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【言葉の壁】




 朝食のあいだ、リランは手近なものの名称を一つずつ挙げていき、アキラはその都度、耳馴染みのない単語を口の中で繰り返す。

 ブロホト、赤パンまたは一般名詞のパン。サパ、料理名または一般名詞のスープ。マズ、何かの肉または一般名詞。パタタ、何かのイモまたは一般名詞。スバァヌ、スプーン。ウィズグズ、皿。クラエ、服。スキリート、シャツ。ブリアン、ズボン。ドリダン、土。ハンヌ、手。ホンヌ、指。ホト、足。オウクラ、目。ネイサ、鼻。ムンディ、口。ジェリ、顎。

 警備兵の一人が声を張り上げる。「ホーイェン ウフ!」 

 リランがスープの残りを慌てて掻き込みながら、アキラに言う。

「ホーイェン、ホーイェン」

 ホーイェン――急げ。

 どこへ?


 五〇名の男たちは二列縦隊になり、中庭の一隅に設けられた大きな扉を抜ける。

 誰も彼もが私語に耽っている。同行の完全武装の警備兵たちでさえ、一緒になって大声で笑っている。獄吏と囚人、と言うには、妙にフランクな関係だ。アキラは不思議でならない。ぼくたちはいったいどういう集団なんだ? まるでぺちゃくちゃやってる小学生みたいじゃんか。

 リラン先生にしても、授業を中断するつもりはないようだ。中庭を出る際は、トゥリ(扉)とエリークリ(通路)の二語を教え、早朝の閑散とした表通りでは、右手に見える市門――鉄の板を格子状に組み合わせた巨大な代物――が上がるまで手近なものを教材にする。リダン(道路)、パヴメタン(歩道)、エトラスラ(建物)、ウェンドーガ(窓)といった語を覚えながら、アキラは、朝日をたっぷりと浴びるクソったれ異世界の街を観察する。軒を連ねる石造りや煉瓦造りの五階建てまたは六階建ての建物。鎧戸の開け放たれた上階の窓で輝くガラス。がたがたの石畳の隅に掃き寄せられた砂埃とゴミ。朝食を戻したくなる腐敗物と排泄物の悪臭。異国情緒はあるものの、素直に言って感銘からはほど遠い。そこらの屋根にぺプシの広告看板を設置したら現代ヨーロッパの観光都市で通用しそうだ。アキラがぎょっとさせられたのは、リランが警備兵を教材にしたとき。しかし警備兵は笑顔だ。ベラン(鉄兜)、スバラザ(槍)、スワッタ(剣)、ザラダス(兵士)。

 市門が三分の一くらいの高さ、地上四メートル前後で止まる。その反対側では、鎖の音を響かせて架け橋がゆっくりと下ろされている。どしん、と地響きを立てて架け橋が下りる。隊長らしき羽飾り付きの鉄兜の警備兵の号令の下、男たちは二列縦隊で進む。

 門の外へ。

 文字どおりの外へ。

 架け橋の先には野原があり、市壁と並行に流れる大きな河があり、長い橋がある。対岸には野原と森。アキラは背後の市壁を仰ぎ見る。疑いが確信に変わる。ここは昨日(でいいのか? 気絶していたのはどれくらいだろう?)迂回しようとしていた街だ。太陽を背負っているのだから、現在地は西門で、高台から見下ろした東門は街の反対側ということになる。

 首輪の男たちは、ここでも思い思いの場所で雑談に興じる。同行の警備兵たちは、職責を放棄しているように見える。タイミングを計って、さりげなくやれば、いけるか?

 リランがアキラの肩に片手を置く。

「エズド」

 濁ったエスト――おそらく否定形。ニュアンスから判断するに――やめろ。

 どうやら、表情から考えを見抜かれたらしい。

 リランの眼差しは厳しい。

 アキラは邪気のない笑みをこしらえて、肩をすくめる。

「エズド」リランがもう一度言い、自分の首輪を指さす。首輪は幅一センチ、厚み五ミリほどの茶色い革帯で、バックルのような金具ではなく、頭の潰れた鋲でもって、帯の端と端が重ねて留められている。設計者は取り外しをまったく考慮しなかったようだ。

 アキラは自分の首輪に手を伸ばす。

 リランがうなずく。「ヒット ヴァリィ クウェラン ズュ イヴュー ズュ アオーナン」

 そのせりふはともかく、手刀の先を喉の上で横に滑らせるジェスチャーの意味は火を見るよりも明らか。

 なるほど、馬鹿をやれば殺されると。

「じぃる」

「クホォト」

 荷馬車が市門から出てくると、警備兵たちは、首輪の男たちを二つのグループに分ける。半分は、市壁に沿って伸びる幅六メートル、深さ二・五メートルの空の堀に集められ、もう半分は、大河に架かっている橋の前に集められる。

 アキラとリランは前者のグループだ。

 これから何をやらされるのかは、荷馬車から下ろされた大量の薄汚い袋と二五本のシャベルが雄弁に物語っている。

 穴掘り。

 クソったれ異世界め。


 作業は単純もいいところ。空堀の底へ下りて、さらに深く掘り、その土を袋に詰めて外に出す。別グループの二五名は、ツルハシやノコギリを使っての橋の破壊作業に割り当てられている。

 アキラは最初、この土木工事の目的にピンとこない。穴を掘らされている、という意識しかない。橋の破壊にしても、新しいのを架けるため、くらいにしか思わない。けれども、辛い肉体労働を忘れるための夢想が『SNAFU』のネット対戦に及んだとき、自分が何をやらされているのかを明確に理解する。

 土木工事の完成図がぱっと思い浮かぶ。深い堀。橋の破壊。オフェンス側の目標が市門の突破にある場合、経路の制限は、最もやってほしくない嫌がらせだ。部隊がまともに展開できず、採れる戦術が限られる。一方、ディフェンス側は、集中攻撃、待ち伏せ、ブービートラップ、遊撃、とやりたい放題できる。いざとなったら護りを固めて、亀のように篭城してしまえばいい。

 これは戦争の準備では?

 この街の連中は、どこかの軍隊と戦うつもりでいるのでは?

 遅まきながら難民の列を思い出して、アキラは考えを訂正する。違う、戦争はもうとっくに始まってる。アキラは身震いする。ゲームの戦争はいいけれど、リアルの戦争はご免だ。リランに確認したい。が、彼は生憎、離れた場所で土掘りをしている。たとえ話しかけることができても、語彙が圧倒的に足りない。




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