↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
45/86

【異変】




 胸壁から頭を引っ込めたアキラの傍を、三〇名ほどの兵士が通り過ぎる。その半数近くは、地上では一人も見かけなかった女性兵士だ。自分と大して歳の変わらない少女までいる。アキラはその少女を盗み見、目で追う。その娘に限らずみんな杖を手にしている。なぜ? 足が悪いようには見えないけれど……

 祈りを終えたリランがやって来る。

「アキラ、そろそろ食事を取っておいで」

「食べたい気分じゃない」

「食べなければ駄目だ」含みを持たせて言い足す。「ここからは体力勝負になる」

「ああ……確かにね。きみは食べないのか?」

「馬車の中で食べすぎたんだ。ほら、行っておいで」


 きちんとした昼食の代わりに軽食が配られる。干し肉は硬く、赤パンはぼそぼそし、革袋の水はぬるい。

 戦闘に参加しない市の奴隷たちにも緊張が漂う。若い頃に何度か実戦経験があるというミハイは、笑顔を浮かべている少数派だ。

「おれたちは怪我人を運び、弓兵に矢を届ける。難しいことじゃない。周りを良く見て動けば、かすり傷一つ負わんよ。ところで、若いの」

 アキラは機械的に噛んでいた干し肉を口から離す。「なんだい?」

「詮索するつもりはないんだが、一つ気になっていてね。こっちへ来る前やら道中やらで、アミピダス様とごたごたやっとったろ? ありゃなんだったんだね?」

 逃亡の打ち合わせさ、とアキラは胸の中で答える。食べ物が咽を通らないほどの不安と、良心に刺さった棘の存在を意識しながら、口ではこう答える。「リランの手伝いを頼まれたんだ」

「おやまあ、そりゃ高く買われたもんだ。なら、おまえさんはいっとう安全だな。エクサリオの田舎もんどもといえど、司祭様を狙うような馬鹿者はおらんだろうから」

「ああ、そんな馬鹿はおらん」無口なニムトが同意する。ニムトの声を聞いたのは、今日はこれが初めてだ。

「でも事故が心配だ」とアキラ。

「司祭様は何も、戦場の真ん中で死者の冥……冥……」言葉を探してミハイの視線が上に泳ぐ。

「冥福?」

 タルノーの指物師が恥ずかし気に笑う。「おまえさんにリュシナリア語を教わるなんて、ふた月前の自分に言っても信じなかっただろうな。ロフト語もすぐに覚えちまうんじゃないか?

 そう、冥福。司祭様は、兵隊が殺し合う横で死者の冥福を祈るわけじゃない。ちっとばかし後ろのほうで瀕死の者に祈るんだ。流れ矢すら飛んで来んさ。司祭様の手伝いなら、おまえさんにも女神様の加護があるよ」

「じゃあ、前もってアルマ=クフに感謝しておかなきゃだね」

「そうするがええ。おや、噂をすれば司祭様だ」

 リランが南門の辺りに姿を見せ、「アキラ」と呼びかけながら手招きする。無口にして大食漢のニムトに食べかけの干し肉を渡してから、アキラは手招きに応じる。

「急ぎの用だ。来てくれ」リランが返事を待たずに踵を返す。

 せかせか歩く朱の僧衣を追いながら尋ねる。「急ぎって?」

「首輪だよ。きみの首輪のことをすっかり忘れていた」

「首輪が何?」

「個人所有の物と取り替える」

「ふうん?」

 最前列正面の草地に、オーグ隊長の姿がある。軍側の数人の将校と打ち合わせ中のようだ。リランが丁重な物腰で割り込み、彼の首輪を外していただきたい、と申し出る。

「先ほども申し上げましたが、彼は今、わたしの奴隷で、従者候補です。この首輪では勘違いする方も出るでしょうから、今のうちに取り替えておきたいのです」

「申し訳ありませんが、少々立て込んで――」

 言いかけたオーグ隊長を遮って、リランが続ける。

「このままでは具合が悪いんですよ。この戦場が、わたしの補佐として彼の初仕事になるわけですし」

「あー、替えの帯はお持ちでしょうな?」

 リランが懐から革紐のように細いチョーカーを取り出してみせると、オーグ隊長はうなずき、アキラの首輪に手を伸ばす。

「ほれ、じっとするんだ」

 オーグ隊長が首輪を指先でつまみ、のこぎり歯状の細く短いナイフを隙間に入れて上下する。刃の背が肌に擦れて痛い。切れた首輪をするりと抜いて上着の隠しに突っ込む。

「さあ、これで良し。どうぞ、司祭殿」

「アキラ、背中を向けて」

 チョーカーが背後から首に回されたところで、アキラは、街道の向こうの最前列に気を取られる。剣や槍で武装した軍の奴隷たちだ。武器を手にした元犯罪者たちを警戒してか、警備の人員が増えている。アキラは成田をすぐに探し当てる。一〇〇メートルも離れていない場所で剣をだらりと下げ、足元に視線を落としている。その姿に向けて心の中で語りかける。

 ナリ、河だぞ。ぼくたちは逃げて自由になるんだ。カルナリーに着いたら、これまでの不運を笑い飛ばせるくらい愉快にやろう。コックをやって、流行の仕掛け人をやって――

 革紐が結ばれる際に首を軽く引かれて、アキラは我に返る。

「司祭殿」と立派な髭をたくわえた軍の将校が横から言う。「軍議が終わりましたら、わたしの部下たちと共に祈っていただけませんか?」

「もちろん結構ですとも」

 将校連とオーグ隊長が打ち合せを再開すると、リランがアキラにさり気なく合図する。一〇歩ほど離れてからアキラの首元を指さす。

「意匠はなんでもいいが、黒い帯が個人所有の証になる。それを着けていれば今後、誰かにとやかく言われることはないはずだ」聞き取り難いほど声を落として、「逃亡中は特に役に立つ。主人のお使いでもしている体で何食わぬ顔をしていれば――」

 絶叫が響き渡る。




もしよろしければ、ブックマークや評価で応援していただけると執筆の励みになります。 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。