第五十三話 彼が嫌がる事
「待ってくださいよ、葉月さん」
「うぜークソムシね。付いてくるんじゃないわよ」
「彼氏なんだから、付いてきますよ。しかもデート中なんだし」
露骨に嫌な顔をしている葉月さんにしつこいくらい、追いかけていく。
付き合っていないなら、迷惑なストーカー行為かも知れないが、彼氏なんだからこれくらいは許されて良いはずだ。
「葉月さんとイチャつきたいんですって。涼しくて誰にも邪魔されたくない場所に行きたいなら、カラオケにでも行きませんか? 何なら、ホテルでも良いですよ」
「そういう気持ち悪い事を言うから、クソムシなのよ、あんたは。馴れ馴れしく触るな。私の身体が腐ったら、どうするのよ?」
「そのときは俺が責任取りますって。ほら、行きましょうよ。ホテルで休憩して、二人で楽しみましょうや」
「ちっ、本当にうぜえクソムシだわ。ベタベタするなって言っているでしょう。あんたみたいな、汗臭いクソムシに肌を触られたら、汗疹が出来るじゃないの」
「す、すみません」
確かに葉月さんのお美しい肌に、汗疹なんか出来てしまったら、まずいので自重する事にする。
しかし、まだ機嫌が良くならないんだな。
水着も日焼け止めも買ってあげてもまだ機嫌が直らないとは……この先、どうすれば葉月さんの機嫌が直ってくれるのか。
「でも、腕くらい組みましょうよ。ほら、ホテルに行きましょう。葉月さん、抱きたいです」
「大きな声で言うな、クソバカ。てめえのそういう所が、本当、おぞましいくらいのキモさを感じるわ。こんなのが彼氏って時点でさ。私の人生、もう終わったも同然なのよ」
「それは慣れてもらうしかないですね。なんせ、この先、俺とずっと一緒に過ごすんですから」
「へえ。どういう意味かしら?」
「そりゃ、決まっているじゃないですか。いずれ、葉月さんには俺にみそ汁や食事を毎日、作ってもらうんです。まあ、ハッキリ言うと、夫婦になるって奴」
自分でこんな事を彼女の前で言っちゃうのは、かなりヤバイ男だとは思っている。
でもこのくらい、葉月さんには俺の愛を示してやらないと、伝わらないと思ってな。
「ああ、もう今の言葉を聞いただけで、虫唾が走るわ。冗談じゃないわよ、てめえみたいな底辺のクソムシと結婚なんて」
「ははは、そうですかね。でも、俺も頑張りますから。少しでも葉月さんに満足してもらえるような男になってみますよ」
もはや、葉月さんの俺への罵倒なんぞ、心に全く痛くなくなった。
これが彼女の愛情表現なら、俺も慣れて行かないといけないし、もう慣れた。
怖い物なんてないね、ここまで来たら。
「クソムシも、随分と変わったじゃない。こんな男だって知っていたら、あの時、アクセル思いっきり踏んで、ひき殺していた方が良かったかしら」
「そ、そこまで俺の評価低いんですか?」
「何処を評価しろってのよ、あんたみたいなクソムシを。あーあ、クソムシを退治できる殺虫剤があれば、いくら出しても買って吹きかけてやるのに」
思いつく限りの暴言を俺に吐きまくり、俺の腕を振り払い、本当に害虫でも見るような眼で俺を見る。
「そんな事を言って良いんですか? 葉月さんの未来の旦那に対して?」
「は? 誰が未来の旦那だって?」
「俺ですよ。だって、そうなるんですよね。葉月さんは俺の嫁ーって事で」
自分でも感心してしまうくらいの、ヤバイ発言だが、葉月さんだって俺に対して、それ以上の暴言を吐いているんだから、文句を言われる筋合いはない。
ま、葉月さんの場合は愛情の裏返しだしね。ツンデレっぽい性格なのは最初から、わかっていたし、照れ隠しの一環なんだろう。
「ふーん、そんな事を言えるようになったんだ。クソムシって、頭悪いけど、そういう気持ち悪い発言はよく思いつくわね。褒める気ないけど、感心しちゃう」
「どうも。さー、暑いならホテルにでも行きましょうか。嫌なら、カラオケボックスでも良いです」
「帰る。不愉快だわ」
「そんな~~……」
今日はどうしてもホテルに連れ込みたかったが、ここまで俺を拒絶するような態度を取られると、流石に困るな。
強引にでも連れ込んで、既成事実を作れれば……こんなゲスな考えが先行してしまうのは、ちょっと罪悪感を感じるが、葉月さんは強引な男に弱そうなので、もう一押しすれば折れるかも。
「うぜえ男ね。そうだ。クソムシ、喉が渇いたわ。何か冷たいジュース買ってきな。もちろん、あんたの金で」
「わかりました! 何が良いですか?」
「スポーツドリンクが良いわ。ペットボトルで冷えているの」
「はいはい」
スポドリくらいなら、お安い御用なので、ダッシュで買いに行く。
何処で買うかな……自販機か、コンビニか。自販機の方が冷えているから、そっちにするか。
「急げ、急げー……あれ、葉月さん、何処に行った?」
近くの自販機でスポーツドリンクを二本買い、葉月さんが居た場所へと向かうと、彼女の姿が何処にもなかったので、探し回る。
何処に行ったのかな……まさか、逃げられた?
(俺がジュースを買いに行った隙に、逃げるつもりだったのか?)
くそ、それならハメられてしまったな。
どうしようかな……葉月さんに一先ず、電話をしてみるか。
「出ない……」
スマホで葉月さんに電話をするが、一向に出てくれない。まさか、着信拒否とかされてないだろうな?
何て嫌な予感が過るが、そうやって駅前の人の通りの多い場所を探していくと、
「ねえ、彼女。良かったら、ちょっと付き合わない?」
「む……あれは?」
何と葉月さんが二人のチャラそうな男に声を掛けられていた。
これはナンパ……流石、葉月さん。やっぱり美人だから、声を掛けられるんだな。
(ふふ、ここは俺がかっこうよく助けて、葉月さんの株を上げるチャンスだ)
そう思い、ニヤニヤしながら葉月さんに近づくと、葉月さんはこっちを見て、
「あ、ごめんなさーい。私、今、待ち合わせしているところなのー。英樹! もう、遅いじゃない」
「は?」
というと、葉月さんは俺の方向とは全然違う場所へと走っていき、その方向に視線をやると、
「なあっ! 姉貴、何でここにっ!?」
「しっ! もう、待ったんだからね。さ、行くわよ」
「ちっ、男いるのかよ」
何と英樹が近くを通りかかっていたようで、葉月さんは英樹にまるで恋人同士のように腕を組んできた。
それを見て、ナンパ男たちも、舌打ちして帰っていったが、それ以上に……。
(何だよ、この気持ち……)
葉月さんが英樹に笑顔で腕を組んでいるのを見て、心がズキズキ痛みだす。
あの二人は姉弟だから、そんな関係ではないのはわかるんだが……。
ナンパされているより、葉月さんがあいつと仲良くしている姿に何でムカついてくるんだ?
「いい加減、離れろ! 鬱陶しいっ! これから、用があるんだから、あっちに行け!」
「あんっ! ったく、かわいくねー男ね」
英樹が強引に葉月さんの腕を振りほどき、葉月さんはようやく離れ、俺の方に向かっていく。
「ふふ、クソムシが一番嫌がる事ってさー。何だろうと思っていたけど、やっぱりだったわね」
「え? あ、あの……」
葉月さんは呆然としている俺の方に実に愉快そうな邪悪な笑みでそう言い、俺もやっと声を出す。
「あのクソ弟も少しは役に立つわねー。クソムシが嫌がるなら、ちょっとは利用価値はあるかしら、キャハハ! じゃねー。今日は英樹の好きな冷しゃぶでも作ってやろうかしら♪」
と言って、葉月さんは俺の元を笑顔で去っていく。
何で俺じゃなくてあいつなんかに……そんなモヤモヤした気分が全く晴れず、しばらく葉月さんの背中を見ることしか出来なかった。




