14. 重なる面影
初夏のさわやかな風が吹く王城の庭園では、高位貴族の子女とその親を集めた定例の茶会が開かれていた。
見た目の華やかさとは裏腹に、そこには常に貴族たちの探り合いと浅ましい思惑が渦巻いている。
周囲を取り囲む令嬢たちの言葉に、アヴィは完璧な王子の微笑みを貼り付けながらも、心の中では冷めたため息を吐き出していた。
以前なら「貴族社会とはこういうものだ」と無感情に流していただろう。だが、彼女——フィーネ・グランドールという存在を知ってしまってからは、見返りや計算ばかりが透けて見える会話が、ひどく虚しく、不快なノイズにしか感じられなくなっていた。
当のフィーネはといえば、まだ婚約者候補に過ぎないからと必要以上にアヴィには近付かず、少し離れたテーブルでぎこちなくも他家の令嬢たちとちらほらと言葉を交わしているようだ。
(……私もフィーネ嬢のところへ行きたい)
だが、正式な婚約も交わしていない今、王子である自分が過度に彼女に関わる様子を周囲に見せるのは、彼女に対する風当たりをさらにきつくしてしまう可能性が高い。
彼女を守るためだと自分に言い聞かせ、アヴィはなんとか己を律して、その場を動かずに周囲の話に耳を傾けていた。
そうしてある程度の付き合いとしての会話を終え、休憩がてら庭園に向かって歩いていた時のこと。
「なんて下品な装いなのかしら」
「本当、親の出自が知れるというものですわ」
物陰になったテラスの隅から、意地悪く囁き交わす甲高い声が聞こえてきた。視線を滑らせれば、高位貴族の勝ち気な令嬢たちが、一人の気弱そうな少女を取り囲んでいる。
(あれは……ダレイアス公爵家の……)
囲まれていたのはダレイアス公爵家の令嬢であるシンシアだった。茶会の初めに、外務省のトップである父親に連れられて挨拶に来たが、相変わらず終始俯きがちなおとなしい少女という印象だった。
どうやら、彼女の母親の出自――没落した子爵家の血を引くことをからかい、見下した発言をしているようで、彼女は身を縮めて今にも泣き出しそうに肩を震わせていた。
(……仮にも身分が上の公爵家の娘を相手に、醜い真似を……)
相手の方が身分が上でも、あのおとなしさなら反論もできまいと踏んでの発言か……。あるいは母親の身分が子爵家なら自分たちの方が上だとでも勘違いしているのか……。
いずれにしてもくだらない嫌がらせに過ぎない。王族として見過ごすわけにもいかず、止めに入ろうとアヴィが一歩踏み出しかけた、その時だった。
「――そこまでにしてください」
静かな、けれど凛と通り抜ける声が、場を支配した。迷いなく彼女たちの間に割って入ったのは、夜空の満月を溶かし込んだかのような、美しい白金の髪を靡かせた少女――フィーネだった。
「な、なんですのあなた……! って、まさかグランドール公爵家の……」
「……王族の方々もいらっしゃるこの場所で、このような品位を欠いた行い、許されるとお思いですか」
高位貴族の令嬢たちを相手に、真っ直ぐな瞳を向け、毅然と言い放つ彼女。
(……フィーネ嬢……?)
普段の柔らかく、陽だまりのような温かさを纏った彼女とはまるで違う、覇気すら漂わせるその様子に、アヴィは一瞬戸惑う。
だが、次いでその視界に入ったのは、ドレスの裾から覗く、僅かに震えた彼女の小さなつま先。
決して争いごとが得意なはずもないのに、泣きそうに震える令嬢を庇うように立ちはだかり、決して一歩も引こうとはしない。
その姿を目にした瞬間――記憶の奥底に消えることなく眠っていた、強い覚悟の籠った『紫水晶の瞳』が、アヴィの脳裏に鮮烈に蘇った。
(……っ!?)
全身の血液が一瞬で沸騰するような衝撃がアヴィを襲った。彼の頭の中で、散らばっていた過去の記憶のピースが、一気にひとつの形へと組み上がっていく。
『その手を離しなさい』
『この子たちが、何をしたというのですか』
七歳の頃、お忍びで訪れた街の片隅。自分より大きな男たちを相手に、足を震わせながらも、身勝手に虐げられている子供たちを必死に庇っていた、あの名も知らぬ気高き少女の澄んだ声とその姿が——今自分の視線の先に立つフィーネと、一瞬で結びついた。
「……フィーネ……嬢……? 君が……あの時の……?」
レイアの笑顔のために自身のドレスが汚れることすら意に介さず、安心させるように優しく微笑んで見せたあの姿。
王子である自分の申し出を、もうお礼の言葉はもらったからとあっさり辞退してみせる謙虚さ。
強引に連れ出した庭園の散策の中で触れた、眩しいほどの聡明さとたゆまぬ努力の足跡。
そのどれもがアヴィの心を惹きつけて離さなかったが——今、目の前で怯えながらも友のために立ち塞がる彼女を見て、魂が震えた。
いつだって他者に優しくて、自分のことは後回しで。利害や打算なんてなく、ただ弱い者を助けようとする、その心根。それこそが、かつてあの街で出会い、ずっと胸を締め付けていた少女の姿と完璧に重なり合っていたのだ。
そんなあまりの衝撃に言葉を失うアヴィの目の前で、嫌がらせをしていた令嬢たちは、フィーネの公爵令嬢としての毅然とした態度に一瞬怯んだものの、すぐに持ち前の勝ち気さを取り戻して苛立たしげに口を開いた。
「な、なによ……! いくら公爵家のご令嬢だからって、噂通り魔法も使えない無能のくせに、私たちに説教なさるおつもり!?」
「そうですわ! 分を弁えなさいな!」
無礼極まりない発言を繰り返す令嬢たちの声がアヴィを現実に引き戻した。怯えるシンシアを背中に庇い、フィーネが再び唇を開こうとした——その時。
「——我が王室の庭園で、ずいぶん見苦しい真似をしているね」
苛立ちを隠すことなく、アヴィは背後の木陰から彼女たちの前に姿を現した。周囲の空気を一瞬で氷点下へと凍りつかせるような、冷徹な声とともに。
「っ、第一王子、殿下……!?」
先ほどまで威勢のよかった令嬢たちの顔から、一瞬にして血の気が引き、青ざめてガタガタと震え始める。
だが、そんな様子を気にしてやるほど今のアヴィは心穏やかではない。彼が放つのは見る者を射殺さんばかりの、底知れぬ冷気と王族としての圧倒的な威圧感だった。
「王侯貴族が集う公的な茶会の場で、あろうことか身分が上の令嬢を虐げ、それを諌めた公爵令嬢に対しても暴言を吐くとは……。我が国の、そして王家の品位を汚しているのが誰であるか、自覚がないと見える」
「ひっ……! も、申し訳ございません!」
「お、お許しください……っ!」
アヴィの射抜くような冷たい碧眼に見下ろされ、令嬢たちは悲鳴を上げながら深く頭を下げると、脱兎のごとくその場から逃げ去っていった。
静まり返ったテラスに取り残されたアヴィは、小さくため息を吐くと纏っていた冷気を消し去り、表情を和らげてフィーネたちのもとへ歩み寄った。
「怪我はなかったかい、ダレイアス嬢……それに、フィーネ嬢」
「は、はい……っ。お二方ともお助けいただきありがとうございます……!」
泣きそうになっていたシンシアが、アヴィとフィーネに何度も頭を下げ、フィーネもまたほっとしたように胸を撫で下ろして深く礼を取る。
「……殿下、お手を煩わせてしまい、申し訳ありません」
伏せられた瞳、そしてドレスの裾を摘みながらもまだ微かに震えている小さな指先。恐怖に足を震わせながらも、誰かを守るために決して引かなかった気高き少女。
その尊い存在が、アヴィの視界を、そして心を激しく揺さぶった。
(……運命だなんて、安っぽい言葉で片付けたくはない)
だが、神がもし本当にいるのなら、感謝せずにはいられない。もう二度と会えないと思っていた自分が人生で唯一『憧憬』を抱いた少女と、人生で初めて『諦めたくない』と狂おしく渇望した少女が、同一人物だったという奇跡に。
(……もう、絶対に手放さない)
彼女がどんなに自分自身の存在価値を否定しようと、どんなに遠慮して身を引こうとしようと関係ない。
あの気高く美しい紫水晶の瞳に自分だけを映してほしい。その優しい微笑みも、誰かのために頑張るその真っ直ぐな心根も、一番近くで見守っていたい。
アヴィの碧眼の奥で、狂おしいほどの愛と執着の炎が、静かに、けれど二度と消えない確信をもって燃え上がっていた。




