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01.第一王子レイモンドの運命



〈第一王子レイモンド視点〉



 勉強も、剣の稽古も、退屈なほどに簡単だった。



 三年かけて習得せよと渡された教科書は三日もあれば内容を把握できたし、教師に踏み込んだ質問をしても、「そこまで考えられているとは、さすがですね」と感心されるだけで、議論にすらならない。


 剣の稽古も似たようなものだ。騎士団長の動きを、一度型を見ただけでその剣筋も理屈も理解できた。寸分違わぬ動きを再現してみせたところで、彼は「地道な鍛錬こそが肝心だ」などと、結局は基礎練習を促すばかり。


 いずれ王冠を被る僕にとって、護身術や騎士の訓練は最低限こなせればいい。中身のない思考停止した反復に時間を費やすくらいなら、自分で論理を組み立て、効率的に鍛える方がよほど有意義だ。


 教師から学ぶべきことは何一つなくなり、新たな刺激を求めて図書室にこもり、蔵書を端から読みつくした。そうして知識を蓄えるたびに、大人であろうと僕と同等の議論を交わせる者は消え、一層孤独は深まるばかりだった。



 この世界は、あまりにも簡単すぎる。誰もが目の前の小さな事象に一生懸命で、その先を見ていない。


 ――僕にとっては、あまりにも退屈だ。



 王になること自体に異論はない。

 だが、自分と対等に言葉を交わせる相手もおらず、己より遥かに長く生きながら思慮の浅い愚かな貴族たちを、説得するためだけに生きる人生に、何の意味があるというのだろうか。


 王としてこの国に身を捧げる予定の未来に対し、僕は十歳そこらの時点で早々に飽き飽きしていた。




 その態度が目に余ったのだろう。


 十二歳になった頃から、陛下より婚約者となるご令嬢のいる辺境へ行くことを勧められている。


 隣国との国境に近く、未知の文化に触れられる可能性には僅かな興味を覚えたが、リドラス領は魔獣溢れる荒々しい自然と、野蛮な大地が広がるだけの辺境だ。

 ろくに本もなさそうな場所へ行く気にはなれず、僕はのらりくらりと返事を先延ばしにしていた。






 ――運命とは、往々にして退屈な午後に紛れ込むものだ。


 あの日の僕は、弟アレクシスが婚約者との顔合わせがあるというので、果たしてあの弟が同い年の少女を前にしてどう振る舞うのか。暇つぶしに観察するつもりで庭園へ足を向けた。



 アレクシス本人がどう思っているかは知らないが、僕は自分と瓜二つでありながら、中身は正反対の弟のことを嫌いではなかった。

 第一王子である僕よりもよほど王位に執着し、何事にも楽しそうに熱心に取り組んでいる。その姿勢を、どこか羨ましくも感じていたのかもしれない。


 子どもらしく負けん気が強く、必死に足掻くさまは、見ている分には幸福そのものだ。王宮という環境のせいで少し自信過剰な面が気にかかるものの、その誠実な努力が報われれば、自分よりもよほど立派な王になれる素質を秘めている。



 そう。だから僕は、そんな見ていて面白い弟を観察するつもりで、あの日、春の庭園へ赴いた。


 本当にただの暇つぶしだったのだ。お気に入りの本で時間を潰し、無関心を装ってふらりと立ち寄る。それが、僕の完璧な「観客」としての振る舞いだった。




 だが、春の柔らかい日差しが降り注ぐ庭園で、僕を待っていたのは筋書きどおりの退屈な物語ではなかった。


 陽光を浴びて神話から抜け出たように輝く白銀の髪の隙間から、エメラルドのような理知的な緑の瞳が、まっすぐに僕を射抜く。





 ――あぁ、なんてことだ。


 この灰色だった世界に紛れ込んできた、眩い一筋の銀光。

 テトラ公爵家令嬢、ディアナ。


 彼女と目が合った瞬間、僕の静止していた世界が、鮮やかな色で侵食され始めた。





 始めは模範的なカーテシーに少し驚いたものの、その時点ではアレクシスと同い年にしては随分としっかりした少女だなと思う程度だった。

 ただ、女性は幼くとも男よりも抜け目ないものだ。


 王太子である自分に媚びを売る視線には慣れきっていたため、僕は少し様子を窺うべく、あえて「わかる人間にだけわかる」威圧的な態度を装ってみた。老若男女を問わず、これまで何人もたやすく陥落させてきた、完璧な笑みとともに。


 ディアナは、そんな僕の作意をものともせず、むしろ微笑みを深めて真っ向から立ち向かってきた。



「恐れながら、レイモンド殿下。――そのお手元の御本、もしやラグーン公国の歴史書ではございませんでしょうか?」


 その一言で、生まれて初めてとも言える衝撃が全身を駆け巡った。


 手にしていたのは、二つ隣の先進国で半年前に刊行されたばかりの書物。専門用語が多く、王国語への翻訳も追いついていない代物だ。


 王宮の教師や貴族たちに感想を求めてみたこともあったが、誰一人として最後まで読めてすらいないのが実情だった。



『何故これを? 教師が勧めるには、君の年齢ではいささか難解すぎると思うけれど』


 僕は目の前の少女がこの本の内容を理解しているとは信じられず、試すような意図でラグーン公国語で問いかけた。



 意地悪をしすぎただろうか。

 なんて心配をする間もなく、ディアナは一切の躊躇なく、流暢な公国語で言葉を返した。


『先進国であるラグーン公国の、民の暮らしを知りたかったのです。政治を学ぶのは当然ですが、国とは民によって支えられているもの。民の営みから学ぶべきことは、多くあると考えまして……』



 書籍の内容のやりとりに留まらず、政治経済から各国の文化論にいたるまで、会話は次々と深まっていく。王宮では母国語でさえ誰も相手にならなかったというのに、彼女はラグーン公国語のまま、僕の話についてきている。


 しかも、ただ知識があるだけで終わらない。僕が構想し、ほとんどの大人たちが理解すらできなかった「中長期的な大改革」についても、その価値を認め、さらには僕が思いつきもしなかった角度からも提案してくるのだ。




 ――ああ、楽しい。

 これが高揚感というものか。





 この僕が、こともあろうに状況や己の立場を忘れて、ディアナに夢中で話しかけていた。


 アレクシスが泣きそうな顔で庭園を飛び出して行き、ようやく自分の失態に気づく。幼少期のように癇癪で暴れる弟の背中を撫でながら、僕は冷静に思考を巡らせる。



 ディアナがアレクシスの婚約者であることは、理性では重々承知している。それなのに、僕の脳は弟をなだめることよりも、彼女と再び接触する手段を、策略を、勝手に考え始めてしまう。




 ――彼女ともう一度話したい。


 僕にも、己を突き動かす『行動原理』などというものが存在したのか。




 この世界が、これほどまでに刺激的な場所だったなんて、僕はこの日初めて知ったのだ。




もし少しでも面白いと思っていただけたら、下にある高評価【☆☆☆☆☆】やブックマークでぜひ応援いただけると嬉しいです!


賢すぎた王子が、一人の少女との出会いをきっかけに狂う。

初恋は、やがて甘美な「略奪」へと姿を変えていく。


本日から毎日1話ずつ番外編を公開します!次話は明日21時過ぎに更新予定です。

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