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EX.白鳥妃と悪食妃(sideエディス①)

フィリアとヒースクリフが結婚する少し前、王妃エディスのお話です。


※妊娠や出産、不妊に関する内容を含みます。ご注意ください。

「――おめでとうございます、エディス陛下。ご懐妊でございます」


 厳かな表情で宮廷医師長ウェリントが告げた時、わたくしの胸にあったのは喜びよりも安堵だった。


 ようやく。

 ようやくだわ。

 長かった…………!


 十七歳で輿入れし一年後に王妃となったわたくしは、既に二十三歳になっていた。



✳︎✳︎✳︎



 わたくしことエディス・キュグニーは侯爵家の次女に生まれ、幼い頃から王太子妃の候補だった。

 他にも何人か候補の令嬢がいたけれど、十歳を過ぎるとわたくし一人に絞られ、十四歳で婚約となった。

 不満はなかった。

 夫となる王太子エーリヒ殿下は六つ離れてはいたが、優しく思慮深い御方。わたくしは政略を超えて彼を愛するようになっていた。

 厳しい教育も、複雑な社交も、エーリヒの隣へ立つために努力した。

 その甲斐あってか婚約が破棄されるようなこともなく、順当に王太子妃となり、先王陛下の急逝に伴って王妃冠を戴いた。


 でも、なかなか子に恵まれなかった。

 わたくしもエーリヒも健康で、仲も良く、何の問題もないはずだったのに……

 結婚して二年経ち、三年経ち、次第に焦りが募ってくる。

 できることは全てやった。

 わたくしは困難が立ちはだかっても、努力を重ねて必ず乗り越えてきたから。

 しかし、こればかりは上手く行かなかった。


 エーリヒは常にわたくしを守ってくれていたが、周囲の者が苛立ちを見せるようになる。

 他の女性を側妃に迎えるか、いっそ、わたくしを離縁して新たな正妃とする方法もあるけれど……

 臣下の意見も割れてしまい、一向に決まらない。


『――なんと不甲斐ない! おまえ、このあたくしに恥を重ねさせるつもりなの?!』


 義母である王太后マグダレナ様の怒りは激しかった。

 マグダレナ様はエーリヒを出産した時にお身体を壊してしまい、次の子が望めなくなった。

 ゆえに先王陛下は側妃を迎えて子をもう一人もうけたのだが、マグダレナ様はそれを浮気と同じ……恥ずべき不道徳な行いだと考えていた。


 息子であるエーリヒも同じ道を歩むなど、母として……あるいは女として許せなかったのだろう。

 わたくしは何度となく呼び出され厳しく叱責された。

 世継ぎを生せずにいるのは事実であり、唇を噛んで耐えるよりなかった。



 ――ところが、二か月ほど前のこと。



 侍女を連れて白亜宮を歩いていたわたくしは、廊下で一人の青年と行き合った。


「あら……ヒースクリフ?」


 夫の異母弟であった。

 歴とした王族の一員なのだが、久しぶりに顔を見る。

 声をかけると、彼は微笑んで会釈した。


「エディス義姉(あね)上、ご無沙汰しています」


「え、ええ。珍しいわね。何かあったの?」


 王妃たる者、動揺しても表に出してはいけないのだけれど……

 たぶん、この時のわたくしは隠し切れていなかっただろう。

 義弟ヒースクリフは大変な美青年だが滅多に笑うことがなく、特に女性に冷淡であるため「氷の殿下」という異名で知られていた。

 義理の姉であるわたくしにも例外ではなく、常に一歩引いた態度であったのだ。

 こんな温かみのある顔なんて見た覚えがない。

 するとヒースクリフは言った。


「結婚したい(ひと)と出会いまして、兄上にご報告申し上げ、お許しを頂きました」


「まあ、貴方が?」


 驚いたなどというものではない。

 ヒースクリフの女性嫌いは本当に徹底していて、未だ独身。言い寄る令嬢は多かったものの、浮いた噂一つなかった。

 なのに、素直にうなずくではないの。


「まだ求婚(プロポーズ)を受けてもらった訳ではありませんが、彼女以外に考えられません」


 ほんのりと頬や耳の先が赤い。

 照れている……あの義弟が……

 冗談ではなく本気なのね?


「嬉しい報せをありがとう。本当なら詳しく聞きたいところだけれど……」


 これから、高位貴族の夫人が集まるお茶会がある。主催はわたくし。遅刻できない。

 ヒースクリフは再び、柔らかく微笑んだ。


「近いうちにベルゼストへ連れて参ります」


「歓迎するわ、是非紹介して。楽しみに待っているわね」


「はい、義姉上。ありがとうございます」


 ヒースクリフは一礼し、わたくし達はそこで別れた。

 ああ、でも気になるわ。

 一体どんな令嬢なのかしら。


「喜ばしいけれど、驚いたわ……」


 お茶会に遅れないよう、急ぎ足になりつつも独白する。

 付き従う侍女二人も口々に言う。


「さようですわね。ご結婚を決意なさったのもさることながら、いつも無表情であられた殿下があのようなお顔をなさるなんて! 初めて拝見しました」


「私もですわ! 何から驚けば良いのか迷うほどでございました」


「ふふ、そうね。でも貴女達、まだ他言しては駄目よ?」


 念のため口止めをした。

 求婚(プロポーズ)はまだ、とヒースクリフは言っていたもの。

 エーリヒにもちゃんと確かめてからにしなければ。



✳︎✳︎✳︎



 たまたま公務が詰まっている日で、エーリヒと顔を合わせたのは夜――夫婦の寝室でのことだった。

 疲れからベッドで寝入っていたけれど、隣に人の気配を感じて目を覚ます。


「エーリヒ……?」


「すまない。遅くなった……話があるのだが、良いか?」


「ええ、ヒースクリフの件でしょうか」


 白亜宮で行き合い、結婚すると聞かされたことを話すと、夫はうなずいた。


「ああ。相手は偶然出会ったアストニアの侯爵令嬢だそうだ」


 エーリヒは詳しく説明してくれた。

 ……何というか、運命的な邂逅だったのね。

 婚約破棄されて追放されたというフィリアさんの境遇には同情するしかない。

 そこで神の啓示としか思えない夢を見たなんて凄いわね。

 逆境に放り込まれても折れない、しなやかな強さ。見習いたいものだわ。

 ヒースクリフもきっと、その輝きに惹かれたのでしょう。



 それにしても、マグダレナ様がまさかヒースクリフを害そうとしていただなんて……

 しかもヒースクリフが口にしなかっただけで、かなり前――彼がまだ子供の頃から悪質な嫌がらせがあったという。


 側妃やその子を恨みたくなる気持ちは分からないでもない。

 わたくしも、エーリヒがもし側妃を迎え子供をもうけたのなら悲しく悔しい思いをするだろう。

 でも苛立ちを彼等にぶつけるのは違う。王家のため、ベルーザのために飲み込む覚悟が必要なのだ。


 マグダレナ様は憎しみに目が曇り、道を誤ってしまったのだわ。

 そして、ついに越えてはならぬ境界を踏み越えてしまった。

 わたくしも「知らなかった」では済まされないわね。

 自分一人が耐えれば良い訳ではなく、きちんとあの方をお諌めすべきだった……



 今更ではあるが、義弟と想い人にできる限りの償いをしよう――――

 わたくしは決意と共に口を開いた。


「……マグダレナ様は、どうなさるのですか?」


「母上は……北の修道院へ入っていただく。またイリシス公爵家も当主を交代させる」


 エーリヒも静かに、意志の篭もった声で言った。

 マグダレナ様は彼の実母。その兄、イリシス公爵は伯父に当たるものの、政治的には対立していたのだ。

 あの二人は国政を私物化し、何事も自分達にだけ都合の良いようにしていたから……


「エーリヒ……」


 国王としては正しくとも、切り捨てるのは辛い決断であったはず。

 気遣うと、彼はゆっくりと首を振った。


「問題ない。私はあまり母上に可愛がってもらった記憶がないんだ……あの人にとって、私はあるべき理想を体現する駒に過ぎなかったのだろう。もう二度と会うことはないのだと思うと……寂しさもある一方で、肩の荷が下りたような気分だよ」


「そうでしたか……ええ、率直に申し上げれば、わたくしも……」


 マグダレナ様は苦手であった。

 もう二度と会うことはない、という言葉を舌先で転がしてみる。

 気まぐれに呼びつけられることも。

 ヒステリックになじられることも。

 夫との夜のあれこれまで、ねちねちと聞かれることも。

 もう、二度とない…………


「――エディス?」


「あ…………」


 わたくしはいつの間にか、涙を流していた。

 エーリヒが動揺して顔を覗き込んでくる。


「どうしたのだ。何かあったのか。話してくれ」


 わたくしはこれまで、エーリヒにマグダレナ様の話をしていなかった。

 夫を信用していなかったのではない。

 結婚して一年で先王陛下が崩御された。

 突然だった。

 眠っているうちに息を引き取られたのだ。

 場合が場合だけに暗殺も疑われ、入念に調査されたけれど怪しい痕跡はなく……

 寝る前に強い酒を、それもかなり大量にお召しになったことが原因と分かった。

 以前から寝酒がないと眠れなかったそうだが、飲みすぎてしまったのだろうという。


 先王陛下。

 優しすぎる御方であった。

 気が弱く、政治に向かない人でもあった。

 心労が祟ったのかもしれない……


 いずれにせよ死者は戻らない。

 エーリヒは幼い頃から教育を受けてはいたが、実際に王冠を受け継ぐのはもう数年先の予定であった。

 早すぎた即位。

 しかし国政の舵取りに停滞は許されない。

 エーリヒは一時期、睡眠時間さえ削って苦労していた。

 そんな彼を煩わせたくなかった……



 ずっと耐えてきたのに、些細なきっかけでグラスの水があふれるように涙が流れ、止められなくなってしまった。

 わたくしは子供のように泣きじゃくり、エーリヒに宥められながら、ようやくこれまでの出来事を打ち明けた。


「……すまない、エディス。私は良い夫ではなかったのだな」


「いいえ、貴方は良き王であり良き夫です。わたくしこそ貴方に相応しく在りたかった」


「いや。私の至らなさゆえだ……ヒースクリフも私に負担をかけまいと黙っていたらしい。これからは何でも言ってほしい。一人で抱えないでくれ」


 夫に強く抱きしめられる。

 腕が少し震えている。

 エーリヒ、貴方のせいではないわ。

 わたくしは王妃。義母との不仲ぐらい、自分で解決すべきだと意地を張っていた……

 でも、かえって貴方を傷つけてしまったのね。


「黙っていてごめんなさい。これからは必ずそうします」


 涙を拭って言えば、夫もうなずいて口づけをくれた。


「君に見捨てられなくて良かった……愛しているよ、エディス」


「ええ、わたくしも……貴方をお慕いしています……」


 エーリヒとわたくしは長い時間を共にしてきたけれど。

 真実、心が通い合ったのはまさにこの夜であったかもしれない。



✳︎✳︎✳︎



 新しい日々が始まった。


 宮廷の勢力図は大幅に塗り替えられたけれど、貴族達からは不平よりは安堵の声が聞かれた。

 誰もが内心で危惧していたのが分かる。

 幾ら何でもイリシス公爵家に権力が集中しすぎている、と。

 混乱も見られたが数日で収まり、皆が明るい表情をするようになった。

 それはもう、直接マグダレナ様や公爵と接するのでもない下級文官や侍女達に至るまで。

 こんなにも変わるものなのね。



 ヒースクリフはエーリヒを補佐して鮮やかな活躍を見せた。

 これまではほとんど国政に関わらず、騎士団の第一分団長として働いていたものの目立たなかった彼が……


 守りたい女性を――生涯の伴侶を見つけて、自分を縛っていた枷を解いたのでしょうね。

 覚悟を決めた人間は強い。

 愛の力と言えるかしら?

 周囲の驚きや戸惑いもさらりと躱して足元を固めると、ラング伯爵領で静養している想い人に会うため旅立っていった。


 うまく行ってほしいわ。

 ヒースクリフが良い意味で豹変したのは間違いなくフィリアさんの影響だもの。



 わたくしも社交界を制御して、彼女が溶け込めるようにしなければ。

 ヒースクリフは女性に人気があった。

 氷の彫像を思わせる美貌で、唯一の王位継承者。

 王太后マグダレナ様に疎まれているという欠点はあったものの、それを補って余りある魅力がある。

 冷たくあしらわれても諦められず、しつこく言い寄る令嬢は引きも切らず。

 形ばかりの遠慮はあるものの遠くから熱い視線で見つめる令嬢だって、その倍以上はいたわね。

 とにかく皆の憧れを集めていたのだ。

 マグダレナ様が去り、ヒースクリフの氷も溶けかかっている今、令嬢が殺到するのは目に見えていた。



 わたくしは社交の場でさりげなく、ヒースクリフはベルーザの令嬢を探してもなかなか良きお相手が見つからないので、国外から迎えることも考えている――と匂わせた。

 マグダレナ様が失脚なさった現在、王妃の発言は王家の意向そのもの。夫人も令嬢も一様に驚き、中にはヒースクリフを狙っていたのか反論してくる者もいたわね。

 貴婦人の微笑みを返しておいた。

 これはわたくしの礼法の先生、アリオット侯爵夫人に教わった「とっておき」。いざという時にお使いくださいね、と言われたわ。

 きっと今こそ、その時よ。

 先生のようにできたかしらね。



 そのうちにヒースクリフがフィリアさんを連れて帰ってきた。

 無事、求婚(プロポーズ)を受け入れてもらえたようね。

 すぐにでも会ってみたい。

 でも押しかけては迷惑でしょうし、少し様子を見てから……


 と思っていたところ、わたくしが体調を崩してしまった。

 風邪かしら?

 うつすといけないわね。残念だけど延期にしましょう。



 ――大事を取ったが、数日休んでも良くならない。

 身体がだるくて熱っぽい。

 食欲も失せてしまった。

 料理の匂いがどうも鼻につくのよね……


「エディス陛下。これはもしや……」


 遠慮がちに侍女から言われて、わたくしはぽかんと口を開けてしまった。

 間抜けな話、わたくしはこのところ新しい環境とフィリアさんに気を取られ、世継ぎの問題がすっかり頭から抜け落ちていた。


 一人ではなくなる、と思っていたのもある。

 わたくしに子が授からなかったとしても、若いフィリアさんはヒースクリフの子を生んでくれるかもしれない。

 ……もちろん、決めつけてはいけない。ほんの僅かな圧力も与えたくないわ。わたくしだって非常に苦労してきたのだから。

 でも、少なくとも王家の直系が絶える可能性は低くなった。

 だいぶ気持ちが軽くなって……自分のことは意識していなかったけれども……


 ――え?

 これがそうなの?

 フィリアさんに、ではなくて……

 わたくしのおなかに、赤ちゃんが……?


 すぐさま宮廷医師長が呼ばれた。

 そして身籠っていることを告げられたのだ。



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