11. 令嬢の事情と王子の提案
応接間での大人たちのやり取りなど知る由もなく、フィーネは困惑を抱えながらも、とにかく賓客であるアヴィをもてなすため、公爵邸で一番庭の眺めが良いテラス席へとアヴィを案内していた。
「どうぞ、こちらへおかけください」
「ああ、ありがとう」
どこまでも堂々とした、けれど気負いのない洗練された所作で席につくアヴィ。その向かいに、フィーネもまた淑女としての姿勢を保ちながらそっと腰を下ろした。
ジーラが丁寧に淹れてくれた紅茶を口に運ぶ彼を見ながら、なぜこんなことになっているのだろうと、彼女は改めて昨日の出来事を振り返っていた。
昨日、フィーネは両親と共に王城で開催されたお茶会に出席していた。
両親はどこか気乗りしない様子だったものの、王妃主催ということもあって、拒否はできなかったらしい。「あまり目立たないように」という行きの馬車の中での父の言葉通り、最初の挨拶も最低限で済ませ、会場の片隅で静かに過ごしていたはずだった。
(――それなのに、どうして……)
途中でドレスを汚して泣いていた幼い少女――まさかそれがレイア姫殿下だとは思いもしなかったが――の手助けをした際、偶然通りがかった第一王子のアヴィ。茶会の始めに形式的な挨拶をしただけの自分の顔と名前を、正確に覚えていたことに、フィーネは内心で驚いていた。とはいえ、その後はほんの僅かな時間、庭園を案内してもらいながら言葉を交わしただけだというのに、なぜ翌朝一番に、王族が揃って公爵邸に押しかけてくるような事態になっているのだろう。
直接王族に会う機会など、公爵令嬢といえども多くはない。何かの式典か、公的な茶会や夜会か……もっと成長すれば王立高等学園で同級生として接することはあるかもしれないが、いずれにしてもその程度のはずだった。
――間違っても、自分の家に王子がわざわざ訪れることなどあるはずがなかった。
「……あの、それで本日はどのようなご用件でいらっしゃったのでしょうか?」
緊張で上擦りそうになる声を必死に抑え、フィーネは意を決してアヴィの碧色の瞳を見つめた。
「私が……昨日の茶会で何か粗相をしてしまったのでしょうか?」
自分の不敬のせいで両親や公爵家に迷惑がかかるのではないか。そんな思い詰めた表情で問いかけたフィーネに対し、アヴィは一瞬だけ驚いたように目を丸くした。
けれど次の瞬間、彼はすべてを察したように目元を緩め、ふっと柔らかく苦笑した。
「……驚かせてしまったようですまない。君に非があったとか、責めに来たとか、そんなことでは全くないから、どうか肩の力を抜いてほしい」
「そう……なのですか……?」
アヴィの穏やかな声色に嘘がないことを感じ取り、フィーネは胸を撫で下ろした。
だが、安堵したのも束の間、アヴィは徐にテーブルの上で両手を軽く組むと、凛とした真剣な眼差しをフィーネへと向けた。
「……突然すぎるのは分かっているんだ。どうやら君は、昨日の茶会が私の婚約者選びの場だったことも知らなかったようだしね」
アヴィの唐突な発言に、フィーネは一瞬その言葉の意味を変換できなかった。何度かその言葉を脳内で反芻し、ようやくその意味を理解する。
「……こん、やく……婚約? え、そ、そうだったのですか……?」
「高位貴族の者達は大体察していたようだけれど、君のお父上はあえて伝えなかったのだろうね」
アヴィはどこか苦笑いを浮かべながら言ったが、フィーネの混乱は深まるばかりだった。
父が何も言わなかった理由――それは、フィーネが魔法も使えない「無能」だからか、王家になど相応しくないと判断されたからか、あるいは――
頭の中で様々な理由が浮かんでは消えていく。
しかし、アヴィの口から放たれた次の言葉は、フィーネの想像の遥か上を行くものだった。
「だから今すぐに、とは言わないよ。だけど……私は君がいいと思った。それだけは、知っておいて欲しいんだ」
静かだが、一点の揺らぎもない声音。
フィーネは息を呑み、呆然とアヴィを見返した。
(……私が……いい? 何に? ……婚約者、に……?)
目の前の少年の美しい碧眼に、冗談や戯れの色は欠片も見当たらない。どうやら本気で言っているらしいと、さすがのフィーネにも理解できた。
だが、ほんの数十分会話しただけの自分を選ぶ理由が分からない。自分より美しい令嬢も、有能な令嬢もあの場にはたくさんいたはずなのに。
「……なぜ、私なのですか」
ぽつりとフィーネの口から、こらえきれなかった問いが漏れる。昨日少し話しただけのフィーネでも分かる。彼自身がどれほど優秀なのか。そんな王子がよりによって、自分のような無能な役立たずを選ぶなど、あるはずがないのだ。
それに――断らなければならない決定的な理由が、公爵家の事情としても存在していた。
フィーネはどう伝えるべきかと視線を彷徨わせる。
(……どうしよう。何て言えばいいの……?)
王家の申し出を断るなんて、不敬だと、罰せられてしまうのだろうか。
そんな恐怖に、フィーネは怯えるように俯いた。
「……フィーネ嬢?」
そんなフィーネの頭上から、アヴィの気遣うような声が降ってくる。
フィーネは胸の奥で渦巻く申し訳なさと諦めの念を押し殺し、意を決して顔を上げた。
「――申し訳ありません、殿下。私は殿下の婚約者になることはできません」
真っ直ぐに彼の瞳を見つめ、フィーネは静かに、けれどはっきりと辞退の言葉を紡いだ。
一介の令嬢からこのような断りの言葉を突きつけられるとは想像もしていなかったのだろう、アヴィの碧眼が息を呑むように見開かれるのが分かった。
(……こんな身に余る光栄なお申し出を断るなんて、身の程知らずで愚かな娘だと……お怒りになるかしら……)
内心でビクビクと怯えながら、胸の前で両手をキュッと握りしめる。
「……理由を聞いても?」
怒号が飛ぶかと思いきや、返ってきたのは静かで、どこか深く探るような声音だった。
フィーネは胸を痛めながらも、自身が抱えるもう一つの逃れられない現実を口にした。
「……我がグランドール家には、今や私以外に子がおりません。私はこの家の跡取りとして、婿を取らなければならないのです。私はこの家を断絶させるわけには参りません」
兄を死なせてしまった自分が、せめて公爵家のために果たさねばならない唯一の義務。いつか、跡取りとなる男子がまた生まれる可能性はある。だが、その日が来るまでは、自分が亡き兄の名代として、この家を守らなければならなかった。
それを告げると、アヴィは呆気にとられたような顔をした後、意外なことに、ほっと胸を撫で下ろすように息を吐いた。
(……? どうして安心していらっしゃるの……?)
フィーネが困惑していると、アヴィは手元で軽く指を組み、何かを思案するように少しの間沈黙した。そして、信じがたい提案を口にしたのだった。
「……それなら、将来私達に子供が出来たら、グランドール家の跡継ぎにすればいい」
彼の口から語られた内容を、一瞬頭が理解できずに首を傾げた。
「……はい?」
「さすがに長男を、とは言えないけれど、次男なら可能だろう」
「ほ、本気で仰っているのですか……!?」
思ってもみなかった返答に、フィーネは困惑を露わにしてアヴィを見つめた。しかし、アヴィは彼女の視線を逸らさずに受け止め、しっかりと頷いてみせた。
「このままグランドール家に男子が生まれなかった場合はね。それで君が私の婚約者になってくれるなら、必ず周囲を説得してみせるよ」
「わ、私などのために、なぜそこまで……っ。私は貴族なのに魔法も使えない、役立たずなのですよ……!?」
思わず両手を強く握り締め、自分を貶める言葉を口にしてしまったフィーネに、アヴィは困ったように眉を下げて優しく笑った。
「……自分のことを、そんな風に言うものじゃないよ」
「ですが、私は――」
「君と話しているのが、とても楽しかったんだ」
フィーネの言葉を遮るように響いたのは、包み込むような温かい声だった。フィーネは息を詰まらせ、言葉を失う。
「……もっと、君と一緒に過ごしたい。そう思ったんだよ」
飾らない、真っ直ぐな彼の本音。
それがフィーネの胸の奥底に、じんわりと染み渡っていく。
今までずっと公爵家のお荷物と周囲に囁かれてきたフィーネにとって、自分の存在を肯定するその言葉はとても温かく、優しく響いた。
アヴィは呆然とするフィーネを安心させるように微笑むと、そっと手を伸ばし、彼女の小さな手を包み込むように自身の手の上に重ねた。
「君の事情は分かったよ。だけど、今すぐに答えを出すのは待ってほしい。……まずは私のことを、知ってくれないかい?」
重ねられたアヴィの指先から、心地よい体温が伝わってくる。
怒涛の展開にフィーネの頭はとっくに限界を超えており、結局それ以上は何も言えなくなってしまう。
王族の権力を使えば、強引に婚約を命じることなど容易なはずなのに、彼は一切それをせず、あくまでフィーネの気持ちを尊重し、選択の猶予を残してくれた。
それが異例なほどの寛大な処置であることは、フィーネの目から見ても明らかだった。
(……このお方が、そうまでして……私を望んでくださるというのなら……)
「自分なんかが」と逃げるのではなく、この方の誠意に、自分もちゃんと向き合わなければ。そう決意したフィーネの瞳に僅かながら光が灯る。
アヴィは彼女の表情の小さな変化を感じ取ったのか、ふっと満足そうに目元を緩めた。
「……さて、それじゃあこの話はここまでにして。折角だから今日は、君の屋敷の自慢の庭を案内してくれるかな?」
重くなった空気を追い払うようにそう言うと、アヴィは彼女の手を取ったまま、スマートに立ち上がった。
「え、あ……はい……!」
導かれるままに、フィーネも慌てて笑みを浮かべ、彼の後を追いかけるように立ち上がるのだった。




