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EX.白鳥妃と悪食妃(sideエディス②)

「……ただし、ごく初期の段階でございますよ。赤子の魔力が母胎に定着し、安定するまでは用心しなければ。どうかご安静にしてくださいませね」


 ウェリントの傍らにいるアンヌが冷静に続けた。

 アンヌはウェリントの妻で、自身も経験豊富な助産婦である。

 ウェリントは初老に差しかかっているが男性なので、女性王族を診察する際はアンヌをはじめとする女性の助手を必ず伴うことになっていた。


 わたくしは一つ深呼吸をして気持ちを落ち着ける。

 そうね。

 これは始まりに過ぎない。

 宿ってくれた子をおなかで育てて、世へ送り出さなければならないのだわ。


「万難を排して必ずこの子を生んでみせます……皆、力を貸してちょうだい」


 ウェリントとアンヌ、侍女達は深々と礼を執り、「畏まりました」と声を揃えた。


 この時から、わたくしの生活は再び一変したのだ。



✳︎✳︎✳︎



 妊娠中の悪阻(つわり)は個人差があるという。

 わたくしは重い方であった。

 身体のだるさは段々と酷くなり、朝が訪れても枕から頭を上げられない日さえあった。


「――エディス、大丈夫か? 水は飲めるか? 食事は……果物なら食べられそうか?」


 エーリヒは元から愛情深い人だが、温度が一段と跳ね上がった。

 これまで滅多に風邪もひかなかったわたくしが、すっかり伏せっているせいもあるかしら。

 寝室を別にするのも嫌がり、かと言って寝ているあいだ手足がおなかに当たりでもしたら()()なので、夫婦で使っていたベッドの隣にもう一つ、一人用のベッドを運び入れて寝ている。

 夜中でも、わたくしが目を覚ますと彼も起きる。

 そして甲斐甲斐しく水を飲ませたり、足が攣ればさすってくれたりする。

 嬉しくないとは言わない。

 が、国王直々にやることじゃないでしょう。

 エーリヒは昼間、王の公務があるのに身体が持たないではないの。

 やめてほしいと伝えたのだが……


「ヒースクリフが公務を分担してくれて、だいぶ楽になったのだよ。私にも父親になる準備をさせてくれ」


 と、全く譲ってくれないのであった。


「――すまぬ。代わってやれれば良いのだが」


 今朝もあれこれと妻の世話を焼き、いたわってくれる。

 わたくしは微笑んでみせた。


「待ち望んだ子供のためですもの、何でもないわ。だいたい、王が体調を崩して動けなくなっては国が立ち行かないでしょう。わたくしはこの通り養生しておりますから、執務へ行っていらして」


「……うむ……くれぐれも無理はしないでくれ。絶対にだぞ」


 すっかり過保護になった夫をベッドの上から見送った。


「ふう……エーリヒにはああ言ったけれど、なかなか堪えるわね」


 王妃にも公務はあるものの、世継ぎとなり得る子供より優先されるものではない。

 立ち上がろうとすれば目眩と吐き気が出るし、寝ているよりなかった。

 横になったまま、気心の知れた侍女に口述筆記をしてもらって、知り合いの夫人達に手紙を出すのが精一杯。



 手紙の口述を終え、うとうとするうちに昼餉(ひるげ)の時刻になる。

 これがまた大変なのよね。

 わたくしは食べ物の好き嫌いがほとんどなかったのだが、悪阻でどれも苦手になってしまって……

 特に肉類やパンが全く駄目。

 匂いや脂を受け付けない。

 口へ入れるどころか鼻先に皿を近づけただけで吐き気を催してしまう有り様なのだ。


「ご心配せずとも大丈夫です。私の母も非常に悪阻が酷く、一時期は水しか飲めなかったとか。それでも私や弟妹を無事に産み育てたのです、エディス様もすぐに良くなられますよ」


 信頼する侍女の一人、ジアが慰めてくれるが、気分は沈むばかり。

 もし滋養が足りず赤ちゃんが弱ってしまったら……どうすれば良いの?



 そんなわたくしを助けてくれたのは――――未来の義妹、フィリアさんであった。



「ささ、エディス様。本日の昼のお食事は少々趣向を変えてみたとロイネル料理長が申しております。いかがでしょう?」


 この日、ジアが運んできたプレートには手のひらに収まるほどの小皿がたくさん並んでいた。


「少しずつ様々な品をお試しいただければ幸いでございます」


「工夫してくれたのね。わたくしも頑張って食事を摂らなければ……」


 試しに、目についたガラスの器を取ってみる。

 爽やかな柑橘が香った。

 ゼリーを崩したような、ふるふるとした透明なものが盛られている。

 見たことがない料理ね……?


「そちらは野菜や食用茸で取ったスープを海草の煮汁で固めたジュレという物で、柑橘を使ったソースがかかっているそうです」


「そう……頂いてみるわ」

 

 不思議な香りがするけれど不快ではない。

 匙ですくって口へ入れてみる。

 食感も摩訶不思議だわ。

 ひんやりとしていて、なめらかで、噛むまでもない柔らかさ。

 ちゅるん、と吸い込まれるように喉を通っていく。

 ……あっという間に食べ終わってしまった。


 別の皿を取った。

 とうもろこしのポタージュ、しかし宮廷の料理では温かいものが普通なのに今回は冷たくしてある。

 氷魔法を使ってあるのではないかしら、初めて食べるわね。

 夏は終わりかけているけれど、今日は妙に蒸し暑い。この方が食べやすいかもしれない。

 一口、二口で空になる。


 次の小皿は、糸のように細い麺類(パスタ)を茹でて、きりりと冷やしたトマトスープに泳がせたもの。

 フォークで麺を巻き取り、二口ほどでなくなった。


「まあ……わたくし、ちゃんと食べられたわ! 嬉しいこと」


「良うございました、顔色も回復されましたね。もう少し召し上がられますか?」


「そうね。具合を見ながら頂いてみましょう」


 久しぶりに食事が楽しい。

 見たことがない料理ばかりだわ。

 わたくしは料理長ロイネルの謹厳な顔を思い浮かべる。

 彼、ロイネル・スタウトは伯爵家の長子であったのだが、爵位は弟に譲って料理人の道を選んだ変わり者であった。

 重厚な肉料理や豪華絢爛な菓子を得意としている。

 晩餐会やお茶会で存分に腕を振るっており、王妃の料理番に申し分のない人材であった――――これまでは。


 ところが、わたくしが悪阻で肉を使ったもの、バターやクリーム多めのこってりしたもの、味が濃いものなどを受け付けなくなって苦労していたはず……


「これは……誰か入れ知恵した者がいるのかしら? あのプライドの高い料理長に言うことを聞かせたなんて、只者ではなさそうだけれど」


 そう、良い意味でロイネルらしくない。

 するとジアはうなずいた。


「ご慧眼ですわ! 実は、こちらの料理を考案なさったのはヒースクリフ殿下の想い人、フィリア様だそうです。青花宮の料理人まで寄越してくださいました」


「フィリアさんが? 料理に詳しいのね」


「ラング伯爵領にご滞在なさっていましたでしょう? あちらはベルゼストでは珍しい食材が豊富で、野菜や果物の他、茸、豆、漁村ならではの調味料が色々あるそうですよ」


「闇の森に接しているけれど海も近いんだったかしら」


「ええ、海の魚や貝も食するとか。一般的な食材ではありませんが……肉と似た滋養があるので、よろしれば召し上がってみては?という言伝も預かっております」


「魚や貝を……?」


 わたくしは匙を手に持ったまま暫し考えた。


 貴族の食事は肉料理を中心に組み立てられている。

 ベルーザの建国当時、肉は貴重かつ高級な食材であった名残と言われているわね。

 今では国が豊かになり、庶民も(よほど貧しくなければ)肉を食べられるようになっているけれど。


 身重の女には肉や卵を食べさせるのが良いとされ、わたくしも頑張って口へ入れようとしていたのだが……それも滋養のある美味しいものでいたわり、体力を付けさせるという理由がある。


 侯爵令嬢であったわたくしも、王都生まれの王都育ち。魚や貝を食した経験はない。

 でも……


「何でも試してみるべきではなくて? これほど美味しい……もとい、おなかの子のためですもの」


 フィリアさんが考案した料理はどれも美味である上、目新しさにあふれている。

 他のメニューも気になるというものよ。


 ジアは「食欲が戻られて何よりです」と笑い、すぐに追加の皿を運んできた。

 ほぐした魚の身を載せたカナッペが並んでいる。ちんまりと可愛らしい一口サイズで、見た目はごく普通であった。

 ――確かに、肉とは似ているようで違うわね。

 かいだことがない匂いがする。

 でも香草(ハーブ)類を足してあるせいか、それほど気にならない。

 悪阻特有の吐き気も……しない。

 食べられそうだわ!


 口へ運んでみれば――――


「思った通りね。とても美味しいわ!」


 何とも軽やかで上品な味わいであった。

 魚のほぐし身は油や酢、香草(ハーブ)などで和えてある。

 六切れあって、味付けが全部違う。

 薄切りの玉葱や胡瓜、檸檬を混ぜたものもあり、風味と歯触りの変化が楽しい。

 シンプルなようでいて、かなり計算された味だと感じる。

 美味しい。

 お茶会の軽食に供しても良いくらいだわ。


 わたくしは悪阻も忘れて完食した。

 ジアが淹れた食後の香草茶で喉を潤し、ほう、と一つ息をつく。


「フィリアさんには幾ら感謝しても足りないわね。わたくし、素晴らしい義妹(いもうと)を迎えることができて幸運だわ」


「お手紙を預かっております」


「見せてちょうだい」


 持ってきてもらった手紙を開けると、人柄が垣間見える端正な文字が並んでいた。

 ベルーザという国や王家に温かく受け入れてもらえて嬉しい、と書かれているわ。

 ……ルイーズ先生ことアリオット侯爵夫人とも仲良くなったようね。頼もしいわ。フィリアさんは頭の良い女性のようだし、先生がついてくださればベルーザの社交界でもやっていけるでしょう。

 一安心ね。


 それから、わたくしの体調を気遣う言葉。

 今は、母親の身体に貯めた栄養で赤ちゃんが育つ時期であるから心配は要らない。食べられるものを食べて、水分を摂り、心身を休めてほしいとある。


 母体に備わっている栄養……ね。

 そう言えば、妊娠が分かる少し前までは……

 気鬱の種が消えて食事が何でも美味しくなったあまり、食べ過ぎて(ふと)るのでは?と気を揉んでいたのだったわ。

 あの時に貯めた栄養があるはずですもの、きっと赤ちゃんも大丈夫よね。


 久々にまともな食事ができたこともあって、わたくしは生き返った気分であった。

 義妹のお陰ね。彼女、神の御使ではないかしら。


「悪阻はつらいけど、頑張るわ。新しい家族に……可愛い赤ちゃんと優しい義妹に会いたいもの」


「ええ、左様ですね。エディス様、フィリア様へのお返事はいかがなさいますか?」


「自分で書くわ。用意してくれる?」


「そうおっしゃるのではないかと思っておりました。こちらにございます」

 

 ジアが如才なく準備していた便箋に、直筆の手紙をしたためることにした。


 最初の一文は決まっているわ。

 ペン先にお気に入りの青いインクをつけ、さらさらと書き始めた。


 ――――親愛なるわたくしの妹、フィリアへ。



✳︎✳︎✳︎


 

 フィリアはその後も、わたくしのためにさまざまな料理を考えてくれた。

 魚介の扱いが得意なカークという料理人も派遣してくれて、わたくしは肉やパンの代わりに魚介や豆、米穀(リェゼ)などの料理を食して身を養うことができたの。

 ……こんなことでもなければ、一生口にしなかったかもしれないわね。貴族に馴染みのある食材ではないから。

 でも今は、おなかの子を育てることこそ至上命題。わたくしはフィリアが言う通り、食べられるものを何でも頂いた。

 そのうちに悪阻も落ち着いて、肉や卵も少しずつ口にできるようになっていった。



 ところが安定期に入っても、宮廷医師長ウェリントが難しい顔を崩さない。

 いえ、表面上は穏やかよ。わたくしを不安がらせまいとしている。

 しかし温厚な表情の裏に、ある種の緊張が潜んでいるように思うのだ。


「ウェリント。率直に言ってちょうだい。……おなかの子に、何かあるの?」


 ある日の診察で、わたくしはついに宮廷医師長を問いただした。


「……申し訳ございません。確信が得られるまではと口をつぐんでおりましたが、実は……」


 手首を取って脈拍と魔力の流れを診ていたウェリントは、ゆっくりと伏せていた目を上げる。


「……王妃陛下の胎内には、明らかに魔力が()()確認できます……お子は、双子でございます」


「双子?」


 ふっくらしてきたおなかに手を当てた。

 ここにいる赤ちゃんは、一人じゃなくて二人……?!


「……陛下の胎内の魔力反応は、最初から大きなものでございました。ですが王族や貴族は胎児の段階でも既に魔力が高い場合が珍しくありません。一人ぶんの大きな魔力であるのか、二人ぶんが合わさった結果であるのか、私めにも判別が難しゅうございました」


「まあ……」


「そしてまた……最初は二つ、或いは三つ以上の魔力があっても安定期へ入る前に減じてゆき、生まれ落ちる子は一人のみ……ということも多々ございます。ですが、陛下のお子様方は最早疑いようもございません。このまま大きくなられるでしょう」


「………………」


 赤ちゃんは――双子の赤ちゃん「達」はこのまま、おなかの中で育っていく。

 無論、善きことだわ。

 一方で、ウェリントの懸念も理解できた。

 女にとって出産は時に命懸けとなる。

 胎児が高い魔力を持っていれば尚更その傾向が強い。

 わたくしは魔法こそ使えないけれど、そこそこの魔力を有している。ある程度は耐えられるはずであったが……宿したのが高魔力の双子ならば、なんの保証にもならないわね。


 ――――構うものですか。


 わたくしは暫し瞑目してから、ベッドの上ではあるが姿勢を正して目を開いた。


「宮廷医師長」


「は」


「言うまでもないことだけれど、子を……子供達を優先してちょうだい」


「最善を尽くすことをお誓い申し上げます」


「頼みます」


 ウェリントは深々と礼をした。



✳︎✳︎✳︎



 夕刻になって帰ってきたエーリヒは、何も言わずにわたくしを抱きしめた。

 ぎゅっと腕に力がこもる。でも、おなかを圧迫しないように気を遣ってくれているのが彼らしい。


「……エーリヒ、貴方も聞いたのですね? 双子だということ」


「先程、ウェリントが来てな。以前から可能性が高いとは言われていたが」


「それで、あんなに過保護だったのですか」


 言われて腑に落ちた。

 幾ら初めての妊娠でも、エーリヒは心配しすぎだと思っていたけれど。

 おなかにいるのが双子かもしれないと知っていた……となれば話は変わってくる。


「うむ。その上、いつも気丈な妻が完全に参っているところを見せられたのだぞ? 心配して当然だ」


 愛されているのね、わたくし。

 くすぐったいわ。

 でも嬉しい。


「ごめんなさい。ですが幸い、悪阻は収まってきましたわ。フィリアの心尽くしを食べられなくなるかと思うと、少し残念なくらい」


「これからも、たまに料理人を貸してもらえば良かろう。ロイネルも魚介の扱いを覚えてみせると言っていた」


「ふふ、最初は戸惑っていたようですけれど、味見をしたらたちまち新しい食材の虜になったと聞いております。今は研究の最中だとか」


「私も楽しみだよ。いずれ、彼らしい華麗で美味なる宮廷料理を仕立ててくれるだろう」


「ですわね。わたくしも美味しいものをたくさん頂いて、元気な双子を生んでみせます」


 わたくしはベルーザの王妃エディス。

 その程度の覚悟もなく王家へ嫁した訳ではないわ。


 ところがエーリヒは、わたくしの髪を撫でながら言った。


「そのことだが……ヒースクリフとフィリアに伝えたところ、思わぬ話が出てきた」


 わたくしの診察を終えたウェリントはまずエーリヒに報告した後、青花宮へ赴いてヒースクリフとフィリアにも話した。


 魔力が高い双子の妊娠出産は危険が伴う。

 もしもわたくしが生命を落とす、もしくは王妃の務めが果たせなくなった場合、王弟とその婚約者も無関係ではない。


 するとフィリアが、遠慮がちに言ったそうだ。


「私、アストニアの古い本で読んだことがあるのですけれど……ウェリント様、帝王切開というものを聞いたことはありませんか?」


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