2話
やっと主人公が動き出しました。これから目立っていく予定です。
ノエル=バルテレモン。歴史の古い大国であるスターチス王国の王女である。月のような儚くも優しい金色の髪に、太陽のような黄金の瞳を持つ少女だ。
アベル=ベタンクール。大国ではないが東の大陸との交易を担う重要な港を持つフクシア王国の新国王である。先王である父が病に倒れ、急遽王位につくことになった青年だ。
実績も経験もない若き王が即位した不安定なフクシア王国は、スターチス王国という大国の後ろ盾を得るべく二人の婚約を決めた。
ノエルの歓迎も兼ねた夜会は今、そんな主役二人によって凍りついたように静まりかえっている。
夜会の中心では倒れ込みそうになっているアベルを、ノエルが抱きつくように支えていた。見ようによっては抱きしめ合っているように見えなくもない。
「………っ」
夜会に招かれた者達はみな息を呑んで二人を見つめた。誰一人動ける者はいない。そんな静寂を打ち破ったのは渦中の人物、ノエルだった。
「アベル様!ご気分が優れないのですね!」
「!?」
ノエルはさも「心配しています。」と言った態度でアベルの顔を下から覗き込んだ。これには居合わせた全員が唖然とした。
至近距離から隠れるように放たれたノエルの拳だが、この大勢に囲まれた状況で誰の目にも留まらないわけがない。立っている場所によってはハッキリとアベルの腹に拳が叩き込まれる瞬間が見えただろう。見えなかったとしてもノエルが縋りついた直後にアベルが崩れ落ちたのだ。ノエルが何かした事はこの場の全員が分かっている。
そんな事は分かり切っている状況で、ノエルは白々しい言葉を平然と述べた。これには被害者のアベルもビックリだ。
「アベル様。無理はなさらないでくださいね」
「いや…。俺は……」
「もしかしてお酒に酔われましたか?」
「酒なんて飲んで……」
「そうです。だからあんな冗談を言ってしまったんですよね」
「なっ!?」
状況について行けないアベルにノエルは言葉をたたみ掛けた。アベルの返答などはなから聞く気がない勢いで話し続ける。
勢いに呑まれていたアベルだが、自身の覚悟を込めた言葉を冗談と言われ激昂した。
「あれは冗談などでは…!!」
「そう。あれは冗談。疲れていて体調が悪い時にうっかりお酒を飲みすぎて言ってしまったただの冗談ですよね」
だが、アベルの叫びはノエルのワザとらしい明るい声にアッサリと遮られる。アベルはカッしてノエルを睨むが、ここで初めてノエルが自分を見て話しているのではない事に気が付いた。笑顔を張り付けているが、真剣な鋭い光を宿した黄金の瞳はアベルとは違う方を睨んでいる。
「少々悪ふざけがすぎた冗談。……だからその手を放せ」
さっきまでのワザとらしい明るい声とは真逆の低い声で放たれたノエルの言葉に、アベルを含む全員がノエルの視線の先を見た。その瞬間、空気が今までの比ではない程に凍りつく。
「……!!」
ノエルの睨む先、そこにはノエルについて来たスターチス王国の従者や騎士たちが立っていた。その者達の瞳は鋭く、全身から殺気を放っている。しかも一部の騎士の手は腰の剣に伸びていた。いつでも抜ける構えである。ノエルの言っていた「その手」とはこれの事を指しているようだ。
アベルの背筋に冷たいものが走った。スターチス王国の者からすれば、自国の王女を侮辱されたようなものだ。怒るのも無理はない。しかも国の規模からしてスターチス王国の方が立場は上なのだ。
「放せ」
「………」
再度放たれたノエルの言葉に、騎士たちは無言で剣から手を放した。謝罪の言葉がないのは、主であるノエルの命令だから引くが、アベルに対しての怒りを収めるつもりはないと言う無言の訴えなのだろう。いまだその瞳には殺気が宿っている。その殺気にアベルの精神力は大きく削られていく。
「………っ」
「さぁさぁアベル様。ご気分が優れないのに無理はいけません。今夜はもうお休みになってください」
「は?」
凍りついた空気などお構いなしで、ノエルはアベルを広間の出入り口の方へと引っ張った。
「皆様。せっかく開いてくださった夜会なのに申し訳ありません。アベル様のご気分が悪いようなので私達は下がらせていただきます。皆様はこのまま夜会をお楽しみください」
ノエルは呆然とする貴族達に優雅にお辞儀をし、アベルを引っ張って出入り口に向かっていく。
「さあ。マリオン様もご一緒に行きましょう」
「え?は、はい」
これまで何も出来ずに固まっていたマリオンは、ニッコリと話しかけられて正気に戻った。慌ててノエルとアベルに付いて行く。
「では皆様。お相手出来なくて本当に申し訳ございません。エリック様。後はお願いいたしますね」
「……はい!」
ノエルは最後に一部の隙もない優雅な笑顔でエリックに夜会を丸投げして、広間から出て行った。閉まる扉を前に、ノエルを止められる者は誰もいなかった。
突如この居心地最悪の夜会を丸投げされたエリックは呆然と三人が消えた扉を見つめる。アベルの告白。ノエルの拳。スターチス王国の怒り。そしてそれら全てを誤魔化したノエルの強引さ。自分を含め、誰も何も出来なかった。
(ノエル姫に救われた。…いや、見逃してもらったのか)
アベルの告白もノエルの拳も外交問題に発展してもおかしくない行いだ。それをノエルはアベルの告白も自身の拳も冗談の一言で誤魔化した。あんな白々しい誤魔化しなど、この場の全員が嘘だと分かっている。だがそれを指摘できる者など、この場にはいないのだ。
フクシア王国側からすれば、侮辱されたノエルが冗談だと見逃してくれているのだ。嘘だと分かっていてもそれに乗るしかない。怒り心頭のスターチス王国の者達も、主であるノエルが冗談だと言ったら引くしかない。二つの国が戦争になった場合、大国のスターチスとフクシアでは結果は明らかだ。
エリックはただノエルの機転に感謝する事しか出来なかった。
(何がどうなっているんだろう?)
アベルは痛む腹を押さえながらフラフラと廊下を歩いていた。両脇から愛するマリオンと痛みの原因であるノエルに支えられて自室へと向かう。左を見れば心配そうに見上げるマリオンと目が合う。その瞳からは自分と同じくらい困惑している事が伝わってきた。安心させるように小さく微笑む。
右を見るとノエルがニッコリ笑いながら見上げてきた。その瞳は相変わらず笑っていない。その瞳と
ノエルの従者と騎士が数人後ろから黙って付いて来る事が、アベルの神経をすり減らす。
「ノエル様」
「ニーナ」
自室近くに行くとスターチスの侍女が立っていた。ニーナと呼ばれた少女は、長い赤毛を首の後ろで一つに縛り、大きな瞳は気が強そうにキリッとしている。歳はノエルよりもさらに幼い。十歳から十二歳くらいだ。一国の王女の侍女にしては幼すぎる。
アベルは目の前の侍女に面喰い、そこで初めてこれまでノエルにばかり気を取られて、ノエルの傍にいる侍女や従者の事を全く気にもかけていなかった事に気が付いた。目の前の侍女も、これまでに何度か顔を合せていたはずなのだろう。アベルが気に留めていなかっただけで。思い返せばマリオンをお茶に誘いに来た時など、ノエルの傍に少女が付き従っていた気がする。
「ニーナ。アベル様がご気分を悪くされたようなの。水をお持ちして。あと私とマリオン様の分も入れて三人分の紅茶をお願い」
「はい。かしこまりました」
ノエルの言葉にニーナはキビキビとお辞儀をして、紅茶を入れに去って行った。アベルはその背を何となく見送る。
「さぁ、アベル様。少し休みましょう」
ハッとアベルが視線を前に戻すと、すでに自室の扉がノエルの従者によって開けられていた。アベルはニーナの存在を初めて認識したように、ノエルの従者達の容姿を初めて観察する。
広間からついて来た者達は三人。一人はいかにも騎士と言った好青年風の男だ。歳はアベルと同じか少し上くらいだろう。キリッした真面目そうな男だ。あとの二人は青年とは違い、騎士の制服を着ていない従者である。
一人はニヤニヤと笑いながらも冷ややかな目をした青年だ。歳は好青年風な騎士と同じでアベルと同じか少し上くらい。どこか不真面目そうな男だ。
最期の一人は他の二人よりもずいぶん年上の男である。歳は三十代から四十代。人相の悪い髭を生やした大柄の男だ。ハッキリ言って王族に仕えていると言うよりも、下町の酒場とかにいそうな男である。
そんな三人は三者三様にアベルを睨んでいた。第一王子として城と言う温室で育てられたアベルにとって、こんな露骨にメンチを切られるのは初めての経験である。無礼と怒るよりも恐怖が勝った。
「えーと、アドルフとノーマンは部屋の前で見張り。ヨアンは私と……。やっぱなし。アドルフは私と部屋の中に。ノーマンとヨアンは部屋の前で見張りよろしく」
アベルを睨む三人に溜め息を吐きつつノエルは指示を出す。
「了解」
「…っ。……はい」
不真面目そうな青年は飄々と、真面目そうな好青年が不満そうに扉の横に控えた。どちらがノーマンでヨアンなのかはアベルとマリオンには分からない。ただこの二人の青年がノーマンとヨアンだとすると、一緒に部屋に入るように言われたアドルフはただ一人。
「さぁ。アベル様もマリオン様もお入りください」
「…はい」
「………」
部屋の主の様に振る舞うノエルに誘われて、アベルとマリオンは青い顔で部屋へと入る。そんな二人の後ろで最後に入ってきた人相の悪い大柄な男、アドルフが部屋の扉を閉めた。
(よりによって一番ガラの悪そうな男を………)
アベルは心の中でノエルに文句を叫ぶ。実はこの人選。ノエルがアベルに気を使った一番マシな人選であった事を、アベルは後に知る事になる。
アドルフを除く三人がソファに腰を下ろす。自然とノエルが一人、アベルとマリオンの二人が並んで、テーブルを挟んで向かう形になった。アベルはすぐ隣に座る愛する人の存在に、勇気を取り戻して口火を切った。
「ノエル姫。さっきのはどういうつもりなんですか?」
アベルはまだ痛む腹をさすりながらノエルを睨みつける。しかしノエルの返答に固まった。
「いやいや。それ、こっちのセリフだから。そちらこそ何言おうとしちゃってんです?」
ノエルは呆れを隠そうともせずにソファの肘掛けで頬杖をつき、行儀悪く足を組んでおざなりな敬語で言い放った。そこには今までのお姫様らしい姿は影も形もない。
アベルとマリオンはまたしても目の前の少女に唖然させられた。
(簡単な話だと思ってたんだけどな…)
ノエルは目の前の恋人達を面倒臭そうに眺める。現実逃避するようにエリックに放り投げた夜会を思い出すが、おそらく適当な理由をつけてもう解散している頃だろう。
(あんな空気で楽しむも何もないな…。そんな事よりも今は目の前のバカップルをどうにかしないと)
溜め息を吐いて気合を入れ直す。現実逃避している場合ではない。
ノエル=バルテレモンは大国・スターチス王国の王女をやっている。まだ幼さを残すが王族としての自覚は深く刻み込まれていた。それには彼女のこれまでの人生が大きく関わってくるのだが、その話はまた今度。とにかくノエルと言う少女は見た目の無邪気さとは不釣り合いな豪胆さと苛烈さ、そして冷静さを持った人間である。
ノエルは今回のフクシア王国との同盟と合わせての嫁入りに対しても不満はない。双方の国の為に自分が出来る事はとことんやる覚悟だ。その為にもフクシアに来てからの数日間、多少の猫だって被った。……今まさに地を出して困惑されているが、そんな事はどうだっていい。
「さっきの夜会で自分が何言おうとしてたか分かってます?」
ノエルは頭痛を感じながら目の前に座るアベルをジッと見据えた。もう国同士の話は済んでいると思っていた婚約が、結婚相手である本人に否定されれば頭も痛くなる。まさか国王が納得していないとは思わなかった。
(この国の重臣たちも思い切ったことするなぁ)
「ノエル姫。俺はこのマリオンを妻にします。マリオン以外と結婚する気はない」
急に態度が変わったノエルに戸惑いながらのアベルの告白を聞く。今度は殴って止めたりはしない。聞いているのは本人達とノエルの息がかかった者だけだ。
「俺はマリオンを愛している。若輩ながらも新王となった俺の横に立つのは、マリオン以外考えられない」
「私も…。身分違いなのは分かっています。それでもアベル様と共に生きたいです」
「なるほどね。いやはや素晴らしい愛だね」
目の前の愛し合う二人にノエルは頷き、拍手を送った。アベルとマリオンは訝しげにノエルを見る。
「いいと思いますよ。愛する人と一緒に生きる。生涯ただ一人を愛する。実に素晴らしい。愛って大切だもんね。そんな人と巡り合えて一緒になれたら幸せでしょうとも」
拍手しながら話し続けるノエルにアベルとマリオンは困惑するしかない。だがノエルは拍手を止めると低い声で二人に言葉を投げつけた。
「で?」
「え!?」
「それでどうすんの?」
ノエルは首を傾げて質問をぶつけるが、二人は意図も分からない様子だ。そんな二人に呆れかえり、ノエルは立ち上がって芝居めいたしぐさで語り始めた。
「王様と美しい娘が身分違いの恋をした。周囲の反対や大国からの婚約を乗り越えて二人は結ばれる。なるほど。みごとなハッピーエンドだ。真実の愛だね。こうして二人はいつまでも幸せに暮らしましたとさ。ってわけだ」
そこまで話すと、大袈裟な身振り手振りをしていた腕を下す。
「……で、そのハッピーエンドで二人以外は幸せになるの?」
「「………っ」」
冷ややかに放たれた言葉に、アベルとマリオンは凍りついた。
「それは…」
「二人の結婚で国境を他国から守れる?」
「………その…」
「真実の愛で民の腹は膨れる?」
「……………」
「私にはその力があるよ」
「!!」
俯いて黙ってしまったアベルに結論を言う。アベルは弾かれたように顔を上げた。その表情は悔しさと怒り、悲しみで歪んでいる。
「もう一度言うよ。私は側室がいても気にしない。仲良くするよ」
「だが!…俺が愛しているのはマリオンだけだ。俺はノエル姫。この先一生キミを愛せない」
「いやいや。私だって別にアベル様のこと愛してないし」
「な!?」
意を決して放ったアベルの言葉を、ノエルはアッサリ撃ち落とした。これには皆ビックリだ。成り行きを見守っていたアドルフは頭が痛そうにため息を吐いている。
「なんでそんなに驚くかな?」
ノエルは周りの反応に首を傾げる。ノエルからしたら愛がないのが当たり前だった。出会ったばかりの政略結婚で愛を持つ方が難しい。
「じゃあなんで、そんなに俺と結婚したがるんだ?ハッキリ言ってスターチスと比べたらうちの国は小国じゃないか?」
「まぁね。ハッキリ言ってもっといい縁談話もあるんだけどさ。フクシアは場所が問題なんだよね」
アベルの疑問にノエルは事も無く答える。
「分かってると思うけど、フクシアはこの大陸の最東部の港を持つ国だからね。東方の島国や大陸との交易に重要な土地だ。そんな国の賢王が病に倒れて、その息子の青二才が新王になったってんで周囲の国は大チャンスってわけだよ」
「あ、青二才!?」
アベルの顔が引きつるが、ノエルは構わないで話し続ける。
「この国は実に魅力的な場所にあるからね。この機会に支配を企む国があってもおかしくない」
「…スターチスもその一つってわけか?」
「ははは。まさか。だったら婚約なんかしないでさっさと攻め込むよ。うちの国は戦争は望まない。民が苦しむだけだからね」
忌々しそうに吐き出されたアベルの言葉を笑い飛ばした。
「もしも欲深い国がフクシアを奪ったら東方からの貿易品を独占され、いいように値上げされるだろう。もしも野心ある国がフクシアを奪ったら東方の大陸との戦争の最前線とされるだろう」
ノエルの言葉にアベルとマリオンは息を呑む。
「スターチスはそれを望まない」
これまでのどこかふざけた態度ではない、静かで重みのある声が部屋を支配した。
「これからはスターチスがフクシアの後ろ盾になって守ります。アベル様に足りないものは私が王妃になって補う。マリオン様とは側室として関係を続ければいい。正妃とは政略結婚で愛する人を側室に迎えるなんてよくある話ですよ」
気にすることはないと言い含める様に話しかける。アベルはその言葉に拳を握って俯いた。マリオンはそんなアベルの手に自分の手を重ねる。
「………身分違いの恋を叶えた王の話だってたくさんある」
アベルは握っていた拳を解き、重ねられたマリオンの手を握った。手から伝わるマリオンの温もりから勇気を得て、正面からノエルを睨んだ。その眼には決意が宿っている。
「俺はマリオンと共にこの国を守ってみせる。身分なんて関係ない。愛する人も国も守ってこその国王……っだぁ!!?」
アベルの熱意溢れる宣言の途中で、ガッターンと鈍い音が部屋に響いた。
ありのままに言うと、ノエルがアベルの言葉が言い終わる前に互いの間に置かれていたテーブルをひっくり返した。つまりちゃぶ台返しだ。
「な!?何するんだ!!?」
アベルは心臓をバクバクさせながらマリオンを腕の中に庇う。マリオンも青い顔でアベルにしがみ付いた。
「飲み物が届いてなかった事に感謝しな」
そんなアベルとマリオンを冷めた眼で見ながら、ノエルは低い声で吐き捨てる。ひっくり返されたテーブルに熱い紅茶が乗っていたら大惨事になっていただろう。目の前で無残に転がるテーブルを見て、アベルとマリオンは顔が引き攣った。
「何事です!?姫様!ご無事ですか!!?」
ノエルが引き起こした轟音に、部屋の外で控えていた騎士が血相を変えて部屋に入ってくる。その手は腰の剣にかかっていた。アベルの背中に冷たいものが走る。
「ノエ…、姫さんがやらかしただけだ。何でもねぇよ」
アドルフはそんな騎士を溜め息まじりで部屋の外に押し出した。ノエルもやれやれと首を振る。
「話を戻そう。いきなり失礼しました。あまりにも子供臭い発言だったもんで、ついイラッとしちゃいまして」
「なっ!?」
ノエルは全く悪いと思っていない顔で舌打ちまじりで口だけの謝罪をした。態度も言葉も全くと言っていいほど謝罪になっていない。
「ふざけるな!子供はそっちだろうが!!」
アベルは年下であるノエルの言葉に我慢出来ずに叫んだ。勢いよく立ち上がったためソファが大きな音を出す。
「今の大声は何事ですか!?子供とは姫様の事じゃないだろうな!?」
「………」
アベルの叫びに再び騎士が殴りこんできた。その手はまたもや腰の剣にかかっている。
アドルフは無言で騎士を部屋の外に押し出して、力いっぱい扉を閉めた。ノエルはそれを冷めた眼で見届けて咳払いをする。
「うちの者が度々失礼します」
「……いや」
微妙な空気が流れる。
「アベル様。さっき身分違いの恋を叶えた王もいるって言いましたよね?」
「ああ。古今東西、身分の差を超えて妻を娶った王の歴史は存在する。俺とマリオンの関係だって先人の王たちと同じだ。間違いじゃない」
話を戻すノエルに、アベルは自信満々に答えた。マリオンはソファに座ったままアベルを静かに見守っている。立ち上がったままのアベルに見下ろされながら、ノエルはもう何度目になるか分からないため息をついた。
「なるほど。確かに身分違いの恋を成就させた王の話はたくさんありますよ。その逆の姫の話もしかりだよね。でもさぁ。その王たちとアベル様じゃ決定的に違う所があるんだよね」
「違い?」
「そう決定的な大きな違い。その王たちには身分違いの相手を娶っても周囲の反対を覆すなり黙らせるなりする力と政略結婚に頼らなくても国を治める資質があったけど、アベル様にはそれがない!」
ノエルはビシッとアベルを指で指し、言葉の刃で切り捨てた。ハッキリ言って身もふたもない。
「なぁっ!!」
「ア、アベル様」
あまりの言われように愕然とするアベルに、マリオンが気まずそうに声を掛ける。ノエル側の人間であるアドルフさえも顔を引き攣らせていた。
「ふざけるな!なんでそんな事が分かる!?」
アベルは怒りで顔を赤く染めて怒鳴る。愛するマリオンの目の前で馬鹿にされたのだ。我慢できるわけもない。
「分からいでか!だからこそ重臣たちが王であるあんたの意見無視してでも婚約を推し進めてるんでしょうが!!そもそもなにを歴史上の偉人たちの例を持ち出してるんですかぁ!?自分が歴史に名を残す名君の器だと思ってるわけ!?」
ノエルも勢いのままアベルを怒鳴りつける。もう姫らしさとか淑女の嗜みとかどうでもいい。
「なんでお前なんかにそんな事言われなくちゃいけないんだ!」
「お前なんかとは姫様のことじゃないだろ……ぶ!」
バンッ!という乾いた音が部屋に響き渡った。アベルの叫びを聞いた三度目の騎士の乱入は、アドルフが反射的に扉を蹴り閉めた事で防がれたようだ。人の顔と扉がぶつかる鈍い音に、この場で唯一のか弱い女性であるマリオンが両手で口を覆って痛ましそうな表情をする。
「ヨアンうっさい!いい加減にしろ!アドルフ!しっかりドア押さえといて!!ノーマンはヨアン押さえとけ!」
ノエルの叫びに扉の外から青年二人が言い合う声が聞こえてくる。アドルフは命令通り、扉に背中を付けて両足を踏ん張った。
アベルはノエルの言葉に、あのイチイチ剣に手をかけながら乗り込んでくる騎士がヨアンである事を知って青ざめる。ノエルが最初に部屋の中に共として入れようとしたのがヨアンだ。アドルフに換えてくれて良かったと頭の隅で思う。
「……もっかい話を戻そう。アベル様はもうちょっと自分の置かれてる状況を理解した方がいいですよ」
「なに?どういう意味だ?」
ノエルの言葉にアベルは眉をしかめながらソファに座り直す。
「さっきの夜会で気付きましょうよ。私が何をしたか忘れました?あんたの腹に拳叩き込んだでしょうが」
「………忘れるわけないだろう」
アベルは痛みを思い出し、腹をさすりながら恨みがましそうな声で言い返した。ノエルはここまで言ってお察する事のできないアベルに苦々しそうに首を振る。
「自国の王が殴られたっていうのに駆け寄る者は一人もいなかった。あの場にいた全員が、国王であるアベル様よりも私…つまりスターチスとも関係を重要視したんですよ」
「………っ!!」
ノエルの言葉にアベルは頭を殴られたような衝撃を受ける。
(本当に気づいてなかったんだ)
そんなアベルの様子にノエルは呆れかえった。
「他国だけじゃない。自国の中でもアベル様の力は認められてないって事ですよ。あんたに仕えている官たちが、あんたの力じゃ国を守れないって思ってるんだ」
「もうやめてください!」
ショックを受けているアベルに追い打ちをかけると、マリオンが悲痛な顔で止めに入った。呆然と項垂れるアベルを抱きかかえるように支える。
「これ以上は……」
「私が黙ったからって現状は何も変わりませんよ」
「……それはそうですけど」
「………」
痛ましそうに寄り添う目の前の恋人達に、ノエルは肩の力を抜いた。
「今日はここまでにしましょう。お互い冷静になった方がよさそうだし」
ノエルはソファから立ち上がって扉の方へと歩き出す。
「……俺は未熟かもしれない」
立ち去るノエルの背中にアベルが声をかけた。ノエルは立ち止まってチラリとアベルを見る。その姿は何かに耐える様に歯を食いしばって震えていた。
「それでも……俺はマリオンとの未来を諦めたくない」
「………心の整理が必要でしょう。二人で話し合ってください。ただ、あまり時間がない事は理解しといてくださいね」
絞り出すような震える声にノエルはそれだけ言い返し、部屋から出て行く。
残されたアベルとマリオンは寄り添うように項垂れるしかなかった。
「ノエル様」
「ニーナ」
ノエルとアドルフが部屋から出ると、丁度三人分の紅茶を持ったニーナと鉢合わせる。
「ごめんニーナ。せっかく用意してもらったんだけど、話終わっちゃったんだ」
ノエルはニーナに手を合わせて謝った。
「申し訳ありません。遅くなってしまって」
「いや。遅くなって良かったぞ。早く届いてたらやばかった」
頭を下げるニーナに、アドルフが苦笑して首を振る。いまだ引っくり返ったままのテーブルを思い出しているのだろう。
「?」
ニーナは不思議そうに首を傾げる。そんなニーナの肩に手を置いて、ノエルは自室といて与えられている賓客用の部屋へと歩き出した。
「せっかくニーナが入れてくれたんだしね。その紅茶は部屋に戻って一緒に飲もっか」
「アベル様たちにはお持ちしなくてもいいんですか?」
「いいよ。今はそっとしとこ」
ノエルは項垂れる二人を思い出して首を振った。あの重たい空気に「紅茶はいかが?」とか聞くなんて馬鹿の所業だ。
「ノエルにだいぶ凹まされたしな」
「アドルフ!何度も言わせるな!姫様を呼び捨てるとは不敬だぞ!」
肩をすくめてノエルと並ぶアドルフにヨアンが噛みつく。呼び捨てられたノエルは気にしていない。
「いいって。誰も聞いてないんだし」
「姫様。御心が広いのは姫様の美点ですが、これは臣下としての心構えの問題でも…」
「んな事よりひーさん。王子様とその愛人との話し合いはどうだったんスか?」
若い従者、ノーマンがニヤニヤ笑いながら話に割り込む。
「ノーマン!貴様も姫様に対して馴れ馴れしいと何度言えば…」
「愛人じゃなくて恋人ね」
「……」
アドルフに続きノーマンの態度にまたも怒り爆発なヨアンだが、主人であるノエルに遮られては黙るしかない。苦々しそうにノーマンを睨みつける。ノーマンはと言うと、涼しい顔でノエルとの会話を続けていた。
「似たようなもんっしょ?」
「違うでしょ。これから王妃と側室として長い付き合いになるんだから、失礼のないようにね」
「ホントに嫁いじゃうんスか?あんな奴に?」
ノーマンは頭の後ろで腕を組みながら、嫌そうな顔になる。その態度には今回の婚約に対する不満が隠すことなく現れていた。
「〝あんな〟だから私が嫁ぐんでしょ」
ノエルは不満たらたらの部下に溜め息をつく。
「そんなにダメですか?アベル王子様は」
ニーナが不安そうにノエルを見上げた。ノエルは安心させるようにニーナの頭を撫でる。
「ダメ人間ってわけじゃないよ。ちゃんと教育は受けてるし。普通の国で普通の王様になるには充分な王子様だよ。ただこの国の置かれておる状況が凡人では難しいってのと、何より若すぎるってのが問題なんだよね」
「同盟を結ぶだけではダメなんですか?」
ヨアンも口を挟む。この婚約に対する不満はノーマンと同意見のようだ。
「さっきも言ったけど、この国の状況は難しいからね。同盟だけじゃ内政に口を出し切れないもん。かと言って属国にするのは兄様も本意じゃないし。私が王妃になって目を光らせるのが一番手っ取り早いんだよね」
「だからってたった一人の妹をアッサリ嫁に出すかね」
ノーマンは理解できないと舌を出す。
「兄様は王で私はその妹なんだから当然だよ」
「「「「………」」」」
さも当然の事の様に言うノエルに、四人そろって黙り込んだ。
「なんにしてもアベル様が納得してくれない事には穏便に話が進まないんだよね」
ノエルは疲れた声で愚痴をこぼす。
「私だって愛し合う二人の仲を裂きたいわけじゃないんだよ。私って完全に恋愛小説とかの恋敵とか悪役のポジションじゃない?」
嫌そうに語るノエルにみな無言で苦笑した。実際に身分違いの大恋愛に横槍を入れている為、否定できない。
「みんなから見てアベル様ってどう見える?」
答えを返さない部下たちに、ノエルは別の質問をした。
「温室育ちの世間知らず」
ノーマンがアッサリと即答する。
「…姫様に対して無礼…です」
ヨアンが忌々しそうに呟く。婚約には不満だが、相手からノエルを袖にされるのは嫌らしい。
「良くも悪くも誠実…ですかね?」
ニーナが疑問系で答える。確かにマリオンへの愛を貫く姿勢は誠実故だろう。
「……アドルフは?」
まだ答えてないアドルフに顔を向ける。さっきの話し合いに立ち会ったアドルフが、四人の仲では一番アベルの人となりを見ているだろう。
「……王族とか政略結婚とか難しい話は俺には分からねぇ。どうするのが正しいかなんてサッパリだ。女房がいる身としちゃあ、あの王子様の気持ちも分かるぜ。ただよ。俺に言えるのは、惚れた女に目が眩んで民が見えなくなるような王様の国にはゼッテェ住みたくねぇって事ぐらいだな」
アドルフは少し考えてから、真剣な表情で答えた。
「そうだよねぇ。結局、国の上がもめれば一番被害を受けるのは民なんだよね」
ノエルはしみじみと頷く。
「とりあえず明日また説得しよう。今日はニーナの淹れてくれた紅茶を飲んでまったりして寝る」
「お疲れさん」
フンッと意気込むノエルの頭をアドルフの大きな手がポンポンと撫でる。
またも「無礼だ!」と言い合う部下たちの声を聞きながら、ノエルは欠伸をかみ殺した。
(……あんまりのんびりもしてられないよね)
眠気と戦いながら、ノエルは明日からの日々に頭を悩ませる。ノエルのフクシア王国での奮闘は、まだ始まったばかりだ。
時間軸無視して書き始めたからキャラの説明が難しいです。ノエルの部下との出会いエピソードは、次章から書いていきます。