【計画】
二人はつい先日のように、市の奴隷たちから二〇メートル遅れてそのあとを追う。説明を待てずにアキラは尋ねる。
「戦争に負けたのか?」
「いや、砦は抜かれていないらしい。警備隊の伝令によると、ハルドガルダに接近しているのはエクサリオ軍の別働隊だ。レムイーエン村の住民が発見して、ついさっき報せに来たそうだ」
「休戦協定は?」
「もちろんこれは協定破りだ。問題の別働隊は、ロフト軍と対峙している北からではなく、ネマルク‐ロフト国境を越えて南東の方角から進軍中だ。お隣のネマルク王国の戦況がエクサリオに有利な形で変化したか何かで、かの地の予備部隊だか分遣隊だかをロフトへ投入というわけさ。奇襲だ、とオーグ隊長が言っていた」
「南東?」アキラは奴隷たちを、特に先頭を行く犯罪奴隷たちを見る。「もしかして――」
「そのとおり」リランが先回りして答える。「ハルドガルダ駐留部隊は迎え撃つつもりだ。奴隷も戦の頭数に入ってる」
「戦……市の奴隷も?」
「ああ。駐留部隊の最高指揮官が非常時権限を行使した。これまた伝令によると、市の奴隷は徴用され、警備隊の指揮権は軍に移り、市内では、戦える者を集めて民兵が組織され始めている。軍は侵攻勢力を叩き潰す気だ。でないと前線の背後で悪さをされる。北東部の流通の要であるハルドガルダ市が包囲されると、ハルド砦は孤立し、事実上無力化されるという事情もある。そうなると、デーエル地方全域がエクサリオの手に落ちかねない。ぜんぶ隊長たちの受け売りだけどね」
アキラはまともに聞いていられる心境にない。
ぐらっと大地が傾いだ気がする。
「リラン……ぼくは戦えないぜ?」
「戦わなくていい。最初に言ったろう、きみはもう市の奴隷じゃない。取引は済んでる。オーグ隊長もその点は了承済みだ」
アキラは深く安堵し、自身の心根に羞恥を抱く。どうせぼくはヘタレだ。
「あー、じゃあなぜ――」
「なぜなら」とリランがまた先回りして答える。「先ほどきみも聞いていたとおり、ぼくはアルマ=クフ派の司祭として同行する。戦場で倒れた者を看取るために。戦いの中で彼岸へ旅立つ魂を祝福するために。そしてこれは――土壇場の思い付きだが――きみを逃がすためでもある」
「逃がす?」
「そうさ。中佐の用向きを知ったあと、元々、きみの逃亡を視野に入れて計画を立てていたんだ。でも阿呆なエクサリオのおかげで即興でやるしかなくなった。
よく聞いてくれ。まず、最初に話した予定は忘れるんだ。こんな状況では、イェルガート卿は奴隷の所有権問題どころじゃない。そこで代案を検討してみたが、問題だらけだ。代案その一、きみを市内に匿い、然るべき時期まで軍から隠し続ける。無理だ。きみの容姿は目立ちすぎる。代案その二、もっともらしい口実のもと、今この場できみを市の外へ――帰る予定のない――使いに出す。これも無理がある。この非常時に奴隷が一人で出歩いても不自然ではなく、気が立っている市壁の歩哨、門番、巡回の騎兵を残らず納得させられる、本式の委任状を用意する暇がない。代案その三、その四、なんならその五もあるが、どれも欠陥がある。時間も敵だ。戦況如何では数週間、市は包囲されて外界との接触を絶たれる。従って、唯一の好機は戦闘中だ。アキラ、ついてきているかい?」
リランのまくしたてた要点を、アキラはなんとか呑み込む。
「戦のあいだに逃げるしかない」
「そうだ」
「方法は?」
「さっき思いついた。主義に反する運任せのやり方だが」
アキラはごくりと咽を鳴らす。「危険なんだね?」
「加えて、単純かつ乱暴だ。手筈はこうだ。きみはぼくの手伝いとして傍に控える。戦闘が始まったら、ぼくはきみをハルドワイネン河のほうへ誘導する。そして頃合を見計らって、清めの水を汲みに行かせる。きみはそのまま、河を泳いで渡って逃げる。流れに身を任せて河を下るのでもいい」ふと眉をひそめて、「きみ、泳ぎのほうは?」
「一キロくらいなら、ああ、泳いだことがある」ただし、流れのある大河ではなく、鏡のように凪いだプールでの話。そして小六の体育の授業以来、水泳は一切していない。
リランの眉間のしわが深さを増す。「一きろ?」
「だいたい三三三〇パド。三分の二タンネ」
「泳ぎが得意なんだな。であれば大丈夫だ。川幅は四〇〇パドほどだから」
アキラは、すごそこを流れるハルドワイネン河の川幅を、平均四五〇パド、と目測する。一三〇メートル強、余裕だ。昨晩に上流で大雨が降ったか何かで増水し、流れが速くなっている点を除けば。もう何年も泳いでない点を除けば。溺れ死ぬ自分の姿を容易に想像できてしまう。
リランがアキラの表情を読み違えて言う。「もちろん、逃げる際は市壁の歩哨から丸見えだ。でも戦争をしているときにわざわざ逃亡奴隷を追う者はいない。それどころじゃないからね。そしてローゼルメン中佐がきみの不在に気づき、追っ手がかかる頃には、きみは遠くにいる。戦闘中に逃げる利点だ」
と言われても、どこまで逃げられるものやら。行く当てなどないというのに。
今度はその物怖じを正確に読み取って、リランが言葉を継ぐ。
「ここから逃げたあとのことも考えがある」
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