【ナリ】
二人がぱっと振り向くと、軍の奴隷の列が乱れ、火の手が上がっている。人間松明と化した者が数人、列から飛び出して、叫びながら草地を転がり回る。続いて、小麦色の髪の男が剣を構えながら列を出、あとじさる。それを追うように成田が列から進み出る。小麦色の男がさらに後退し、成田に剣の切っ先を向けながら「やめろ、やめろ、やめろ、畜生、やめろ」とわめき散らす。
アキラは目撃する。成田が愉し気に微笑むのを。真昼の太陽の下でも視認できる眩い火の粉が、成田の周りでぽつぽつと舞い始めるのを。それらが一筋の流れとなって、螺旋を描くように宙を走るのを。
無数の火の粉に撫でられて、小麦色の男の上半身が炎に包まれる。
新たな絶叫。
成田が自分の首輪をつかみ、背後に注意を転じる。活人画を実演中の軍の奴隷たちに向き直るなり、切断面がめらめらと燃えている首輪をぽいと放り捨てて、その手を指揮者のようにさっと上へ躍らせる。瞬時に現れた大量の火の粉がぶわっと舞い上がる。手が振り下ろされるのと同時に、火の粉が奔流となって真正面の奴隷たちを呑み込む。
複数の火柱。
さらなる絶叫。
「なんてこった」
リランのつぶやきに重なって、髭の将校が鋭く命じる声。
「警備、あいつを止めろ!」
命令されるまでもなく、警備兵はとっくに動きだしている。しかし全員、瞬く間に火達磨になる。活人画が割れ、軍の奴隷たちが蜘蛛の子を散らすように逃げだし、その中の数名が各々の得物を構えて成田を死角から襲おうとするも、何もできないうちに人間松明の仲間入りを果たして、逃げた奴隷も次々と火の粉に抱擁され、事態を収拾しようとした近くの兵士も炎の洗礼を浴びる。
「やはりメガスィだったのか。だから軍に……でもなぜあんな扱いを……」
リランの言葉がアキラの耳に届くが、頭には届かない。メガスィの語義――超常の力を操る者/魔術師――は知っているが、まるで理解できない。アキラはただただ、成田の生み出した阿鼻叫喚の巷に目を奪われて、呆然とする。
燃え盛る炎を透かして友人の後頭部が見え――
アキラ、と呼びかける声がする。
頭の中で。
アキラの頭の中で、成田の声が語りかけてくる。
おれは行かなきゃいけない。
妖精が行けって言ってる。
だからおまえとは行けない。
幻聴なのか、現実の声なのか、アキラには判然としない。それを言うなら、街道の向こうで成田が火の粉を操り、軍の奴隷と兵士をほしいままに大量殺戮していること自体が、著しく現実味を欠いている。
頭の中の声が続ける。
ああ、スゲーいい気分だ。
このクソども、ざまあみろ。
死ね、死ね、死ね。
おまえらみんな死ねよ。
時間が止まってしまったかのような一瞬、手足を振り乱すいくつもの人型の炎と、断末魔の悲鳴と、肉の焼ける臭いと、黒々とした煙を隔てて、アキラと成田は見つめ合う。成田はもう笑っていない。棒立ちで、酷く疲れているように見える。その姿が薄れる。ピントがずれたように細部がぼやけ、濡れた紙に広がる水彩絵の具のように全身が滲み、煙のように輪郭が空気に溶けだす。
じゃあな、雨宮氏。
そして、ふっと掻き消える。
最初の絶叫から成田の消失まで、二〇秒足らずの出来事。たったの二〇秒足らずで、軍の奴隷と警備兵と一般兵士が合わせて数十名、炭化した焼死体と成り果てる。無造作に転がる黒こげの遺体はどれも、まだぶすぶすと焼ける音を立て、白煙を上げている。指揮官たちが口々に「隊列を整えろ」とがなりたてる。逃げたりしゃがんだり地面に伏せたりしていた兵士たちが、自分の持ち場へ戻り始める。
「きみは知っていたのか?」リランが尋ねる。
「へ?」アキラは呆けた声を出す。
「彼が魔術師だと、きみは知っていたのか?」
「まさか。あんなの全然……というか、魔法使いってお伽話の存在じゃないの?」
リランがぽかんとする。あまりにもじろじろ見てくるので、アキラは極まり悪くなる。
「リラン?」
「いくらなんでも無知にもほどが……きみは本当にどこから来たんだ? いいかい、魔術師はお伽話の存在じゃない。実在する」
「つまりこの世界には……魔法が存在する?」
「する。今のを見ただろ?」リランが焼死体の山に手を振る。「きみの友人がやったことを?」
アキラは両手をひらく。「見たけど、信じられない。上手く呑み込めない。魔法のこと、なんで今まで教えてくれなかったんだ?」
「当たり前のことすぎて、教える必要があるとは思わなかったんだ。それにこれは、気軽に持ち出せる話題じゃない」
「なんで?」
「格差だよ。きみはグラティアを〝才能〟と解釈しているようだが、その語義は文字どおり〝加護〟だ。神々より賜りし加護が魔術の形を取ることはそれほど珍しくない。二〇人に一人はそうさ。そして才に乏しくとも魔術には何かしら社会貢献できる道がある。よって彼らは優遇される。国への数年の奉仕と引き換えに、身分を問わず無償で専門教育を受けられる。大学で学問を修めることもできる。独り立ちとなったら引く手数多だ。国や領の文官にだってなれる。軍、商会、果てはそこらの肉屋まで魔術師を優先的に雇用する。
グラティアによる格差だ。その辺りを気にしない者もいるが、人によっては酷く気にする。社会構造と文化に植え付けられた劣等感ゆえにね。魔術の一つでも使えればもっと違った人生を歩んでいたであろう奴隷たちは、そのあたりを特に気にする」
「珍しくないって言うけど、魔法使いなんて一人も見たことがない」
「きみは会っているよ。ヨヒト隊長、オーグ隊長、コンスタヌ隊長がそうだ。彼らは魔術が使えるから高い立場にいる。もちろん、有能でもあるからだが」
「でも隊長たちが魔法を使うのも見たことがない」
「わざわざ見せびらかすとでも? 高い能力がある人ほど、そんな真似はしないよ」
「あー、リラン、きみは? もしかして、きみも魔法使い?」
「ぼくは違う。ぼくが戦女神メイシア=ウギ=アルマ=クフから授かったのは、行くべき場所、進むべき道、友誼を結ぶべき人物といった、人生を豊かにしてくれる何かしらを直観的に悟る加護だ」
「戦いの方法じゃなくて?」
「彼女は旅の守護神でもある」
アキラはリランの話をどう受け取っていいのかわからなくなる。
「なんだか……女神が本当にいるみたいな口ぶりだ」
リランが呆れたようにかぶりを振る。「〝みたい〟じゃない。神々はおわす」
やはり理解が追いつかず、アキラもかぶりを振る。「女神と会ったことがあるとか?」
「いや、残念ながら。でも直観的に物事を悟るたびに、彼女の息吹を感じてきた。小さな子供の頃からね。きみを初めて見たときも〝あ、こいつと友達にならなきゃ〟って――」
リランが言い終える前に、アキラは視野の隅で南東の遠い畑が地面を吐き出すのを目にする。大量の土砂と、ねじれたハラスと、複数の人体が、宙高く放り上げられる。一・五秒遅れて、物理的な圧力を伴う爆発音と衝撃波が到達する。
今度は何?
あれもナリの仕業?
胸壁の上から物見が叫ぶ。
「ピアァァァ‐ボォォォウルレェェェット!」
ピア‐ボウルレット――火の玉。
火の玉?
物見は畑のほうを、真南を指さしている。リランがそっちを向く。アキラもそっちを見、二つの現象を目に留める。一つは、畑のずっと向こう、約三キロ先の山の頂から、眩い輝きが照明弾のように上がっていること。もう一つは、竜巻じみた突風が突如、草地を吹き荒れたこと。
まるで暴風の壁。草地に点在する木々が傾いで葉と弱い枝が千切れ飛び、畑からは農作物が、地面からは草がむしり取られている。しかし陣の辺りでは、少し強い横風が吹いているにすぎない。〝まるで〟じゃない、とアキラは思う。現実に暴風の壁があるのだ。一〇〇メートル先に。轟々と音を立てて。
その不可視の壁を可視ならしめている、巻き上げられた無数の草と葉を通して、照明弾みたいなやつが垂直に上昇し続けているのをアキラは認める。
もちろん、照明弾ではない。そして、垂直に上昇しているのでもない。
青空高く打ち上げられた光点が速度と大きさを増しつつ弧を描いてぐんぐんこちらへ迫り、それが白熱する火の玉とわかるくらい接近した次の瞬間には、暴風の壁を貫いて、隕石よろしく南門の脇にぶち当たる。
大爆発。
粉砕された石材が辺りに飛散し、門の近くにいた者が打ち倒される。続けざまに飛来した二発めと三発めがさらなる石材の散弾を撒き散らして、四発めと五発めが陣中に飛び込む。広範囲の草地が噴火し、無数の兵士の体が空中に放り上げられる。
火の玉はまだ飛んできている。
「伏せろ!」
リランに肩をつかまれたまさにそのとき、アキラは巨人の平手打ちを背中に食らう。
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