【諦念と適応】
夕食から約一時間後に街のどこかで鐘が鳴ると、首輪の男たちは屋内に戻される。そのほとんどは、一階の長い通路に並ぶ部屋や、二階に上がる階段へ向かう。アキラは燭台を手にしたリランに導かれて地下へ降りる。同房のほかの三名も一緒だ。
なぜぼくらだけ地下なんだろう? 訊いてみたいが、やはり言葉の壁に阻まれている。
雑談に耽る三人を横目に、アキラはさっさと壁際の石の床に寝転がって目をつむる。軽く肩を揺さぶられる。リランが、畳まれた二つの厚い布をアキラの腹の上に落とす。
「ハイア、ズュオ ランガ」
ランガ――毛布。
「ディム らんが。ザンシャン」
「セクラス」どういたしまして。「ベオン ニフト」
これもニュアンスで意味を了解する。
「ジィー、べおん にふと」ああ、おやすみ。
アキラは毛布の一枚を体の下に敷いて、蝋燭の明かりと世界を遮断するべく、もう一枚を頭まで被る。まぶたの内側で文字が踊り、耳の奥で様々な発音が木霊する。そこへ時々、虜囚の身となる前の二日間の情景が細切れで割り込む。
小林、成田、おまえら無事なのか?
そしてぼくは、この街で戦争が始まる前に、隙を突いて脱走するべきなのか? 殺される覚悟で? 行くあてもないのに? 第一、戦争が始まったところで、土木作業員が戦場に引っ張り出されるとは思えない。それとも引っ張り出されるだろうか? 所詮は強制労働の身、楽観は禁物な気がする。今のところ、それなりに扱いは良いけれど、有事にはどうなることやら。
逃げるべきか、不本意な成り行きに身を任せるべきか……
もう少し。
もう少しだけ様子を見よう。ともあれ、ここには食い物がある。
永劫の穴掘り。永劫の授業。たくさんの食事。
日々の活動はルーティンワークだ。夜明の最初の鐘で監房が解放され、中庭で朝食を取り、日中は飲み食いしながら門の外で土木工事に励んで、日没後に中庭でメニューの当たり外れが大きい夕食を取り、一日の最後の鐘――異世界人の言う〝八の鐘〟――の音で監房に戻される。
リラン先生のスパルタ気味の語学教育はときにいら立たしいとはいえ、それがいい気晴らしになっていることをアキラは認めないわけにはいかない。強制労働仲間や警備兵たちが二人のやり取りに注目するのもむべなるかな。娯楽が皆無なのだ。
最初の五日間、アキラは毎夜、地球の夢を見る。夢の中、クソだるいと思いながら古典の授業を受け、FPSに興じ、ファミレスで篠原や成田や小林と雑談し、妹の幼稚な嫌味を聞き流す。
ありふれた日常の断片の数々。
今となっては、どれも狂おしいほど愛おしい。
そして、生々しい。
その日常をふたたび生きているかのように。朝が来て監房の天井が目に飛び込んできたとき、その現実を受け入れられず、絶望を覚えるほどに。
しかし六日もすると、頭と心が現実を受け入れだす。
アキラは地球の夢を見なくなる。
ただ泥のように眠り、無感動に目を覚ます。
一〇日めには体が慣れてきて、凄まじい全身筋肉痛から解放される。また、言葉に耳が慣れてきて、異世界語初級編の文法と時制と語順配置をものにする。リランは、アキラが聞き取れていようといまいと、長文で話しかけるようになる。
アキラが理解したところでは、異世界語はSVOが基本。主語・動詞・目的語――英語と同じだ。
が、英語ほど厳密な時制はなく、過去分詞もなく、そこは日本語の緩さに似ている。例えば、過去時制は動詞の前に〝ドゥ〟をつける。過去完了は情報の付け足しでニュアンス的に表現される。単純未来は〝エスト〟ではなく〝ヴァリィ〟を用いる。過去・現在・未来の進行形は〝フュイ〟を使う。定冠詞は〝エ〟の一つきり。定冠詞は人によって付けたり付けなかったりするが、目的語を強調する際は必ず使用される。複数形の〝サン〟または〝サイ〟も付けたり付けなかったりで、目的語の数は付加情報で提示されることが多い。疑問文は〝エスト〟〝ドゥ〟〝フュイ〟などの時制助動詞や〝ホッフ〟〝クイ〟〝エアリ〟などの5WHに相当する副詞を文頭に置くことで成立する。また、単に語尾を跳ね上げたり、〝エウル〟や〝エイ〟を文末に付けて疑問文にすることもままある。
アキラは初級文法と単語会話法を駆使してリランに尋ねる。
「ホウヴァ エスト ハイア?」ここはどこ?
リランが昼食の肉を飲み込んで、市壁を指さす。「ハルドガルダ」
「ハルドガルダ、ジィー。バイツェン……あー、クラント。ネウト プラデアイア」ハルドガルダ市、うん。でも地面。この場所。
リランが眉をひそめる。
アキラは地面に四角形を描いて、「ハルドガルダ」と指さしてから、「プラデアイア」と両手をその周囲で広げる。リランがうなずき、簡単な地図を描く。
その日、アキラは大陸の地理を学び、およその現在地を知る。知ったところでどうにもならないが、これは気分の問題だ。Y空間のX地点にいるという漠然とした認識と、具体的な情報の一地点にピンを刺すのとでは、まったく違う。
ここはユーエリカ大陸北西部の国、ロフトの、北部国境からほど近いハルドガルダ市――了解。
手書きの地図を用いた各国の位置関係や方位、距離と長さの単位を学んでから、アキラは自分の首輪をつまんで尋ねる。
「ホッフ エスト ヴァー?」ぼくたちは何?
「エ スカラヴァ」スカラヴァさ。
「エ ホッフ?」何って?
それに続くリランの説明は、アキラにとって、意味を成さない音の集まりと化す。特定の概念を説明する複雑な形容詞についていけないのだ。でもまあ、と胸の中で言う。最初の印象で正しいはずだ。人身売買と監房と強制労働のコンビネーションは、奴隷の身分を強く示唆している。
クソったれの、クソったれの、クソったれ異世界め。
続けてもう一点、尋ねる。
「ホッフェスト ネウト ランゲシャ? ダズ ヴァー フュイ エスーク」この言語は何? ぼくたちが喋ってるやつ。
アキラは以前から、首輪の男たちと警備兵が異なる響きの言葉で会話をするのが気になっていた。彼らは総じてバイリンガルらしい。
「リュシナリア」とリラン。
ここでも先の地図が利用される。左手でロフト国を指して「セウイ エスーク ロフト(彼らはロフト語を喋る)」、右手でお隣のネマルク国を指して「ワドゥ セウイ エスーク ネマルク(そしてこっちはネマルク語を喋る)」、それから両手をぱくぱくと動かし、すぐにその両手を広げ、顔をしかめる。次に、ロフトとネマルクをリュシナリアに入れ替えて、今度は両手のぱくぱくを延々と続ける。
わかった、いま習っているのは国際語だ。リュシナリア語は、現代の英語やかつてのフランス語のようなものなのだろう。
第26話は本日の夜19時30分に投稿いたします。
※本作は序盤の泥臭い逆境から、主人公が銃と頭脳で無双し始めるまでの『溜め』の期間をテンポよくお楽しみいただくため、第50話までは【1日3回(7時30分・12時30分・19時30分)】の超高速投稿でお届けします。本格的なアクションとリアル系FPS脳が始動する50話からは、じっくり読める1日1回投稿に移行します。
尚、第50話以降に130話(毎晩19時30分、1話あたり2500字前後)以上のストックが完了しています。安心してお付き合いいただければ幸いです。もしよろしければ、ブックマークや評価で応援していただけると執筆の励みになります!




