−4話
−4話
オレに、名前はなかった。
呼ばれることはある。だがそれは常に、誰かの名前だった。鏡の前に立たされ、背筋を伸ばし、顎を引き、視線の高さまで細かく矯正される。
呼吸の間、まばたきの回数、言葉を発するまでの沈黙の長さ。そのすべてが「皇帝」という存在に合わせて削られていく。
「お前は誰だ」
問いが飛ぶ。
考える必要はない。口はすぐに動く。
「第16代皇帝ヤマト、ビルフェッ…」
瞬間、頬を殴られる。理由は説明されない。だが、間違っているらしい。
「オマエはだれだ」
同じ問いが繰り返される。同じ答えを返す。そして殴られる。
何度も、何度も。何が間違っているのか、正解は教えられない。指し示された方向を見る。小窓の向こう側。自分の居る狭くて暗い部屋とは対照的な、広くて豪華絢爛な部屋。
そこで無邪気に笑う『皇子』
「あれも……ヤマト・ビルフェッリ」
笑っている。
何も知らずに。
何も背負わずに。
オレと、同じ顔で。
「オマエハダレダ」
「私も……ヤマト ビルフェッリ」
「オマエは誰だ」
「おまえは誰ダ」
「オマエは」
「お前は」
「誰だ」
やがて、思考を挟まなくなる。問いに対して、反射で答えるだけの器になる。鏡の中に映る姿は確かに“皇帝”だったが、それが自分かどうかを考えたことは一度もない。考える必要がないように作られていた。
とある式典に、出ることになった。
『皇子が、ご病気になられた』と周囲が騒いでいたのを覚えている。
『代16代皇帝 ヤマト ビルフェッリ!!!』
初めて“視線”を浴びた。
名を読み上げた者が『我が息子よ……』と抱きしめてきた。
台本通りに「チチウエ、アリガトウゴザイマス」と涙を流して伝えた。オチチウエも、涙を流して喜んでいた。
その日から、殴られることよりも跪かれることの方が多くなった。
『皇族の血を絶やすわけにはいかない。』
そう言われる。
もう一人のビルフェッリは奥の間と呼ばれるところから出てこなくなった。
◆
オチチウエが、死んだらしい
戦場の指揮をとることになった。
兵士たちが膝をつき、地面に額を擦りつける。恐怖と畏敬が混じった声で、同じ言葉が繰り返される。
「陛下……!」
視線が集まる。数えきれないほどの目が、こちらを見ている。
(……オレを見ている)
そう思った瞬間、違和感が走る。
(違う)
すぐに否定する。
(コイツらが見てるのは、オレじゃない。“皇帝”である私だ)
私は皇帝であり、オレは皇帝ではない。理解している。だが、それでも視線の中心に立つという感覚だけが、消えずに残る。
私の言葉ひとつで兵が動き、手を上げれば隊列が変わる。世界の一部が、私の動きに従って形を変える。
名も知らぬ英雄が戦死したとき『悲しめ』と台本にあったので悲しんだ。
兵士が失態を犯したとき『怒れ』と言われたので怒り、首をはねた。
全て台本の通り。
ただ……台本には無い。確かなオレの感覚。たった一つの気持ち。
戦場に立つ。強大な敵を屠る。
前線に立つ。血肉を浴びる。
そのとき、得も言われぬ快楽を感じる。脳髄から何かが溢れる。首筋に冷たさと温かさが同居する。心臓が高鳴り、瞳孔が開く。
私は『戦帝』と呼ばれるようになった。
剣と呪いを使い敵を壊す。盾と祈りを用いて仲間を守る。前線で指揮をとり、城で指示を出す。
だが殺しても殺しても、戦争は終わらなかった。そもそも戦争の無い時代など、誰も知らない。
オレも、戦帝として与えられた役割を全うするだけ。
そう思っていた。
ーーだけど、その日は突然やってきた。
薄暗い部屋に案内される。裸になって寝るように指示を出される。
突然白い光が天井から落ち、影が消えた。拘束具に固定されたかのように身体は微動だにできず、横では淡々とした声が交わされていた。
「問題ない。耐えられる」
「ガルガンに一泡ふかせられる」
「名誉ある死だ」
自分に何が起きるのか、知る必要はないように作られている。針が刺さり、冷たいものが血管を流れる。身体の奥へと、何かが沈んでいく感覚だけがある。
「呪いの起動は取り込み後だ。ガルガンに吸わせればいい」
「内部から崩させる」
その言葉で、わずかに思考が止まる。
「……私は」
最後まで言いきらなかった。ほとんど独り言。もちろん返答はない。
ただ、別の声が淡々と続ける。
「ここまで、よくやった」
一拍、間が置かれる。
「誇りある最後だ」
少しして、部屋から出される。
「これが最後だ」と言われ台本を受け取る。
台本の内容は複雑だったが、要は敵国に乗り込み、暴れられるだけ暴れて、最後は死ぬ。そういうことだった。
台本を読み終わった瞬間、何かが弾けたような感覚。
(ああ……)
理解は、静かだった。怒りも、拒絶もない。ただ、納得だけが残る。
(オレは)
もともと、名前なんてなかった。
◆
最後の戦場は、虚無のように静かだった。
もちろん音はする。爆発音、悲鳴、怒号。
進め。撃て。潰せ。止まるな。振り返るな。
思考を挟む余地はない。与えられた指示を、そのままなぞる。刃を振り、撃ち、踏み込み、殺す。
だがそれは“戦い”ではなかった。ただ、決められた動きを再現しているだけだ。
やがて、囲まれる。数で押され、退路が消える。それでも役割は変わらない。
――進め。
だから、進む。疑問は生まれないようにできている。ただ、ひとつだけ、違和感が残る。
(これは……何だ)
戦っているはずなのに、“何かが足りない”。理由は分からないまま、最後の瞬間が来る。刃が身体を貫き、視界が落ちる。
最初から決められていた、終わりを迎えた。
(ああ)
(ここで、終わりか)
意識が沈む。
◆
オレが目を覚ました瞬間、視界の中央に文字が浮かんだ。
『あなたは選ばれました』
声はなく、音もない。
意味だけが直接、視界に映し出されている。
神殿のようなつくりの広間にいた。石造りで、天井は高く、何人かの人間が僕と同じように床に散らばっている。
年齢も服装もばらばらだ。誰もが混乱し、同じように周囲を見回していた。
『ここは異世界です』
『あなた方は転移者です』
ざわめきが起きる。怒号、悲鳴、質問。
だが文字は、それらを無視して続いた。
『これはゲームです』
『参加者は最大百名』
『目的は一つ』
目の前の壁一面が淡く光り、巨大な掲示板が現れる。
『ランキング一位を維持しながら、三十日間生存してください』
なぜここにいるのか、自分が誰なのか分からないまま。
その日から殺し合いが始まった。




