−5話
−5話
激痛が、頭の奥を何度も何度も引き裂いていた。
焼ける戦場。血に濡れた玉座。跪く兵たち。
皇帝と呼ぶ声が、何度も何度も頭の奥で反響する。
狭い部屋。鏡。訓練。問い。殴打。台本。冷たい針。名誉ある死。
記憶が順番も前後もなく流れ込み、もはや何が過去で何が今なのかも分からない。ただ、黒く潰れた自分の残骸の内側で、何かが無理やり形を取り戻そうとしている感覚だけがあった。
崩れた輪郭が寄り集まり、黒い粘液が糸を引くように集束し、失われたはずの腕や脚が、どろりとした質感のまま再生していく。
その様子を見下ろしながら、道化師は愉快そうに笑っていた。
「アヒャヒャ……やっぱりすごいネえ。さすがは“オリジンの器”だ」
その言葉だけが、やけに重く残った。
張り巡らされたワイヤーの上で、顎杖をついたまま、地上の黒い塊を覗き込む。ターミネーターたちは警戒を解かず、銀の銃口を一斉にそちらへ向けていた。だが誰も撃てない。撃てば当たる距離なのに、まるで当たる気がしない。
『こ、このやろぉおおお!』
一人、男がジョーカーに向かって突っ込む。ジョーカーと距離を詰めて、両手を広げる。何かの能力を使おうとする。
そして、男の首が飛んだ。
「アーーヒャッヒャヒャヒャ!」
ジョーカーは両手の指をクルクルと動かして高笑いをする。
「ワイヤーが張られてるって知ってんのニ!ばっっかだネェ!!」
近づけない。当たらない。
そういう類いの不気味さが、ジョーカーの全身から滲んでいた。
そしてそのまま、またこちらを見る。
「ねえ、アンタさあ。自分が誰か分かんなくなってるでショ?」
問いかけに、黒い残骸がゆっくりと顔を上げる。輪郭の定まらない顔面の中で、目だけがぎらついていた。
「……うるせえ」
それがビルフェッリの声なのか、ストライカーの声なのか、はたまた皇帝の声なのか自分でも分からなかった。
影武者として育てられた“私”の記憶と、第一ラウンドから殺し尽くしてきた“オレ”の衝動が、同時に胸の中で暴れている。
皇帝として作られた器。ストライカーを演じてできあがった人格。どちらも偽物だ。だが、どちらも確かに自分の中にある。
ジョーカーはそんな混乱を見透かしたように、仮面の奥で目を細めた。
「いいねえ、その顔。でも早く演じないと。素の状態だと呆気なく殺されちゃうよ」
そう言うと、ジョーカーは懐から何枚もの紙片を取り出した。台本のようにも、札のようにも見えるそれを指の間に挟み、ジャグリングでもするように軽々と回す。
「アンタの能力は“ドッペルアクター”」
「ドッペル……?」
「今のアンタは、ただの模倣役者じゃナイ。記憶を取り戻した今のアンタは役を演じるだけじゃなくて、役そのものを“内側に堕ろせる”はずだ」
紙片の一枚がひらりと舞い、何者にもなれずに黒く沈澱しつつあるストライカーの額に貼りつく。
次の瞬間、身体の重心が変わった。視界が急に広くなり、空間の捉え方が鋭くなる。体が軽く、呼吸は浅く速い。
考えるより先に、両手首から糸を吐き出す感覚が流れ込んでくる。
『す、ストライカーが生き返った!?』
『いや、アレは……』
『ダレだ………!?』
◆
「どう?楽しい?」
ジョーカーの問いが耳に入る。だけどそんなことはどうでもよかった。
"ボク"は一歩踏み出し、次の瞬間には壁面へ跳んでいた。ワイヤーのように細く、鋭く、粘着質な糸を壁に貼り付けて動き続けることに特化した身体。
だが、違う。速い。確かに速い。だが、それだけだった。殺したいのに、これでは“逃げる”ための動きになる。
「……違う、な」
低く吐き捨てる。
「ん〜、だよネ」
そう言ってジョーカーは指をと動かす。その瞬間オレの視界がスッと高くなり空に浮かんだ。
「っ!?」
何が起きたか、全く分からない。ぐるぐると回る視界の端で、首から上のないオレの体が、黒い沼のように溶けていくのが見えた。
「何を………っ!?」
「役を降りたきゃ、一旦死なないト♪」
◆
ジョーカーは笑いながら次々にオレの役を差し替えていく。精密に狙い撃つ者。削る者。罠を張る者。どれもしっくりこない。
どれも優れている。どれも強い。成り替わる度に、メタル輪舞曲の人間が倒れていく。
だが、自分の内側に渦巻く“何か”が、それらの役を拒絶していた。
ターミネーターの硬い体にだけは、傷一つつけられない。
痺れを切らしたターミネーターが、両脇に残った二人に鋭く命じる。
『もういい、吹きとばせ!』
銃口が一斉に火を噴いた。巨大な蒼白い閃光が路地を埋め尽くし、ワイヤーを焼き切り、地面を抉りながら降り注ぐ。ジョーカーはその中を踊るようにすり抜ける。
舞台装置の上でだけ成立する、狂った軽業だった。
「ほらほら、早く選ばないと死んじゃうヨ?」
「オレは殺したいんだ…全てを、壊したい!」
「おお!それならピッタリのものガ!」
笑いながら、ジョーカーは一枚をつまみ上げる。今までの紙片とは少し質感が違う。重い。黒い。まるでそれ自体が塊のような存在感を持っている。
「これはどう?」
その一言とともに、札が額へと貼りついた。
瞬間、世界が変わる。
軽さが消える。速さも、精度も、技術も、何もかもが後ろへ退いた。代わりに流れ込んできたのは、単純で巨大な衝動だった。
触れたい。
壊したい。
目の前の形あるものすべてを、粉々に。
壁も。銃も。人も。あの銀色の男も。
思考はない。ただ、破壊だけがある。だが不思議と嫌ではなかった。むしろ、今まで試したどの“役”よりもしっくりきた。初めて、台本を押し付けられたのではなく、自分で頁をめくった感覚があった。
「……これは」
ストライカーが呟く。
ジョーカーが仮面の奥で、にたりと笑う。
「今から君はクラッシャー。シンプルでイイでショ?」
頷くより先に、身体が動く。黒い液体で再生した指先が、足元の石畳に触れた。
罅が走る。
次の瞬間、それは罅では済まなかった。石畳が音もなく崩壊し、接触した部分から周囲へと連鎖するように砕けていく。床が沈み、壁が割れ、銃を構えた男たちが一斉に体勢を崩した。
『なッ――!?』
ターミネーターの顔色が初めて変わる。
ストライカーは、いやクラッシャは……オレは笑っていた。口角だけが吊り上がる、壊れた笑みだった。
「いいね……これだ」
指を曲げる。砕く。踏む。壊す。能力というより、本能だった。袋小路そのものが悲鳴を上げるように崩れ始め、包囲の形は一瞬で意味を失う。高所の窓が落ち、射線が乱れ、銀の銃が地面に散る。
そして、その中心に立つターミネーターだけを見据えて、オレは静かに一歩を踏み出した。
「アンタを、壊す」
それは宣言ではなかった。
ようやく選んだ、オレ自身の台本だった。




