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21.公爵令嬢ディアナの結末



〈公爵令嬢ディアナ視点〉



(――これは一体、どういうことなの)



 私は『ヒロイン』から婚約破棄を突きつけられ、アレクシス殿下も彼女に寄り添い、私を『悪役令嬢』だと罵るはずだった。そこで私は自身の無実を皆の前で堂々と証明する。


 あとは玉座で見守るレイモンド殿下が、暴挙に出た二人を鮮やかに断罪してくれる。


 ――そのはずだったのに。



 アレクシス殿下はニナの手を取るどころか、周囲から冷ややかな視線を浴びている様子さえない。それどころか、周囲の男性たちからは、苦労を分かち合う戦友を見るような温かい眼差しが向けられている。


 ニナも殿下に縋る素振りすら見せず、それどころか突然スイッチが入ったように、自領の商売戦略について弾丸トークを繰り広げている。


 「彼女の発言の中に次なる新商品のヒントが潜んでいるのではないか」と、本来なら遠巻きに静観しているはずの貴族夫人たちが、なりふり構わず前のめりになって耳を傾けているではないか。




 私は前世の記憶を取り戻して以来、初めてのパニックに陥っていた。


 頭の中を埋め尽くしていた『完璧なシナリオ』が音を立てて崩落し、足元の床が消失したかのような錯覚に襲われる。手足から急速に血の気が引き、指先がひどく冷たい。


 何より――味方だと信じていたレイモンド殿下が、この状況で一言も発さず沈黙を貫いている。



(私は、何を……一体、何を決定的に見誤ったの……!?)



 困ったように頬を掻き、何か話しているアレクシス殿下や、ニナを取り囲む喧騒さえ、今は遠くの雑音のようにしか聞こえない。



 それ以上に、一段高い場所からこの喜劇にも等しい無様な惨状を見下ろしているはずのレイモンド殿下が、いまや何よりも恐ろしい。


 氷のような寒気が首筋をなぞる。助けを求めて振り向きたいのに、それができない。蛇に睨まれた蛙のように足がすくみ、指先一つ、動かすことさえ許されなかった。






「国王陛下、王妃殿下のご入場です――!」


 そのとき、両陛下の到着を告げるファンファーレが、会場の端から端までを震わすように高らかに鳴り渡った。



 私は残された理性を振り絞り、王族への最敬礼――カーテシーの姿勢をとる。


 かつてアレクシス殿下と初めて会った際、誇り高く披露したあの所作。

 あれから淑女として、貴族として、より洗練されたはずの私のカーテシーは、今や恐怖で小刻みに震えていた。


 深く腰を落とせば、そのまま膝を突いて崩れ落ちてしまいそうだ。なんとか形を保とうとするものの、実際には膝を折ることさえ叶わず、かろうじて頭を垂れるのが精一杯だった。


 周囲の貴族たちが一斉に深く頭を下げたおかげで、この醜態を衆目に晒さずに済んだのは、不幸中の幸いというべきか。

 だが、今の私にはそんな幸運に気づく余裕さえ残されていなかった。




「皆、顔を上げよ」


 陛下の宣言に従い、各々がゆっくりと面を上げる。隣ではアレクシス殿下が膝をついたまま、迷いのない瞳で父王を真っ直ぐに見据えていた。


 つられるように顔を上げてしまった私の視線の先では、レイモンド殿下が悠然と私を見下ろしている。


「今の話は聞かせてもらった……今日は本来、学園の卒業と若者たちの成人を祝う場。重大な発表も考えておったが、まずは状況を整理することから始めねばならんようだな」


 陛下が厳かに周囲を見渡す。

 その重厚な声に圧されてか、もはや誰も口を挟むことはできない。


「まずは当事者たちで話すがよかろう。者共は控え室へ移動せよ。他の者はこのままパーティーを――」


「楽しむがよい」と続くはずだった陛下の言葉は、唐突に遮られた。




 ――レイモンド殿下が無言のまま、ゆっくりと壇上の階段を降り始めたからだ。


 その場に、緊張が走る。




「レイモンド?」


 陛下さえも困惑の色を隠せない中、彼はその呼びかけを黙殺し、真っ直ぐにこちらへ歩いてくる。


 私はその姿を視界の端に捉えながら、震える脚を叱咤して立ち尽くすのが精一杯だった。


 コツ、コツと、レイモンド殿下が一歩、また一歩と踏み出すたび、足音が赤い絨毯に沈み込む。その音は分厚い絨毯に吸い込まれて微かなはずなのに、終わりのカウントダウンのように、私の耳にはやけに鮮明に響いた。




 彼は王者特有の不遜な余裕を湛え、ゆったりとした足取りで、私の目の前で足を止めた。


 目の前に、彼がいる。

 ……けれど、私は顔を上げることさえできない。




「レイモンド!」

 陛下が声を荒らげた瞬間だった。


 彼は私の前で恭しく膝をつき、最上の敬意を込めた騎士の礼を捧げたのだ。


 そして、体の脇で震えていた私の手を引き寄せ、逃げ場を塞ぐように強く絡めとる。氷のように冷え切った私の手と、温もりを感じさせない彼の手。糸を操られる人形のように、私は彼の意のままに腕を委ねていた。



 彼が、私の手の甲へ、吸いつくように唇を落とした。

 触れた場所から、毒が回るような痺れが広がっていく。



「私は、ディアナ嬢に求婚する」


 その刹那、会場のあらゆる音がぴたりと止んだ。


 


 恐ろしいほどの静寂の中で、レイモンド殿下は私の手の甲に深く、刻印(こくいん)を刻みつけるように口づける。


 誰もが言葉を失う中、彼の透き通るような青い瞳が私を射抜いた。邪気の欠片もない、残酷なまでに美しい顔で、にこりと微笑む。


 喉の奥で、ヒュッと引きつった音が鳴った。酸欠の魚のように唇が震え、上手く息が吸えない。



 ――彼の目尻が僅かに下がり、一瞬だけ笑みが消えた。


(怯えていることに、気づかれた……っ!)



 心臓を直接掴まれたかのように、肺が酸素を拒絶する。

 絡めとられた指先から、冷たい蛇が這い上がってくるような悪寒が全身を駆け巡った。



 苦しい。

 逃げたい。


 なのに、吸い込まれるような彼の微笑から、一瞬たりとも目を逸らすことができない。




 レイモンド殿下は私の震える手を握りしめたまま立ち上がると、陛下の方へと向き直った。


「……レイモンド」


「陛下。私はディアナ嬢に求婚します。――併せて、王位を継承する権利を放棄します」


 その宣言に、今度は地鳴りのようなざわめきが会場を覆い尽くした。



「……弟の婚約者であった女性に横恋慕するような王子は、次期国王の座にふさわしくない。だが、私は王座よりもディアナ嬢が欲しい」


 そう告げたレイモンド殿下に、逃げ場を塞ぐように強引に肩を抱き寄せられる。


 会場中の視線が突き刺さる。

 「なぜ」という問いが頭の中で何度もこだまするが、私はもう、自力で立っていることさえままならなかった。



 でも、崩れ落ちそうな私を支えるこのしなやかな腕が、今の私にとっては世界で最も恐ろしい。


(婚約者を断罪し返して、すべてを明らかにした後、私は、王妃になる――はず……で…………)





 誰もが、目の前で起きている「王国を揺るがす大宣言」に思考を停止させていた。貴族や騎士たちは好奇心と不安を隠し切れない様子で、楽団の奏者たちも楽器を構えたまま石像のように固まっている。


 視線の端では、アレクシス殿下が信じられないものを見るように兄を見上げ、隣のニナはどこか冷ややかに、私という存在を軽蔑するような視線をこちらへ向けている。


 遠くで倒れそうになる母を、父と兄が支えているのが見えた。

 あぁ、私は、家族さえも絶望させてしまったのだ。





 陛下は天を仰いで数秒の沈黙を置いた後、苦渋に満ちた重苦しい溜息を吐き出した。


「……この件は追って沙汰(さた)を下す。レイモンド、アレクシス、そしてディアナ嬢。三人は直ちに別室へ移動せよ!」


 その怒声さえ、今の私には深い水底で聞く、遠い世界の音のようにしか聞こえない。




(――私が望んだのは『聡明な次期国王による救済』であって、弟の婚約者を強奪して王位を捨てる『狂った王子』の略奪(りゃくだつ)じゃない……っ!)


 私の声なき悲鳴は、春の夜に吸い込まれるように消えた。




「私は王座よりも、彼女が欲しい」


王国を揺るがした第一王子の略奪宣言。その代償は、あまりに重く、甘い。

婚約解消、立太子、そして新たな縁――。


次回が後日談、本編の最終話です。もし少しでも面白いと思っていただけたら、下にある高評価【☆☆☆☆☆】やブックマークでぜひ応援いただけると嬉しいです!大変励みになっております!



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