8.思い出したもう一つの問題
馬車で少し揺られて辿り着いたのは、王都郊外にある立派な邸宅だった。
馬車を降り、ニコラスに案内されながら玄関を通ると、この邸宅に勤めているという、執事のクロードさん、メイドのクララさんとマリーさんが出迎えてくれた。
「ニコラス様、おかえりなさいませ…っと、これは失礼いたしました。…恋人様でしょうか?」
「そうそ──」
「いえ違います、同僚です」
「ちょ、こういうのは形から入るのが大切なのに」
「皆様はニコラスの家で働いてくださってる方でしょ?嘘をつく必要がないじゃない」
「嘘をつくときはまず味方から。これが鉄則なのに」
「今、そんな盛大な嘘の話はしてないけれど」
というか、どう考えたって恋人同士のやり取りではない私達を反芻して、本当にこれから先大丈夫なのかと一抹の不安を感じたが、それはもうニコラスの責任ということにしておこう。
ニコラスによると、クロードさん、クララさん、そしてマリーさんは元々伯爵家の本邸で働いていた使用人らしい。
ニコラスが家を出るに当たって、三人を引き抜いた形で今はこちらに勤めているのだそうだ。
「こんなに広い家なのに、三人しか雇ってないの?」
この家を外から見たときの外観を思い出し、思わずそう尋ねた。
「俺も忙しくてあんまり家に帰れないし、人が多すぎるのも好きじゃないから、最低限の人数でいいかと思って」
ちなみに、ニコラスのこういうところは結構好ましいと思っている。
ニコラスは意外と庶民的な感覚を持っていて、前々からそのあたりの価値観は近いと感じていた。
(…と言っても、私も元侯爵家令嬢なんだけどね)
お互い貴族なのに、庶民的な感覚というのはどういうことなのか…という疑問は置いておこうと思う。
そのままニコラスが案内してくれたのは、私がこれから三ヶ月暮らす予定の部屋だった。
普通の客室などを借りるのかと思っていたのだが、開けられた扉から目に入ってきたのは、明らかに客室用ではないような広々とした部屋だった。
しかも、何故か私の好みにぴったりだった。
「…ここまでくるとちょっと怖いんだけど、一応聞いてもいい?この部屋って、元々あった部屋なの?」
「いや?レヴィが来ること見越してクララ達に頼んで準備してもらってた」
若干引いてしまったのは秘密にしておこう。
断られるとか考えないのか、この男は。
必要なものは私が今住んでいる家から持ち込んでいいと言われたのだが、内装含めて生活には十分事足りる用意がされていたため、明日、衣類などの身の回りのものだけ取りに行くこととなった。
「明日はレヴィも休みだろ?」
「も、ってことは、ニコラスもお休みなの?」
「そう。だから、必要なものとか、家から持ってきたい物は明日取りに行こうか」
今日はもう遅いし、このまま休んでほしい。
ニコラスのその言葉に、疲れきっていた私はありがたく甘えることとして、彼が部屋から出ていったのを確認するやいなや、フラフラとベッドに倒れ込み────
あろうことか、朝までぐっすりと眠ってしまったのであった。
目覚めたときには、可愛らしい見慣れぬ部屋に朝の光が差し込んでいた。
昨日の記憶を思い出し、慌てて部屋に備えついていた浴室をお借りして、簡単に朝の準備を整える。
本来、貴族の家では、侍女がつきっきりで身支度を手伝ったり、湯汲みの準備をしてくれるが、私は一応平民という設定なこともあり、ニコラスも気を利かせてくれたのか、すべて自分で準備することとなった。
手伝われることに慣れていないわけではない。
なんせ、貴族令嬢である期間のほうが長かったから。
しかしながら、変装をしている身としてはあまり顔を見られるわけにもいかず、諸々の準備も必要なため、ありがたくニコラスの好意を受け取ることにした。
準備ができた頃、クララさんが部屋まで呼びに来てくれて、ニコラスと二人で朝食を取ることとなった。
ちなみに彼は約束通り豪華な朝食を用意してくれたらしい。
…今日だけだけど!と言っていたが。
和やかに朝食を取ったあとは、ニコラスの出してくれた馬車に揺られながら私の住んでいた家へと向かった。
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「というかさ、一旦解約したら?」
「何を?」
「この家」
散らかっているから入らないでほしいという私の抵抗も虚しく、勝手に部屋の中に入った彼は、少しくたびれた椅子に腰を掛け、読みかけになっていた本をペラペラとめくりながらそう言った。
「…いや、三ヶ月後に戻ってくるのに、解約したら住めなくなるじゃない」
「その時は、もう一回契約すればいいじゃん」
「ここ、治安も良くて城にも近いのに家賃が安い破格のお家なのよ。解約したら、すぐに誰かが入居しちゃうわ」
「まぁそのときはその時で考えたら?」
「…却下」
たしかに三ヶ月無人のまま部屋を開けておくのは少し怖い。
治安のいい地域と言えども、人の出入りのない部屋は危なさもあるかもしれない。
でも、ニコラスに言ったとおり、三ヶ月後にはあの家を出て戻ってくるのだ。長いようで短い三ヶ月。
…正直、家賃も惜しい気はするが、契約終了時に家がない方が困る。
ニコラスも私の返事に納得したのか、特に追随することなく、ふーん、と一言つぶやいてから、また変わらず本をペラペラとめくっていた。
そんなニコラスを横目に必要な荷物をまとめてたとき、ふと目に入ったものがあった。初めて賃金が出たときに、嬉しくて購入したお気に入りの指輪だ。
その指輪を見ていると、何故かふと、昨日聞いた私自身の問題を思い出した。
(え、というか、慌ただしすぎて忘れてたけど、私の結婚って何?)
──そして、こういうときの私は、つい口に出してしまうのだ。思っていることを。
「え、レヴィ結婚してるの」
ニコラスは、本をめくっていた手をピタリと止め、驚いたような、不愉快だというような口調でそう言い、ゆっくりと本から顔を上げた。




