【穴掘り、食事、リラン先生】
袋に入れた土を馬車の荷台に空けること十数回、その荷台でリランと一緒になる機会ができる。
「オイ ダー」リランがひょいと片手を挙げる。
オイ ダー――〝よう〟のようなあいさつ。
「おい だー。リラン、あー……あー……」
困った挙げ句、アキラは西門を指さし、剣を振る動きをしてみせる。リランが眉をひそめて首を傾げる。アキラはさらに想像上の剣を振り、突きかかる真似をする。リランの顔に理解の光が灯る。
「ジィル、ヴァラン。ダー ヴァリィ エスト ヴァラン」
「ゔぁらん」
「ジィー、ヴァラン」
リランも想像上の剣でアキラに斬りかかる。
ヴァラン――〝戦争〟または〝戦い〟。
くそ。
アキラの目が対岸の森のほうへ泳ぐ。無意識に首輪に触れる。
「ネー。エズド」
リランがアキラの肘をつかみ、手近な警備兵に歩み寄る。早口で何事か説明し、「ジィー」と了承の言葉を得ると、アキラを連れて自分の作業区画へ向う。それから〝どうぞ〟と言う風に地面に向けて片手を差し伸べる。ここで掘れ、ということらしい。言外の意味は〝馬鹿はやらせねえ〟に違いない。
リラン先生の授業が再開される。スワラ(シャベル)。バジ(袋)。ラベェン(草)。ラァド(荷馬車)。ハラス(エルクに似た不思議生物にして家畜)。ジェド(農夫がその群れを誘導している羊と豚の愛の結晶じみた家畜)。セカレ(緑色の甲虫の固有名詞、または虫を指す一般名詞)。アキラは完全に学習意欲を削がれていたが、オートパイロットになった耳が勝手に単語の音と意味を拾い続ける。
陽射しの下の穴掘りのおかげで、午前の半ばにはくたくたになる。この集団がなんであろうと、やらされていることは囚人のそれだ。とはいえ、扱いは予想していたほど悪くない。街の中から鐘の音が聞こえるたびに休憩が与えられ、飲食物が支給される。水や、赤パンや、青くて丸い果物(フルクタス、固有名詞もしくは一般名詞)といった軽食だ。やけに生っぽい肉料理の昼食では、ジョッキ一杯のアルコールまで出る。そいつは林檎の匂いがする青みがかった液体で、アキラはリランに勧められるまま一口飲み、派手にむせる。リランが手を叩いて喜ぶ。
アキラは木のジョッキをリランに差し出す。
「ハイア」と早速覚えた言葉を使う。どうぞ。
「ザンシャン」とリラン。ありがとう。
このやり取りをほかの男たちが見物する。敵意のある眼差しを向けてくる者もいるが、大多数は愉快な見世物と見なしているようだ。何人かはそばを通りしなに「オイ」とアキラに声をかける。別の何人かは、わざとアルコールを勧めてからかう。アキラは改めて気になる。荒んだ顔つきの者が少ない。陽気でさえある。その肌色や体つきを見れば、良好な栄養状態にあることがわかる。そもそも食事の回数と量が多すぎる。首輪を付けられて強制労働に励む年老いた明るい男たち。ぼくたちは本当に、どういう集団なんだ?
午後になると、橋の破壊を終えたグループが穴掘りに合流する。そしてリランの授業の性質が若干変化する。何かを指さしてはアキラに答えさせて、学習の成果を確認しようというのだ。この頃には警備兵も二人のやり取りを見物するようになっている。よほど暇なのだろう。ひょっとしたら、リランも退屈しのぎに語学教師の真似事をしているのかもしれない。ぼくが現実逃避のために言葉を学んでいるように。
リランが土でいっぱいの袋を肩に担いで、地面に突き立てたシャベルを指さす。
「すわら」アキラは即答する。
「クラッツ」素晴らしい。
空の袋を手に戻ってきたリランが、空を指さす。
「らつぁーど」とアキラ。
「ベオン」いいぞ。
続いて地面。
「あおーさ」
「ネー」リランが咎めるようにかぶりを振る。「アキラ。ディー ドゥ タクト ズュ ダズ バーヴァラム アンリック エイン バイナタリ ディガン」
ジョークでも飛ばしたのか、外野から忍び笑いが漏れる。
「あー……くらんと」
「カレクタス」正解。
午後の最初の休憩でリランは指を一本立てる。「イア」
二本立てて、「ヴィン」
三本立てて、「トス」
今度は数字か。
一〇〇までの数え方を教えてから、リランは名詞の教授に戻り、アキラが油断した頃に「イオ」と合図を発する。
「いあ ゔぃん とす てざす ぺね へざ へぷ あうた えばあ でり いありふぁ ゔぃんりふぁ……」
アキラはシャベルで土をすくいながら、淀みなく一〇〇まで数え上げる。周囲から控えめな歓声が上がる。警備兵の一人は拍手をして、胡桃に似た木の実をアキラに投げてよこす。
日没をもって労働が終わったとき、アキラは無で満たされている。疲れすぎて何も考えられない。手の平の水ぶくれや体の節々の痛みすら、百万キロの彼方の事象に感じられる。
二列縦隊で刑務所だか強制収容所だかの中庭に戻ると、すでに夕食が用意されている。アキラは今朝とは違う意味で食欲が失せているが、リランが〝食え〟と言わんばかりに野菜と肉とパンの盛られた木皿を突き出す。アキラは首を振る。皿がさらに突き出される。諦めて皿を受け取り、肉を口に入れ、機械的に咀嚼する。
あろうことか、夕食でも授業は続く。
どこからかむしり取ってきた木の枝で、松明のそばの地面にリランが簡素な図を描く。
「ディ」とはっきり発音し、隣に別の図を描く。「レス」
文字か。
「マジくたくた。なんも頭に入んない」
日本語の不平はあっさり無視される。
「ディ」リランが繰り返す。
一刻も早く終わらせるべく、アキラはなけなしの集中力をかき集めて計三八個の表音文字の曲線と直線のパターンを脳に刻みつける。約一〇分後に、発音しながら三八字を地面に再現したときには、周囲に人垣ができている。今回、拍手と歓声はない。彼らの身振りややり取りから察するに、半数以上が文盲らしい。
リランがアキラ作の文字列を指さし、その指で自分のこめかみを突く。
「アキラ、ズュ エスト メアータ」
なんとなく意味を了解する。
ズュ エスト メアータ――おまえは賢いな。
「ネー、ディー エズド めあーた」いや、ぼくは賢くない。
「ジィル、ズュ エスト」いや、本当に賢いぜ。
首輪の男たちに小さな枝を配っていた警備兵が、横から口を挟む。
「ジィー、シス エスト」ああ、本当にな。アキラに顔を向けて、「ハイア」ほれ。
アキラは受け取った枝を見、周りを見る。みんな枝をがじがじやっている。歯磨きの木か。シノは正しかったんだ。アキラも青臭い枝をがじがじやる。篠原が枝をがじがじやっていたときの場面が思い出されたが、なんの感情も湧かない。
今は疲れ過ぎている。
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