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EX.白鳥妃と悪食妃(sideエディス③)

 ――――フィリアには不思議な記憶と知識がある。


 彼女はかつてアストニアの第二王子と婚約していたものの一方的に破棄され、闇の森へ追いやられた。

 だが、実はその時に神の啓示とも言うべき長い夢を見たそうだ。

 ベルーザでもアストニアでもない遠い遠い国で、平民の女性として生きていたという。

 その国には魔法がない代わりに科学と呼ばれる高度な技術が発展しており、平民も非常に豊かな生活を享受していた、とも……



 フィリアは困っている者がいれば助けようとする。夢で得た知識を使って。

 わたくしが悪阻に苦しんだ時、食事を考えてくれたのもその一つ。

 あれから何度か文通をしているが、さりげなく色々と教えてくれた。

 妊娠中は酒類、紅茶、黒茶(コーヒー)、生ハム、加熱していないチーズなどを飲食するのは避けること。

 こまめに水分を摂った方が良いこと。

 体調が安定したら、やってほしい足の体操(出産に重要な足腰の筋肉を鍛えるもので、横になったままや椅子に座ったままでもできるんだとか)もあったわね。


 優しくて心の綺麗な人。

 ヒースクリフが惚れ込んで手放さないのがよく分かる。


 で、フィリアはこういう時に『アストニアの古い本で読んだ』という言い訳を使っている。

 アストニアは閉鎖的ながら、古くからの由緒ある国。彼女も王子妃として高い教育を受けていたから、疑われにくいのよね。


「――――フィリアは何と?」


「うむ。遠い異国では……赤子が十分育った段階で母親の腹を切って取り出す、帝王切開という技があったそうだ」


「おなかを切るとは、些か恐ろしくはありますけど……ええ、赤ちゃんの生命に換えられるものではありませんわね」


 不思議と恐怖はなかった。

 わたくしにとって、最も大切なのは子供。

 今まで王妃になるため、そしてその役割を全うするために人生を捧げてきた。

 それに愛する人との子なのよ。

 何としても産みたい。

 健康な赤ちゃんを誕生させられるなら、自分がどうなろうと本望。エーリヒや皆を悲しませたくはないけれど――と、思っている。


 ところが夫は首を振った。


「いや。赤子が双子や三つ子の時だけでなく……母体が衰弱してしまった場合などにも、母子共に救うために行われていたという話だ」


「そんなことが可能なのでしょうか?」


「今のベルーザでも行えるか、急ぎ研究させるつもりだ。エディス……やってくれるか?」


 フィリアが見た夢。

 その夢を現実にできるのか……

 全く分からないわね。

 でも、もしかしたら――――


 わたくしのみならず、多くの母親が生きて我が子を抱けるようになるのかもしれない。


 元より覚悟はできている。

 わたくしは夫の目を見て、しっかりと頷いた。



✳︎✳︎✳︎



 ――そしてエーリヒにより話し合いの場が設けられた。

 招集されたのは八人。


 宮廷医師長ウェリント。

 宮廷医師長夫人にして助産婦、アンヌ。

 総神官長ノイダン。

 宮廷魔法師長ウルクス。

 宮廷魔法師レオニス。

 宰相ユノン。

 そして王弟ヒースクリフと、婚約者フィリア。


 わたくしも無理を押して出席した。

 何故って、わたくしと子供のことですもの。

 知らぬところで決められてはたまらないわ。


 ウェリントとアンヌの弟子数人や書記官らも同席していた。


「――ではまず、私からご説明しますわね」


 わたくしはこの時、初めて義妹となるフィリアと顔を合わせた。

 神秘的な黒髪黒目を持つ、大変に可憐な雰囲気の女性だ。

 でも折れない(つよ)さと行動力を持っていることを、わたくし達はよく知っている。

 この時も王国の貴顕を前にして一向に怯まず、落ち着きのある澄んだ声で帝王切開なるものについて説明した。


「な、なんと……高貴な女性のお身体に刃物を入れるなぞ、考えたこともございませんでしたが……」


 概要を聞いたウェリントは唸っていたわね。

 医者は常に冷静たれ、というのが彼の信条なのだが、よっぽど驚いたのでしょう。

 歳を重ねて頭が固くなった……と言うのは酷だわね。

 若い弟子達も皆、顔を見合わせているもの。


「王族、それも女性は滅多に怪我をしないし、しても回復魔法が使われる。だが騎士団では軍医が傷口の切開や簡単な縫合をすることもある……魔法をかけるまでの応急処置という位置付けではあるけどね。手術ができない訳ではないはずだ」


 ヒースクリフは自身も騎士であるから、言葉に説得力があった。


「ですな。加えて、古くは王妃をはじめ女性王族の寝室には夫以外の男性が入ってはならぬとされており、宮廷医師や魔法師も例外ではありませんでした。しかし三代前の王、オルディアス陛下により改められております」


 ユノン侯爵が説明を加える。

 

 かつて女性王族の寝室には医術やお産の心得がある女性のみが入室、診察し、扉の外にいる宮廷医師に伝えて指示を仰ぐというやり方であったと聞く。

 が、効率が悪い上に正確な判断がしにくく、エーリヒの曽祖父に当たるオルディアス王の時代に取りやめられた。

 これは王の末娘が病弱で、考え得る最良の治療を施すためだったと言われているわ。

 ……ちなみに、その末の王女はわたくしの母方の祖母に当たる方であったりする。わたくしが子供の頃に身罷られたが、優しいお祖母様であった。葬儀の参列者が揃って「天命を乗り越えてよく長生きなさった」と言っていたわね。

 お祖母様が長生きできたのも、今わたくしがウェリントの診察を受けられるのも、オルディアス王の英断あってのことだ。


「……現在では男性医師が女性王族の手首を取って脈や魔力を診たり、腹部の診察を行ったりすること、魔法を使うことも許されております。手術も前例はございませんが、問題ないと考えられますな」


「女性に手術を行う際は肌をなるべく晒さないよう、切る場所以外は布などで隠れるようにしたら良いと思いますわ」


 フィリアが言い、これにはアンヌ以下の助産婦達が深く頷く。


「王妃と子の生命を守るためだ。私は王として、また一人の夫であり父として、必要があるならば手術を行ってもらいたいと考えている。ウェリント、どうだ?」


「反対する理由はございません。今後の王妃陛下とお子様がたのご体調によりますが、魔力の高さから判断しますと……恐らくは早く子を出せる方がよろしいかと愚考いたします。ただし、私めは残念ながら寄る年波に勝てませぬゆえ、手術は視力や指先の器用さに優れた若い者に担当させることになりましょう」


 最初は驚いていたウェリントも、既に冷静な顔つきを取り戻している。


「今まで救えなかった患者を救えるようになるかもしれない……これに奮い立たない医師はおりません。私も弟子達も、陛下のご期待に添えるよう全力で当たります」


 彼は身分によらず、志のある若者に医術を教えてきた老練な指導者でもあった。

 背後に控える弟子達も皆、決意に満ちた表情をしている。


「ところで、切開した傷を塞ぐには必ず縫合でなければならないのですか? 回復魔法ではいけないのでしょうか」


 レオニス・フィングレスが質問し、これにはフィリアが答える。


「私が読んだ『本』は、魔法がない……少なくとも身近に回復魔法の使い手がいない、そんな国のお話でした。回復魔法の方が傷痕もなく綺麗に治せるのですから、使って良いと思いますわ」


「それは重畳。しかしながらフィリア嬢のお話は本当にいつも興味深い!」


「レオニス、話を逸らすでないぞ。では宮廷医師の他にも、優れた回復魔法の使い手を集めた方が良さそうですのぅ。魔法塔にもいないではないが……」


 ウルクスがノイダンを見る。

 ノイダンは白い髭を撫でながら答えた。


「無論、神官の役目ですな。数は少ないが女性神官もおります。王妃陛下や生まれた御子のお役に立てるでしょう」


「うむ、うむ。回復魔法はやはり神官に一日の長がありますでの。ここはノイダン殿に人選をお任せするのが宜かろう。当然、我等も協力は惜しみませんぞ」


 魔法塔とベルーザ教会、それぞれの長が頷き合ったところで、一人の女性が手を上げた。


「皆様、一つお願いがございます!」


 それはアンヌの横に座っていた年若い助産婦であった。


「実はわたしが診ている妊婦の中に、マルセン子爵夫人という御方がいらっしゃいます。もうじき産み月ですがご容態がよくありません。どうか子爵夫人にも、この手術を行ってくださいませんか。お願いいたします!」


 いきなりの申し出に、わたくしは少し驚いた。

 貴顕が揃う場で許可も得ず発言するのはいささか礼を失している。

 いえ、アンヌの弟子と思われる彼女はあくまで傍聴人であって、口を挟むのもあり得ないのだが……


「ウェンディ! やめなさい! 陛下の御前ですよ」


 当然アンヌが叱りつけ、出席者に向き直って深く頭を下げる。


「申し訳ございません。これはウェリントと私の末の娘で、医の道を志しておりますため同席させたのですが……このような非礼を働くとは。皆様、ご放念くださいませ」


「何故ですか、お母様! 救えるかもしれない生命があるのですよ! 黙っていられませんわ」


 ウェンディは悪い娘ではないのだろうけれど、熱心なあまり周りが見えていないわね。

 両親が止めるしかなくなってしまう。


「娘とは言え、これほど未熟とは思わなんだ。参席を許したのは間違いであったか……見習いに過ぎぬ身でさえずるものではない」


「礼儀を忘れたのであれば部屋を出て頭を冷やしていらっしゃい」


「嫌です! わたしは、わたしは……!」


 時ならぬ親子喧嘩が始まりそうになったところで、フィリアがさりげなく言った。


「お待ちになって。子爵夫人の容態はそんなにお悪いのですか?」


「……はい。ウェンディと私が診ておりますのでお答えいたしますが……概ねその通りです」


 観念した様子でアンヌが話し始める。


「マルセン子爵夫人、ポーラ様ご本人は魔力がほとんどありません。お子は双子ではありませんが、魔力が強く……過ぎた魔力が毒となってお身体を蝕んでいます。何とか産み月までは漕ぎ着けたものの、出産まで保たないのではないかと。私もウェンディも心配していたのは事実でございます」


「ふむ。苦しむ患者を救いたいという想いは尊い。しかし王妃陛下のために用意されるものを、先に子爵夫人に施すとは……普通に考えれば許されぬでしょうな」


 ユノンが腕組みをした。


「宮廷医師は基本的に王族しか診療しませぬ。稀に王家主催の夜会などで急病人や怪我人が出た場合や、公爵家など王族と関わりが深い貴族になら特別に派遣される場合もございますが……」


「その、ポーラ様はクレートン伯爵家から嫁がれました。伯爵家は数代遡れば王女殿下が降嫁されたこともございまして、決して王家を蔑ろにすることにはならないかと。何より赤子は待ってくれません」


 ウェンディがまたも口を挟む。

 アンヌも……叶うならば子爵夫人を助けたいのであろう。小さく溜息をついたが、もう咎めなかった。


「ううむ……しかし、今は子爵家の夫人で身籠っていらっしゃる。そこが問題ですな」


 ユノンが渋っているのは理由がある。


 王家が敢えて宮廷医師を派遣する……しかも相手が妊娠中の子爵夫人となると……エーリヒに限ってそんなことはないと信じているけれど、わたくしは彼の浮気――おなかの子は王の胤ではないかと疑わなければいけないのだ。

 かつて、宮廷医師の派遣にはそういう暗黙の意味があったのである。

 王が原則として側妃や愛人を置かなくなって久しい。若いウェンディは知らないようだが……


「ふむ……皆様はいかが思われますかな?」


 ユノンも本気で夫人を見殺しにしようとは思っていないはず。

 だが敢えて悪役を買って出ている。

 これでエーリヒ、もしくは王妃のわたくしが「良い、許す」と言えば権威が傷付かない。むしろ王家が慈悲を見せたという美談になる訳だ。

 わたくし達はありがたいことに概ね良き君主夫妻だという評価を受けているが、それはこうしてユノンをはじめ、周囲の者が目に見えぬ貢献をしてくれるからでもあるのよね。


 が、この件はユノンを以てしても難題と言える。


 わたくしも同じく母になる身。助けてあげたい気持ちはあれど、痛くもない腹を探られるのも面白くないわね。

 どうしたものかしら。


 ――その時、口を開いたのはフィリアだった。


「僭越ながら……治験、のようなものと考えればよろしいのでは?」


「聞き慣れない言葉だけれど、それも本に書いてあったのかい?」


 ヒースクリフがすかさず尋ねる。


「ええ、殿下。治験とは……簡単に言えば新しい薬をつくる時、志願した協力者に服用してもらって効果を確かめることですわ。今回は薬ではなく手術という新しい方法ですけれど」


 フィリアは落ち着いた様子で周囲を見渡し、言葉を続けた。


「医師の皆様だって研鑽を積んで、万全の状態で王妃陛下の手術に当たる方が良いでしょう? マルセン子爵夫人に限りませんわ、他にも協力してくださる方がいるなら大変ありがたい話です。そうお思いになりませんこと?」


 言われてみればもっともだ。

 エーリヒとわたくしの子は夫婦の宝であるが、ベルーザ王国の安定のために欠いてはならぬ存在でもある。失敗は許されない。

 しかし医師も実地で修練を重ねなければ、習熟は難しいはず。今までほとんど例がないのだから。

 そこで別の妊婦に手術を施して……言い方は悪いけれど経験を積ませてもらうということね。


 無論マルセン子爵家にも悪い話ではないわ。

 クレートン伯爵家は王女の輿入れがあったと言ってもかなり前のこと。結婚したポーラ夫人は既に子爵家の人間で、診てもらう機会はない。

 だが、この提案を飲めばベルーザで最高の医療を受けられ、夫人や子が永らえる可能性が高くなる。


 マルセン子爵夫人に限らず、他の家にも声をかける点も良い。

 特定の家や特定の女性を贔屓したと言われなくて済む。

 単なる慈悲以上の、大義ある行いになるだろう。

 これは誰も反対できまい。


 改めて思う。

 遠い異国の知識を持つフィリア。

 彼女をベルーザ王家へ迎えられたのは、またとない僥倖であった、と。


 わたくしがエーリヒを見ると、彼も頷いて決断を下した。


「そのように取り計らおう。アンヌよ、マルセン子爵夫人はもちろんのこと、協力してくれる女性について取りまとめてくれ。ウェリントに人数を申し出るが良い」


「あ、ありがとうございます。必ず!」


「陛下、フィリア様、ありがとうございます!!」


「ウェリントは帝王切開手術を研鑽する宮廷医師を選び、細部を詰めるように」


「畏まりました。ヒースクリフ殿下、可能ならば騎士団の軍医にもお話を伺いたく思うのですが、お許しいただけますかな」


「もちろんだ。連絡をつけておこう」


「ありがとうございます」


「私からも頼む。皆、何かあれば宰相に報告せよ。ユノン、任せて良いか」


「御意。両陛下のお優しさ、それにフィリア様の広いご見識、全く恐れ入りました。このユノン、粉骨砕身尽くしますぞ」


 ユノンは大袈裟なほど深く礼をする。

 少々芝居気が強いが、有能で国への忠誠心が高い宰相閣下だ。抜かりなくやってくれるでしょう。


「うむ。フィリアよ、そなたのお陰だな。素晴らしい女性を義妹にできて嬉しく思う」


 エーリヒは忘れずフィリアを労った。

 するとフィリアは「ありがとうございます」と柔らかに微笑み、傍らのヒースクリフを見上げる。


「私を拾ってくださったヒースクリフ殿下に感謝ですわね」


 愛らしく感謝されたヒースクリフは、それはもう甘い眼差しをして言ったわ。


「フィリア、俺は君を……君に選んでもらえたことを、誇りに思うよ」


 そしてたまりかねた風情でフィリアの腕を取って、手の甲に口づけした。


「クリフ?! いいい、いきなり!やりすぎ!ですわ!! ひひひ人前ですのよ?!」


 人が変わったようにフィリアが慌てふためき、顔を真っ赤にしていた。

 あらあら、未来の王弟妃は貞淑な人ね。

 ご馳走様と呟きたくなる光景であったわ。


 場の空気が緩んだのは言うまでもない。

 無論、良い意味よ。


 きっとうまく行く、と思えたから。



作中では割愛しましたが、

魔法使い→回復魔法に限らず色々な魔法が使える。高位貴族の血を引く下位貴族か平民の出身者で占められ、男性が大半だが女性も少しいる

魔法師→国や貴族に仕える魔法使い。一定以上の力量が必要。高位貴族出身の男性しかいない

神官→魔力の有無や性別にかかわらず信仰心があればなれる。回復魔法に適性が高ければなおよし。数は少ないが、魔力持ちの貴族女性が出家する場合もある

宮廷医師→強力な回復魔法の他、調薬をメインに王族の健康管理を担う。男性しかいない


ということになります。

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