06. 街中の出来事
お忍びで街に下りたフィーネは、目当ての綺麗な刺繍糸を購入し、大事そうに胸に抱えて微笑んでいた。
そうしてジーラとともに馬車に向かって歩いていると、道の先の方――大通りの片隅で、ザワザワと騒がしい声がしたかと思うと、何やら揉めている集団が目に入った。
「あれは……?」
「何でしょう……。お嬢様、危ないので近づいては……」
ジーラがフィーネを庇うように片手を上げる。
――その時だった。
「お願い、やめて……!」
「黙れ! 大人しく来い!」
集団の中から幼い悲鳴と品のない怒号が響き渡った。その声に、ざわり、とフィーネの心が波立った。足を止め、その集団を注視する。
(……今の、声……)
嫌な予感がフィーネの小さな胸に渦巻いていく。凝らした視線の先、人垣の隙間からチラリと覗いた赤い髪に、フィーネは思わず息を呑んだ。
「……お嬢様?」
「っ、ごめんなさい、ジーラ」
「え――」
フィーネは驚くジーラの手を押し退け、集団に向かって駆け出していた。
「お、お嬢様!」
ジーラの制止を背に受けながら、無我夢中で道の先を目指す。ドクドクと心臓が嫌な音を立てて激しく鳴り響いていた。
(……だって、間違いない。あの声、あの髪色は――!)
野次馬の人垣をかき分けた先で、フィーネが目にしたのは、刃物をちらつかせた柄の悪い男たちが、アンナとギル、そして幼い少女を取り囲んでいる光景だった。フィーネはその少女に見覚えはないが、おそらく新しく入った孤児院の子供なのだろう。
「クソッ、そいつの手を離せ……!」
少女の手首は男の太い手で強く掴まれ、恐怖と痛みに青ざめながら涙を流している。
ギルが必死に彼女を助けようと男の足にしがみ付くが、容赦なく蹴り飛ばされ、石畳に叩きつけられた。
「ギル……っ! やめて、お願いだから!」
アンナの悲痛な叫び、そして、倒れ伏すギルの姿。その光景にフィーネの頭の中で血が引いていく感覚がした。
(アンナ……! ギル……!)
心臓が跳ね上がり、全身の毛穴が開くような激しい恐怖がフィーネを襲う。男たちの手に光る刃が、ギラリと鈍く照り返していた。
周囲の大人たちは遠巻きに囲み、ひそひそと囁き合うばかりで誰も助けようとしない。
「関わらない方がいい」
「ただの貧民街の孤児だろう」
——そんな声が聞こえてきて、フィーネはぎゅっと唇を噛み締めた。
(どうして……どうしてみんな、助けてあげないの……!?)
「お、お嬢様、いけません! すぐに警備隊を――」
追いついたジーラがフィーネの手を引っ張ろうとした、その時。
(……今逃げたら、アンナたちが連れ去られてしまうかもしれない)
冷静な理性は、魔法も使えない自分にできることなどないと告げている。
でも、それでも。
「――アンナ! ギル!」
騒動の中心部に飛び出すと、フィーネはアンナたちを庇うようにして男たちの前に立った。突然現れたフィーネの姿に、アンナたちが目を丸くした。
「フィ、フィーネ様!?」
「……あん? なんだ、このガキは」
品のない台詞に、フィーネは眉を顰める。
男の関心がフィーネに向いたのを感じ取り、倒れていたギルが焦ったように立ち上がろうとする。
「……馬鹿! なんでこんな所に……!」
「ふん、随分いい身なりじゃねえか。どれ、こっちのガキと合わせればさらにいい金に――」
そう言って、男が少女の手首を掴んだままフィーネにその手を伸ばした。痛みに少女の顔が歪むと、フィーネの中の何かが弾けた。
「――その手を離しなさい!」
路地裏に響き渡る自分の声。周囲が静まり返る中、フィーネは真っ直ぐに男を見据える。
「なんだぁ? ガキのくせに偉そうに」
大の男の凄むような視線に足が震える。だが、ここで自分が逃げるわけにはいかない。
(――私は、この地の領主である、グランドール公爵家の娘、なのだから)
きっと、兄様なら逃げない。そう思うから。
フィーネはキッと目の前の男たちへ強い視線を向けると、凛とした声を上げた。
「この子たちが、何をしたというのですか……!」
◇◇◇
そんな彼女を、遠くで見つめる者たちがいた。金色の髪に碧色の瞳を持つ幼い少年と、その彼を守るように付き従う男たちの姿。
「あれは……」
「殿下、何やら揉め事の様子。近付いてはなりません」
「あの子は……私と同じくらいだね」
「は? ええ……そのようですな」
自分と同じくらいの少女が、恐怖に足を震わせながらも、身を挺して仲間を庇おうとしている。その姿に、少年――この国の第一王子であるアヴィは、目が離せなくなっていた。
白金の髪はたおやかで、儚そうな印象すら受けるというのに、彼女はこの場の誰よりも強く、気高い者に見えた。
「……助けてあげて」
「は?」
ぽつりと呟かれた声に老齢の執事が眉を上げる。
「子供が大人に虐げられているというのに、見てみぬふりなど、王族のすることではないだろう」
「は、はいっ!」
アヴィが幼いながらも厳しい目を向けると、執事は慌てて背筋を正し、他の騎士を伴って騒ぎの中心に駆け寄っていく。
アヴィはその様子を見届けると踵を返した。
……長居するわけにはいかないな。
お忍びで出掛けてきた手前、人目につくのも憚られる。アヴィはそのまま乗ってきた馬車に引き返したのだった。
◇◇◇
「――そこまでにせよ」
威厳のある声が響き、フィーネを含め、その場にいた者たちが声の主を振り返った。そこには執事服をまとった男性と、背後に数名の騎士が立っていた。
フィーネが驚き目を丸くする横で、不届き者の集団のリーダー格と思しき男が威勢よく食って掛かる。
「誰だてめえは!」
「この紋章が見えませんか?」
執事服の男性が示した胸元には、王家直属の者たちにしか与えられない紋章が光っている。
「なっ、王家の…!?」
「ええ。とあるやんごとなき身分の御方が、この光景に酷く心を痛められている。大人しく投降せよ」
口調は丁寧だが、拒否を許さない強い圧力の込められた言葉。彼の後ろに控える騎士たちもまた、いつでも迎え撃てるように剣の柄に手をかけて構えている。
不届き者たちはチッと舌打ちをしたが、相手が相手だけに、迂闊に手を出すのは得策ではないと判断したのだろう。おとなしくその場に膝をついたのだった。
◇◇◇
「お嬢様……! ご無事ですか!?」
男たちが捕らえられていく姿を放心して見つめていたフィーネだったが、ジーラが駆け寄って来たかと思うと力いっぱい抱きしめられた。
「本当に本当に、心配したのですよ……!」
彼女の温もりに包まれて、ようやくフィーネの身体から力が抜けていく。安堵に涙腺が緩んでいく。
「ジーラ……ごめん、ね……」
自分が勝手な行動をしたせいで、大切な侍女に酷く心配をかけてしまったことに、フィーネは申し訳なさそうに謝罪の言葉を零した。
するとそこへパタパタという足音が駆け寄ってくる。
「フィーネ様……!」
「アンナ……ギル……」
「なんで俺たちなんて庇ったんだよ!」
泣きながら抱き着いてきたアンナと、泣きそうな顔で拳を握り締めて立つギル。フィーネはそんな彼らを見て目を瞬くと、まだ涙の残る瞳でふわりと微笑んだ。
「当たり前でしょう。二人は私の……大切な友達なのですから」
迷うことなくそう言ったフィーネに、虚を突かれたように二人は目を丸くするのだった。
そんな二人を宥めた後、フィーネは男たちを護送する騎士を見送っていた執事服の男性に歩み寄った。
「……先ほどは、お助けいただきありがとうございました」
フィーネが頭を下げると、彼は驚いた様子でこちらを見つめた。だがすぐにフィーネの純粋な感謝を湛えた眼差しに、表情を和らげる。
「……いえ。あなたこそ、ご無事で何よりです。勇気ある方」
「お恥ずかしいところを……」
「そのようなことは。我が主もとても感心しておりましたよ」
その言葉にフィーネは首を傾げる。
「主……?」
「ええ」
にこりと笑うだけの彼に、たぶんそれ以上は答える気はないのだろうと察したフィーネは、深く追及することなく、再び頭を下げた。
「では、私たちはこれで失礼いたします。本当にありがとうございました」
「いえいえ。後始末はお任せください。……どうぞ、お気をつけて」
◇◇◇
その夜。
夕食後にフィーネは父の書斎を訪れていた。
「……お父様、お願いがあるのですが」
「うん? どうした、フィーネ」
公爵が首を傾げると、フィーネは思い切ったように顔を上げて口を開いた。
「私に……自分の身を守る術を、学ばせてください」
「……何?」
フィーネの言葉に公爵が難しい表情を浮かべる。しかしフィーネは止まることなく続けた。
「私は魔法が使えません。でも、だからといって誰かに助けてもらうだけではいけないと思うのです」
「護衛がいるだろう。女のお前が戦う必要など……」
「女だからといって、相手が見逃してくれる保証などありません。自分の身くらいは、自分で守れるようになりたいのです」
そう言ったフィーネの紫の瞳には、二度と大切な人の前で無力でいたくないという、強い決意が宿っていた。




