22.第二王子アレクシスの……
〈第二王子アレクシス視点〉
王国を揺るがしたあの卒業パーティーから数日。
陛下と王妃殿下、そして重鎮たちによる合議の末、俺たちの処遇が決まった。
我が国の正当な王位継承者は、俺とレイモンド兄上の二人しかいない。その状況で兄上を完全に廃嫡することは、国政のリスクがあまりに大きすぎた。
結局、兄上は王位継承権を保持したまま第二位へと降格。代わって俺が第一位に繰り上がり、卒業と同時に王太子として公務にあたることになった。
飛び抜けて優秀だが、あまりに革新的な兄上を王太子の座から降ろすか否か、貴族たちの間でも議論は紛糾したらしい。
だが、兄上のディアナ嬢への執着はもはや異常とも言えた。「彼女のためならば王国を滅ぼすことさえ厭わない」――その危うさを危惧した陛下が、兄上は王の器にあらずと断を下したのだ。
本来、あのような騒動を起こした者同士の婚約は異例だが、兄上を御するためにはこれしかなかった。俺とディアナ嬢の婚約は解消され、新たに兄上と彼女の婚約が結ばれた。
二人は今後、リドラス領に隣接する辺境の地を任される。
そこは小規模ながらも、国境沿いにある、今後交易の要となりうる領地。レオン辺境伯の監視も行き届くその地で、兄上の才を新天地の開拓へと向けさせるのが、陛下なりの破格の温情なのだろう。
学園では、以前から二人の密会が噂になっていたらしい。
兄上の婚約者だと疑われていたディアナが、兄上が卒業し、留学のために国外へ出た頃から嫌がらせを受けていたことも、俺は今の今まで知らなかった。自分の無頓着さが招いた結果だと、今は猛省している。
孤高の王子による、国をも捨てた横恋慕。
「ディアナと二人でいられるのなら、臣下として生涯を王国に捧げる」
兄上が陛下に立てたその誓いは、最終的には一種の美談として、国民や貴族からも好意的に受け入れられたようだ。結果として王家は、品格を損なうことなく、この騒動を円満に収めることに成功したのである。
王宮の庭園には、一足早く夏を告げる鮮やかな大輪の花々が咲き誇っていた。
絵具をそのまま垂らしたような華やかな彩りの中、俺の目の前には一人の令嬢が座っている。
リース・リドラス嬢。
かつては兄上の婚約者であり、二年後に立太子を控えた俺の、新しい婚約者となる女性だ。
「今回は辺境の紅茶を淹れてもらったんだけど……どうかな?」
「辺境に帰る間もない私のためにわざわざ取り寄せてくれたのでしょう? ありがとうございます」
二人きりの時は敬語を外そうと決めたばかりだが、口をついて出る言葉はどうしてもぎこちない。
学園時代の彼女とは言葉を交わす機会すらなく、俺はただ遠くからその背中を仰ぎ見るだけだった。
数年ぶりに再会した彼女は、見違えるほど美しく変貌している。王都の貴婦人らしい透き通るような白い肌に、一つに束ねて胸の前に垂らした艶やかな黒髪がよく映えていた。
こうして週に一度、公務の合間に茶を囲んではいるが、広大な大地を共に駆けめぐり、泥にまみれて剣を合わせていたあの頃よりも、今は少し、二人の距離が遠く感じられた。
リースが、さっぱりとした後味のフルーツティーを一口含み、不意に視線を落とした。
「ねぇ、アレクシス殿下。私が婚約者で、本当にいいの?」
「? 婚約者が誰であれ、俺は王族として責務を果たすのみです」
「いや、それは承知していますが。……今まで家族、それこそ姉弟のように過ごしてきた相手が婚約者になって、あなたは受け入れられるのかしらと思って」
彼女は困ったように眉を下げ、気まずそうに俯いた。
「私はあなたを義弟だと思って接してきたから……なんだか、不思議な感覚なのよ」
俺は、きょとんとした顔で見返した。辺境で家族のように過ごしてきた相手が、名実ともに家族になる。それだけのことに、何を戸惑う必要があるのだろうか。
そんな俺の反応をどう受け取ったのか、リースが訝しげにこちらを睨んだ。
「……アレクシス、あなた恋をしたことは?」
「こい……? 恋、とは?」
呆気にとられて問い返すと、彼女は驚いたように目を丸くした。
――どうやら、十歳のときのあの出来事は、俺の心に自覚していた以上のしこりを残していたらしい。
リースが説く恋人や夫婦の形は、知識としては理解できても、感情としては霧の向こうにあるように実感が伴わなかった。
「もちろん、これは政略結婚だわ。無理に恋をする必要はないけれど……あまりに義務的すぎる関係は、私はちょっと寂しいかもしれないわ……」
リースはカップの縁を指でなぞり、消え入りそうな声で付け加えた。
周囲の夫婦を思い巡らせれば、確かにそこには、家族への愛情とはまた別の「男女の情愛」が漂っていた。
辺境伯のレオン殿夫妻は、休みの日には手を取り合い、肩を寄せ合って、まるで市井の夫婦のように散歩に出掛けていた。リースの兄・マルコも、来年結婚する婚約者と仲睦まじく王都で逢瀬を繰り返している。
陛下と王妃殿下――父上と母上もそうだ。公務の場を離れれば、酔った父上に母上が寄り添い、優しく手を握って労う姿を知っている。
試しに自分とリースがそのような関係になることを想像してみたが、まったく実感が湧かなかった。
「……始まってもいなかった私と違って、アレクシス殿下は、数ヵ月前に目の前で失恋されたばかりでしたね。配慮に欠けた発言だったわ」
黙り込んでしまった俺を気遣うように、彼女は静かに言った。
「いや、違うんです、姉上。……あ、リース。そうではなくて……俺には恋という気持ちが、よく分からなくて……」
久々に自分の未熟さを突きつけられた気がして、俺の言葉は自然と尻すぼみになった。
「ディアナ様に恋はしていなかったの? ボーシャ商会のサービスまで使ったのに?」
「……あれは、どちらかと言うと、婚約者としての義務を果たさなければという思いが強かったのかもしれません」
十歳のあの時、自尊心と共に俺の淡い恋心は粉々に砕け散ってしまった。
辺境から戻り、王宮で再会したときはわずかな期待もあったはずだが、彼女の冷淡な態度にその灯も一瞬で消え去ってしまったような気がする。
そうか。
恋心もなく、ただ義務感だけで距離を詰めようとしたから、学園でも上手くいかなかったのか。
凡人である自分には、反省すべきことが多すぎる。この調子で未来の国王としてふさわしくあれるのか、ときどき不安が襲う。
「……ふうん」
「……リース姉……いえ、リースは恋をしたことがあるのですか?」
気を抜くと「姉上」と呼んでしまう。彼女が言う通り、リースのことは義姉になる存在だと思い込んでいたので、俺自身もまだこの婚約を心の底では受け入れられていないのかもしれない。
そんな思考をぼんやり巡らせていた俺は、続く彼女の言葉に、思わず手に持っていたフォークを落としかけた。
「……ありますよ」
「……え?」
「恋、したことありますよ。……少し気恥ずかしいけど、夫婦になるのだから、隠し事はやめて、こういうのも何でも話せる関係がいいよね」
それを聞いて、俺は小さな丸テーブルをひっくり返さんばかりの勢いで身を乗り出した。
さすがは剣の名人の姉上。俺の突然の動きにも動揺ひとつ見せず、落ちそうになったティースプーンを事も無げに掴んで戻す。
「え、待ってください。姉上はレイモンド兄上に恋をしていらっしゃったのですか?」
「そんなわけないでしょう。あの方とはまともに喋ったこともないわよ」
「では、一体誰に――」
「うーん……」
必死に詰め寄る俺をよそに、リースはテーブルの上のナプキンを指先で摘まみ上げると、それを何度も折り直した。俺から視線を外し、少し泳がせるようにして続ける。
「え~、恥ずかしいから、絶対に本人には言わないでほしいのだけれど……小さい頃は、カイルに少し憧れていたのよね」
「……っ、え?」
「マルコ兄さまに私が意地悪されたりしたとき、あの朗らかさで助けてくれてね。カイルが学園に入学するまでは、よく彼の背中を追いかけていたなぁ……」
「あはは」と照れ隠しに笑う彼女は、まるで今も目の前に彼がいるかのように、眉を下げ、とろんと黒曜石のような瞳を揺らめかせた。――あんなに厳しい稽古で息を切らしている時でさえ、見たことがない表情だ。
わずかに染まった彼女の頬を見て、胸の奥がちくりと、妙な熱を持ってざわめいた。
これが恋の始まりだということを、今の俺はまだ知る由もなかった。
本編はここで完結です。
もしも、あの日。彼女が「前世」を思い出さなかったら。
辺境を知らぬ王子は傲慢に育ち、声を失った令嬢は処刑台へと追い詰められる。前世の記憶を持たない公爵令嬢と婚約した第二王子の、もう一つの卒業パーティー。
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