04. 孤児院の子供たち
馬車に揺られてフィーネたちが到着したのは、公爵領の賑やかな街並みから少し離れた場所にある、石造りの質素な建物だった。
「ここは……?」
「ここはね、『孤児院』という所よ」
「こじいん……?」
「理由があって、お父様もお母様もいない子供たちが一緒に暮らしているの」
リリアナの言葉に、フィーネはごくりと喉を鳴らした。
(……お父様も、お母様もいない……)
いつでも両親に会える自分には想像もつかない、両親のいない子供たち。
(兄様を失った私と同じように……ううん、もっとずっと、寂しくてつらい思いをしているのかもしれない)
リリアナが扉のベルを鳴らすと、すぐに恰幅の良い年配のシスターが、朗らかな笑顔で出迎えてくれた。
「まあ、公爵夫人。ようこそおいでくださいました」
「こんにちは、シスター。お久しぶりね」
「このような場所にいつもありがとうございます。先日も子供たちに温かい毛布をいただいて」
「気にしないで。他に何か困っていることがあれば、遠慮なく伝えていただきたいわ」
親しげに話す二人を、フィーネは黙って見つめていた。そんな視線に気づき、シスターがフィーネに微笑みかける。
「今日は可愛らしいお嬢様もご一緒だったのですね」
「ええ、気分転換になればと思って」
「そうでしたか。……初めまして、お嬢様。お越しいただきありがとうございます。こちらの孤児院の院長を任されております、ミランダと申します」
フィーネに向けて深々とお辞儀をするシスターに、フィーネもまた慌てて頭を下げた。
「は、初めまして。フィーネ・グランドールです」
「まあ、しっかりしたお嬢様ですのね」
「ふふ、私の娘ですもの」
嬉しそうに話すリリアナに、フィーネの心がチクリと痛んだ。
(……本当に、そう思っていらっしゃるのかしら)
あの茶会以来、人の言葉を素直に信じられなくなっていたフィーネの心は、その温かな言葉の裏側を勝手に邪推してしまう。
(お母様もシスター様も……本当は、私なんていない方がいいって、思っているんじゃないかしら……)
自分でも嫌になるような後ろ暗い癖。そんな風に身を縮めていた時、突然後ろからバタンと勢いよく扉が開いた。
「院長せんせー、腹減ったー! ……って、あれ、お客さん?」
入ってきたのは、泥まみれの服を着た乱暴な口調の少年だった。少し癖のある緑がかった茶色の短い髪が頭上でフワフワと揺れている。
「あらあら、ギルったら、そんな恰好で……。畑の手入れは終わったの?」
「終わったよ、チビ達のお守りもしてやったんだから、早く飯……」
言いながらこちらを見た彼と、フィーネの目が合った。やや気が強そうにつり上がった瞳が、妙に身なりのいい客人たちを見て怪訝そうに顰められる。
「なんだ? 院長先生の知り合い?」
「こら、ギル。いい加減に口を慎みなさい。こちらはこのグランドール領の領主でもあられる公爵夫人とそのお嬢様よ」
「ふふ、いいのよシスター。子供は元気過ぎるくらいがいいの。初めまして、ギル? 私はリリアナ。この子は娘のフィーネというのよ。よろしくね」
優しく微笑むリリアナに、ギルは目を丸くして、次いで徐々に頬を赤くした。
「あら、ギルったら照れているのかしら?」
「ち、違うし! ちょっと驚いただけだ!」
「ほら、フィーネ、あなたからも」
リリアナに促され、フィーネもおずおずとギルの前に出る。
「あ、の。フィーネ、です。よろしく、お願いします……」
同年代の子供といえば、亡くなった兄やその友人くらいしか会ったことがなかったフィーネは、びくびくと怯えながらもなんとか挨拶をする。
「ああ、……俺はギルだ。まあ、よろしく」
どこか気まずそうに視線を逸らしながら、ギルは鼻の下を擦った。
◇◇◇
リリアナたちが、子供同士で院内を見て回るといいと勧めたため、フィーネはギルの案内で院内を歩いていた。
ふとギルが足を止め、とある部屋の開いている扉の向こうに声をかける。
「おい、アンナ。客だってさ」
「あら、ギル。……お客様?」
部屋の中にいたのは、小さい子供の着替えを手伝っていた赤髪の少女だった。ギルやフィーネより少しばかり年上に見える。顔を上げた彼女に、ギルが雑にフィーネを親指で示すと、彼女は不思議そうに首を傾げた。
「貴女は……新入りってことはないわね。ええと……」
「あ、あの、私はフィーネです」
「フィーネっていうのね、私はアンナ。三歳の時からここにいるから、結構古株なの。何でも聞いてね」
そう言って手を差し出すアンナ。フィーネは目をぱちくりとさせながらも、おずおずとその手を握った。
「あー……、アンナ。言っとくけど、そいつ、公爵家の娘らしいぞ」
「へぇ、公爵家の……って、はぁ!?」
目を剥いて叫ぶと、アンナはその視線を握手している手に向けて、慌てて手を引っ込めた。
「し、失礼いたしました!」
「ちょっと、早く言いなさいよ!」とギルに苦情を飛ばしながらも、土下座せんばかりの勢いで頭を下げる彼女に、フィーネはオロオロしながら手を伸ばした。
「あ、あの、私は何も気にしていませんので……」
怒るどころか自分を心配する小さな令嬢の姿に、アンナは内心驚いていた。今まで町で見かけた貴族の印象とまるで違っていたからだ。そんな二人の間にふっと短い静寂が落ちる。
フィーネは伸ばしかけた手をそっと下ろすと、まだどこか緊張しているアンナの瞳を、じっと見つめた。
幼い子供たちの面倒を慣れた手つきで見ていた彼女。そのどこか大人びた佇まいと、寂しげでありながらも包み込むような温かな瞳。
(この人も……私と同じように、大事な人を亡くした悲しみを抱えてきたはずなのに)
それなのにどうして、こんなにも誰かに優しく笑っていられるのだろう。
フィーネは膝の前でぎゅっと小さな手を握りしめると、意を決して口を開いた。
「あ、の。アンナさん」
「は、はい」
まだ少し身構えた様子のアンナがビクッと反応する。
「一つ、聞いてもいいでしょうか」
「え」
「すごく……失礼で、傷つけてしまうかもしれないことだと思うのですが、その、それでも……」
たどたどしくも、一生懸命な様子のフィーネに、アンナは目を丸くする。
貴族が――その気分次第で自分たち平民の命を左右できるような存在が、アンナの気持ちを害することを気遣っているのが、感じられたからだ。
フィーネの態度に、アンナは肩に張っていた緊張が解けていくのを感じた。そうすると徐々に持ち前の姉御肌な性格が顔を出してきた。アンナは、隣にいたギルの肩をそっと叩いた。
「……ギル、シスターのお手伝い、行っていてくれる?」
「え?」
一瞬不思議そうに首を傾げたギルだったが、アンナの真剣な眼差しと、フィーネの今にも泣き出しそうな横顔を交互に見つめると、何かを感じ取ったようにコクリと頷いた。
「……ん、わかった」
ギルは文句ひとつ言わず、静かにその場を離れていく。それを見送ると、アンナはふっと息を吐き、フィーネに視線を戻した。
「……立ち話もなんですし、外のベンチで座って話しませんか?」
「っ! はい!」
アンナの申し出に、フィーネが目を輝かせて頷いた。そうして二人は木陰のベンチに腰掛けると、アンナが話を切り出した。
「それで、聞きたいことというのは?」
「……あの、ここにいる皆さんはご両親がいないのだと聞きました。アンナさんのご両親は、どうされたのですか?」
「私の……親ですか?」
神妙な顔で何を聞かれるのかと思えば、親のこととは。アンナは拍子抜けしたように目を瞬いた。だが、特に隠すようなことでもないので、素直に答える。
「私が幼い時に流行病で亡くなりましたよ」
「……そう、なのですか」
フィーネが泣きそうな表情を浮かべる。アンナは彼女が一体何をしたいのか分からず首を傾げる。
「私の親が何か?」
「いえ、あの、アンナさんは――」
「アンナでいいです、貴族様に敬語を使われるとなんだかこそばゆいので」
ギルより二つ年上のアンナは、フィーネの方がおそらく年下であろうことは感じつつも、とりあえず早々にやめてほしくて口を挟んだ。
さばさばとしたアンナの言葉に、フィーネは少し驚きながらも小さく頷いた。
「あ、アンナは……ご両親の死を、どうやって乗り越えたのですか?」
「どうやって、と言われても……」
そんなの、具体的にこうと言えるわけもない。だがフィーネの切羽詰まった表情に、アンナは口を噤んだ。
「すみません、突然こんなこと。実は私……少し前に大好きだった兄を亡くしたのです」
「……え?」
「それからずっと、何をする元気も起きなくて……なんで私が生きているんだろうって、そんなことばかり考えてしまって……」
言葉を紡ぐ度にフィーネの瞳から零れ落ちそうになる涙。そのあまりに痛々しい様子に、アンナは彼女がここに来てからずっと何かを堪えているような表情をしていた理由を、ようやく理解した。
そうして、困ったような、けれど優しい笑みを浮かべ、そっとその悲しげな背中を撫でてやる。
「……どうやって乗り越えたか、なんて聞かれても分かりませんよ。ただ、必死に毎日を生きて、この孤児院で小さな子供たちの世話をしていたら、いつの間にか過去になっていただけです」
(……必死に、毎日を生きる……)
その飾らない、けれど誇張も嘘もない等身大の言葉が、フィーネの心に深く染み込んでいく。
するとそこへ、珍しい客人に興味を持った幼い子供たちが、無邪気に駆け寄ってきた。
「ねぇ、お姉ちゃん、一緒に遊んでー!」
「え、あの……」
彼らはベンチに座っていたフィーネとアンナの手を引き、子供部屋の方へと連れて行った。慣れない子供たちに囲まれて固まってしまうフィーネに、室内にいたリリアナが本棚から一冊の絵本を取って手渡してくれた。
「本を読んであげたらどうかしら?」
その言葉を聞いた子供たちの瞳が期待に輝いていく。フィーネは困ったように眉を下げながらも、その期待を裏切ることもできず、緊張しながら絵本を開いた。
(……あ、この絵本……兄様が、よく読んでくれた……)
ページをめくる指先に、かつて自分を膝に乗せて読み聞かせてくれたエリオスの、陽だまりのような温もりがほんのりと蘇る。
フィーネはその温かな記憶を心の中でかみしめるように、少し震える声で読み始めた。
すると、子供たちは静かにフィーネの膝や周囲に集まり、瞳をキラキラと輝かせながら、夢中になって物語に耳を傾けてくれた。
「お姉ちゃんの声、とってもきれいだね!」
「もっと読んで! 続きが聞きたい!」
読み終わった途端、興奮した様子で子供たちがフィーネに話しかける。無邪気な笑顔と、自分に向けられる純粋な好意と感謝。
膝の上の絵本を見つめながら、フィーネの胸の奥で、冷え切っていた何かが温かく弾けた。
(……あぁ。私でも……誰かの役に立つことができるんだ……)
兄を死なせてしまった足手まといの自分。
生きていてはいけないと思っていた自分。
けれど今、この場所で、自分を必要としてくれる人たちがいる。
初めて家族以外の人に受け入れられた感動に、フィーネのアメジストの瞳から、温かい一筋の涙が頬を伝って零れ落ちたのだった。




