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エスキープ 耐え続けて生き残った。  作者: 土ノ子 ウナム
第四章 キョウシャシンショウ
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56/64

−5話

−5話


 激痛が、頭の奥を何度も何度も引き裂いていた。

 焼ける戦場。血に濡れた玉座。跪く兵たち。

皇帝と呼ぶ声が、何度も何度も頭の奥で反響する。

 狭い部屋。鏡。訓練。問い。殴打。台本。冷たい針。名誉ある死。


 記憶が順番も前後もなく流れ込み、もはや何が過去で何が今なのかも分からない。ただ、黒く潰れた自分の残骸の内側で、何かが無理やり形を取り戻そうとしている感覚だけがあった。

 崩れた輪郭が寄り集まり、黒い粘液が糸を引くように集束し、失われたはずの腕や脚が、どろりとした質感のまま再生していく。


 その様子を見下ろしながら、道化師は愉快そうに笑っていた。

「アヒャヒャ……やっぱりすごいネえ。さすがは“オリジンの器”だ」

 その言葉だけが、やけに重く残った。


 張り巡らされたワイヤーの上で、顎杖をついたまま、地上の黒い塊を覗き込む。ターミネーターたちは警戒を解かず、銀の銃口を一斉にそちらへ向けていた。だが誰も撃てない。撃てば当たる距離なのに、まるで当たる気がしない。

『こ、このやろぉおおお!』

 一人、男がジョーカーに向かって突っ込む。ジョーカーと距離を詰めて、両手を広げる。何かの能力を使おうとする。

 そして、男の首が飛んだ。

「アーーヒャッヒャヒャヒャ!」

 ジョーカーは両手の指をクルクルと動かして高笑いをする。

「ワイヤーが張られてるって知ってんのニ!ばっっかだネェ!!」


 近づけない。当たらない。

 そういう類いの不気味さが、ジョーカーの全身から滲んでいた。

 そしてそのまま、またこちらを見る。

「ねえ、アンタさあ。自分が誰か分かんなくなってるでショ?」

 問いかけに、黒い残骸がゆっくりと顔を上げる。輪郭の定まらない顔面の中で、目だけがぎらついていた。

「……うるせえ」

 それがビルフェッリの声なのか、ストライカーの声なのか、はたまた皇帝の声なのか自分でも分からなかった。

 影武者として育てられた“私”の記憶と、第一ラウンドから殺し尽くしてきた“オレ”の衝動が、同時に胸の中で暴れている。

 皇帝として作られた器。ストライカーを演じてできあがった人格。どちらも偽物だ。だが、どちらも確かに自分の中にある。


 ジョーカーはそんな混乱を見透かしたように、仮面の奥で目を細めた。

「いいねえ、その顔。でも早く演じないと。素の状態だと呆気なく殺されちゃうよ」

 そう言うと、ジョーカーは懐から何枚もの紙片を取り出した。台本のようにも、札のようにも見えるそれを指の間に挟み、ジャグリングでもするように軽々と回す。

「アンタの能力は“ドッペルアクター”」

「ドッペル……?」

「今のアンタは、ただの模倣役者じゃナイ。記憶を取り戻した今のアンタは役を演じるだけじゃなくて、役そのものを“内側に堕ろせる”はずだ」


 紙片の一枚がひらりと舞い、何者にもなれずに黒く沈澱しつつあるストライカーの額に貼りつく。

 次の瞬間、身体の重心が変わった。視界が急に広くなり、空間の捉え方が鋭くなる。体が軽く、呼吸は浅く速い。

 考えるより先に、両手首から糸を吐き出す感覚が流れ込んでくる。


『す、ストライカーが生き返った!?』

『いや、アレは……』

『ダレだ………!?』



「どう?楽しい?」

 ジョーカーの問いが耳に入る。だけどそんなことはどうでもよかった。

 "ボク"は一歩踏み出し、次の瞬間には壁面へ跳んでいた。ワイヤーのように細く、鋭く、粘着質な糸を壁に貼り付けて動き続けることに特化した身体。

 だが、違う。速い。確かに速い。だが、それだけだった。殺したいのに、これでは“逃げる”ための動きになる。

「……違う、な」

 低く吐き捨てる。

「ん〜、だよネ」


 そう言ってジョーカーは指をと動かす。その瞬間オレの視界がスッと高くなり空に浮かんだ。

「っ!?」

 何が起きたか、全く分からない。ぐるぐると回る視界の端で、首から上のないオレの体が、黒い沼のように溶けていくのが見えた。


「何を………っ!?」

「役を降りたきゃ、一旦死なないト♪」



 ジョーカーは笑いながら次々にオレの役を差し替えていく。精密に狙い撃つ者。削る者。罠を張る者。どれもしっくりこない。

 どれも優れている。どれも強い。成り替わる度に、メタル輪舞曲の人間が倒れていく。

 だが、自分の内側に渦巻く“何か”が、それらの役を拒絶していた。

 ターミネーターの硬い体にだけは、傷一つつけられない。

 痺れを切らしたターミネーターが、両脇に残った二人に鋭く命じる。

『もういい、吹きとばせ!』

 銃口が一斉に火を噴いた。巨大な蒼白い閃光が路地を埋め尽くし、ワイヤーを焼き切り、地面を抉りながら降り注ぐ。ジョーカーはその中を踊るようにすり抜ける。

 舞台装置の上でだけ成立する、狂った軽業だった。

「ほらほら、早く選ばないと死んじゃうヨ?」

「オレは殺したいんだ…全てを、壊したい!」

「おお!それならピッタリのものガ!」

 笑いながら、ジョーカーは一枚をつまみ上げる。今までの紙片とは少し質感が違う。重い。黒い。まるでそれ自体が塊のような存在感を持っている。

「これはどう?」

 その一言とともに、札が額へと貼りついた。

 瞬間、世界が変わる。

 軽さが消える。速さも、精度も、技術も、何もかもが後ろへ退いた。代わりに流れ込んできたのは、単純で巨大な衝動だった。

 触れたい。

 壊したい。

 目の前の形あるものすべてを、粉々に。


 壁も。銃も。人も。あの銀色の男も。


 思考はない。ただ、破壊だけがある。だが不思議と嫌ではなかった。むしろ、今まで試したどの“役”よりもしっくりきた。初めて、台本を押し付けられたのではなく、自分で頁をめくった感覚があった。

「……これは」

 ストライカーが呟く。

 ジョーカーが仮面の奥で、にたりと笑う。

「今から君はクラッシャー。シンプルでイイでショ?」

 頷くより先に、身体が動く。黒い液体で再生した指先が、足元の石畳に触れた。

 罅が走る。

 次の瞬間、それは罅では済まなかった。石畳が音もなく崩壊し、接触した部分から周囲へと連鎖するように砕けていく。床が沈み、壁が割れ、銃を構えた男たちが一斉に体勢を崩した。

『なッ――!?』

 ターミネーターの顔色が初めて変わる。

 ストライカーは、いやクラッシャは……オレは笑っていた。口角だけが吊り上がる、壊れた笑みだった。

「いいね……これだ」

 指を曲げる。砕く。踏む。壊す。能力というより、本能だった。袋小路そのものが悲鳴を上げるように崩れ始め、包囲の形は一瞬で意味を失う。高所の窓が落ち、射線が乱れ、銀の銃が地面に散る。

 そして、その中心に立つターミネーターだけを見据えて、オレは静かに一歩を踏み出した。

「アンタを、壊す」

 それは宣言ではなかった。

 ようやく選んだ、オレ自身の台本だった。

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