【横槍】
聖職者に敬意を表すためか、自分に用があると気づいたからか、オーグ隊長が荷馬車から飛び降りて、衆目を一身に集めるリランと言葉を交わす。リランが懐から筒状の紙を出し、広げ、オーグ隊長に見せる。二人の視線が時折、アキラのほうを向く。
そういえば、あとで迎えに行くとか言ってたっけ。
話し合いはものの数分で終わる。リランがその場を離れ、オーグ隊長が荷馬車の上に戻る。
「ほんとに凛々しいなあ」
のん気にコメントするミハイとは対照的に、アキラは、小走りに駆け寄ってくる若き司祭の表情に胸騒ぎを覚える。
ミハイに形ばかりの会釈をしてから、リランが言う。
「アキラ、来てくれ。外出許可は貰った」
返事を待たずにリランがアキラの腕を取り、二頭立ての馬車へと足早に歩きだす。
「あー……上手くいかなかったのかい?」アキラはぼかして尋ねる。
「いや、上手くいった。手続きも済んだ。だがきみを買い取った直後に、軍の横槍が入った。早急に、領主と面会する必要がある」
「領主とか軍とか、どういうこと?」
「待った」と押し留めてから、リランが御者に声をかける。「どうだ? すぐに出られそうか?」
「申し訳ありませんが、やはりハラスを少し休ませませんと」と御者。「こいつらに水を飲ませるあいだ、しばしお待ちを」
「では、出せるようになったら教えてくれ」
人気のない川辺へアキラをいざなってから、リランが盛大にため息をつく。
「まったく、ややこしいことになったよ」
「何がどういう風に?」
リランが声をひそめる。「窓口氏と別れて即、軍人に呼び止められた。待ち伏せさ。相手は二等ウェリニのローゼルメンと名乗り――」
「ウェリニ?」
「軍の階級。ウェリニシアザの短縮だ。テニアスシアザの上」
テニアスシアザなら脳内単語帳に登録がある。手伝い人や下級将校を指す言葉だ。その上の階級と言うからには、二等ウェリニは中佐とかそんな意味だろう。
「その中佐が?」
「取引の話が担当部署から漏れていたんだろうが、きみを買った理由を詮索された。なぜわざわざ有色人種の、それも逃亡疑惑のある奴隷を選んだのか、と。ぼくは、きみのおつむが優秀で将来的に仕事の役に立ちそうだからだと答えた。すると相手は、きみ個人のことを根掘り葉掘り問い質した。どれくらい優秀なのか、どの方面に秀でているのか、ほかの者と違ったところはあるのか。そして最後に、軍のほうで近々きみを引き取るかもしれないと付け加えた。つまり、そのときが来たらきみを手放せという言外の要求だ」
アキラは差し込むような不安に胸をつかれる。
リランが続ける。「そこでぼくは、彼は無知だが特におかしなところはない、単純におつむの出来を気に入っただけだ、軍に譲るかどうかは前向きに検討すると返答しておいた。相手は満足して帰ったよ。我々は良き友人になれるだろうと余裕たっぷりの態度でね。
アキラ、中佐はきみの知り合いだとほのめかしていた。二〇代後半から三〇代初め、ヨヒト隊長と同じくらいの長身、痩せ型、水色の瞳、漆黒の長髪――この人相に心当たりは?」
「そいつ……髪を束ねて片方の肩に流してた? レイコクな目つきの?」
「どちらもジィル。髪を右肩に流し、冷酷そうな目つきをしていた」
不安が腹の中で氷塊と化す。
「冷たい男だ」アキラはかすれ声で言う。
「冷たい男?」
「捕まったときにぼくを尋問した人。別の世界の靴を見せに来たのもそいつだ。やっぱり疑ってるんだ、ぼくのことを」
リランが唇の端で笑う。「別の世界、というやつを少し信じてみる気になったよ。とにかく――」アキラの肩越しに何かに気を取られて、目を見開く。「おい、おい、危ないな」
南のほうからハラスが二頭、駆けて来る。黒い上着の騎手。警備隊だ。二騎は、進路上の集団を避けるための僅かな時間のロスすら惜しいと言わんばかりに、慌てて飛びのく奴隷たちのあいだを猛スピードで駆け抜けて――そして軍と市中警備隊、双方の警備兵の罵声を無視して――そのまま走り去る。
アキラは相反する衝動に駆られる。あの騎兵にかこつけて話題を変え、悪いニュースを先延ばしにしたい。ギロチンの刃をさっさと首に落としてほしい。結局、こう言う。
「えらく急いでるね?」
「伝令だ。白い旗を背中に差していただろう? 街の中を通ると時間を食うから、門から門へと壁の外を走るんだ。でも、あんなめちゃくちゃにハラスを駆るなんて珍しいな。何かあったのか?」
二人は首を伸ばして騎兵が来た方向、南を見る。市壁と、野原と、川と、森――いつもの眺めだ。特に異常事態が起きている様子はない。遠ざかる蹄の音のほうへ目をやると、片方の伝令が西門の中へ飛び込んでいき、もう片方は北へ直進する。
「まあいい、話を戻そう」とリラン。「ローゼルメン中佐の目的がなんであれ、彼はきみの身柄を確保するつもりでいる」
アキラは自分でも意外なほど冷静に受け止める。乾いた舌で乾いた唇を舐め、地面を見、リランを見、目で先を促す。
「厄介なのは、きみが依然としてただの奴隷である点だ。今や司祭付きになったとはいえ、厳密な法律上の定義ではそうなる。よって、教会の庇護は期待できない。この状況では従者の身分も役に立たない。むしろ、ぼくがきみの後ろ盾になるほうが、かえって危ないだろう。中佐の猜疑心に火をつけて、強攻策に打って出る口実を与えかねない。戦時下の今は、どんな無茶もまかり通る。それこそスパイ疑惑だのなんだのと言われたら、仕舞いだ。そしてどれだけ楽観的になっても、きみが好待遇で軍に迎えられるとはまったく思えない」
リランが成田の忌まわしい例を念頭に置いているのは明らかで、こればかりは、アキラも冷静に受け止めることができない。くされヤンキーほどの良心すら持ち合わせていないケツ掘り凶悪犯罪者の群れに放り込まれると考えただけで、膝が笑いそうになる。
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