんだね」


「し、ししし、してま、せん! フィリアはしてませんっ!! 貴方だけだと言っていますのに!」


「そう?」


「そうです! こんなに胸をドキドキさせるのも、イケメンすぎるのも、私みたいな女が好きすぎるのもクリフだけですわ。恥ずか死にそうなのでやめて!」


「恥ずかしいと死んじゃうの? 新しい考え方だね」


「〜〜〜〜っ! クリフはお酒を飲むとイジワルですわ〜!」


 俺は酒席がさほど好きではなく、強い割には勧められなければ口にしなかったが。

 悪食な恋人と呑むのは最高に楽しかった。


 次第に酔っ払ってきて、ふにゃふにゃになっていくフィリアも可愛い。

 砕けた口調になって大胆な一面が現れるのは、どうも前世の人格が顔を出すからのようだ。

 良い意味で庶民的であり、さっぱりした気質の明るい女性だったことが窺える。

 フィリアには侯爵令嬢として生きてきた十七年の蓄積もあるから、普段はきちんと貴族の娘に相応しい振る舞いをしているが……

 こちらの方が本来の彼女に近いのかもしれないな。


「あー、だめになってきてますわ……いいお酒でイイ感じにふわふわ〜ってしますわ〜……クリフ〜、ほんとーに、いやになりませんか? いまの私、だいぶ……きぞくれいじょうらしくないとおもいますけど……」


「いいや、全然。俺も王族らしくないところがあるからね。そもそも俺は典型的な貴族の令嬢には全く心惹かれない。君がいいんだ」


 フィリアは闇の森に捨てられた時も、貴族らしさにこだわらず生き抜いた。

 俺はそんな彼女が好きになったんだ。


「俺だけに見せてくれて嬉しいよ」


 笑ってみせると、フィリアも同じ表情を返してくれる。

 それがたまらなく幸せだった。



 フィリアはワインに酔っていたけれど、俺は恋人の愛らしさに酔っていたと言えるだろうな。



✳︎✳︎✳︎



 それからというもの、俺は時々、フィリアと晩酌を楽しむようになった。

 酒はワインであったり、フィリアが考案した新しい酒やカクテルだったりと色々。

 彼女に前世での飲み方や酒造りの蘊蓄(うんちく)、食にまつわる知識を教えてもらうことも多い。

 さりげない話題が意外と国政に役立つ場合もあって、後からフィリアの許可を取って兄上に伝えたりもしている。



 フィリアは酔うと向こうの言葉がポロポロ出てくるので、聞いている俺もいくらか覚えてしまった。

 だから周囲に人がいない時、フィリアにだけ使ってみたりもする。


「ね、フィリア。ちゅーしてくれる?」


「……っ?! なんでクリフがそんな言葉を知ってるんですの?!」


「昨日、君が酔っ払って言ってたよ。したいって」


「えっ?!……お、覚えてませんっ。ノーカンです!」


「残念だな。酒の香りがして素晴らしい大人の味わいになりそうなのに」


「あ、悪食なセリフはやめてくださいませ」


「もう結婚してるんだし、いいじゃないか」


「恥ずかしいものは恥ずかしいのですわ!」


 フィリアは結婚しても奥ゆかしいな。

 でも俺には切り札がある。


「次はシーラーンの珍しい酒とつまみを取り寄せておくから」


「うう……そんなの断れないではありませんか!」


 この通り、フィリアは珍しい酒と、肴と……


「その時ならいいよね、フィリア?」


「ああもう……イケメン、ギルティですわ……!」


 俺のお願いに弱いのだ。



酒は飲んでも飲まれるな。

……フィリアは無理そうですね。


お付き合いいただきありがとうございました。

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