【混沌の中へ】
「西門だ!」将校のものらしき命令がしじまを破る。「我々はこれより西門へ向かい籠城する! 二列縦隊で堀に入れ! 急げ!」
「よし、ついていこう」とミハイ。「怪我人には悪いが、もうどうにもできん」
立てる者が一斉に動きだす。皆、負傷した僚友に手を貸しているが、貸せる手は限られている。助かる見込みのない者や動かせない重症者は置き去りにされる。アキラとミハイは、腿から出血している兵士を両脇から支えて撤退の流れに加わる。騎兵隊の生き残りが先行して堀の横手を駆けてゆく。左翼部隊と中央の残存兵は指揮官の指示に従って真反対へ、東門へ向かいだす。
堀に下りる寸前、アキラは四〇〇メートル先の麦っぽい畑のほうへ視線を投げる。なんの動きもない。人っ子一人見当たらない。最初の火の玉からここまで、エクサリオ軍はちらともその姿を見せていない。頭がぱっくりと割れたリランの姿を脳裏から振り払い、実際的なことを問う。
「なんでエクサリオは今、何もしてこないんだろう?」
「さてね」とミハイ。
「悪いな、二人とも」負傷兵が言う。「もう少し早く歩いてくれて構わん。痛みは我慢できる」
「そうしたいが、おれたちがバテてしまうよ、兵隊さん」
空堀の中を進むあいだ、アキラは高さ二・五メートルの土壁と青空を神経質に何度も見上げる。移動中に攻撃されないのはありがたいが、何もなさすぎて不気味だ。数百メートルも行くと、足元にちらほらと落伍者が現れる。彼らの多くはすでに息がない。仲間の手で運ばれてきたものの、予想以上に怪我が酷かったらしい。
「それにしても、あいつらどんな魔術を使ったんだ?」と負傷兵。「軍に入って一〇年になるが、あんなの見たことがねえ」
「一番最初のあれかね?」ミハイが尋ねる。
「ああ。火球のように見えたが、普通のそれよりずっと明るくて、まるで小さな太陽だった。距離も破壊力も桁違いだ。五〇パドの厚みがある市壁を吹き飛ばすなんざ、信じられん」
「うむ、あんなのは見たことがねえ」前を行く兵士が同意する。
「一流の魔術師の先生の中には、一人で街を一つ落とした方もいると聞くがね?」とミハイ。
「そりゃ伝説だ」と負傷兵。「少なくとも、現代にはそんな魔術師、いないのは確かさ。これまでにエクサリオの連中と二度戦ったが、あんな魔術にはお目にかかったことがない」
「魔術といえば、味方の魔術師の先生方はどうしたんだろうね?」とミハイ。「反撃した様子はなかったが」
「あのたわけた魔術でやられたんだろう。門の真上に配置されていたからな」
当たり前のように魔法について議論する異世界人たち――アキラはそっとかぶりを振り、自分の反応に顔をしかめる。順応しろ。古い常識を捨てろ。これまでやってきたように。これまでやってきた以上に。どうやらここは想像していた以上にファンタジーなくされ異世界なのだから。
「あとからたくさん降ってきた火の玉は?」アキラは尋ねる。「あっちは普通ですか?」
「普通だ」と負傷兵がうなずく。「うちの魔術部隊がやられてなきゃ、簡単に防げたはずさ」
「防ぐ……どうやって?」
「風だよ。強い風で火球を逸らすんだ。優秀な魔術師なら、逸らすどころか、何百パドも向こうまで風で流しちまう。矢なんかもそうだ」
ああ、あの暴風の壁か。
アキラは無知を埋めるための質問をもっとしたくなるが、負傷兵が疲れた様子を見せたので別の機会に取っておくことにする。あとでミハイに訊いてみよう。
男たちの足音の反響と、うめき声と、ぼそぼそした話し声が空堀を満たす。一五分が過ぎ、市壁の角が近づいてくる。アキラはリランの容態に気を揉む。助かるんだろうか? それともあの傷じゃ……
そのとき、攻撃の第三波に襲われる。
「ピア‐ボウルレェェェット!」胸壁の物見が注意を喚起する。
頭上で市壁から土埃が噴き出して、堀の中に――長い隊列の上に――大小の瓦礫が降り注ぐ。爆発音が連鎖する。動くに動けない状況で生き埋めになりそうだ。アキラの右耳に〝ガツン〟と鈍い音が聞こえ、ぬるい液体が頬に跳ねる。見ると、負傷兵の前頭部がへしゃげている。ミハイが一秒前まで負傷兵だったものを脇に突き飛ばして、アキラに叫ぶ。
「登れ、若いの!」
すでに多くの兵が堀の土壁に取り付き、仲間の手を借りて草地に這い上がっている。土壁はろくに手掛かりがなく、もろいが、ミハイが尻を押してくれたおかげで、アキラの指先が草地を捉え、懸垂の要領でなんとか体を引き上げる。石材の破片や塊が降り続けており、気が気でないものの、草地にべったりと伏せて、下に目いっぱい片腕を伸ばし、今度はミハイが這い上がるのを手伝う。
爆発が続く。明らかに第二波よりも威力の高い火の玉が畑のほうから飛んできている。市壁は持ちこたえているが、壁面にいくつもの深い凹みが穿たれる。角の尖塔から物見が叫ぶ。
「壁から離れろ! 西門へ走れ!」
その警告/鼓舞を最後に、尖塔が物見もろとも崩れ落ちる。
二人が全力疾走の流れに加わったとき、今度は矢が飛んでくる。周囲の者がばたばた倒れ、流れ矢がひゅんひゅん空気を切り裂く。どこから飛んできているのかよくわからない。アキラは全方位から射られているように感じる。
「若いの、姿勢を低くしろ! もっと姿勢を――」
ミハイの声が断ち切れ、その大きな体がアキラの腰にぶつかる。助け起こそうと伸ばしたアキラの手が途中で止まる。タルノーの指物師の側頭部と右の眼窩に、深く突き立った矢。よほど強い衝撃だったのか、首がおかしな具合にねじれている。ミハイ、故郷に帰るんじゃなかったのかい? 家族に会うんじゃ?
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