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忘れられた公爵令嬢〜前日譚〜  作者: 結城 洋乃
第一部

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10/19

10. 秘められた過去

 フィーネとアヴィが一日ぶりの再会を果たしていた頃、公爵家の応接間では国王夫妻と公爵夫妻が向かい合っていた。


「……まずは突然訪ねた非礼を詫びよう。すまなかったな」

「いえ……両陛下にお越しいただけるなど臣下として光栄の至りでございます」


 そう言ってジェラルドが恭しく頭を下げると、国王であるダリスが苦笑を浮かべる。


「まあ、そう固くなるな。私とそなたの仲ではないか」

「……今は学生時代とは立場が異なりますゆえ」


 ダリスとジェラルドは王立高等学園時代の同級生だった。天性のカリスマで自然と人が集まるダリスと、真面目で堅物なジェラルドは、なんだかんだで互いの足りない部分を補い合う良い関係だった。

 だが、今や国王と財務省長官という明確な立場がある。昔のように気安くできるはずもなかった。


 ジェラルドは、気を取り直して国王に視線を向ける。


「それで、折り入ってのお話と仰いますのは……?」

「ああ。察しのよいそなたなら予想はついていると思うが、我が息子、アヴィの婚約の件だ」


(ああ……やはり、そちらか)


 そちら以外ありえないだろうと分かってはいたものの、ジェラルドは内心で再び天を仰いだ。


「昨日の茶会で随分とフィーネ嬢を気に入ったようでな。夕べ城に戻るなり、我々に『婚約者に選ぶなら、彼女以外考えられない』と言ってのけたのだ。本人は淡々と事実を述べただけのつもりだっただろうが……言葉の端々に覗く熱や、ふと見せたあの笑み……あのように感情を滲ませる我が子を、私は初めて見たよ」


 そう言って国王が目配せすると、隣の王妃が頷くように優しく微笑んだ。


「それは……」

「私としてはその希望を叶えてやりたいと思っている。それに、そなたの娘であれば安心だからな」

「そのように仰っていただけるのは、大変ありがたいことですが……」


 ジェラルドが苦い表情で言葉を濁すと、国王が怪訝そうに眉を寄せた。


「何か、問題があるか?」


 次期国王となる第一王子の婚約者。本来であれば名門公爵家にとっても、これ以上ない誉れである。

 それをジェラルドたちが喜んで受け入れられない理由は――


「……陛下も、社交界の噂話はご存じでしょう。あの子は一切の魔法を行使できません。次期王妃の座に就くには、あまりに力不足です」


 ジェラルドはまず、最も角の立たない「世間体」と「能力不足」を建前として口にした。だが、国王は静かに首を振る。


「それは聞いたことがあるが……国の記録では珍しい魔力を保有しているのだろう? それに、魔法の発現がないからと、私たちがフィーネ嬢を軽んじることなどない」


 国王に見透かすような眼差しで返され、ジェラルドは重い息を吐いた。


(……やはり、この男に誤魔化しは通じないか)


 ダリスは人の良い性格だが、昔からここぞという時の勘と洞察力が鋭い男だった。ただの建前で引き下がってくれる相手ではない。

 ジェラルドは意を決し、親としての切実な本音を明かした。


「……お言葉ですが、陛下。私たちが心から恐れているのは、王家そのものではなく、そこを取り巻く『周囲の思惑』なのです。王妃という立場に就けば、否応なく陰謀や悪意の矢面に立たされることになります」


 横に並ぶ妻のリリアナの手が、小さく震える。


「あの子には、もうこれ以上過酷な運命を背負わせたくないのです。自分たちが守れなかった息子の分も……せめて残された娘だけは、誰の思惑にも脅かされることなく、平和で穏やかな幸せの中で過ごさせてやりたい。それが、親としての唯一の願いなのです」


 父親としての切実な言葉に、ダリスは一瞬、痛ましげな表情を浮かべた。しかし、長年の親友でもあるジェラルドの目をじっと見つめ、静かに問いかける。


「……それだけか? そなたがこれほどまでに頑なになる理由は、本当にその『親心』だけなのか?」


 ダリスの鋭い指摘に、ジェラルドの心臓が跳ねた。ジェラルドは迷うようにリリアナと視線を交わすと、葛藤に満ちた表情で深く息を吐いた。


「……やはり、陛下には隠し通せませんな。それをお明かしするには、我が息子――エリオスが亡くなった、あの事件の『真実』をお話ししなければなりません」


 絞り出すように語られた言葉とその内容に、国王夫妻の表情が引き締まった。


「……陛下は、あの事件をどこまで覚えておいででしょうか」


 ジェラルドの静かだが悲しみの宿る視線を受け止め、ダリスは重々しく首を縦に振る。


「うむ……誠に痛ましい事件であった。そなたらが別荘を訪れていた際、子どもたちが暴漢の襲撃に遭い……フィーネ嬢だけは駆けつけた警備隊により救出されたが、エリオスは間に合わなかった、と……」

「……ええ、そのとおりです。表向きは、そのように公表いたしました」


 その場に、ピンと張りつめた静寂が走る。ジェラルドは固く奥歯を噛み締め、溢れ出そうになる過去の光景を抑え込むように、遠くを見つめて深く息を吐き出した。


「暴漢を捕らえたのは……いえ、『殲滅』したのは、警備隊ではありません」


 あえて、殲滅という言葉を選んだジェラルドに、国王夫妻は目を瞠る。


「……我々が駆け付けた時には、もう全てが終わろうとしていました。目を閉じれば、今でも鮮明に浮かぶのです。必死で駆けつける視界の先で、エリオスが凶刃からフィーネを庇い、倒れた姿が……。直後に響いた娘の耳を裂くような叫び、そして――その激情に呼応するかのように天から降り注いだ、無数の『光の柱』が」

「光の……柱……?」


 呆然と呟くダリスに、ジェラルドは悲痛に満ちた顔で深く頷いた。


「私どもですら足がすくむほどの、あまりにも凄まじく、清廉で恐ろしい光でした。辺り一面が眩い白光に包まれ……光が収まった時には、あの子たちの周囲だけが跡形もなく焼き尽くされ、襲撃者たちの姿はどこにも残されていませんでした。ただそこには、気を失ったフィーネと、冷たくなったエリオスだけが横たわっていたのです」


 室内を、重く息苦しい沈黙が支配する。当時まだ五歳にも満たなかった幼い少女が引き起こしたとは、到底信じがたい威力の魔力暴走だった。


「邸で目を覚ましたフィーネは、エリオスが倒れた後のことを何一つ覚えていませんでした。そして……それ以来、一切の魔法が使えなくなったのです」

「兄を失った衝撃で、力を……?」

「……いいえ。あの子は昔から人一倍優しく、誰かが傷つくことすら恐れる子でした。そんなあの子が、己の暴走させた力で凄惨な結果を引き起こしてしまった……その事実に、幼い心が耐えきれなかったのでしょう。二度と誰も傷つけぬよう『力』を封じると同時に、自らの心を守るために『あの瞬間の記憶』すらも無意識の奥底に封じ込めてしまったのだと、私どもは考えております」


 一息にそう告げると、ジェラルドは悔しさに顔を歪め、深く俯いた。


「そうして力も記憶も失い、今もなお『魔法が使えない』と世間に蔑まれながら、一人で傷ついているのです。そんなあまりにも繊細で、脆いあの子を……数多の悪意や思惑が渦巻く場所へと送り出すことなど……」


 やりきれなさにグッと拳を握りしめるジェラルド。その拳を、隣に座るリリアナが、想いを重ねるようにそっと自身の手で包み込んだ。


「……万が一、そのような過酷な場所であの日の記憶やトラウマが呼び覚まされでもしたら……今度こそ、あの子の心は完全に砕けてしまうかもしれません。私は何としても、あの子を守らなければならないのです。元より、親でありながらあの子を守れず……あの幼い手で人を殺めるところまで追い詰めてしまったのは、私の不徳に他ならないのですから」


 ジェラルドの告白は、親としての痛切な愛と苦悩に満ちていた。

 沈黙の中、ダリスは静かにジェラルドを見つめていたが、やがて深く息を吐き、重々しく首を振った。


「……なあ、ジェラルド。お前は今も、自分たちを責めているのだな」

「……陛下?」

「娘を心配する言葉の端々から、お前たち夫妻がどれほどその過去に苛まれ、自らを責め続けてきたかが伝わってくる。――だが、言わせてくれ」


 ダリスは身を乗り出し、真摯な眼差しで親友でもあるジェラルドを真っ直ぐに見据えた。


「幼き身で命の危険に晒され、生きるために発した魔力だ。それは紛れもない正当防衛であり、不可抗力だ。フィーネ嬢にも、そして親であるお前たちにも、何の責任もない」

「ですが……あの子が人を殺めたという事実は……」

「誰がそれを責められようか! 頼るべき兄を害され、その身に迫る危険から己を守っただけの幼子に、一体何の咎があるというのだ。お前たちが背負うべき罪など、最初からどこにも存在しない」


 力強く、断言するような国王たるダリスの声。それは長年、暗い過去と罪悪感に苛まれてきたジェラルドの心を、深く打った。


「それどころか、フィーネ嬢は己の持つ力の恐ろしさを知り、二度と人を傷つけまいと自らを制するほどの強い心と優しさを持っている。あの年齢でそれほどの気高さを備えているなど、むしろ令嬢の鑑ではないか」

「……ダリス……」


 友のどこまでも真摯な言葉に、ジェラルドの目頭に熱いものがこみ上げる。思わずその友の名が唇から零れ落ちていた。


「……そなたが父親として、フィーネ嬢の心を案じる気持ちは痛いほど分かる。だが――その娘は、そなたが案じるほど脆いご令嬢ではないと、私には思えるぞ」


 思いもよらない親友の言葉に、ジェラルドはハッと顔を上げた。ダリスの碧眼には、微塵の疑いもない温かな信頼が宿っている。


「それから……なんだ、『魔法が使えない』だったか。王家に嫁ぐ条件に『魔法が使えること』などというしきたりがあるわけでもない。今までが偶然そうだっただけだ。 そもそも我が国は、魔女の支配に抗う者たちが打ち立てた国だぞ? 魔法が使えるかどうかなど、些末な問題に過ぎん。……そうだろう、王妃よ」


 ダリスが隣の王妃に語りかけると、王妃もまた目元を濡らしながら、深く温かい微笑みを返した。


「ええ。彼女の気高さや温かな心根に比べれば、魔法の有無など何の問題もございませんわ。……それにしても、今までたったお二人で、どれほど苦しみながら、この悲しい秘密を抱えてこられたことでしょう……。守ってさしあげられず、本当に申し訳ありませんでした」


 王妃はそっと立ち上がると、リリアナの手を包み込むように握りしめた。

 そんな二人を優しく見つめながらダリスが再び口を開く。


「心が壊れるのを恐れるならば、なおさらだ。そなたたちだけで抱え込ませはせん。我が王家とアヴィが、その傷ごとあの娘を守ってみせよう」

「ええ、どうか彼女をアヴィの傍に迎えることを、前向きに考えてはいただけないでしょうか。……もちろん、本人たちの気持ちが最優先ですけれど」

「……っ……」


 二人の温かい言葉が、長年ジェラルドとリリアナの胸を冷たく縛り続けていた鎖を、静かに解き放っていく。ジェラルドはモノクルの奥で溢れ出る涙を隠そうともせず、深く、深く頭を下げた。


「……感謝……いたします、両陛下……。あの子の心をそこまで温かく汲み取ってくださるのなら……親として、これ以上の救いはございません」


 かつて息子を失った暗闇の中で止まっていた公爵家の時間が、王家の深い愛と理解によって、ようやく未来へと動き始めたのだった。



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