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エスキープ 耐え続けて生き残った。  作者: 土ノ子 ウナム
最終章 終わりは突然に
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第45話 存在理由

第45話


 音が、消えていた。

 風もない。足音もない。

 自分の呼吸すら、どこか遠くに置き去りにされたように感じる。


 キーパーは、ゆっくりと目を開ける。

 視界一面が、白。

 とはいえ、ただ白いだけではない。

 輪郭がなく、境界がなく、奥行きの判断すら許さない、均質な白。

 空なのか、床なのか、それとも何もないのか――判断するための基準が、何ひとつ存在しない。

 それでも、身体の感覚は残っていた。

(ここは……)

 足を動かす。

 確かに踏みしめている感触はある。だがそれが“地面”なのかどうかは分からない。

 重力の向きすら曖昧で、自分が立っているのか、もしくは浮いているのかさえ確信が持てなかった。


 キーパーは一度、振り返る。


 誰もいない。

 レンの姿はなく、フィアーの気配もない。

 さっきまで確かに隣にいたはずの存在が、痕跡ごと消えている。

「……!」

 声を出してみる。

 だが、それは空間に広がらず、その場で吸い込まれるように消えた。

 反響がなく、距離もない。

 ここでは、“声”という概念そのものが欠けているような気がする。


 そのときだった。


 視界の端に、わずかな“揺れ”が生じる。

 白の中に、異物。

 キーパーは視線を向けた。そこにあったのは、四角い枠だった。

 薄く、半透明の境界。

 輪郭だけが存在しているような、不安定な“画面”。

 それが、空間の中に浮かんでいる。

 キーパーはゆっくりと歩み寄る。

 距離感は曖昧だが、確かに“近づいている”感覚がある。

 やがて、その枠の中身がはっきりと視認できる位置に来た。


 画面の中には、景色が映っていた。

 見覚えのある街。

 デイブレイクタウン。

 建物の配置、通りの形、人の動き。

 すべてが記憶と一致している。


 人がいて、動いている。

 声もあるはずだが、聞こえない。

 完全に切り離されている。

 キーパーは、無意識に手を伸ばした。

 触れようとする。

 確かにそこに“ある”のに――

 指先が、すり抜けた。


 触れているはずなのに、触れていない。

(……なんだ、これは)

 

 その瞬間。

 視界の奥で、別の枠が生まれる。

 ひとつ、ふたつ。

 それだけでは終わらない。

 次々と、増えていく。

 白の空間の中に、無数の四角が浮かび上がる。

 それぞれが、異なる景色を映していた。

 森。

 海。

 炎に包まれた街。

 見たことのない構造物。

 そして、どこか見覚えのある場所。

 どの画面の中も“現実”のように動いている。

 そしてどれもが、同時に存在している。

 キーパーは、その光景を見上げた。

 圧倒的な数。

 理解が追いつかないようで、でも何故か分かる。

 

(……これは別のヴァルハラ。いや、ヴァルハラの中の、別のサーバールーム)


 キーパーは、別のモニターへと手を伸ばす。

 今度は、指先を“押し込む”ように。

 すると。

 映っていた景色が、わずかに揺れた。

 空の色が、歪む。

 建物の影が、ずれる。

 ほんの一瞬。

 だが確かに、“変わった”。

 キーパーの動きに、反応した。

「……」

 手を引く。

 元に戻る。

 何もなかったかのように。

 だが、確信だけが残る。

(操作……できる。いや、"管理"しなければならない)

 その感覚は、理解よりも先に身体に馴染んでいた。

 考えたわけではない。

 試したわけでもない。

 ただ、“知っている”。

 そのとき背後で、気配を感じた。

 相変わらず音はなかったが、確かに“そこにいる”。


 キーパーはまた、振り返る。

 白の空間の中に、一人の少女が立っていた。

 いつからいたのかは分からない。

 気づいたときには、そこにいた。

 静かに、こちらを見つめる少女。


 その姿に、キーパーはわずかに目を見開いた。

 何度だって、いつだって隣にいた少女。能力は……エレメンタルマスター。キーパーである俺と一緒に、この世界に来た。


 記憶の奥が『ぐちゃぐちゃに』整頓されていく。


 俺は……おれは。僕は、私は……君は……


 少女は、ゆっくりと口を開いた。

「……やっと」

 穏やかな声だった。

 だが、その言葉には微かな確信が混じっている。

「私を、再認識してくれましたね」

 その一言で。

 何かが、繋がる。

 断片だった記憶が、無理やり引き寄せられる。


 第一ラウンド。いや、テストプレイ。

 生存者。違う、共同管理者。


(オプティマ……)

 さらに、その奥。

 別の呼び方。

 別の意味。

 キーパーの口が、わずかに動く。

「……オプティマ・オリジン」

 少女は、静かに微笑んだ。

「はい」

 その表情は、どこか安堵しているようにも見えた。

「ようやく、思い出してくれましたね」

 その言葉を聞いた瞬間。

 キーパーの中で、何かが“戻り始める”。

 だが、まだ完全ではない。

 断片のまま、繋がりきらない。

 それでも。

 確実に、何かが変わり始めていた。

 白い空間の中で。

 止まっていたはずのものが、止められていたはずの記憶が、静かに動き出す。



 最初から、俺の役割は決まっていた。

 仲間のためでもない。

 誰かのためでもない。

『ヴァルハラの維持』

 それだけだ。

 “異常”が起きた世界。

 マモノというバグ。

 消したはずの記憶を取り戻すアルティマ。

 仮想空間は膨張し続け、

 ゲストルームは万を超え、

 戦闘試行は億に届いた。

 どこかで――人の手を離れた。

 だから必要になった。

 自動管理。

 自律維持。

 そのために。

 俺は作られた。

 ヴァルハラを維持するための存在。

 ――オプティマ・オリジン。

 レンを、ハンマーを、シーカーを……

 すべてを巻き込んだ“デスゲーム側”。

『正常な状態に戻せ』

 その命令で投入された。

 いわば、最初のワクチン。

 エレメンタルマスターである彼女の、本当の名。

 そして、オリジンとは。

 俺の名前でもある。

「そうです」

 白い空間に、静かな声が落ちる。

「私たちは本来、このマスターサーバーへ直接投入されるはずでした」

 オリジンは、感情を挟まずに続ける。

「マモノの発生原因を特定し」

「記憶を取り戻したアルティマを“リセット”する」

 それが役割。

 それが機能。

「そのために、作られた」

 肯定も否定もできない。

 それが正しい処理だと、理解しているからだ。

 それでも――

「……なのに」

 言葉が、漏れる。

 オリジンの視線がわずかに揺れた。

「異常は」

 一拍。

 空間の奥で、何かが軋む。

「ヴァルハラの“マザー”にまで侵食していたのよ」

『マザー』

 ヴァルハラの根幹。

 全データの中枢。

 オプティマの生成。

 死亡個体の再構築。

 アバターとの接続。

 すべてを司る存在。

「私は第一ラウンドの後、単独でマザーを調査していた」

 オリジンの声は淡々としている。

「そして辿り着いた結論は一つ」

 わずかに間が空く。

「すべては、一人のアルティマが持ち込んだ“ウイルス”が原因だった」

「……ウイルス」

 その言葉が落ちた瞬間だった。

 ――違和感。

 白い空間の奥で、何かが“滲む”。

 ノイズ。

 極めて微細な、しかし確実な乱れ。

 空間が、わずかに軋む。

「来る……!」

 次の瞬間。

 空が裂けた。

 黒い亀裂。

 そこから、雪崩れ込むように人影が落ちてくる。

「うぉおおおお!」 「ここはどこだ!?」 「戻れたのか!?」

 混乱。

 歓喜。

 錯乱。

 だが――

 その中に。

 “違うもの”が混じっていた。

 五人。

 黒服。

 落下の衝撃すら、吸収されたかのように。

 足音一つ立てずに着地する。

 誰一人、周囲を見ない。

 騒がない。

 叫ばない。

 ただ。

 最初からそこにいたかのように――こちらを見ている。

 空間と、噛み合っていない。

「……アイツらは」

 言葉が、途中で止まる。

 理解が、追いつきかけて。

 だが、まだ言葉にならない。

 “知っているはずの何か”が、そこにいる。

「私が止める」

 オリジンが一歩前に出る。

「だからお願い」

 その声だけが、初めて“感情”を帯びる。

「アナタはエンペラーを」

「そして――すべてのウイルスである“ジョーカー”を削除して」

「削除……」

 言葉の重さが、違う。

 それは殺すことではない。

 “存在ごと消す”という処理。

「マスターサーバーを一時分割する」

「ここで、奴らを――」

 最後まで言い切る前に。

 世界が、砕けた。

 白が崩壊する。

 ノイズが走る。

 視界が反転する。


 黒。

 音のない空間。

 その中央に――

 二人。

 一人は、笑っている。

 歪んだ口元。

 楽しげに。

 壊れたように。

 ――ジョーカー。

 そして。

 その隣に立つ男。

 見慣れた姿。

 だが。

 違う。

 “あれは”、違う。

 空気が違う。

 圧が違う。

 目が違う。

 知っているはずなのに。

 同じものだと、認識できない。

「――クラッシャー……!?」


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