【戦争の足音】
「そろそろ着くね」
その言葉どおり、市壁の角が見えている。犯罪奴隷の列が角を曲がり、市の奴隷があとに続き、アキラとリランも続く。今回初めて訪れた市の南側には、西側とやや趣を異にする見事な景観が広がっている。しかし今、用があるのは自然の美ではなく、その土台だ。アキラは逃亡者の視点でつぶさに地形を観察する。
地平線まで続く青々とした穀倉地帯、大小の木立と丘、ハルドワイネン河。
増水した河。
溺死は願い下げだ。
とはいえ、畑に身を隠しながら南下する案は考慮にも値しない。畑まで行くには、開けた草地を四〇〇メートル弱、突っ切る必要がある。そしておそらく、最低でも百人単位の目撃者を生む。アキラはなるべく甘い予想を切り捨てて考えを先に進める。冷たい男も目撃者の一人になるとしよう。あいつが本気でぼくを手に入れるつもりなら、たとえ戦闘中であろうとも、追っ手を差し向けるかもしれない。仮に逃亡の発覚が遅れても、目撃情報を基に追跡範囲を楽に絞り込める。人間狩りの容易い獲物だ。
翻って対岸は、至近の追っ手を心配することなく、岸から一〇〇メートル先の森まで悠々と逃げ込める。そして北へ向かうふりをし、森に入ってから、進路を真逆に転じる。死ぬ気で河を泳いで渡るか、身一つで川下りをするしかなさそうだ。
そしてカルナリーへ。ひたすら南へ。
ああ、シノ。ずいんぶん遠回りをしたけれど、結局、プランAになりそうだよ。
奴隷たちのざわめきが耳に届く。よそ見をやめると、進行方向の遥か先、南門の辺りで、騎兵と歩兵から成る一団が横列に展開している。しかし、街の命運を賭けた合戦、というには頼りない軍勢だ。
「あれ、何人ぐらいいるのかな?」アキラは尋ねる。
リランの横顔と声はいつもと同じく穏やかだ。「駐留部隊の規模は一個レホヴァントラム、とどこかで聞いたな」
「レホ何?」
「レホヴァントラム。軍の単位で、二〇〇〇人くらい」
「もっと少なく見える」
「ほかの門にも人手を割いているんだろう。空っぽにはできないからね」
「敵の数は?」
「多く見積もって二個レホヴァントラムらしい」
「倍じゃないか」ぎょっとしてアキラは大声をだす。
「いや、市内には休戦後に後方へ送られた前線の部隊もいる。合わせると、職業軍人だけで三〇〇〇かそこらはいるんじゃないか。取引のあと、街中で兵士や傭兵風の連中を大勢見かけたよ」
「加えて奴隷か」
「それに加えて農民だね」
「農民?」
「さっきの伝令が、避難の呼びかけを兼ねた緊急召集の使者が出発したと言っていた。国境に近い街の常で――さらに戦意過剰なエクサリオのおかげで――この辺りの農民はどの世代も弓兵としての実戦経験がある。最大動員には届かずとも、開戦までに数百人は集まる見込みだ。開戦が遅れるか、戦闘が長引びくかすれば、近在の領主の軍や国の常備軍もかけつける。地の利もある。市壁もある。市民兵もいる。ロフト軍が有利だ。ほら、言っているそばから農民たちだ」
畑の一点、街道が通っているとおぼしい場所から、馬車と荷馬車と徒歩から成る一行が続々と現れる。陣を敷く兵士の一部が彼らを出迎え、査閲し、済んだ者から門の中へ進ませてゆく。農民たちの流れは途切れる様子がない。確かに、あれなら数百人の弓兵などすぐに集まりそうだ。
「多いね」とアキラ。
「そりゃあね」とリラン。「市の西側に住む農民たちも、あの流れに加わっているだろうから。橋を壊したせいさ。今頃、北門も大忙しだろう」
奴隷たちが南門の近くまで来たとき、農民の列がちょっとした交通渋滞を引き起こす。
査閲中の兵士は当然ながら、ほかの兵士も忙しそうだ。あるグループは木製の防護板を陣の最前列へ運んだり立てたりし、別のグループは防護板のあいだに尖った杭を据え付け、また別のグループは胸壁に石弓を並べている。円形の盾と短槍が歩兵の基本兵装のようだ。将校はひと目でわかる。房飾り付きの鉄兜と胸甲姿で命令をがなっているからだ。
まるで大仕掛けなハリウッド映画のセットだ、とアキラは思う。頭ではすべて現実だと理解していても、現実感を失調しそうになる。その現実感がさらに薄れたのは、八名の兵士が車輪付きの兵器を押したり引いたりしているのを目にしたとき。
「大砲じゃん」アキラは日本語でつぶやく。
「うん?」とリラン。
リュシナリア語でどう言うのかわからず、アキラは大砲を指さす。「運ばれてる大きくて太い筒」
「ああ、リノネイだね。それに見てごらん」荷馬車の傍で長い火器を受け取っている兵士の一群へリランが顎をしゃくり、「ラスラアイウェンもある」ラスラ、アイウェン――飛ばす、鉄。マスケット銃。「軍は兵器庫の中身をすべて持ち出しているようだな」
アキラは大砲に目を戻す。あんなのでちゃんと当たるのか? あんな博物館クラスの骨董品で? いや、この世界の技術水準からすれば、きっと最新兵器なんだ。
付近には軍の兵士のほかに、革鎧の警備隊員の姿もある。その一人がオーグ隊長に話しかけたあと、隊長が市の奴隷に向き直る。
「みんな、止まれ。注目。道中も説明したが、ハルドガルダ市はこれより軍の指揮の下、エクサリオの馬鹿どもと戦う。だが気負わなくていいぞ。我々警備隊と諸君らは主に、負傷者の搬出と物資の運搬を担う。いつもの雑用と考えて構わん。今回は仕事場が戦場というだけだ」
奴隷たちのあいだから小波のような笑いが起きる。
「軍から指示があるまで、ここで待機だ。それまで楽にしてくれ」
「昼飯は出ますかね?」誰かが尋ねる。「おれたちゃ腹ペコです」
「掛け合ってくる。とにかく待機だ」オーグ隊長がリランのほうへ顔を向ける。「司祭殿もここでお待ちいただくのがよろしいかと」
「了解した、隊長」
この間、軍の奴隷は農民の列を突っ切って、街道の向こう側、約二〇〇メートル先に集められる。アキラは爪先立ち、農民と兵士でごった返している雑踏越しに成田の姿を探し求める。いた。周囲の出来事に無関心な様子で畑のほうを眺めている。
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