08. 二人の出逢い
ある晴れた日の午後。王城の庭園は、咲き誇る花々と、色とりどりのドレスを纏った令嬢たちで華やかに彩られていた。
可憐な笑い声や、風に揺れる絹の擦れる音が響く中、八歳になる第一王子アヴィ・シルベスターは、完璧な王子の微笑みを絶やさずにその中心に佇んでいた。
今日催された王妃主催の茶会――それが単なる同年代の貴族子女が集う交流会ではなく、事実上の自身の婚約者選びの場であることは、幼いアヴィであっても痛いほど理解している。
そんな背景を察していた高位貴族の娘たちは、我こそはと張り切ってこの場に臨んでいた。
「殿下! あちらのお菓子がとても美味しゅうございますわよ」
「本当ですか? なら私もいただこうかな」
周囲を取り囲むようにしながら話しかけてくる高位貴族の娘たちに、アヴィは丁寧に対応していたが、プライドの高い令嬢やわがままが過ぎる令嬢が視線で火花を散らす様子に、内心では辟易していた。
しばらくは我慢してその場に留まっていたアヴィだったが、一頻りその場にいた令嬢たちとの会話を終えると、不自然にならないように王妃のもとに向かう。
「すみません、母上。少し席を外しても?」
「ええ、構わないわ。でもあまり長くは駄目よ?」
「はい」
アヴィの表情からその思いを感じ取ったのか、王妃は苦笑を浮かべて退席を許可したのだった。
◇◇◇
ふぅ、と大きなため息を吐きながら、アヴィは庭園の奥へと歩いていた。
(……婚約者選びの場とは聞いていたけど、疲れるなあ……)
必要なことだと分かってはいるし、異論はないが、様々な思惑を抱えて近付いてくる令嬢たちと一緒にいるのは、心が休まらない。
どうしたものかとぼんやり考えながら、再びため息を吐いた。
――その時。
「うぇっ……く……」
不意に誰かが泣いているような声が聞こえて、アヴィは顔を上げる。
(今の声は……)
聞き覚えのある声に、彼は歩みを早めた。
「――大丈夫ですよ。すぐに取れますからね」
先程の声とは別の、子供をあやすような柔らかな声がアヴィの耳に届いた。彼は慌てて足を止め、傍の木に身を寄せるようにして、様子を窺う。
すると、少し先の噴水のある開けた場所に、二つの人影が佇んでいるのが見えた。
一人はアヴィと同じ年頃の少女。その白金の滑らかな髪には見覚えがあった。茶会の最初、参加者の子女が親と共に王妃と自分に挨拶に来た時に、綺麗な色だなと思ったからだ。
(……確か、グランドール公爵家の者だったか。共にいた父親も同じ髪色だったな)
記憶を辿って彼女のことを思い出す。とはいえ、他の貴族たちがこぞって印象を残そうとアピールする中で、彼らは目立たず粛々と定型の挨拶を述べた後はすぐに立ち去ってしまったため、見た目と名前以外の情報はほぼなかった。
そしてもう一つの人影は、やはり自分の妹のレイアだった。何やら泣いているようで、もう一人の少女が妹の傍に膝をついて彼女のドレスの裾を持ち、ハンカチを押し付けている。
「せっかく、の、あたらしい、ドレスだったのにっ……」
どうやら、レイアはお茶会で何かを零したのか、ドレスを汚してしまったらしい。
アヴィは、今朝の食事の席で、妹が新しく仕立ててもらったドレスを着て、嬉しそうに翻して見せていたのを思い出した。
「大丈夫。このくらいならちゃんと綺麗になりますよ」
「ほんとう……?」
「ええ」
泣いているレイアを安心させるように優しく微笑むその少女から、アヴィは目が逸らせなくなっていた。
「――はい、取れましたよ」
しばらくして少女が声をかけると、レイアが不安そうにドレスの裾を覗き込む。そうして、すっかりシミがなくなったのを見て、パァッと瞳を輝かせた。
「わぁ、すごい! きれいに汚れがなくなってる! おねえちゃん、魔法を使ったの?」
「ふふ、魔法ではありませんよ。孤児院で小さなお子さんたちのお世話をお手伝いしていた時に、シスターに教わったのです」
「こじいん……? シスター……?」
聞き覚えのない単語に、不思議そうに首を傾げたレイアの頭を、少女は慈しむように撫でる。
(彼女は……もう孤児院で奉仕活動をしているのか)
木陰からそのやり取りを見つめていたアヴィは、感心して目を瞠った。
先ほどまでの地位や打算に囚われた令嬢たちとは、まるで違う。ただ泣いている幼い妹のために、土で汚れることも気にせず膝をついて手を差し伸べ、ごく自然に微笑む姿。
そのどこまでも透明で温かな雰囲気に、アヴィの胸はドクンと大きく脈打った。
美しい白金の髪や優しげな紫の瞳は、神秘的な月光のようでありながら、幼い妹に向けるその微笑みや佇まいは、まるで包み込むような陽だまりそのものだった。
「もう零さないように気を付けてくださいね」
「うん! ありがとう、おねえちゃん」
嬉しそうに笑うと、レイアが茶会の会場に駆けて行く。そんな妹を微笑みながら見送ると、残された少女は小さく息を吐き、噴水の傍のベンチに腰かけた。ふわりと柔らかそうな白金の髪が揺れる。
アヴィはそのまま吸い寄せられるように、彼女のもとへとゆっくり歩み寄っていった。
「やあ」
「……え?」
突然かけられた声に、少女は驚いて顔を上げた。そして声の主を見上げると、目を丸くして固まった。
「だ……第一王子殿下……?」
さすがに今日の主役を忘れたということはないようだ。彼女の反応にくすりと笑いながら、アヴィはまず礼を述べた。
「ありがとう。先ほどは妹が世話になったようだね」
「え……妹……?」
ぱちくりと目を瞬いて、すぐに先ほどの少女がそれだと気づいたらしい。
「うそ……あの子……いえ、あの方が姫殿下……?」
ぽつりと独り言のように呟かれた言葉に、アヴィはこくりと頷いた。
「ああ。私の妹のレイアだよ」
その言葉に絶句する彼女。先ほどまでの幼子を安心させるようなしっかりした印象と違い、年相応に困惑を露わにした様子が可愛らしくアヴィの瞳に映る。
「そうだ、お礼に私に庭園を案内させてくれないかい?」
「そ、そのような。畏れ多いことです!」
アヴィの提案に少女は大きく首を振る。他の令嬢であれば瞳を輝かせるであろう提案に対する、そんな彼女の反応が新鮮で、アヴィは内心で驚きを覚えていた。
「……レイア姫殿下のことでしたら、私が勝手にした事ですし、殿下にお礼をしていただく必要などございません」
「しかし――」
「それに、先ほどのことは姫殿下ご自身からも、そして今第一王子殿下からも、お礼のお言葉をいただきました。それで十分です」
そう言って固辞してこの場を去ろうとする彼女。だが、そんな彼女の様子にアヴィは一層の興味を抱いた。もっとこの少女と話してみたい――そんな想いが、自然と言葉として溢れていた。
「そうか、なら……私からのお願いということにしよう」
「……え?」
「私が君を――フィーネ・グランドール嬢を案内したいんだ。エスコートさせてくれないかな?」
そう言って恭しく手を差し出すと、彼女はまさか名前を覚えられているとは思っていなかったのか、目を丸くしてアヴィを見つめた。茶会の始めにあれだけの貴族が挨拶に訪れていたのだから、無理もない。
「フィーネ嬢?」
「……あ、え、ええと……はい。では、少しだけ、よろしくお願いいたします」
第一王子からの正式な申し出を一貴族令嬢が無下に断るなどできるはずもなく、フィーネは戸惑いながらも頷いた。
◇◇◇
最初は固さの残っていたフィーネだが、アヴィが庭園の花々や木々を紹介しながら歩いているうちに、次第に打ち解けた様子で時折笑顔を浮かべてくれるようになった。
とはいえ、他の令嬢たちと比べるとどこか翳のある様子で、それがアヴィには少し気になっていた。
一方で、彼女との会話はアヴィを大いに驚かせた。同年代とは思えないほど博識なだけでなく、単に知識を暗記しただけではない、彼女自身が日々どれほど真摯に学びと経験を重ねてきたのかという「静かな積み重ね」が言葉の端々から伝わってきたのだ。
先ほどまでの様々な思惑に満ちた令嬢たちとの会話とは異なり、そこには一切の苦痛もなかった。もっと彼女と話していたい――そう思わせる時間はあっという間に過ぎていき、ふと時計に目をやったアヴィは、ハッと我に返った。
「ああ、そろそろ戻らないといけないな……」
席を外してから思いのほか長い時間が経とうとしていた。さすがにまずいと感じて、アヴィが休息がてら腰掛けていたベンチから立ち上がる。
「そうですね、きっと他の皆さまもお待ちでしょう」
フィーネもまた頷いて立ち上がると、洗練された淑女の礼をとった。
「本日はありがとうございました。殿下に案内していただけるなど、身に余る光栄でしたわ」
「いや、こちらこそ、妹が世話になった。それに、とても楽しい時間を過ごさせてもらったよ」
穏やかに目を細め、アヴィは微笑みを返した。
「フィーネ嬢、もし、よかったら――」
「……はい?」
首を傾げる彼女の無垢な瞳に見つめられ、アヴィはハッと我に返った。
(……いきなり何を言い出そうとしたんだ、私は)
出会ったばかりの相手に何を求めようとしたのか。己の思いがけない言動に、思わず曖昧な笑みが零れた。
「……いや、今はやめておくよ。また会おう、フィーネ嬢」
「はい。それでは、失礼いたします」
淑やかに頭を下げ、去っていく彼女の小さな背中を、アヴィは温かな心地で見送った。
(恋も愛もまだよく分からない。だけど、もし将来誰かを隣に迎えるのだとしたら、その相手は――)
そんな予感にも似た幼い確信だけを胸に、アヴィは彼女の姿が見えなくなるまで、静かに見つめ続けていた。




